2018年1月-4月 雑誌記事

雅子さまの即位に向け 小和田家もバックアップ始動か
2018.01.08 16:00
1月1日の午前、皇族方や総理大臣、各国の駐在大使公使夫妻などが新年の挨拶のため天皇皇后陛下のもとを訪れた。
朝9時30分頃、雅子さまは皇太子さまと愛子さまとご一緒に、半蔵門から皇居へと入られた。
その1時間ほど前の朝8時15分、乾門を1台のハイヤーが通過した。
乗っていたのは雅子さまの両親である小和田恒・優美子夫妻だった。
ご実家である小和田家の人々は、皇后という大役を引き継がれる雅子さまにとってかけがえのない存在のようだ。
外務省のトップエリートだった恒氏は、1999年に退官後、2003年に国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)の
判事に任命され、2009年には日本人初の同裁判所の所長に就任した。
「2012年に所長を退任したあとも判事を務める恒氏は、生活の拠点をオランダに置いています。
日本には、年3~4回の休暇に帰ってくる程度だそうです」(外務省関係者)
恒氏と、実業家の令嬢だった優美子さんとの間に雅子さまが誕生されたのは1963年。
3年後には、双子の妹・礼子さんと節子さんが生まれた。
恒氏の転勤の関係で幼少を欧米で過ごされ、ハーバード大学に進学、帰国後は東大在学中に
外交官試験をパスされた雅子さまは、1986年に皇太子さまと運命の出会いを果たされ、1993年に皇室に嫁がれた。
当時から、雅子さまと小和田夫妻、2人の妹たちとの結束は固かった。
◆思わぬ批判も発生した
「雅子さまは、皇太子さまからのプロポーズを“住む世界が違いすぎて、自信がありません”と、
一度断っていらっしゃいます。その不安は、相当なものだったでしょう。
民間初の皇太子妃として嫁がれた美智子さまは、かつて度重なるつらい思いをされました。
雅子さまに同じ経験をさせてはならないと、雅子さまとご実家との専用電話を設置され、
優美子さんはマイカーで荷物を運び込んだりと、当時の東宮仮御所を頻繁に訪れていました」(ベテラン皇室記者)
心細い思いはさせたくないという美智子さまの配慮だったのだろう。だが、それが思わぬ批判を呼んでしまう。
「ご結婚後2か月で、優美子さんが雅子さまの元を訪ねたのは十数回に及びました。
雅子さまとご実家との距離感が近すぎて、“嫁いだという自覚があるのか”という批判が起こりました。
さらに、美智子さまが嫁がれた際に正田夫妻が“娘は皇室に差し上げた”と話していたことを引き合いに出した、
小和田夫妻へのバッシングにも繋がったんです。結婚前、雅子さまと出かける優美子さんが毛皮をまとっていたことが、
“派手すぎる”と揶揄された火種も一気に燃え広がりました」(前出・ベテラン皇室記者)
2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、
長野県軽井沢町にある小和田家の別荘で療養された。1か月に及ぶ療養には、優美子さんと礼子さんも付き添った。
「民間の別荘に滞在するのは警備上の問題もあり、加えて皇太子さまがお見舞いに行かれることに
“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という批判まであがったのです」(前出・ベテラン皇室記者)
小和田夫妻を知る人物が明かす。
「娘のためを思うことが、娘をさらなるバッシングにさらしてしまうことに、夫妻は心を痛めていました。
そして、一定の距離を保つことが、雅子さまのためだという結論に達したようです。
恒さんは2012年に国際司法裁判所の所長を退任。高齢でもあり帰国すると思われていましたが、
その後も判事という立場を継続しオランダでの生活を続けています。
その理由は、雅子さまと物理的な距離を保つためだったそうです。自分たちが日本にいると、娘にかえって迷惑になると考えたのでしょう」
一方、日本で暮らす2人の妹たちは、ずっと雅子さまの心のよりどころだった。
慶應大学からジュネーブ国際問題研究所に進んだ礼子さんは、国連難民高等弁務官事務所勤務などを経て、
現在は2児の母。皇太子ご一家のディズニーランドや那須でのご静養に同行したこともある。
「都内にある礼子さんのマンションで開かれるクリスマスやハロウィンパーティーに、
ご一家で足を運ばれることも多い。最近では、恒例となっているご一家のスキー旅行にも、子供を連れて同行しているそうです」(宮内庁関係者)
一方の節子さんも、東大卒で文化人類学者として活動した才媛だ。現在は夫と目黒の実家に隣接する邸宅に住む。
「実は、節子さんは昨年の12月9日に赤坂御用地を訪れています。その日は雅子さまの誕生日だったので、
東宮御所での夕食会に足を運ばれて、一緒に誕生日を祝いました。
その前日の12月8日、政府は天皇陛下の退位の日取りを2019年4月末に正式に決定しました。
それで雅子さまが新皇后になられる日が決まったわけです。雅子さまの胸中には覚悟とともに
不安もあったと思いますが、その翌日に会われた妹の節子さんにも胸の内を明かされたのかもしれません。
かつてバッシングを受けたこともありましたが、やはり雅子さまにとってご実家は心安まる場所。
不安を抱えられる雅子さまにとって、美智子さまや皇太子さま、愛子さまの存在と同様に、
小和田家がバックアップに動き出すことに心強さを感じていらっしゃるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
撮影/本誌・田中麻以
※女性セブン2018年1月18・25日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20180108_642476.html

雅子さま、未来の皇后に向け前進 お休みの具体的理由示す
2018.01.19 07:00
太平洋戦争末期の沖縄戦最後の激戦地・糸満市には、18万人以上の遺骨が納められた『国立沖縄戦没者墓苑』がある。
その地を皮切りに、3月18日から3日間の日程で、天皇皇后両陛下が11回目の沖縄訪問を果たされる。
「来年4月末の退位までに残された時間は、天皇皇后としての両陛下の集大成といえます。
戦跡地や被災地訪問など、これまで両陛下が心を砕かれてきたお出ましなどが続くことになるでしょう」(皇室記者)
元日から行事や祭祀が立て続けに行われ、両陛下は多忙な新年を過ごされた。そんな最中の1月9日、
皇居で両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家が集まる食事会が予定されていた。
「恒例の新年の食事会です。めまぐるしい日々から少しだけ離れて、毎年必ずご家族で集まって
ゆったりとしたお時間を過ごされつつ、今年1年間を平穏無事に過ごせるように祈念されるそうです。
ところが、今年は皇太子ご一家のお姿がありませんでした」(宮内庁関係者)
1月4~6日の日程で長野県にスキー合宿にお出かけになった愛子さまが、インフルエンザに罹ってしまったことが欠席の理由だった。
「1月5日には、ご一家で参加されないことが決まったそうです。両陛下はともに80才を超えられていますし、
もしうつしてしまうようなことがあれば一大事。当然の配慮だったのでしょう。
結局、両陛下と秋篠宮ご一家のみで行われました。
ですがせっかくなら、みなさまがお揃いになれる機会に延期するという選択肢もあったのではないかと思います。
皇太子家と秋篠宮家の足並みの揃わなさに、違和感を覚えてしまいます」(前出・宮内庁関係者)
◆雅子さまは動揺されなかった
翌10日、皇居・宮殿の松の間で『講書始の儀』が執り行われた。
陛下や皇族方が各分野の権威3名に講義を受けられる新年の行事で、雅子さまは2003年以来15年ぶりに出席された。
「日本史に認知科学、光科学と大変高度な内容でした。東大からハーバード大と才媛でいらっしゃる雅子さまは、
熱心なまなざしで講義をお聞きになっていました」(前出・皇室記者)
その2日後には、こちらも新年恒例の『歌会始の儀』が行われた。
だが、『講書始の儀』と同じく15年ぶりの雅子さまの出席は叶わなかった。
「連日の行事によるお疲れを考慮してのことだったと聞いています。
新しい年を迎え、雅子さまへの期待が膨らんでいただけに、落胆の声も聞こえました。
ですが、同じ欠席でも大きな変化があったんです。
東宮大夫の会見で、欠席の理由が“一定の所作があることと、所要時間が『講書始の儀』と比べて長いことが
負担になる”と明かされたのです。これまで、雅子さまが公務などをお休みになる場合
“医師団と相談して総合的に判断した”といったような言い回しばかりで、
具体的な理由が示されることはほとんどありませんでした。皇后となられる日が来年に迫ったことで、
より国民に詳しい状況を伝えなければいけないという雅子さま、ひいては皇太子さまのお考えなのでしょう」(皇室ジャーナリスト)
その姿勢は、前述した愛子さまの不調にも見て取れる。
「愛子さまのインフルエンザ罹患は、わざわざ宮内庁ホームページに
発症の日付やその後の対処法が掲載されたのです。これは大変異例なことで、
その背景には、間もなく“天皇皇后の娘”となられる愛子さまについて、
広く国民に知らせるべきだというご夫妻のお考えもあったといわれています。
また、長野から愛子さまのご不調を伝え聞いた雅子さまは、大きな動揺は見せられなかったと聞きます。
これまで公より私を優先し、愛子さまとの“母娘密着”が批判の的になったこともありましたが、
母親としてのお気持ちの大きさに負けないくらい、未来の皇后としてのご自覚が芽生えた証左なのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
撮影/本誌・田中麻以
※女性セブン2018年2月1日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20180119_645054.html

皇太子さま悲壮な訴え!雅子さま救う「宮中改革」への覚悟
《あたらしき住まひに入りて 閖上の人ら語れる 希望のうれし》
1月12日、皇居宮殿松の間で催された「新年歌会始の儀」で披露された、雅子さまのお歌である。
昨年11月に皇太子さまと一緒に訪問された、宮城県名取市の閖上地区。東日本大震災から6年目の夏、
ようやく復興住宅に入居して、新生活を始めた住民と語らったときのことをお詠みになったものだ。
宮内庁関係者はこう語る。
「ご療養以来、披露された雅子さまのお歌は、愛子さまをはじめとした“私的なテーマ”が多かったのです。
今回は、被災地訪問という“公的なテーマ”でした。来年のお代替わりに向けて“皇后になる覚悟”も伝わってきました」
しかし今回、雅子さまご本人の歌会始へのお出ましはなかった。
「雅子さまは来年、新しい皇后になられる身ですし、久しぶりのご出席となればとりわけ注目を集めるでしょう。
歌人としても高く評価される美智子さまの前で、ご自身の歌が読み上げられることに、プレッシャーもあったはずです」(前出・宮内庁関係者)
'19年4月30日に天皇陛下は退位され、皇太子さまが新天皇として即位される5月1日、雅子さまは皇后になられる。
政府も1月9日、一連の儀式のあり方や日程を検討するため、準備委員会を設置し初会合を開いた。
昭和から平成へのお代替わりでは『即位礼正殿の儀』『祝賀御列の儀』に続き、その夜から4日間にわたり昼と夜、計7回の宴席『饗宴の儀』が催された。
雅子さまは1月10日に出席された講書始の儀でも、かなり緊張のご様子だった。長時間にわたる宴席、
十二単での出席となる『即位礼正殿の儀』は心身ともに大きな負担となる。皇室ジャーナリストが明かす。
「儀式や宴席の一部については、皇太子さまお1人で臨まれることを検討されているようです。
今回の『即位の礼』に関しては、陛下も皇太子さまも『できるだけ簡素に』というお考えです。
そのご意向には予算削減の意味以上に、雅子さまにご無理をさせないようにというお心遣いがあるのです」
雅子さまが適応障害での療養に入られてから、今年で15年。皇太子さまは
《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》と'04年5月の会見で訴えられたこともあった。
「この異例の発言にバッシングもありましたが、身を挺して雅子さまをお守りする、皇太子さまはそのお気持ちをずっと胸に秘めていらっしゃいます。
お代替わりを前に、皇后のお役目についても検討を続け、“ご公務の大幅削減”さえも視野に入れていらっしゃるようです。
具体的にいえば、地方行幸啓でも、皇后は式典に出席しても、視察への同行は減らす、といったことです」
こうした“宮中改革”には、なぜ『皇后陛下は来られないのか』といった批判の声も予想される。
「10年近くの長い期間をかけて、慎重にご公務の取捨選択を行っていく必要もあります。
皇太子さまはそれでも、次期天皇の重圧に耐えながらも、雅子さまを守るために悲壮な覚悟を持たれているのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
幾度となく《時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい》と発言されてきた皇太子さま。
そのご胸中について、前出の宮内庁関係者はこう語る。
「国民に寄り添うお心は、ご公務の数だけで測れるものではありません。
雅子さまがお出ましになれないときも、国民に心を寄せるお2人の強い思いを伝えていく。
そういった新しい皇室像の確立は容易ではありませんが、揺るぎない皇太子さまのお気持ちは、やがて国民の理解を得て支持されるはずです」
皇太子さまの雅子さまへの思いが、新しい皇室への道を切り開いていく――。
https:// jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/imperial/32338

雅子妃、ご結婚から四半世紀 未だ貫く「ご実家至上主義」
社会週刊新潮 2018年2月15日号掲載
雅子妃(54)が「皇后陛下」となられる日まで400日強。来年からは「国民の母」の役割を担われるが、宮中からは嘆きの声も絶えないという。
ご結婚から四半世紀。未だ「ご実家至上主義」を貫かれている――という哀しみの声が。
年明け、雅子妃には特筆すべき出来事があった。1月10日に行われた「講書始の儀」に、
15年ぶりの出席を果たされたのである。お代替わりを来年に控え、ご快復傾向か、と思えるけれど、
「いやいや、一進一退というご様子です」と指摘するのは、さるベテラン皇室記者だ。
「その2日後の『歌会始』には相変わらずご欠席でしたし、宮中祭祀もお出ましにならない状況が続いています。
同じような負担の行事であっても出られたり出られなかったり。不安定な状況はお変わりないのです」
1月12日には、療養に入って以来、ほとんどお姿を見せていない「勤労奉仕団」へのご会釈もなされたものの、
「これも青森県の松風塾という高校の生徒に対してです。雅子さまは不思議とこの高校が来た時には、
お姿を見せる。こうなると、どうしても公務を選り好みなさっている、と見られてしまいます」(同)

スキー、花火、ハロウィン
むろんこうしたお振舞いは、現皇后陛下のそれとは程遠い。そして残された「準備期間」も少ない――。
そんな状況では、周囲の焦燥が募るのは当然で、「皇后になられても、妃殿下はお仕事をまっとうするのは難しいでしょう」
とは、さる宮内庁関係者。
今年でご夫妻は結婚25年。銀婚式を迎えられるが、「妃殿下は、今でも何かにつけ、『ご実家自慢』をされるというのです。こうした様子を聞き及び、
皇后陛下にお仕えする女官たちの間からも“あの方は未だに、我が家は素晴らしいと、
ご実家至上主義でいらっしゃる”“早くご実家から離れるべきだとみんな心配しているのに
なかなかそれが出来ない”との嘆きの声が広がっているのです」(同)
これまでも、雅子妃と父親が外務省のトップ官僚だったご実家・小和田家との“密着”は指摘されてきた。
春のスキー、夏の花火大会、秋のハロウィンなど、事ある毎に雅子妃は行動を共にされてきたし、
そもそも2004年にご体調を崩された際、妃殿下が静養されたのは、軽井沢の小和田家の別荘。
「皇室に差し上げた娘ですので」と最後まで皇后陛下との距離を保たれた正田家と比べて異例で、時に厳しく論じられてきた。
「愛子さまが大きくなるにつれ、そういった話が出るのも少なくなりましたが……」と嘆息するのは、さる皇室ジャーナリスト。
「精神的には、未だご実家を向いていらっしゃるということなのでしょう。
しかし、皇室というのは、国民のために私を捨てる、言わば、特殊な家庭なのです。
一方のご実家は一般のそれ。皇室に嫁がれて25年も経つのに、未だそちら寄りの心構えでは、ご公務などままならないのは言うまでもありません」
昨年12月の誕生日には「これから先のことを考えますと、身の引き締まる思いが致します」と
皇后へのご意欲を滲(にじ)ませた雅子妃。今度はそのご覚悟が問われる1年となりそうなのだ。
https:// www.dailyshincho.jp/article/2018/02210556/?all=1

雅子妃の「皇后即位」に向けた父と元上司を巡る気になる動き
2018.03.07 16:00
皇太子が2019年5月の天皇即位に向けた準備を進めているのと並行して、雅子妃の「皇后即位」に向けた準備も動き出している。
その象徴といわれるのが、雅子妃の実家である小和田家の変化だ。2月13日、父の小和田恆氏(85)が、
オランダ・ハーグにある国際司法裁判所(ICJ)の裁判官を辞任する意向を安倍首相に伝えた。
外務事務次官や国連大使を歴任した小和田氏は2003年からICJで勤務。任期はあと3年残っているが、
6月に退任して帰国する予定だ。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。
「退任は雅子妃殿下が皇后となることを見据えた判断でしょう。
来年、小和田さんは国際親善の場では元首の扱いを受ける天皇の義父になります。
そういう立場の方が、国際司法裁判所の裁判官というのは好ましくありません。政府・宮内庁の意向も影響していると思います」
雅子妃の両親がオランダに滞在中は、都内在住の2人の妹と時折会ってきた。
「皇后即位を控えたタイミングでの両親の帰国は、何より心強い支えとなるでしょう。
かつて小和田ご夫妻が東宮御所を訪れる回数が多すぎるとの批判もありましたが、
そうした声が出ないように配慮した上で、陰からバックアップをなさるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
もう一つ気になる動きがある。2月27日に駐米大使の退任会見を開いた佐々江賢一郎・元外務事務次官の動向だ。
佐々江氏は雅子妃の外交官時代の上司で、深い信頼関係にあるという。
「雅子妃をバックアップする体制に協力するのであれば非常に心強い存在で、将来の侍従長候補とも言われています」(同前)
公務でも「平成流」とは違う新たなスタイルを模索する動きがあるという。
皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏が語る。
「現在の天皇皇后両陛下は、常にお二人でお出ましになるという形が定着していますが、
皇太子ご夫妻は公務を分担して別々に活動するという可能性も考えられます。
雅子さまは元々活動的なお方ですし、英語だけでなくロシア語も堪能です。
皇后になって“海外の公務は雅子さま”というように分担されれば、さらなるご活躍が期待されるでしょう」
元外務官僚の雅子妃は結婚当初、新たな「皇室外交」の担い手として期待されていたが、
それが叶わぬことが体調を崩す原因のひとつとなったとされる。時を経てついにその期待が実現するのかもしれない。
※週刊ポスト2018年3月16日号
https:// www.news-postseven.com/archives/20180307_656977.html

雅子さま、タイ訪問は厳しくも3年ぶりの海外訪問で「花の都」秋のパリへ
週刊女性2018年4月24日号
2018/4/10
「皇太子ご一家は、3月末に4泊5日の日程で、長野県で静養されていました。
県北部のホテルを拠点に、ブラジル訪問から帰国された皇太子さま(58)とともに、“家族の時間”を楽しまれていました」(東宮職関係者)
3月20日に3学期の終業式を迎えた愛子さま。
一部では、お友達と都内のカラオケ店や、学習院高等科の野球部が臨んだ春季大会の試合に、
お忍びで足を運んだと報じられるなど、春休みを満喫されているようだ。
一方で、“勉学”にも励まれる予定のようだ。
「4月上旬に高校2年生の始業式を迎える愛子さまは、学習院以外の大学も視野に入れられています。
具体的には、一橋大学や筑波大学、上智大学のほか、海外の大学も候補に挙がっていると聞いています」(東宮に近い人物)
高校2年生ともなれば、受験勉強も本格化する時期だが、今夏には海外留学も検討されていると前出の東宮職関係者は話す。
「学習院の海外研修プログラムを利用し、短期留学をされる方向だそうです。
候補国は、イギリスやオーストラリアなどですが、仲よしの友達といろいろ相談して決められるのではないでしょうか。
すでにご両親も留学を了承していて、愛子さまの意思を尊重される方針のようです」
勉強とプライベートのどちらも充実されている愛子さまだが、お母さまである雅子さまも、とある“挑戦”を計画中とのこと。
実は今年、'15年に訪れたトンガ以来の海外公式訪問が検討されているという。
「時期はまだ未定ですが、今年中に皇太子さまがタイを訪問される予定です。
'16年に即位した同国のワチラロンコン国王の祝賀関連行事に臨席されるためなのですが、
その折に雅子さまも皇太子妃として同行される可能性があるのです」(宮内庁関係者)
しかし、とある皇室ジャーナリストは、雅子さまのタイ訪問は「現実的に厳しいのでは」と語る。
「まず、“気温”の問題があります。タイは平均気温が高く、1年中蒸し暑い気候なので、
『適応障害』で療養中の雅子さまにとってはハードルが高いかもしれません。
さらに今回のような祝賀行事は、格式ばった場が予想されますが、そういった緊張感のある公の場では、“プレッシャー”も大きいでしょう」
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、今年1月の新年行事を例に出して説明する。
「今年初めにあった『講書始の儀』は、基本的に座って講義を聞くだけということもあり、雅子さまも参加されました。
しかし、その2日後に行われた『歌会始の儀』では、決められた所作があるからなのか、ご出席を見送られました。
やはり、ご病気のことを考えると、厳かな雰囲気で、しかも段取りが決まっている緊張感のある行事への参加は、難しいのかもしれません」

タイ訪問よりも可能性があるのは……
残念ながら、タイ訪問は厳しそうとのことだが、もうひとつ、雅子さまが訪問を検討されている国があるという。
それは、あの“花の都”─。
「今秋、フランスに皇太子ご夫妻がそろって行啓される可能性があるそうです。
今年は日仏外交関係160周年という節目で、政府から皇太子さまにフランスご訪問を打診しています。
この件は公務扱いとなり、“雅子さまも同行するのでは”と関係者の間でうわさになっているのです」(外務省関係者)
フランスといえば、'94年に両陛下が公式訪問された際、ミッテラン大統領(当時)が“異例”の歓迎ぶりで、もてなした過去がある。
「エリゼ宮で開かれた大統領主催の晩さん会では、エリザベス女王の訪仏時を上回る240人が招待されました。
加えて、通常は大統領が顔を出さない在仏大使主催の答礼レセプションにも出席したり、
昼食会まで開くという手厚い配慮が行き届いていたんです」(皇室担当記者)
そんな良好関係が続くフランスで、おふたりがお立ち寄りになる可能性があるのは、
パリで開かれる日本文化を紹介する企画『ジャポニズム2018』だという。
「『ジャポニズム2018:響き合う魂』というタイトルのもと、両国の関係機関が連携して取り組んでいる一大行事です。
歌舞伎や茶道などの公演や、アニメ・漫画を紹介する展覧会などを開き、
日本文化の魅力を世界的に発信することを主目的としています」(前出・外務省関係者)
この計画が実現すれば、雅子さまにとって、皇室入りしてからは初めてのフランスご訪問となる。
実現する可能性を、前出の皇室ジャーナリストはこう示唆する。
「雅子さまは、昨年から体調が回復されているのは明らかで、宿泊を伴う地方訪問や都内の公務にも積極的に参加されています。
さらに先日、皇居・東御苑の音楽堂で行われた『音楽大学卒業生演奏会』では、皇太子さまがブラジル訪問で不在でしたが、きちんと参加されていました。
少し緊張した面持ちでしたが、美智子さまと談笑されるなど療養中だとは感じさせない雰囲気でしたね」
外国語も堪能な雅子さまは、昨年10月に来日したデンマークのメアリー皇太子妃と談笑された。
もともと雅子さまは、“国際親善”を目指して皇室入りしたといわれているため、フランス訪問も前向きにお考えになっていることだろう。
「雅子さまは、以前から国連大学にたびたび足を運び国際関係の勉強をされています。
昨年4月にはスウェーデン皇太子、10月にはデンマーク皇太子夫妻が来日の際に、夕食会を開いて、コミュニケーションをうまくとられていました。
1年後には皇后陛下になられる雅子さまですから、フランスご訪問は、皇太子妃時代の“ご勉強の集大成”といえるでしょうね」(渡邉さん)
お代替わりまで約1年。皇太子妃として最後の海外訪問に期待がかかっている─。
http:// www.jprime.jp/articles/-/12117

愛子さまの休日 カツ丼とお団子をペロリ 高円宮家の絢子様とバッタリ鉢合わせ
2018.4.16 12:26
4月15日の日曜日。学習院女子高等科の2年生に進級したばかりの愛子さまが、
学習院目白キャンパスで開かれた「オール学習院」に姿を見せた。
これまでほぼ毎年、愛子さまはチェロ、皇太子さまはビオラ奏者として「オール学習院合同演奏会」に出演し、
客席では雅子さまが父娘の共演を見守るのが常だった。だが、OGとしての演奏参加は中等科までという決まりがある。
今年は後輩たちに客席から拍手を送る役目に徹した。愛子さまの演奏がないためか、
皇太子ご夫妻もキャンパスに姿を見せなかった。
一昨年、愛子さまの15歳の誕生日写真が公開されるとその「激やせ」ぶりで、世間を驚かせたことは記憶に新しい。
昨年の「オール学習院」では、折れそうなほど細い身体や足に、記者も目を見張った記憶がある。
しかし、すぐに状況は好転。4ケ月後の昨年夏には、以前のふっくら愛子さまに戻っていた。
この日の愛子さまも、ぷくぷくのほっぺに、ぽっちゃりと健康的な姿を見せてくれた。
ポニーテールに小顔効果が高い「横髪」をさりげなく残した、ヘアアレンジ。
そして肩にかけた紺の通学バックには、ふわふわの青色の着ぐるみに包まれたミッキーとテディベア―など
いくつものキーチェーンがぶらさがるなど、キャンパスに現れた愛子さまは、16歳の女の子そのものである。
お友だちとふたりで、歩きまわってお腹がすいたのだろうか。お昼どき、愛子さまが学食で選んだのは、
ボリューミーなカツ丼(380円)。小鉢の豆腐とみそ汁がついて892キロカロリーのセットをペロリと平らげると、
売店でたっぷり餡子が絡んだお団子セット(150円)を購入。
きゃっきゃとはしゃぎながら、お友だちと建物の奥に消えていった。
デザートタイムを満喫したあとは食後の運動。緑に覆われたキャンパスを奥に進み茂みを下った先に馬場がある。
皇居を除けば都内で唯一の馬場だ。
「愛子さまは馬がお好きみたいですね」、とは学習院の関係者。初等科の頃から、オール学習院に参加すると
必ず馬場に立ち寄り、馬に餌を上げたり体験乗馬のイベントに参加してきた。
馬術部のお兄さん方が、手綱を引くなか馬場をゆっくり回った。毎年の恒例イベントとはいえ、
馬上から、くったくない顔でお友だちに笑いかける愛子さまだった。
次に立ち寄ったのは、「お楽しみ縁日」のスペース。侍従に通学バックをさっと預け、射的を楽しむ愛子さま。
ここでは、「親戚同士」ばったり鉢合わせというハプニングもあった。
輪投げコーナーでは、黄緑のスタッフ用上着をはおった、色白のきれいなお姉さんが優しい表情で
子どもに遊び方を教えていた。高円宮家の三女、絢子さま(27)である。城西国際大学で福祉を学び、
いまは同大学の福祉総合学部研究員として勤務しているだけあって、子どもへの接し方も堂にいったもの。
デニムのパンツに黒いスニーカー。ブルーシートやコンクリートの床にひざをついて子どもの目線に合わせながら、
可愛くて仕方がない、といった表情で話しかけている。以前よりもすっきりと痩せて、明るい茶色のボブカットがよく似合っていた。
おもちゃを取りに来た愛子さまと鉢合わせた絢子さまは、愛子さまににっこりと笑いかけた。
しかし、愛子さまは学校で「親戚」と会ったのが照れくさいのか、恥ずかしそうに笑って会釈をすると、
お友だちと走りながら縁日コーナーをあとにした。
昨年よりも走り回ることが減り、ジュースをお供に座ってお友だちとお喋りする時間が増えるなど、
お姉さんらしい時間の過ごし方が増えたように感じた。
「オール学習院」終了は午後4時――。この日も、蛍の光の曲が大音響で流れ、
イベント終了を告げるアナウンスが流れても気にするそぶりもなく、遊び続ける様子は例年と同じである。
この日も愛子さまとお友だちは、4時半を過ぎて再び馬場に向かい、馬に餌をあげに行ってしまう。
「もう終了時刻を大分過ぎているので」と学習院側のスタッフが慌てて追いかけるが、付き添いの東宮職員が注意する気配もない。
身辺警護のためについている皇宮警察の側衛や警視庁職員ら大勢の大人たちは、
愛子さまが帰るまで付き添い、警備体制を敷く。結局、愛子さまが学習院をあとにしたのは、終了時刻を1時間ほど過ぎた午後5時前だ。
来年の5月には天皇の代替わりの儀式が執り行われ、愛子さまは天皇と皇后の娘という立場になる。
天真爛漫な少女から、さらにひとまわり成長されることだろう。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 オンライン限定記事
https:// dot.asahi.com/wa/2018041600022.html

愛子さま学習院内部進学へ 東大説囁かれるも受験クラス入らず
新学期を迎えてすぐの4月12日のこと。学習院女子中・高等科の通学路には、新緑まぶしい木々が風に揺れていた。
その下を愛子さまが、ご友人とガールズトークに花を咲かせながら、笑顔で校舎に向かわれた。
学習院女子高等科の保護者はこう語る。
「春休み期間中に、愛子さまは、お友達とご一緒に学習院高等科野球部の試合を観戦され、
別の日には、カラオケやボウリングも楽しまれたようです。
最近は、こうしたお出かけに、愛子さまのほうからお友だちを誘われることもあるようですね」
この春は愛子さまのはつらつとしたお姿を多くお見受けしている。
しかし、女子高等科2年に進級された愛子さまにとって、大きな転機があったようだと、学習院関係者が語る。
「高2からは5クラスのうち2クラスに、他大学への受験を希望する生徒が振り分けられるのですが、
愛子さまはその2クラスに入らなかったそうです。つまり、これまで報道の報道で名前の挙がっていた、
雅子さまの母校である東大、上智、ICU(国際基督教大学)などの受験をやめて、
学習院大学への内部進学を決められた可能性が高いのです」
学習院女子高等科では、約7割の生徒が内部進学で学習院大学に進み、外部の大学を受験するのは3割程度。
中等科のときから愛子さまと仲のよかったお友達の多くは、医学部や獣医学部を目指す“受験組”だという。
それでも愛子さまが、「外部受験をやめる」と決意された背景には、何があったのだろうか。
皇室ジャーナリストは、「眞子さまのご結婚延期が、影響している部分もあるのでは」と見る。
「眞子さまも小室圭さんとICUのキャンパスで出会われましたが、自由に外出することも難しい皇族方にとっては、
大学がご結婚相手を見つける貴重な“出会いの場”でもあるのです。
学習院は皇族のための学校でした。かつては旧皇族や旧華族の家の方達の多くも、学習院で学んでいます。
皇族方を支えたいと考えているOB、OGの人脈も残っています。
小室圭さんの借金トラブルが報じられ、眞子さまのご結婚が延期になった今、
関係者の間では『学習院で将来のお相手をお選びになれば安心だ』という声が日に日に大きくなっていたのです」
前出の学習院女子高等科の保護者は、喜びを隠さない。
「愛子さまに、学習院大学に進学していただけるのであれば、これほどうれしいことはありません。
眞子さまの後を追って佳子さまも、学習院大学を中退してまでICUに行かれてしまいました。
悠仁さまは、幼稚園からお茶の水女子大附属ですし……」
来年5月には皇太子さまが新天皇に即位され、愛子さまにも大きな注目が集まるようになる。
「雅子さまとしては、むしろ皇族の受入れ態勢がしっかりしている学習院のほうが、
愛子さまがと学生生活を送れるとお考えになったのでしょう。愛子さまも、昨年は外国の要人と英語で懇談されるなど、
皇族としてのご活動にもやりがいを見出されているように感じられます。
愛子さまが大学生になられる’20年には、東京オリンピックが開催されます。
世界中の王族や要人も東京に集まりますから、皇太子さまや雅子さまと一緒に、
愛子さまもご接遇のため、お出ましになるに違いありません。“新天皇の娘”として、私に何ができるのか――。
お代替わりが近づくにつれ“受験よりよりも大切なことがある”と、愛子さまはお考えになったのでしょう」(宮内庁関係者)
この春、人生の転機となる決断をされた愛子さま。
1年後の新体制に向けて、皇族としてのご自覚を、日々強められていく――。
http:// blogos.com/article/291783/

雅子さまを「会見拒否」に向かわせる“15年前のトラウマ”
2018年04月25日 16:00 JST
東京都港区の「ホテルオークラ東京」別館に到着された皇太子さまと雅子さまが式典会場に入られると、招待客が万雷の拍手でお迎えした。
4月18日、皇太子さまご夫妻は日本とアメリカの交流団体「ジャパン・ソサエティー」の記念式典へご出席に。
「髪をアップにされた雅子さまは、ご表情も明るかったです」(宮内庁関係者)
お代替わりを1年後に控える皇太子さまと雅子さまは、6月9日に銀婚式を迎えられる。
今年に入ってから記者クラブ「宮内記者会」は、この日に向けて東宮職に、ある強い要望を出しているという。
「結婚25年を記念して、ご夫妻お揃いでの“銀婚式会見”を開いていただきたいという要望です」(宮内庁関係者)
天皇皇后両陛下も、皇太子ご夫妻時代の'84年、銀婚式をお迎えになり、おそろいで会見に臨まれている。
「雅子さまが最後に会見に出席されたのは、長期ご療養に入られる前の'02年12月。
それから実に15年半もの間、会見が開かれていません。
宮内記者たちにとって銀婚式は、雅子さまの貴重な肉声を取材・報道できる千載一遇のチャンスなのです」
しかし、前出の宮内庁関係者の表情は暗い。
「現時点で、銀婚式の記者会見を実現するのは、非常に難しい気配です。
なぜかというと、雅子さまご本人が、会見出席を断固として拒否されているからだそうです」
適応障害の療養に入られる前は雅子さまも、多くの記者会見に臨まれてきた。
「しかし、それが批判的な報道に繋がったこともあり、雅子さまにとっては“トラウマ”というほどの体験だったようなのです」
そう話すのは、ベテランの社会部記者だ。
愛子さまご誕生後の'02年12月、ニュージーランド、オーストラリアご訪問に際しての会見では、
ご結婚後8年間お子さまに恵まれず、なかなか海外に出られなかった苦しさをお話しになった。
それは、海外生活が長く、外交官を志されていた雅子さまにとっては率直なお気持ちだった。
だが、言葉尻をとらえて「皇室の将来を担う男のお子さまを産むことより、
自分の好きな海外訪問のほうが大事なのか」などと筋違いの批判をする記事も散見された。
「雅子さまにとっては、悪夢のような出来事だったでしょう。
帯状疱疹を発症し緊急入院されたのは、その1年後、40歳のお誕生日会見の直前でした。
適応障害を発症されたのも、会見ご出席の重圧が要因の一つになった可能性があります。
それ以来、雅子さまは報道陣との接触を極端に避けられるようになりました。
地方でのお出ましでも、集まった記者団の前を車で素通りされることもあり、記者クラブとは一時“冷戦状態”となってしまいました。
今回も理由を説明せず銀婚式会見を行わなければ、再びその状態に陥ってしまう可能性もあります」(前出・社会部記者)
しかし、適応障害の回復期にある方たちにとって、自分の状況を周りの人たちに説明することは、
改善への大事なステップともいわれている。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう話す。
「雅子さまもいずれ、会見で国民に説明される機会は、必要になってくるでしょう。
しかし、今は皇后となることが最優先です。それ以前に記者会見で失敗されると、
せっかくの回復傾向が逆に悪化に向かう可能性もあります。
皇太子妃として、ご自分のお言葉で語られることは大切ですが、新皇后になられてからでも遅くはないと思います」
雅子さまが会見のトラウマを払拭され、自ら語られる日が早く訪れることを願いたいーー。
https:// jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/imperial/34133

  • 最終更新:2018-05-13 12:47:02

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