2017年4月-9月 雑誌記事

雅子さま 長野県スキー旅行での知られざる「交流の場」
2017.04.07 16:00
東京都心で桜が満開を迎えた4月2日の朝7時半、
天皇皇后両陛下は、皇居・北桔橋門から皇居外周に姿を見せられた。
「両陛下は毎朝、皇居内を散策されますが、外に出られるのは非常に珍しいこと。
沿道のシダレザクラが見頃ということで足を延ばされたようで、頭上の桜を見上げながら楽しげに言葉を交わされていました」(皇室記者)
わずか5分ほどの限られた時間ながら、居合わせた“皇居ランナー”たちににこやかな笑顔を向けられていた両陛下。
人々との交流を大事にされる姿勢は、そのまま皇太子ご夫妻にも受け継がれている。
3月27~31日、皇太子ご一家は静養のため長野県に足を運ばれ、奥志賀高原スキー場で恒例のスキーを楽しまれた。
「愛子さまは白銀に映えるオレンジ色、雅子さまはピンクと白のウエアが印象的でした。
ご体調が心配された愛子さまもお元気そうで、雅子さまは念入りにストレッチされていました。
宿泊されているホテルのお部屋から、外でバーベキューをしていたスキー客に向かって手を振ったりもされていました」(居合わせたスキー客)
雅子さまの妹・池田礼子さん一家も同行し、愛子さまが年下の池田さんの息子の面倒を、“お姉さま”のように見られるシーンもあったという。
このスキー静養はこれまで何度も波紋を呼んできた。
初めてお出かけになられたのが愛子さまが3才だった2005年のこと。
前年に『適応障害』と発表された雅子さまの療養のためという目的もあった。
「ゲレンデで愛子さまとともに笑顔を見せられる雅子さまの姿が公開され安堵が広がった一方、
直前の国体を欠席されたほか、スキーから戻った後に体調を崩され、
知的障害者のスポーツ大会『スペシャルオリンピックス』の観戦を出発1時間前に急きょキャンセル。
“スキーはできるのに、公務には出られないのか”と批判されたんです」(前出・皇室記者)
2010年のスキー旅行は、“いじめ”による愛子さまの不登校問題のまっただ中。
2014年には、皇太子ご夫妻の務めではないにしろ、皇室にとって重要な両陛下の伊勢神宮参拝(3月25~28日)と日程が重なった。
2015年にも、帰京翌日に行われたデンマークのフレデリック皇太子夫妻との晩餐会を欠席された。
度重なるタイミングの悪さに、「雅子さまは“公”より“私”を優先しすぎる」と囁かれるようになった。
だが、2005年から数えて13年目を迎えた“逆風旅行”にはまったく知られていない“公”の目的もあった。スキー場関係者が明かす。
「ゲレンデのスキー客に挨拶程度で声をかけられるだけでなく、
実は雅子さまは宿泊されるホテルで、人々と積極的に交流の場を持たれてきました。
ホテルは貸し切りなのですが、ホテルやスキー場の関係者のほか、地元の人、スキー客なども訪れて、
雅子さまは終始和やかに、相手に合わせて話題を変えてお話しされるのです。
外国のかたには、流ちょうな英語で話しかけられていました。
東日本大震災の被災者がいたときには“大変だったでしょう。大丈夫でしたか?”とお声がけされていました」
両陛下が続けられてきた「祈りの旅」を雅子さまがしっかりと受け継がれている証左だろう。
雅子さまに限らず、皇族方は皇室を取り巻く批判に対して、まっこうから反論する手段を持たない。
それでも雅子さまは、皇后となる日に向けて、ただ黙々と務めを果たされている。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年4月20日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20170407_508161.html

「特別扱いはなし」 叱られても笑顔で学習院JKライフを満喫する愛子さま
(更新 2017/4/19 07:00)
愛子さまはこの春、学習院女子高等科に進学した。
4月16日に学習院目白キャンパス(東京都豊島区)で催された「オール学習院の集い」では、
母の雅子さまが客席で見守るなか、演奏会でチェロを披露。
その後は仲良しのお友達とプライベートな時間を満喫していた。
*  *  *
にっこり笑ってピースサインをする愛子さま。
顔を寄せる3人の女の子は、仲良しのお友達たち。
ひとりがデジタルカメラを持った手を伸ばし、4人組は自撮り写真をパシャリ。
高等科進学とともに紺から黒に変わったスカーフが、お姉さんらしい雰囲気を見せる。
愛子さまの頬にわずかに見えるソバカスは、春休みにご家族でスキー旅行を満喫した名残である。
今年2月、皇太子さまのお誕生日に公表された「激やせ写真」をきっかけに、愛子さまの深刻な体調不良が明らかになったのはつい2カ月前のことだ。
「実際、私たちでさえ、おやせになったあの姿を目にしたときは、驚きましたよ」(宮内庁職員)
それでも3月22日の女子中等科の卒業式と4月8日の高等科の入学式には、報道陣に笑顔で、学校生活の感想や抱負を語る愛子さまの姿があった。
「オール学習院の集い」が開かれたこの日。
2月よりはふっくらしたとはいえ、愛子さまの頬やあごに、思春期の女の子らしい丸みはまだ見えない。
膝丈のスカートから覗く脚は、標準よりもだいぶ細い。
それでも、ふくらはぎにうっすらついた筋肉は春スキーの賜物なのかもしれない。
そうした世間の心配など杞憂(きゆう)とばかりに、愛子さまはお友達とクスクスと笑い声を立てながら、
キャンパスを走り回る。15歳の春を満喫していた。
愛子さまは、午前中からお昼にかけての演奏会の出番が終わると、お友達とキャンパス内の食堂を目指す。
自動販売機で食券を購入するとカレーの列に並び、女子トークを展開しながらランチタイムに突入した。
お昼を終えた愛子さまたちは、思いたったようにキャンパスの南に茂る森を駆け下りていった。目指したのは馬場だった。
そこでは馬術部による体験乗馬会が催されていたのだ。
30分ほど並んだあとに、愛子さまはヘルメットと赤いベストを着用。
部員が手綱を引くなか、7歳の雄馬「薫桜」にまたがり馬場を一周した。
「天皇陛下も高等科在学中は馬術部に在籍し、昭和26年には主将として関東リーグ戦に出場し
優勝を果たした実績があります。皇居に参内した際に、話題にあがるかもしれませんね」(皇室ジャーナリスト)
馬にまたがる愛子さまの周りにお友達が集まり、またまたカメラでパシャリ。
この日、都内の最高気温は26度まであがり初夏の日差し。
周りにいる護衛官らからは、やや疲れ気味の表情が見てとれたが、疲れ知らずのJK(女子高生)、
愛子さまたちは、軽快な足取りで坂道を上りキャンパス中央へ戻る。
愛子さまは、例年立ち寄る公益財団法人アイメイト協会による盲導犬体験のコーナーへ。
アイマスクをつけて盲導犬と10メートルほど歩く。体験を終えると係員の説明を聞いている。
東宮御所では猫と一緒に「由莉」という雑種犬を飼っている愛子さま。
しゃがみこむと、慣れた様子で、盲導犬の頭やおなかを何度も何度もなでる仕草を見せた。
そして、募金箱を持つ視覚障害のひとたちの前に行くと、愛子さまはピンクのお財布から千円札を出した。
すこしだけ恥ずかしそうにしながら、募金箱にそれぞれ、千円札を計3枚ほど、そっと入れたのだった。
午後4時。「オール学習院の集い」の終了時刻を回り、各コーナーは、テントをたたみ出した。
ゴミを清掃するワゴンが走り回り、お開きの空気が漂う。しかし、帰る気配を見せない愛子さまご一行。
後片づけに入った縁日コーナーに滑り込む。
学習院OGらしき上品な老婦人が、「もう終了時間よ。(皇族だからといって)特別扱いはなしよ!」、と
大きな声で叱り飛ばすものの、愛子さまとお友達は怯むことなく、射的のコーナーに挑戦。
愛子さまは、玩具の銃を勇ましく構え人型の標的を狙う。
と、夕方の風で的がパタパタと倒れるアクシデントに、苦笑いをしつつ数発を命中させる。
じっくりと、籠に入った景品を吟味すると、お友達と再び食堂の方へ。
お菓子らしき商品を手にして戻ると、キャンパス内をウロウロ。
どうやら、お菓子を食べつつ女子トーク第2部をスタートさせるための、場所を探している様子なのだ。
旧図書館の建物を覗いては、「やっぱりダメだあ」とばかりに出てきたり、ウロウロはしばらく続いた。
キャンパス内の後片付けはほぼ終わっている。
あとは愛子さまのお見送りをするばかり、といった様子で学習院関係者や護衛官、東宮職員らが遠巻きに愛子さまご一行を見守っている。
お友達の一人は帰宅し、残る2人とジャンケン大会が始まった。
負けた人は、拳をマイクに見立てて何かスピーチしている様子。
そのたびに、愛子さまもおなかを抱えるようにして大笑いしている。
「箸が転んでもおかしい年頃」を地でゆくような光景である。
あまりの盛り上がりぶりに、周囲の護衛官や愛子さまの帰りを待つ学習院スタッフも苦笑気味。
午後5時すぎ。東宮職員に何度も促されたのだろうか。
名残惜しそうに、お友達にバイバイを繰り返したあと、やっと車でキャンパスを後にした。
この日、愛子さまは万華鏡のように豊かに変わる素顔を見せてくれた。募金箱に寄付をしたり、
地面に落ちていた学習院スタッフのジャンパーを拾う場面では、ちょっと恥ずかしそうな仕草を見せた。
一方で、友達とピースサインをして写真を自撮りし、クスクスと笑いながらキャンパス中を歩く愛子さまがいた。
薄桃色の桜の花びらが、カーテンのように風に舞い上がった。
それは、愛子さまの笑顔を祝福しているかのようだった。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日オンライン限定記事
https:// dot.asahi.com/wa/2017041800074.html

雅子妃が思い描く「愛子さま」お相手のお家柄
25歳の眞子さまが来年にも嫁がれ、22歳の佳子さまに熱視線が注がれる。
となれば、残る内親王は東宮家の愛子さま(15)のみ。おめでたはお代替わりの後となろうが、
その日に向け、雅子妃もお気持ちを新たにされたのは想像に難くない。
宮内庁関係者が言う。
「今回、雅子さまはご心中、穏やかでなかったはずです」
昨夏、陛下が生前退位のご意思をお持ちであると分かって以降、将来の皇統の起点となる悠仁さまを擁する秋篠宮家の存在感はいや増し、
「皇嗣職」の創設や予算の大幅増などが予定されているのはご存知の通りだ。
「ただでさえ秋篠宮ご一家の話題ばかりのところ、東宮家では愛子さまのご体調などもあり、
雅子さまのご気分は決して晴れやかではありません。そうした中、今回のおめでたをどう捉えていらっしゃるのか。
拝察するに余りありますが、愛子さまに思いを致されたのは間違いありません」(同)
というのも、「雅子さまはやはり、お父様の小和田恒さん譲りで、
周囲に対していささか峻厳なお振舞いを見せられることがあるのです」
とは、さる外務省OBである。そもそも93年に成婚なさった経緯としては、
皇太子さまが初志を貫かれ、決心しかねている雅子妃と小和田家がその熱意にほだされた。
巷間そう伝わっているのだが、
「実際はあべこべで、雅子さまがお妃候補に挙がるや、小和田さんは『光栄この上ない。ぜひお願いしたい』と大乗り気で、
関係者を通じて縁談の取りまとめを依頼していました」(同)
この時点で“将来の皇后”との立場を見定めていたのは言うまでもなく、「そうしたストラテジーを備える小和田さんの血筋ですから、
おのずと愛子さまの“お相手のハードル”も上がるわけです」(同)
■経済力も必要
再び先の関係者いわく、
「同じ内親王である眞子さまのケースは一つの目安となるでしょう。
すなわち出身大学は、東大や京大をはじめICU以上、お仕事もキャリア官僚や医師、
ないしは財閥系企業の御曹司などが相応しいとお考えになるのではないか」
皇太子さまが即位されたのち愛子さまが結婚なさる場合、支払われる一時金は黒田清子さんと同額の1億5250万円とみられる。
「こうしたお金を使わずとも新居が購入できる経済力の人を、婿に据えるはずです。
さもなければ面目が立たないとお考えになっても不思議ではありません」(同)
つくづく、波紋の止まない慶事なのである。
https:// www.dailyshincho.jp/article/2017/06050556/?all=1

「生前退位」 皇居への引っ越しで雅子さまを心配する声も
2017.06.19 07:00
天皇陛下の「生前退位」にまつわる特例法が成立した6月9日、皇太子さまは1泊2日の日程で、
「みどりの愛護」のつどいへのご臨席のため石川県に足を運ばれた。
「式典のほか、金沢市内にある特別支援学校で生徒と交流されたり、
白山市の『千代女の里俳句館』で江戸時代に活躍した女性俳人に関する展示や俳句教室の様子をご覧になりました。
到着時、JR金沢駅に集まったのは約800人。警察によると、滞在中の2日間で計約8000人が奉迎したそうです。
“皇太子としてのお姿を見られる機会は残り少ないから”という声も聞かれました」(皇室記者)
特例法が成立したことで、来年末にも陛下は退位され、
2019年のスタートは皇太子さまが新天皇となって迎えるとされている。
「石川県へ向かわれる北陸新幹線で、皇太子さまは最高級のグランクラスではなくグリーン車を利用されました。
『質素倹約』は、皇室の精神の原点。雨中でも人々に笑顔を見せようとされたお姿からも、
即位への準備段階にあることが伝わってきます」(前出・皇室記者)
当初はご一緒される予定だった皇太子妃雅子さまだが、熱や扁桃炎による咳といった風邪の症状を訴えられ、
お取りやめになった。5月25日の全国赤十字大会、31日の認定こども園の訪問も同様の理由で取りやめられており、
これで5月14日の大相撲五月場所の観戦を最後に、雅子さまは約1か月間、公の場にお姿を見せられていないことになる。
「4月末の春の園遊会に続いて大相撲観戦も着物姿でお目見えになった雅子さまへの注目度は日に日に高まっていました。
そんな中にあって、赤十字大会を欠席されたことは雅子さまにとって大きなショックだったのではないでしょうか。
最近、雅子さまの公務へのお出ましの機会が増えてきていても、あくまで“当日の体調を考慮して”という状態でした。
ですが、赤十字大会に限っては報道陣に配られた事前資料に雅子さまが臨席される旨が明記されていた。
それだけ雅子さまのお気持ちも強かったということです」(宮内庁関係者)
2004年以降、長期療養中にあって、雅子さまの体調は一進一退を続けてきた。
「かつてはなかなか判断がつかず、お出かけの直前になって“ご体調を総合的に判断”という
曖昧な理由で欠席されることがほとんどでした。そう考えると、最近の取りやめは熱や咳という具体的な理由が示されていますから、
決して長年の療養の成果が後戻りしてしまったわけではないということなのでしょう」(前出・皇室記者)
しかし、6月15~21日のデンマーク訪問も、当初「ご夫妻で」という招待だったが、皇太子さまがおひとりで訪問されることが事前に決定した。
「今年4月のマレーシア訪問も、雅子さまの同行が検討されましたが、結局皇太子さま単独での訪問となりました。
そのときは、直後に春の園遊会を控えていたこともあり、体調を整えられるという意味合いもあったそうです。
今回の場合は、“国内の公務はできないのに、海外には行けるのか”と
あらぬ批判を受けかねないといったことへの配慮もあったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)
◆隔絶された皇居という空間
皇太子さまのお隣に雅子さまがいらっしゃらないことに、一抹の寂しさを覚える声は根強く聞かれる。
《女性皇族の存在は、実質的な仕事に加え、公的な場においても私的な場においても、
その場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかけるという、非常に良い要素を含んでいると感じています》
2005年の誕生日会見で、陛下は女性皇族の役割をそう明かされていた。
「陛下は国民に寄り添い、国民と共に歩むという象徴天皇像を具現化されてきました。
そして、そのお姿が国民の心に深く入っていったのは、常におそばにいらした皇后陛下のご存在が大きかったといっていいでしょう。
そういった点では、皇太子殿下が天皇としてご活動される際に、
皇后がご一緒でないとすると、新しい象徴天皇像を国民に広く受け入れてもらうことが難しくなる可能性はあります」(皇室ジャーナリストの山下晋司氏)
お立場の変化は、同時に生活環境の変化ももたらす。
「かつて、即位したばかりの両陛下は、皇居に御所が完成するまで赤坂御用地から“通勤”されていました。
その道中で、学生の制服が夏服になったり、コートを着込んだりする人がいるのを見て、
両陛下は季節の移ろいを感じられていたといいます。
ですが、皇居に引っ越されてからは“季節がわかりません”と漏らされたこともあったそうです。
赤坂御用地内では、出歩けばほかの宮家の皇族方はもちろんのこと、職員や警察官と顔を合わせて挨拶を交わすことが頻繁にあります。
ところが、皇居はそうもいきません。皇居は赤坂御用地よりずっと隔絶された空間なんです。
森閑とした環境が、雅子さまにとって苦になってしまうことを心配する声もあります」(別の皇室ジャーナリスト)
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年6月29日・7月6日号
https://w w.news-postseven.com/archives/20170619_564582.html

眞子さま婚約内定会見、雅子さまの重要公務と日程重なり波紋
2017.08.24 11:00
秋篠宮さま(51才)と眞子さま(25才)は、8月23日までハンガリー・ブダペストに足を運ばれた。
2007年のマダガスカル、2010年のラオス以来3度目の父娘旅行だった。
「表向きは、眞子さまは民族博物館を、秋篠宮さまは家畜の飼育施設など
それぞれの研究分野を視察されるためというのが今回の私的旅行の目的でした。
ですが、実際の所は父娘2人の“最後の思い出作り”といった側面も大きかったようです。
秋篠宮さまは18日にご出発。眞子さまは公務の関係で1日遅れの合流となりました。
民族博物館では、眞子さまは展示物などをスマホで撮影されながら熱心にご覧になっていました。
当初、その施設は眞子さまの合流前に秋篠宮さまがお1人でお出かけになる予定でしたが、
英国留学中に博物館学を学ばれた眞子さまのたっての希望もあり、合流後の訪問に予定が組み直されたそうです」(皇室記者)
旅行に先立って、8月17日、宮内庁は眞子さまと小室圭さん(25才)の婚約内定会見を「9月3日」に行うことを発表した。
会見は当初7月8日の予定だったが、九州北部を襲った豪雨被害のため約2か月延期された。
「9月3日になったのは、両陛下と秋篠宮ご夫妻のご予定や、
9月12日の佳子さまの英国留学へのご出発前という事情を考慮したからだそうです」(皇室ジャーナリスト)
だが「9月3日」は、皇太子さまと雅子さまが重要な公務で奈良を訪れる予定の日にあたる。
雅子さまは、9月2、3日に奈良県で行われる「国民文化祭」に、皇太子さまとご一緒に臨席される方向で調整が進められている。
「国民文化祭は『皇太子の八大行啓』の1つに数えられるもので、大変重要な公務に位置づけられています。
雅子さまは7月に1泊2日で秋田県へお出ましになりましたが、
4月のマレーシア訪問や6月に石川県で行われた『みどりの愛護』のつどいへの臨席、
同月のデンマーク訪問といった“宿泊を伴う公務”を立て続けに見送られてきただけに、大変注目が集まっています」(前出・皇室記者)
前出の皇室ジャーナリストはこう話す。
「眞子さまの伯父である皇太子さまは、婚約内定の手続きには直接的には関係しません。
会見が皇太子さまをはじめとした他の皇族方の公務と重なってはいけないという決まりもありませんから、形式的には問題はないのです。
一方で、メディアや国民の関心の集まる雅子さまのお出ましとあっても、一生に一度の慶事ですから、
ニュースなどでの扱いは必然眞子さまの婚約会見のほうが大きくなるわけです。
まさにそれが問題で、皇太子ご夫妻の重要な公務の日に眞子さまの婚約会見が重なったことに、
“皇太子ご夫妻をないがしろにしているのではないか”という声が噴出しているのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年9月7日号
https:// www.news-postseven.com/archives/20170824_606876.html

愛子さま「体調不良」克服で体重が元どおりに! 夏休みを思い切りエンジョイ
週刊女性2017年9月19日号
2017/9/7
8月30日の午後4時半ごろ、10日間の那須ご静養を終えた皇太子ご一家は、那須塩原駅から新幹線に乗って帰京された。
「小雨がぱらついていたのにもかかわらず、ご一家は傘を差さずに、
駅前のロータリーで待っていた約100人のためにゆっくりと歩かれてお手ふりしていました。
愛子さまは爽やかな淡いブルーのワンピースにベージュのアンクルストラップサンダルをはかれていましたよ」(居合わせた地元住民)
愛子さまも「夏休み」の終盤をエンジョイされたようで、少し日に焼けていた。
「昨秋に体調を崩してからおやせになっていた愛子さまは、今年4月以降も学校を休みがちでした。
しかし現在は体調も回復されて体重も戻り、もう心配はないと聞いています」(宮内庁関係者)
その話を裏づけるかのように7月24日から3泊4日の日程で、長野県・白樺湖を拠点に行われた「林間学校」では、
標高約2000メートルの「双子山」にも元気に登られたという。
一時期はその“激やせ”ぶりから「摂食障害」を疑われるほどだったが、もう心配はいらないようだ。

那須滞在中もお元気でーー
“快調”な愛子さまは那須に滞在中も積極的に活動されていた。8月24日の午後3時ごろには、
影絵約140点が展示されている『藤城清治美術館』を訪れ、藤城氏本人に案内されながら見て回られた。
「7月末に静養していた両陛下もいらっしゃいました。実は美智子さま(82)と藤城は以前からご交流があり、
『つり橋はぼくのハープ』という作品の原画を皇太子妃時代の美智子さまにお贈りしたことがあります。
ほかにも、美智子さまが聖心女子学院時代に作詞された『ねむの木の子守歌』にちなんだ作品も展示しています」(美術館の従業員)
ひとつひとつの作品を熱心にご覧になっていた愛子さま。おばあさまに縁のある作品も楽しまれていたにちがいない。
美術館を出られたあとの午後4時半ごろには、『テディベア・ミュージアム』で
世界の有名作家が手がけたテディベアを楽しまれ、帰り際に紙袋いっぱいのお土産を購入。
午後6時ごろ、この日最後に向かわれたのは『ステンドグラス美術館』。
「愛子さまはステンドグラスをあしらったストラップや装飾品を作る体験をされました。
夕食は敷地内にあるレストランスペースで、ご一家のためにお出しした特別なフルコースと
洋菓子のパンナコッタを召し上がっていましたよ」(従業員のひとり)
ここには約5時間も滞在して、御用邸に戻られたのは午後11時近く。例年より遅い時間まで楽しまれていた。
4日後の28日には、午前11時ごろからご両親や数組のお友達親子とともに『那須どうぶつ王国』へ。
「レッサーパンダやペンギンを興味深くご覧になったり、馬ににんじんをあげるなど園内の動物たちとくまなくふれあっておられました。
アシカショーでは、雅子さま(53)が小さな輪っかをお投げになってアシカがうまくキャッチするのを見てとても喜ばれていましたよ。
ラクダの騎乗体験の際は、ラクダのこぶに触れて驚かれていましたね」(施設関係者)
皇太子さま(57)と雅子さまがラクダに騎乗されると、
愛子さまは写真に収めようと必死にデジカメを構えるなど、家族との時間を楽しまれていたようだ。
翌日は『東急ハーヴェストクラブ』で昼食をとり、夕方ごろには遊覧船やアトラクションなどもある
『りんどう湖レイクビュー』へ……。例年以上に夏休みをご両親と一緒に思いきり楽しまれていた愛子さまだった。
http:// www.jprime.jp/articles/-/10531

紀子さまの誕生会に異例の皇太子ご一家出席 その裏側
2017.09.15 11:00
東京・千代田区にある『喜山倶楽部』は、1931年創業の伝統ある大規模パーティー会場だ。
和会席からフレンチのコースまで専門スタッフが一流の腕を振るう同会場のケータリングが、
9月11日の夕方、皇族方が暮らす赤坂御用地へと次々と運び込まれていった。
その夜、御用地内にある秋篠宮邸で、紀子さまの51才の誕生日を祝う夕食会が行われた。
3日に眞子さまと小室圭さんの婚約内定会見が行われ、6日に悠仁さまが11才の誕生日を迎えられた。
誕生会の翌12日には、佳子さまが留学のためイギリスへと旅立たれた。
秋篠宮家にとって、立て続けに大きな転機が訪れた中にあって、紀子さまの誕生会にもまた異例の光景が広がっていた。
夜6時半、誕生会に出席されるため、天皇皇后両陛下を乗せた車が御用地内へと入っていった。
「皇太子ご夫妻の誕生会に両陛下が招待され、東宮御所に足を運ばれるのは毎年の恒例ですが、
紀子さまの誕生会に両陛下が顔を出されたというのは、過去に聞いたことがありません。
眞子さまの婚約を陛下がお認めになった『裁可』へのお礼や、佳子さまがしばらく日本を離れられるということもあって、
今回両陛下が出席されることになったそうです」(皇室ジャーナリスト)
誕生会には黒田清子さん(紀宮さま)と慶樹さん夫妻も参加していた。
「内親王から一般家庭に降嫁した“先輩”として、清子さんから眞子さまへのあたたかい助言などもあったのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
およそ3時間にわたって楽しまれたという食事と歓談。
だが、さらに周囲を驚かせたのは、その場に皇太子ご一家も招かれていたことだった。
「当初、先に出席が決まっていたのは両陛下で、あとになって皇太子ご一家も参加される方向で調整されたそうです。
園遊会や新年一般参賀など公に皇族方が揃う機会を除いて、
両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻がプライベートの食事会などで一堂に会されることはほとんどありません。
日頃はそれぞれでご公務や宮中祭祀でお忙しく、今回のような私的なご会食は年に数度あるかないか。
それだけ貴重で珍しいことなのです。今回の実現の陰にはどうやら、両家の関係の将来を案じ、
皇室が末永く国民の心のよりどころとなることを願う美智子さまのお気持ちがあったようなのです」(宮内庁関係者)

◆秋篠宮さまだけ残られた1時間
誕生会から遡ること3日前の9月8日の昼頃、皇居では、陛下が生前退位のお気持ちを抱かれた2012年頃から恒例となっている、
陛下、皇太子さま、秋篠宮さま3者による「頂上会談」が行われた。
月1回のペースで行われる会談後の昼食には、美智子さまが同席されることもあり、
皇室の行く末についてのお気持ちはご家族で共有されてきた。
その日、皇太子さまが皇居を後にされたのは午後1時半頃。だが、秋篠宮さまが出てこられたのは、それから1時間も経ってからだった。
「眞子さまのご結婚までの今後の段取りなど、いろいろとお話しにならなければいけないことがあったのでしょう。
そしてもう1つ、眞子さまの婚約内定会見と皇太子ご夫妻の重要公務が
バッティングしたことへの言及もあったのではないでしょうか。
それが、紀子さまの誕生会に皇太子ご一家も出席されるという珍しい事態につながったのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)
本誌・女性セブン既報通り、眞子さまの婚約内定会見が行われた9月3日、
皇太子ご夫妻は「国民文化祭」へのご臨席のため奈良県を訪問されていた。
皇太子の「八大行啓」の1つに数えられる重要な公務で、
「ご体調次第」という前置きはあったものの、雅子さまの同行が期待される注目の公務だった。
「北九州の豪雨被害で婚約内定会見が7月から延期されるという予想外の事態があったので致し方ない面もあります。
しかし、否が応にも世間の注目を集める婚約内定会見が皇太子ご夫妻の公務とぶつかってしまったことに、
両家のすきま風を心配する声も聞かれました」(前出・皇室ジャーナリスト)
皇室内には、明確な序列が存在する。「大殿下」の愛称で親しまれ、
昨年100才で薨去された三笠宮崇仁さまは、昭和天皇の弟でありながら、
皇位継承順位が上位である皇太子さまやその妻である雅子さまにも常に敬語で接していらっしゃったという。
「ですが、皇位継承権をもつ悠仁さまを紀子さまが出産されたことは、
男児のいない皇太子家との“序列”を少しいびつなものにしてしまったのです」(前出・宮内庁関係者)
生前退位が来年末、あるいは2019年3月に迫る一方で、
「女系・女性天皇」や「女性宮家創設」といった皇室を巡る問題は、解決の糸口をみないままでいる。
眞子さまの婚約内定によって、再び浮き彫りとなった「皇族の減少」という喫緊の課題もある。
そんな状況にあって、皇室が一枚岩であるべきときに、
両家の関係を危惧されていらっしゃったのは他でもない陛下であり、美智子さまだった。
「会見と公務のバッティングという話だけではありません。
眞子さまのご婚約について、秋篠宮ご夫婦は両陛下には以前から丁寧にご報告されていた一方で、
皇太子さまには充分に情報が伝わっていなかったという話も囁かれています。
ご報告の“義務“があるかないかは別として、次の天皇への即位を目前に控える皇太子さまが知っておいた方がいいこともあったかもしれません。
ご一家を紀子さまの誕生会にお呼びになったのは、そうした両家のバランスを正そうという美智子さまのご配慮があったのではないでしょうか。
美智子さまと、雅子さまと紀子さまという“2人の嫁”との異例の夜が実現することになったのには、
美智子さまの強いお気持ちがあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年9月28日号
https:/ www.news-postseven.com/archives/20170915_612980.html

愛子さま 「天皇の娘」になる日に向けお気持ちの整理進む
2017.09.19 11:00
現在学習院女子高等科1年の愛子さまは、9月5日から2学期の授業がスタートした。
9月11日、いつも通りの時間に登校された愛子さまは、校門で顔を会わせたお友達に手を振り、おしゃべりしながら教室に向かわれた。
右肩に提げた紺色の通学バッグには、白い動物のキーホルダーが揺れていた。
「昨年秋の長期欠席以降の体形の激変があり、夏休み前には欠席もかなりの日数になりました。
ですが、2学期が始まってからは毎日元気に登校されているようです。
9月末には、高等科と中等科の合同で行われる体育祭が予定されており、愛子さまも楽しみにされているといいます」(東宮職関係者)
夏休み中に皇太子ご夫妻と静養に向かわれた那須(栃木県)では、これまでにも増して沿道に集まった人々などと交流する姿が見られた。
「あまりに積極的な様子に、東宮大夫の会見では記者から
“この先公務を担う機会が増えるにあたっての準備なのか?”といった期待の膨らむ質問まで飛び出したほどでした。
皇太子さまが即位されれば、愛子さまは“天皇の娘”になるわけで、
立場も国民からの見方も変わってきますが、その日に向け着々とお気持ちの整理が進んでいるようです」(前出・皇室記者)
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年9月28日号
https:// www.news-postseven.com/archives/20170919_613314.html

「悠仁殿下」小笠原4泊はお忍びで 秋篠宮家の「帝王学」
週刊新潮2017年9月21日号
11歳になられる直前、母と子の二人旅だった。
6日、11歳の誕生日を迎えられた秋篠宮悠仁さまが7月下旬に小笠原諸島を訪れていたとフジテレビが報じた。
皇室担当記者が言う。
「紀子さまとお二人で小笠原の自然に触れるという私的なご旅行でした。竹芝から船に乗って24時間、
父島に4泊5日の滞在という日程だったそうです。
秋篠宮殿下は天皇陛下や皇太子さまよりも目立たぬようにという思いをお持ちで、
悠仁さまに関して非公表の日程が多く見受けられます」
周囲の目を気にすることなく、濃密な5日間だった。案内をした小笠原村の渋谷正昭副村長の話。
「初日はビジターセンターで島の自然や歴史についてのパネルをご鑑賞。
小笠原海洋センターにも出向き、標識をつけたアオウミガメを放流されました」
翌日以降はシュノーケリングや、船で片道2時間の母島の農家でパッションフルーツとマンゴーの収穫体験もされた。
中でも、「2日目にトレッキングツアーに行かれ、6時間半の行程を歩かれました」(同)
太平洋を望み、海抜260メートルにある千尋岩を目指すコースだ。
「基本的なルートはかつて軍道として旧日本軍が使用していました。
電波警戒機(レーダー)や乗り捨てられたトラックの残骸など今でも戦跡が残っています。
お昼はツアー側が用意したお弁当を召し上がったと聞いています」(同)
戦時中、硫黄島を含め2万人以上の犠牲者を出した小笠原諸島。
「別の日は同島内の戦没者鎮魂の碑に献花、黙祷をされていました」(同)
先の記者によれば、
「悠仁さまは学校で栽培委員を務めるなど、動植物への関心が高い。一方、秋篠宮ご夫妻はそれのみならず、
歴史や芸術、文化など広く見聞を深めてほしいと、8月には皇室ゆかりの滋賀の毛筆製造店を訪れました。
他にも、お忍びで美術館や地方にお出かけになっていて、今回のご訪問もその一環だったのでしょう」
メディアの目に触れない場所で“帝王教育”は進んでいる。
https:// www.dailyshincho.jp/article/2017/09220559/?all=1

高麗神社参拝の天皇陛下を「反日左翼」と呼ぶ人たち
2017.9.29 07:00
9月20日から1泊2日。天皇陛下と美智子さまは、埼玉県へ私的な旅行に出かけた。
だが、訪問先のひとつ、朝鮮半島からの渡来人にゆかりのある日高市の高麗神社への参拝を巡り、
ちょっとした騒ぎが起きた。参拝の数日前から、ネット上には両陛下を「反日左翼」などと非難する意見や、
「反ヘイトメッセージでは?」と、その「ご真意」を臆測する書き込みであふれた。
そもそも高麗神社はどのような場所なのか。
「続日本紀」には、東国7カ国に住んだ高麗人が716年に武蔵国に移住し、高麗郡を建郡したと記される。
宮司の高麗文康(ふみやす)さん(50)がこう説明する。
「神社にまつられるのは、私の祖先にあたる高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)。初代郡長です。
この一帯は朝鮮半島から渡ってきた高麗(高句麗)人によって栄えた土地。
昨年は建郡1300年の祝賀の年でした。境内に若光の石碑が建立され、
除幕式には高円宮家の久子さまも出席されています」
高麗宮司によれば、両陛下のご訪問が決まったのは3カ月ほど前。
両陛下の私的旅行先は、お二人の思い入れの強い場所であるのが常だ。
それだけに高麗神社参拝に意味を見いだそうとする見方が後を絶たないのだ。
翌21日には、朝鮮日報が<高句麗の王子まつる高麗神社に天皇・皇后が初訪問>と高揚した見出しとともに、
<明仁天皇は日ごろから日本の過去について心から申し訳ないと考えて、
韓日古代交流史にも関心が高いと言われている>と書き、訪問の意義を熱いトーンで報じた。
周囲の熱視線とは裏腹に、当事者の反応はいたって穏やかだ。
高麗宮司は「反ヘイトメッセージですか。うーん。それはわかりませんが、
高麗ゆかりの地に関心を示してくださっただけで光栄です」と感想を述べ、
神社庁周辺も「特別な意図があるような話は出ていませんね」。
陛下は、「高句麗や百済などの国がどうして滅んだのか」などと歴史について熱心に質問された。
そして、美智子さまと神社周辺の山桜やしだれ桜の木をながめ、それは楽しそうに会話をされていたという。
※週刊朝日 2017年10月6日号
https:// dot.asahi.com/wa/2017092700011.html

  • 最終更新:2017-12-24 11:06:27

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