2017年10月-12月雑誌記事

愛子さま、高校野球大会を観戦 過去に野球を巡る秘話も
2017.10.14 07:00
秋に似つかわしくない暑さとなった10月8日、明治神宮球場(東京・新宿区)に隣接する第二球場で、
高校野球秋季大会の試合が行われた。第1試合でぶつかったのは、学習院高等科と駿台学園高校。
午前10時のプレーボールを前にして、両チームのアルプススタンドは応援の熱気に包まれる。
そのとき、学習院側の応援席に、愛子さまがお忍びで姿を見せられた。
デニムスカートに白い半袖のカットソー、足元は白のスニーカーという出で立ちの愛子さま。
トレードマークのポニーテールを若草色のシュシュで結ばれ、
首元には白い花びらがデザインされたネックレスをされていた。
「お友達とご一緒にいらっしゃったようで、バックネット裏の前から8番目の
“絶好ポイント”に着席されました。愛子さまが通われる学習院女子高等科と学習院高等科は、
いわば姉妹校。水色の帽子にタオル、メガホンで用意万全、大きな声援を送られていました」(学習院関係者)
愛子さまの野球好きは有名で、ご一家でプロ野球の試合を観戦されたこともある。
毎年6月、学習院と筑波大附属中・高の間で、野球や陸上競技、バスケットボールなどの試合が行われる
通称「附属戦」というイベントがある。愛子さまは今年の附属戦で、野球部の試合を観戦された。
「学習院初等科5年生の時には野球クラブに入りたいというお気持ちもあったそうです。
結局、男子児童しか入れないため断念されました」(宮内庁関係者)
2回に4点、3回に2点を奪われ序盤から苦戦を強いられる展開の中、
チャンスのシーンでは飛び跳ねんばかりにバッターにエールを送られていた。
「赤い双眼鏡を取り出されて終始熱心に応援されていましたが、一際声援が大きくなったのが、
愛子さまと同学年のA君がバッターボックスに立ったときでした。
デジカメをバッグから取り出され、パシャパシャと撮影をされていたのです。
終盤にA君がヒットで出塁し、続くバッターのヒットでホームに帰ってくると、
愛子さまは両手を上げられて大喜び。隣のお友達に笑顔で話しかけられ、
何度もうなずきながら拍手を送られていました。A君は学習院中等科出身。
もしかしたら、初等科で愛子さまと机を並べられていたのかもしれません。
年頃の女の子なら誰でも通る道と申しましょうか、大変おかわいらしいご様子でした」(前出・学習院関係者)
まさに「神宮球場の青春」。実は愛子さまの中で、「野球」と「恋心」が結びつくのは初めてではない。
「初等科6年生の頃、愛子さまと仲良しだった女子児童が、
意を決して野球クラブに入っていた男子にラブレターを渡して告白したことがあったそうです。
そのとき、緊張して怖がる女子児童に付き添った女の子の1人が愛子さまでした」(別の学習院関係者)
残念ながら、試合は学習院が1-11の大差で敗北。それでも、グラウンドを駆け回るA君の勇姿は、
愛子さまの心にしっかりと焼き付けられたことだろう。
※女性セブン2017年10月26日号
https:// www.news-postseven.com/archives/20171014_620675.html

雅子さまの「愛子さまファースト」に対し懸念の声出る
1年半後にやってくる次代の到来に向け、雅子さまへの期待は日を追うごとに膨らんでいる。
だが、皇太子さまに「おひとり公務」を託された雅子さまの、連日の私的お出ましが波紋を呼んで──。
「愛子さまは頭に白いバンダナを巻き、カラフルな柄をあしらったクリーム色のエプロン姿で、
てきぱきとお弁当を売っていらっしゃいました。メニューはおこわや天むす、すき焼き弁当など。
お友達とご一緒に、笑顔で“看板娘”を務められていました」(目撃した人)
10月最後の週末、愛子さまが通われる学習院女子高等科(東京・新宿区)で、恒例の文化祭『八重桜祭』が開催された。
「終日雨でしたが、台風を吹き飛ばすくらい校内は活気に溢れていました。
各教室では書道や華道の作品が展示されていたほか、
愛子さまは高校3年生のダンスパフォーマンスなどをご覧になったそうです」(学習院関係者)
中等科3年だった昨年、長期欠席のさなかにあった愛子さまは文化祭を欠席された。
「毎年心待ちにされているイベントだっただけに、ご体調が整わなかったことは大変残念だったことでしょう。
昨年は、欠席中でもクラスの出し物の景品のミサンガ作りなどをお手伝いされていましたが、
やはり今年参加できたことに大変満足されているようでした」(宮内庁関係者)
土、日の2日間にわたって行われた文化祭には、雅子さまも両日足を運ばれた。
「愛子さまとお友達のツーショットを撮られたり、お友達のママも含め4人で写真に収まられたりしたそうです。
また、国際交流部の展示教室に立ち寄られたり、東日本大震災で被災した福島県の復興協力をした
ボランティア同好会の写真やレポートをご覧になったそうです」(前出・学習院関係者)
土曜は14時前に到着され、17時過ぎにお帰りに。日曜は、13時頃から16時頃まで滞在された。
「文化祭は子供たちの日頃の様子を間近で感じられるいい機会ですから、
これまで、愛子さまの学校生活を心配されたことのある雅子さまも、
愛子さまがはつらつと参加される姿にほっと胸をなで下ろされたことでしょう。
ですが“今回ばかりは、自重すべきだったのではないか”という意見も宮内庁内部には散見されるのです。
まして2日間連続でお出ましになられなくても、と」(前出・宮内庁関係者)
その“諫言”の理由は、東京から遠く離れた四国・愛媛にあった。

陛下の意向で誕生した大会
10月27~29日の2泊3日の日程で、皇太子さまは『全国障害者スポーツ大会』の開会式に出席されるため、
愛媛県で“おひとり公務”に臨まれていた。
「開会式では、“3年後の東京パラリンピックに向けて力強く羽ばたく選手が数多く誕生することを
期待しております”と挨拶され、車椅子バスケットボールや聴覚障害者のバレーボールなどを観戦されました。
また、サイクリング推進の取り組みを視察されるためレンタサイクル施設に足を運ばれたほか、
造船会社のドックで建造中の船舶をご覧になり、その大きさに感嘆の声を上げられていました」(皇室記者)
皇室と障害者スポーツのかかわりは深い。
「もともとこの大会は、皇太子時代の天皇陛下のご意向で誕生しました。
1964年の東京五輪と同時開催されたパラリンピックを両陛下は連日観戦。
大会後、陛下が“このような大会を国内でも毎年行えないものだろうか”と述べられたのをきっかけに、
翌年前身となる大会がスタートしました」(皇室ジャーナリスト)
その後、両陛下はこのイベントに熱心に取り組まれた。思い入れのある大事な公務を引き継がれたのが、皇太子さまと雅子さまだった。
「残念ながら、療養生活に入って以降、都内で行われた年を除いて、雅子さまはお出ましになっていません。
2泊3日のスケジュールのため、ご負担が大きいということで今回も見送られたのでしょう。
また直後の11月1日には東日本大震災の被災地訪問のため、宮城県に足を運ばれる予定でした。
翌週には秋の園遊会を控えていて、愛媛行きを断念されたことには致し方のない面もあったのでしょう」(前出・皇室記者)
着実にお出ましの機会が増えている中にあって、今から1年半後には皇后となられる雅子さまへの期待は日を追うごとに大きくなっている。
「一方、その声に応えようと無理をされ、また病状が後戻りしてしまうことに不安を覚える声も聞こえてきます。
ですから、愛媛にお出ましにならないという判断は理解もできます。しかし問題は、その期間に私的外出として
愛子さまの文化祭に、しかも2日間とも足を運ばれるべきだったのかということです。
文化祭をご覧になることは“できることからする”という治療方針の雅子さまにとってプラスだったかもしれませんが、
このことを障害者スポーツ大会の関係者が知ったらどう感じるか。
“愛子さまファースト”の外出を自粛されるという選択肢もあったのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)
文化祭2日目の10月29日、天皇皇后両陛下は『全国豊かな海づくり大会』の式典行事や
7月の集中豪雨の被災地訪問のため、福岡県を訪れられていた。
大会の式次第が終わり両陛下が退場される際、ちょっとしたハプニングが起こった。
「壇上に、作文コンクールの受賞者の小学2年の男子児童がいました。
そのとき、席を立たれた陛下が児童の前を素通りしてステージ脇に向かわれてしまったのです。
美智子さまからお声があったようで、陛下はそこで踵を返され、改めて児童にお声掛けをされました」(別の皇室記者)
年間300件を超える公務は、80才を超えられている両陛下にとって大きなご負担であることは明白だろう。
対して、雅子さまの公務の数は50件前後に留まっている。
「皇后になられた雅子さまが、いきなり美智子さまと同じ公務の数を担われることは現実的ではないでしょう。
天皇となった皇太子さまがおひとりでお出ましになる公務も引き続きあると思います。
そうなったとき、雅子さまの“行動選択”が新たな火種とならないか、一抹の不安を覚えます」(前出・皇室ジャーナリスト)
「次代の皇后」と「母」の間で、雅子さまの心は揺れ動いている。
※女性セブン2017年11月16日号
https:// www.news-postseven.com/archives/20171103_626185.html

愛子さまがふっくら! 12月1日にお誕生日を迎えられて16歳に
週刊女性2017年12月19日号
2017/12/6
「愛子さまは、12月1日に16歳のお誕生日をお迎えになりました。
当日の午後6時ごろ、両陛下に挨拶するため皇居を訪れた際に、
周囲から“敬宮さま~、おめでとうございます!”と声をかけられると、
車の窓を開けて見えなくなるまで笑顔で手をふられていました」
皇太子ご夫妻の長女で学習院女子高等科1年生の愛子さまの近況をそう話すのは、東宮職関係者。
高校生になり学校の勉強や行事にも積極的に取り組まれている愛子さま。
「愛子さまは、高等科から新しく漢文や世界史などの科目が加わり、これまで以上に勉学に励んでおられます。
10月末の文化祭『八重桜祭』では、上級生と2人1組で受験生に学校施設を案内したり、
高等科のダンスチームの公演の司会を務めるなど学校行事でも活躍されました。
11月に入って気温が下がった時期に熱を出して数日間、学校を欠席したこともありましたが、
2学期はほとんど登校してお元気に過ごされていましたよ」(同・東宮職関係者)
昨年のお誕生日では、体調不良のためにかなりおやせになっていたものの、
今年は顔もふっくらしてとても元気そうなご様子。周囲も国民も安心していることだろう。
http:// www.jprime.jp/articles/-/11229

秋の園遊会で見せたご快復ぶり「雅子さま」15分の壁
社会・政治 2017.12.08
「この秋以降、地方公務を多数こなされて、ご快復ぶりが自信につながっているようでした。
そこで今回は『15分の壁』を越えるのではないかと期待されていたのです」(皇室ジャーナリスト)
11月、東京・元赤坂の赤坂御苑で催された秋の園遊会。皇太子妃・雅子さま(53)は、またも途中でご退席された。
14時15分ごろ、三笠山と呼ばれる丘に皇族方と整列された雅子さま。
式典行事を終え、数十メートルの距離を歩いて招待客と懇親されたが、
皇太子さまが「そろそろ……」と合図なさると、名残り惜しそうな笑顔を見せながら、浅黄幕の切れ間に消えていった。
雅子さまは、2004年7月に「適応障害」というご病名が発表されて以降、長らく園遊会に出席されなかった。
2015年秋のご出席は、じつに12年ぶりのこと。
以来、4回連続(2016年秋は三笠宮殿下薨去により中止)の園遊会ご出席となるが、
いずれも15分以内で中座なさっている。だが2017年、宮内庁関係者には、たしかな兆しが感じられたという。
「ご退席までの時間は長くなっている。雅子さまが招待客とじっくりお話しなさっていたためだ。
参議院議員の朝日健太郎氏の前では、雅子さまが手を挙げて “身長が高いですね” と示されたようで、和やかな雰囲気が見て取れた。
また、退席場所付近で皇太子殿下が合図を送られた後、雅子さまはさらに招待客に声をかけていた。
皇太子ご夫妻の前を進まれる両陛下との距離が、最大で30メートル近くも空くほどだった」
じつは開催前日まで、雅子さまの完全出席が検討されていた。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が解説する。
「今回、退出されたのは過去3回と同じ場所。ここを越えると50メートルほど先の取材カメラの前を通り過ぎるまで、
退出する機会はありません。無理はされないように中座されたのでしょう」
園遊会での女性皇族の装いを決めるのは皇后陛下だ。春が和装の場合は、秋は洋装をお召しになるのが定例。
労力がかかり、体を締めつける和装を、雅子さまは苦手とされている。しかし、今回は春に続き和装が選ばれた。
「和装が予定されていた昨年秋の園遊会が中止になったことで、今回和装が続いたとの見方がある。
だが、装いを決めた美智子さまの思いもこめられていたのではないか。雅子さまの体調を慮りながら、
皇后となるまでに皇族として人前で振る舞うことに少しずつ慣れていけるように、
雅子さまの快復を後押ししようとされたのかもしれない」(前出・宮内庁関係者)
2019年の皇后となる日へ向けて、ご快復の道を進んでいる雅子さまは、園遊会のみならず、
今後も「皇后への壁」を越えていかなければいけない。
「雅子さまは、皇族と接する機会の多い人との接触に、特に重圧を感じるようだ。
繰り返し参加する人の多い皇居の勤労奉仕団へのご会釈や、記者会見には現在参加されていない。
今後これらに復帰されれば、大きなご快復の目安になるだろう」(皇室ジャーナリスト)
行事を欠席しがちな雅子さまが、美智子さまと同様に振る舞えるのかーーそんな疑念の声もある。
だが皇室研究家の高森明勅氏はこれに異を唱える。
「たしかに雅子妃殿下のおつとめのなかで、宮中祭祀は身体的にも精神的にも、
もっともハードルが高いと理解していいでしょう。
ですが、皇后におなりになったら、ご公務や祭祀が増えるかというと、そうではないのです。
地方公務は皇太子殿下のほうが多いですし、祭祀の回数は皇后陛下と皇太子妃殿下は同じ。
そもそも、美智子さまと同じように振る舞う必要はありません。
雅子さまの新しい皇后像を求めていかれればいいのです」
「壁」は必ず越えられる。
(週刊FLASH 2017年11月28日号)
https:// mart-flash.jp/sociopolitics/29566

雅子さま 美智子さまに直訴!「外国元首とお忍び懇談」
「政府は、新しい天皇陛下となられる皇太子さまの『即位の礼』を19年秋に行う方向で調整を進めています。
外国からの賓客も大勢招かれ、盛大なものになることでしょう」
そう語るのは、宮内庁関係者。政府は年明けにも菅義偉官房長官をトップとする準備組織を設置し、
譲位・即位に向けた準備を本格化させていくという。
12月9日、雅子さまの54歳のお誕生日に発表されたご感想には、こんなご心境がつづられている。
《これから先のことを考えますと、身の引きしまる思いが致しますが、両陛下のお導きをいただきながら、
皇太子殿下をお支えしつつ務めを果たしていくことができますよう、努力を重ねて参りたいと思っております》
このお言葉通り、雅子さまは“新皇后”に向けての努力を密かに重ねられている。
本誌は、それを裏付けるエピソードをキャッチした。ある外務官僚は、本誌にこう明かした。
「まったく報道されていませんが、実は皇太子さまと雅子さまは11月30日に、
千代田区にある在日ルクセンブルク大公国大使館をお忍びで訪問されたのです」
ルクゼンブルクのアンリ大公と長女のアレクサンドラ王女が、国賓として日本に滞在していたのは、11月下旬のことだった。
「基本的に、アンリ大公のおもてなしは、“同格”である天皇陛下と美智子さまがなさいました。
もちろん皇太子さまと雅子さまも宮中晩餐会には出席されましたが、その場では、ご挨拶程度しかされず、
親しくお話しする機会はほとんどなかったと思います」(前出・宮内庁関係者)
皇太子ご夫妻がルクセンブルク大使館を訪問されたのは、宮中晩餐会の3日後。前出の外務官僚が続ける。
「ご訪問の目的は、離日直前のアンリ大公と懇談されるためでした。ご到着は午後3時ごろ。
大公と王女に迎えられた皇太子ご夫妻は、まず大使館の1階に飾られている写真をご覧になったのです」
写真は、写真家やエッセイストとしても人気があり、国際的に活躍するハービー・山口氏が、ルクセンブルクの街並みを撮影したものだった。
「明るい雰囲気で写真をご覧になった後、皇太子ご夫妻と大公と王女は、
お茶とお菓子を楽しまれながらお話しをされたそうです」
宮内庁のHPには、皇太子ご夫妻の日程も記載されているが、
ここに11月30日の大使館ご訪問についての記載はない。だが、前出の宮内庁関係者は言う。
「その情報を聞いてから該当部署などに確認したところ、確かに皇太子ご夫妻は、
アンリ大公とお会いになっていたことがわかり、私も非常に驚きました。
皇太子ご夫妻が、お忍びで大使館を訪問され、相手国の元首と会談をされたわけですが、
こうしたケースはこれまでにはなかったことだと思います」
この“前例なき会談”は、皇太子さまと雅子さまが強く望まれたことだったという。宮内庁関係者が続ける。
「皇太子ご夫妻はお代替わり後を見すえられ、『私どもも、日本の皇室とご縁の深い、
ルクセンブルクの王室との関係を大事にしたいと考えています』と、天皇陛下と美智子さまに相談され、お許しを受けたそうです」
いわば“直訴”によって、実現したものだというのだ。
「ご婚約以来25年、雅子さまにとって“皇室外交”は夢であり続けたと思います。
そして皇位継承が目に見える時期になったいま、ついに動き出されたのではないでしょうか。
これまでのご活動から、雅子さまの目指されている皇室像も、おぼろげながら見えてきます。
その未来の構想の1つが、世界の恵まれない子どもたちを救うというものなのです。
先日のお誕生日にも《広く世界に目を向けても、困難な状況に苦しんでいる人々が数多くいることに心が痛みます》
と、国際的な協力が大切だと訴えられました。ルクセンブルク大公国との絆を深められることも、その第一歩とお考えになられたのでしょう」
きっと大使館での懇談では、国民との関係の両国の差についても語りあわれたに違いない。
https:// jisin.jp/serial/社会スポーツ/imperial/32048


  • 最終更新:2018-02-02 22:13:41

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