2017年1月-3月 雑誌記事


来たるべき雅子さまの皇后即位のため美智子さま沈黙守るか
2017.01.29 16:00
来たるべき日に向け急ピッチで準備が進んでいる。「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は1月23日、論点整理を公表した。
最終提言は4月頃が予定され、それを受けて5月のGW前後には「生前退位」の特例法案が国会に提出される見込みだ。
2019年1月1日にも誕生するといわれている新たな天皇皇后。
これまでの「御代がわり」は天皇が崩御されたことをもって新天皇が即位するので、どうしても重苦しい雰囲気があった。
ところが今回は喪に服すことがない。日本全国が新たな天皇皇后の誕生に沸き、祝賀ムード一色に包まれることになるのだ。
この冬、雅子さまの大きな変化をある宮内庁関係者は感じ取っていた。
その日、東宮御所に両陛下が足を運ばれる予定だった。
両陛下の訪問を控え、雅子さまは東宮御所に別の客人を招かれていたという。
客人が早めに帰路につこうとすると、雅子さまは「もっとゆっくりしていらっしゃって」と話されたという。
「両陛下がいらっしゃるとなれば、以前は雅子さまにはピリピリするほどの緊張感があり、
それが職員やお付きの人間にまで伝わるほどでした。それがその日は大変余裕のある雰囲気だったそうです」(宮内庁関係者)
雅子さまと美智子さま、ひいては両陛下は長らく「途絶状態」にあるといわれてきた。
「1995年、雅子さまを慮って“国民はみな、あなたたちの子を期待していますよ”とお言葉をかけられた陛下に
雅子さまが“私の周囲には、そんなことを言う友人は1人もおりません”と言い放たれる場面があったと報じられました。
また、2000年に香淳皇后が崩御され連日儀式が続いた折には、美智子さまから行事の決まり事や服装のアドバイスを受けた雅子さまが、
大勢の皇族方や職員の面前で“叱責された”とショックを受けられたこともあったそうです」(皇室ジャーナリスト)
両陛下は皇太子時代、昭和天皇と香淳皇后との「毎週水曜日の夕食会」でコミュニケーションを図られた。
その習慣は皇太子さまと雅子さまに引き継がれたが、徐々に少なくなっていき、
両陛下と愛子さまの交流の機会はごく限られたものになってしまった。
また、雅子さまとの考え方の隔たりに、美智子さまが「私はお勤めした経験がないから…」と漏らされたこともあったという。
「皇室の歴史の中で、民間から皇太子妃として嫁いだのは美智子さまと雅子さまだけ。
つまり、苦しみやプレッシャーを共有できるのもお2人だけなのです。美智子さまはそれをご存じだから、
雅子さまに対してあれこれと伝えるのを控えられていた。それが途絶状態に結びついてしまった面もあるのでしょうが…」(前出・皇室ジャーナリスト)
それは、どこにでもある嫁と姑のちょっとしたボタンの掛け違いだったのかもしれない。
だが、雅子さまと美智子さまを待つ皇室にしかないしきたりが、話を複雑にする。
「皇室では、天皇と皇后は絶対的な存在。嫁と姑という関係性は変わらなくても、
即位の日に皇族としての雅子さまと美智子さまの立場が逆転するのです」(皇室記者)
退位後の陛下と美智子さまは、一部の私的なお出かけを除いて公の場に姿を見せられることはほとんどなくなるといわれている。
「即位されてからの両陛下は昭和天皇と比較され、“伝統を軽んじている”“家庭的すぎる”と批判に晒されました。
今回は、両陛下が存命のままでの御代がわりとなるわけですから、
そういった比較がより強く吹き荒れるかもしれません。それを少しでも避けるため、
美智子さまはあえて“沈黙”を守られることでしょう」(前出・皇室記者)
両陛下の「祈りの旅」の始まりは、1991年の雲仙普賢岳噴火による避難所訪問だった。
「体育館の床に膝をつかれて被災者を励まされるお姿に、当初は“天皇皇后が見せるべき姿ではない”と
批判が起きました。ところが、両陛下が頑として続けられたことで、今ではそれが慰問のスタイルとなり、
他の皇族方にも受け継がれている。美智子さまは、そうした実体験から、
静かに雅子さまのことを見守られることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
早くに大正天皇を亡くした貞明皇后は皇太后時代、公の場では香淳皇后の下座に控え、
徹底的に皇后の立場をたてようとされていたという。
美智子さまにもその時のことは語り継がれ、強くお心に焼きつけられているのかもしれない。
次代の幕開けはすぐそこまで迫っている。雅子さまのご覚悟と美智子さまの心遣い…描かれる未来図に隔たりはない。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年2月9日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20170129_488265.html

御代替わりに向け皇太子はアジア大会、秋篠宮は追悼式に
2017.02.02 11:00
1月17日、皇居では天皇、皇太子、秋篠宮の三者会談が、約1時間にわたり行なわれた。
生前退位にかかわる天皇家の最終的な意思を確認する話し合いだったといわれている。
三者会談の後、天皇家には「御代替わり(みよがわり=皇位継承)」に向けた新たな動きも始まった。
皇太子は今年2月19日に札幌で開幕するアジア冬季競技大会の開会式に天皇の「ご名代」として出席し、開会宣言を行なう。
天皇・皇后はベトナム訪問(2月28日から約1週間)を控えていることから、
「極寒の北海道から10日足らずで熱帯のベトナムへのご移動となれば体調がご心配」(宮内庁関係者)という判断があったとされる。
ただし、宮内庁OBの見方はやや異なる。
「両陛下のご体調への配慮があったのはもちろんでしょうが、主催者側が陛下の出席を依頼するなか、
病気療養や手術入院など日程的に支障が生じているわけではないのに名代を立てるのは異例です。
今回、陛下があえて皇太子に冬季アジア大会の開会宣言をお任せになるのは、
生前退位に向けてご公務を皇太子に託していくというお気持ちの表われと推察されます」
秋篠宮にも重要な公務が“委譲”された。3月11日に国立劇場で開かれる東日本大震災六周年追悼式典だ。
追悼式は昨年までの5年間、天皇、皇后が臨席し、「被災地の一日も早い復興を願われ、
被災地慰問を重ねてこられた両陛下にとって特に思い入れが深いご公務」(前出・宮内庁関係者)といわれる。
それをあえて欠席して次世代皇族に任せるという決断が、「皇室は生前退位の準備を粛々と進めている」(前出の宮内庁OB)と受け止められている。
皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学教授が指摘する。
「皇太子が冬季アジア大会で陛下のご名代を務められるのも、“次の陛下”となられる皇太子の予行演習や
国際的な顔見せという意味を含めて、天皇家が退位に向けての“実績”を積み上げようとしているように見えます。
しかし、天皇家がそうしなければならないのは、政治が皇室の問題に真剣に向き合おうとしていないからではないでしょうか。
政権側に“退位の詳細は政府で決める”という意識があり、皇室とのコミュニケーションがとれていないように見える」
写真■日本雑誌協会代表取材
※週刊ポスト2017年2月10日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20170202_488682.html

哀しき皇太子さま57歳にして惑う 記者会見での「覚悟」に注目
(更新 2017/2/23 07:00)
2月16日。皇太子ご夫妻は、東京・上野にある東京国立博物館の「春日大社 千年の至宝」展を訪れた。
皇太子さまは、絵巻物などの展示物を指しながら説明するように、雅子さまに話しかけている。
「妃殿下が傍らにおられるとき、皇太子殿下はなんとも柔らかい表情をお見せになるのです」
公務を報じるテレビニュースを見ながらうれしそうに話すのは、夫妻と交流を持つ人物。だが、すぐに真剣な表情に戻り、続けた。
「私たちが本当に関心を持っているのは、皇太子さまがどのような『覚悟』をお示しになるかです」
2月23日、皇太子さまは57歳の誕生日を迎える。昨年、皇后美智子さまと秋篠宮さまが、
お誕生日の文書回答や会見で天皇陛下の退位をめぐる報道に言及している。
とくに、秋篠宮さまは皇族方の高齢化と人数の減少を踏まえ、皇室の将来の在り方について明確に意見を述べた。
それだけに、「新天皇」となる皇太子さまの「決意表明」があるのではと世間では期待する人も多いのだが、ある宮内庁関係者はこう語る。
「それが、宮内庁内では皇太子さまのことはあまり話題になっていないのです」続けて言う。
「いまの陛下は、皇太子時代から象徴天皇のあるべき姿について、会見などで言及されてきた。
しかし、皇太子さまは、陛下が『回答を待っている』と言及された『新しい公務』についても、お示しにならないままでした」
加えて、皇太子さまを取り巻く状況も、安定しているとは言い難い。
まず、先日発表された雅子さまの「冬季アジア札幌大会開会式ご欠席」も波紋を呼んでいる。
そもそも大会は、天皇陛下のご名代として皇太子さまが出席する重要な行事だが、小田野展丈東宮大夫は、
「寒い時期であり2泊3日の日程の負担などを考慮」と欠席の理由を説明した。
だが、ある宮内庁OBはこう首をかしげる。
「来月には、皇太子ご一家で恒例の春スキーに行かれると聞いています。
かつても愛子さまが江戸川区のスケート場を貸し切って練習なさる際は、付き添いをなさってきましたが……」
公務だけでなく皇室の要である祭祀や伝統を紡ぐ養蚕など伝統行事へのハードルは依然として高い。
さらに、東宮ご一家に影を落とすのは、学習院女子中等科3年に通う愛子さまのご体調の問題だ。
体重が激減したまま、2学期は長期欠席が続いた。3学期は、欠席まじりながら登校してはいるものの、回復の兆しは見えないという。
冒頭の人物は、こう話す。
「お立場上、悩みを人に相談することもできない。皇太子さまは孤独だと思いますよ」
※週刊朝日 2017年3月3日号
https:// dot.asahi.com/wa/2017022200075.html

天皇陛下の生前退位、“摂政”“公務減”ではダメな理由 「皇太子が…」のご真意
週刊新潮 2017年3月23日号
天皇陛下の生前退位をめぐる議論は、国会内での意見聴取へと舞台を移した。
今月中旬には有識者会議が再開され、結論取りまとめへと向かう運びなのだが、
陛下がかくも皇位継承に強くこだわられるのは、そこにある「思い」が秘められているからだというのだ。
 ***
天皇皇后両陛下
友好親善を目的とした初めてのベトナムご訪問、
帰途には昨年10月に亡くなったタイのプミポン国王を弔われるためにバンコクにも立ち寄られた両陛下。
「ご日程は6泊7日、まして日本と気候の異なる地域です。侍従職幹部は『両陛下は83と82になられ、
お若い時のようにはいかない。侍医も絶えずご様子を拝している』と漏らしていました」(宮内庁担当記者)
陛下が国民へ向け、生前退位のご意向を強くにじませた「おことば」を発せられたのは昨年8月8日だった。
その後、官邸が有識者会議を立ち上げ、専門家らへのヒアリングを重ねてきたわけだが、
ご退位自体への異論も多く、進捗状況に気を揉まれているのは本誌(「週刊新潮」)でも報じた通りである。
おことばで口にされた「平成30年」の終わりまで残り1年10カ月。刻一刻と時間が削られていく中で
ご公務を全うされる陛下が、次世代に深く思いを致されているのは言うまでもない。
23日は、皇太子さまの57歳のお誕生日であった。
「これに先がけて21日に行われた会見では、皇太子さまも陛下のおことばに『心を揺さぶられた』と明かされ、
『お考えを真摯に重く受け止めます』と述べられたのです」(同)
いま一度、8月の「おことば」を振り返ってみると、
〈既に80を越え(中略)全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています〉
そう吐露されながら、
〈天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、
その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます〉
また摂政を置くことについては、
〈この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません〉
と、否定的なお考えを示されたのだった。
ご自身の「老い」について陛下が言及されたのは、一昨年のお誕生日会見においてである。
「同じ年の終戦記念日、全国戦没者追悼式で、正午の黙祷前に陛下がお言葉を読み始めてしまうハプニングが
ありました。そうしたことが念頭にあったと思われ、『行事の時に間違えることもありました』
『少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです』と述べられたのです。また昨年末の会見でも、
ご退出時に出口を間違われ、記者席の方へと歩み寄られる一幕がありました」(同)
陛下のなさりようを長年にわたって拝してきた、さる関係者が明かす。
「ご自身に不可逆性の現象である“老い”が着実に迫っていることを、陛下は正確に自覚なさっている。
だからこそお元気なうちに皇太子さまに譲りたいお考えなのですが、
もう1つ、おことばでは決して明かされなかった理由があるのです」
それは取りも直さず、皇太子ご夫妻の“お振舞い”だというのだ。
「皇位継承については、ご自身でしっかり見届けたいと強く思われています。というのも陛下からすれば、
やはり皇太子さまと雅子さまのお振舞いはまだ物足りなく、もどかしさを覚えてしまうことが多い。ご心配のもとであるわけです」
とはいえ、世間でいうところの“親心”とは大いに趣を異にするようで、
「ご公務を減らしてその一部を譲り渡されたり、あるいは摂政を置いたりといった対処法では、
皇太子ご夫妻のご自覚は促せない。何より一日でも早く天皇皇后という唯一無二のお立場に就いてもらい、
そのご身位に相応しいはたらきをしてほしい、と切に願われているのです」(同)
続けて、「かりに陛下が『上皇』となられれば、そのご活動にも制約が出てくるでしょう。
それでも、実際に新天皇のお仕事を目の当たりにされた上で、
至らない部分は差し障りのない範囲で折々にアドバイスをしたいとのお考えも持たれています。
とりわけ陛下は、宮中祭祀について最も継承が難しいと考えていらっしゃる。
ご自身も大変苦労なさったとのことで、そうした思いを繰り返させぬように、とのお気持ちもあるのです」
次代を託される東宮ご一家について陛下は、お世継ぎの皇太子さまだけでなく、2004年から療養生活に入り、
なお快復の途上にある雅子妃にも、ことのほか心を砕かれてきた。
「一般紙やテレビのニュースのみならず、週刊誌からスポーツ紙に至るまで、陛下はくまなく目を通されている。
メディアを通じ、雅子さまのご病気が国民にどう映っているのか、大変お気になさっているのです。
譲位が成っても実際には皇后のお立場でご公務はなく、『準公務』という形になるわけですが、
陛下は雅子さまにもこれを全うする意識を持ってほしいと考えており、いっそう強く生前退位を望んでおられるのです」(同)
http:// www.dailyshincho.jp/article/2017/03140800/?all=1

雅子さま、美智子さまの「皇后としてのお姿」がかえって“重圧”に
週刊女性2017年4月4日号
2017/3/23
「おひとりで訪れた雅子さまは、一般の方が作られた身近で便利な発明品を興味深く見て回られていました。
優秀作品の受賞者ともリラックスされた様子でお話をされていましたよ」(東宮職関係者)
 3月9日、東京・有楽町の『東京交通会館』内で開催されていた『第50回なるほど展』に“お忍び”で足を運ばれた雅子さま。
同展は'02年と'09年にも、ご公務で見学されているのだが、今回のお出ましに関しては公の発表はなかった。
「雅子さまは、公務などで周囲から注目されることに関しては、まだ苦手でいらっしゃるのかもしれません。
『なるほど展』は、以前からお出ましになっていて思い入れの深いイベントだったからこそ、
人の目が少ない私的なお出ましにされてまでいらっしゃったのだと思います」
そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
ここ数年はご体調も回復傾向にあるとはいえ、13年にわたる『適応障害』の療養は続いている。
そんな雅子さまにとって4月中旬に検討されていた「海外訪問」は、やはりハードルが高かったようだ。
「4月13日から17日の4泊5日の日程で皇太子さまのマレーシア訪問が予定されていますが、
雅子さまのご同行は見送られることになりました。もし実現すれば“初のアジア訪問”になっていました」(皇室担当記者)
'13年にはオランダ、'15年にはトンガを訪問されるなど、海外へ行かれる機会が増えていた雅子さま。
「国際親善」を志し皇室に入られたが、なぜ今回の訪問は断念してしまわれたのだろうか。
前出の渡邉さんは、4月の“一大行事”との関連性を指摘する。
「園遊会が差し迫っていることで、ご体調の面で大事を取られた可能性もあるのではないでしょうか。
その際は両陛下とご一緒にお出ましになることもあり、プレッシャーも大きいのだと思います。
皇后になられる日も目前に迫っていらっしゃるので、慎重に対応されているのでしょう」
4月20日に行われる『春の園遊会』は、両陛下をはじめ皇族の方々も参加され、各界の功労者約2000人が集まる。
一昨年の秋には12年ぶりに一部参加され、その後も続けてお出ましになっていることで、欠席するわけにはいかない事情もあるのだろう。
さらに美智子さまの「皇后としてのお姿」が、近くでご覧になっている雅子さまにとって「重圧」になっていることも考えられる。
2月末から3月上旬にかけて、約1週間にわたるベトナムとタイへの訪問から帰国された美智子さまのお身体に“異変”が起こった。
「3月14日の夕方、腹部に発疹が見られ、『帯状疱疹』と診断されました。美智子さまはベトナム訪問前から
背中に痛みを訴えられたり、『口唇ヘルペス』の症状が出たりと、お身体は万全な状態ではなかったのです」(宮内庁関係者)
病気を患うほど今回のベトナム訪問を“懸命”に果たされた美智子さま。雅子さまも、そのお姿に“皇后の気迫”を感じ取っておられるのだろう。
美智子さまが過去に3回、マレーシアを訪れていることも、雅子さまが訪問を躊躇された理由かもしれない。
「'70年2月には、昭和天皇のご名代として、ご夫妻で訪問されました。
気温が28度前後で立っているだけで汗ばむほどだったのですが、着物をお召しになっている美智子さまは、立派にお務めを果たされました」(宮内庁OB)
身体障害者施設では、粘土細工セットやブロックのおもちゃを子どもたちにプレゼントなさり“本当のお母さまのよう”と慕われたという。
平成に入って'91年に同国を訪れた際も着物をお召しになった。
「このときに美智子さまがお召しになったお着物を紀宮さまが大変お気に召し、ご自身の結婚式のお色直しでご着用になりました」(渡邉さん)
'06年にも同国を訪れたのだが、'91年に山火事による視界不良のために立ち寄りをキャンセルしたペラ州に“15年越し”の訪問を果たされ、
地元住民も歓喜したという。
そんな美智子さまの「後継者」としてマレーシアを訪れることは、雅子さまにとって相当なプレッシャーになっていたのかもしれない。
「再来年に雅子さまが皇后になられた際は、大変なお仕事がたくさんあります。
美智子さまは皇后として最高のお手本ですが、雅子さまは美智子さまのお姿を見ていらっしゃるからこ、
“皇后としてのカベ”が高いと感じていらっしゃるのかもしれません」(渡邉さん)
http:// www.jprime.jp/articles/-/9309


  • 最終更新:2017-12-24 10:53:46

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード