2011年1月-3月雑誌記事


AERA2011年1月3日-1月11日合併特大号
雅子さま「治らぬ病の深層」
妃殿下としての活躍は、「両陛下即位20年・結婚50年」の節目だった2009年、そちらへの出席を最優先したが、
2010年はそのくびきから離れ「雅子様飛躍の年」になるはずだった。
それを印象づけたのが1月の阪神淡路大震災追悼式典出席で、雅子さまは涙を流し、20分と短いながらも濃密な時間を遺族と過ごした。
かつて「東宮職医師団見解」は公務を「心が強くなる体験」と指摘。
この時の公務はまさにそうした体験だろう。他人との痛みを共有することで自信を取り戻す。
長く暗い回復の道のりに明るい光となるような体験だったが、直後の登校問題で周囲が期待するほどの公務復帰とならなかった。
なぜ雅子さまは回復に時間が掛かっているのか。
「適応障害」という病名から雅子さまが皇室という環境に適応できていない、かのように読めるがそうではない。
米国精神医学会の定義は「強いストレス体験のため、不安や恐怖を感じたり、うつ的になったりしている状態」。
ストレスとは「トラウマ」のこと。雅子さまの受けたトラウマとは何か。
関係者の話から公的な場で大変ショックを受ける体験があった、と推測される。
長年子どもに恵まれなかったことで受けた対応も関係しているかもしれない。
男児ではなく女児が誕生したことに対する周囲の「反応」にも強いショックを受けた。
適応障害の一番の治療法は「ストレス因子を除くこと」。
なかなか治らない雅子さまは因子が取り除かれていないのでは。
お妃候補時代から追いかけ回されたマスコミも因子の一つ。入内後は宮内記者会との軋轢に苦しむ。
特に愛子さま誕生直後の最初の会見では、体調や精神状態が悪い中でやっと出席したのに、
なぜもっと早く会見できなかったのか、としつこく質問され親しい人に「涙が出るほどつらかった」と語った。
皇太子妃であり続ける限り、皇室関係者もマスコミも「トラウマの素」と切り捨てるわけにはいかないからこそ、回復には時間が必要となった。
治療法には、つらいと感じた過去の出来事とその時の自分の感情を書き出すなどして、感情の程度が体験の重さにふさわしいか自己検証する方法がある。
一つ一つ体験を振り返り感情を検証する繰り返しの中で気持ちを整理し、乗り越えていく。
時間とカウンセリングが必要だが、雅子さまは自分自身で苦しみを克服してきたのだろう。
外交官などの華やかな経歴から、キャリア志向が強いと見られがちだが大変母性が強い女性。

テーミス2011年1月号
愛子さまの付き添い登校はできても公務はできない。
3月に愛子さまの通学問題が生じて以来、病気療養中の雅子さまのご体調の矛盾が大きくなっている。
愛子さまのためなら、他人の視線も気にならないご様子だ。
12月7日 かまぼこ館へ。
12月9日 東宮職は雅子さまの47歳のお誕生日に際し、
1年間の「ご感想」と、医師の病状報告、「東宮職医師団の見解」を公表した。
双方の文書にはご体調の矛盾に関する明確な説明はなかった。
雅子さまの「ご感想」は、愛子さまへの母親の愛情が中心だった。
一方、6回目の公表となる「見解」は、引き続き着実にご快復されているが、心身の状態の波は続いているという木で鼻をくくったようなものだった。
しかし、ご体調の矛盾については、公的な色彩のあるものを含めて、限られたものにならざるを得ない状況であると断言した。
それでも雅子さまの心身の状態の波には不思議な傾向があるのも事実だ。
この1年間、公務に出席したのは16回(12月13日現在)に留まるが、実家の小和田家に縁が深い国連の要人には接見されている。
雅子さまは5月にもユニセフのアンソニー・レーク事務局長とお会いになった。

週刊朝日2011年1月21日号
皇太子妃雅子さまを“隠密行動“にしてしまう宮内庁東宮職の愚
愛子さまの「通学問題」は未解決のまま年を越した。
問題の長期化とともに表面化したのは宮内庁東宮職の対応のまずさ。
たとえば、昨年女性セブンに掲載された「かまぼこ事件」記事への対応。
東宮職は、付き添いは一週間前に決まっていたと主張、抗議。
「問題は親が見学に付き添い、愛子さまが特別扱いされたこと、
雅子様に子離れを進言できない環境が東宮御所にあり、問題を長引かせ加熱報道の一因に」学習院初等科関係者
宮内庁は皇族の私的外出をオープンにしていないが、取材は過熱している。
「宮内庁記者クラブでは東宮大夫が週一会見で、皇太子一家の活動を発表。
記者クラブに入ってないメディアは独自に情報をつかみ、激しい取材合戦に」皇室担当記者
とくに雅子さまは公務出席がごく稀で、私的外出が取材対象になりやすい。
東宮職がそれを公表しないため、東宮ご一家が“隠密行動“をしているように報じられかねない
実際、12月22日の皇太子さまと愛子さまの行動がネット上で批判を浴びた。
「お二人はバレエ「くるみ割り人形」を鑑賞。この日は終業式で、愛子さまは雅子さまと登校、
ホームルームだけ出席のせいか、東宮職は極秘にしたかったのだろうが、ネットにお二人の“隠密行動“の目撃情報が。
夫妻への批判的書き込みも相次いだ」別の皇室担当記者
東宮職が根本的解決に乗り出さない限り、東宮一家と国民の距離は広がる一方だろう。

女性セブン2011年2月10日号
愛子さま「管弦楽部入部希望」に学習院保護者がとまどう理由
この「特別クラブ活動」は、4年生になると希望者のみが入部出来る。
初等科には管弦楽部、剣道部、合唱部の3つがある。
「4年生1学期に各部の見学会が開かれ、実際にクラブ活動がスタートするのは夏休み明けから」(前出・学習院関係者)
アイススケートの練習に夢中になったり、テレビで大相撲や野球観戦したりとスポーツに関心が強い愛子さまだが、
この「特別クラブ活動」では管弦楽部に入部したいという気持ちを強く持たれているという。
「愛子さまは、いま東宮御所内でピアノやバイオリンを習われて、“ソルフェージュ”にそれは熱心に取り組まれているようです。
それに、皇太子さまはビオラを演奏されますし、参内されたときには、
美智子さまに好きな曲を弾いていただいたりと、音楽への関心もスポーツ同様に深いんです」(宮内庁関係者)
そんな愛子さまが憧れる舞台が学習院初等科には年2回用意されている。
それは、春の「オール学習院の集い」と冬の「小さな音楽会」。
「昨年12月初めに行われた『小さな音楽会』に、愛子さまは数人のお友達と一緒にいらしていました。
体を乗り出すようにして、目を輝かせながら演奏をお聞きになっていました。
きっと管弦楽部への思いを強くされたことでしょう」(前出・学習院関係者)
学習院は創立時から音楽活動に熱心な学校で、有名な音楽家も多数輩出している。
それだけに、初等科とはいえ、管弦楽部の練習はとても厳しく、ときには外部から講師を招いたりすることもあるほどだ。
「部の練習は週に2回“朝練”があり、その日は午前7時までに登校しなくてはなりません。
また月に2回、土曜日の午前中に登校して練習したり、春休みも夏休みも練習があります。
生半可な態度ではついていけないわけです」(前出・学習院関係者)
愛子さまは、いまだに雅子さまの同伴登校が続き、また、3時間目から登校という日が多い。
4年生になってからもこれが続くとすれば、管弦楽部に入部した場合、“朝練”への愛子さまの参加は難しくなってくる。
この現状にある学習院の保護者がとまどいの声をあげる。
「いくら愛子さまといえども、“朝練”を毎回お休みになるのはいかがなものでしょうか。
逆に、今の状態が続けば、管弦楽部の練習にも雅子さまが毎回お付き添いになるやもしれません。
そうなれば、児童たちは練習に集中できない状況も考えられ、
愛子さまの入部を必ずしも歓迎できないという雰囲気が生じるかもしれません」

テーミス2011年2月号
「陛下は皇太子ご一家の現状に非常にご心痛だと思う。
06年のお誕生日会見で陛下は、『愛子とあまり会う機会がない』と発言された。
以来、両陛下と皇太子ご一家の関係は不安定な印象があった。
きっと愛子さまは陛下とあまり打ち解けておらず、
お会いになってもほとんどお話をされないのではないか」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
一方、陛下は秋篠宮家3人のお孫さんとのエピソードについては具体的に語られ、新年に際して悠仁さまをテーマに御製も詠まれた。
ある皇室関係者
「陛下はただ単に『もっと愛子と交流したい』といっているわけではない。
皇族としての自覚や振る舞い方は、年に数回、それも公式行事のようなときだけ会うのでは身につかない。
通学問題がもう1年になろうとしている中で、陛下には皇太子ご夫妻に対して腹に据えかねるような感情があっても不思議ではないだろう」

週刊新潮2011年2月24日号
冠動脈硬化 「天皇陛下」が口にされないご心痛
このたびの検査で、心臓のまわりの冠動脈に動脈硬化が見つかった天皇陛下。
天皇陛下はご自身の公務について、格別の思い入れがおありになる。
強い決意と信念で公務をお続けになっている。そのため、これまで何度かご体調の不良があったが、
陛下ご自身が公務数を減らすお気持ちはさらさらなかった。
今回のご病状、および検査の発表に至るまでには、ある経緯があった。
「実は発表に先立ち、御所の職員は両陛下に、発表内容の確認をお願いしたそうです。元より陛下は、
昭和天皇が崩御されたときのような情報統制はしたくない、というお考えです。今回も職員が詳しい病名や
経緯を伏せた点を指摘され、ディテールまで明らかにするよう指示されたとか。」(皇室ジャーナリスト)
「医師団は陛下のご病状を考慮し、もしものときに東京で緊急治療にあたれる体制を維持するため、
できるかぎり遠出をしないように求めています。ウィリアム王子の結婚式は皇太子ご夫妻にご出席いただこう、
という背景にも、同様の事情があると聞いています。」(宮内庁関係者)
「陛下は公務でのお言葉ひとつとっても、資料を読み込み、ご自身で最終チェックまでなさる。祭祀についても、
昨年の新嘗祭など、深夜は神職が代拝しているというのに、午前1時すぎまでご自身も臨まれた。
お身体への負担が大きかろうと、そうなさるのがいわば“生きがい”なのです。」(宮内庁担当記者)
しかし、心臓を病まれた陛下のご心痛のタネは、ほかにもないわけではない。
陛下の心臓の異変が初めて明かされた2月9日、両陛下がウズベキスタン大統領夫妻を招いた
午餐に参加されているころ、「雅子さまは愛子さまにつきっきりでした。」(東宮一家ウォッチャー)
「しかし、下校時に友達と一緒に初等科の校舎から出て来られた愛子さまは、雅子さまから
だいぶ離れての徒歩での下校で、その様子からは、不登校の問題はないように見えました。
公務より愛子さまへの付き添いが優先なのは、あくまでも雅子さまご自身の問題ではないでしょうか。」(同)
「両殿下がウィリアム王子の結婚式に参列されることに、両陛下は賛成されています。
しかし、イギリスからご帰国後、雅子妃殿下がまた療養生活に戻られるようでは非難される。
天皇陛下はそのことを非常に心配されていると思うのです。」(元宮内庁職員 山下晋司氏)
検査入院から退院されるや否や、すぐに公務をこなされた天皇陛下。
「早い退院と公務への復帰は、皇太子殿下に対する意思表示かもしれません。」(松崎敏弥氏)
「雅子さまの方ばかり向いておられる殿下に向けた、早く目を覚まして自分の立場を認識してほしい、
というメッセージではないでしょうか。殿下は1日も早く陛下のお気持ちに気づかなければなりません。」(同)
「将来の皇室がどうあるべきか、という重要な問題について、皇太子は天皇陛下と話し合われることもない。
雅子さまのご病気に触れられたくないからだと思いますが、そんな状況ではますます陛下の心臓に負担がかかります。
陛下は公務に向かうことで、足下の東宮問題から気分を紛らわせておられるのではないか。」(橋本明氏)
ちなみに、秋篠宮家は両陛下と密に交流し、「2月2日から7日まで両陛下が葉山でご静養されたときも、
4日に紀子さまと悠仁さま、5日には秋篠宮殿下が合流され、6日まで一緒に過ごされました。」(皇室ジャーナリスト)
「黒田清子さんもよく皇居を訪れ、両陛下と一緒に時間を過ごされています。一方、東宮ご一家だけは
去年の誕生日の会見で天皇陛下が話されたように、なかなかお会いになられていないのです。」(同)
皇后陛下は時間が許す限り、連日陛下に同行し、付き添うようにされていた。

週刊文春2011年2月24日号
~即位の礼で御帳台に昇られる日から始まるご公務と宮中祭祀の日々。
美智子皇后の“思い”は引き継がれるのか。
即位の礼にはじまり、歌会始、宮中祭祀といった宮中行事に対して、皇后となると皇太子妃時代とは違った環境が待ち受けているのはまちがいない。
皇后としてのご公務は健康なお体であっても激務といわれる。ご公務の数も膨大なものである。
天皇皇后が独自にはじめられたご公務には、「慰霊の旅」や、身障者や高齢者にかかわる福祉施設へのご訪問がよく知られている。
「ここ数年、皇后陛下は慰霊の旅について、『あとにつづく者に引き継いで欲しいのだけれど…』と懸念をたびたび口にされています。
これは、ご期待と同時にご心配もあるようですね。
皇后陛下が陛下とともに築かれたご公務の“遺産”はいろいろあるのですが、とくに先の大戦への思いは深く、
とりわけ皇太子ご夫妻には、ぜひとも受け継いでもらいたいとお考えのようですね。」(宮内庁関係者)
ご公務には、美智子皇后が単独で、先代から受け継いで行っているものもある。
代表的なものは、日本赤十字社名誉総裁や、明治時代の昭憲皇太后から続く「ご養蚕」だ。
実は、一切報道されていないが、雅子さまは以前から(ご養蚕に)高い関心を持たれ、すでに複数回、ご養蚕を受け継がれる準備をされているという。
皇后となれば、年に何回か行われる菊栄親睦会やご結婚式やお葬式など、女性皇族のトップとしてプライベートな面でも、取りまとめが期待される。
宮中祭祀や皇族のあり方など、皇室には文書ではなく人から人へつたえられる事が多い。
「昭和天皇のもとに、皇太子同妃時代の両陛下が原則として毎週1回、吹上御所に参内されていましたが、
今のところ皇太子同妃が直接両陛下にお会いする機会が少なくなっていますのは心配です。」(宮内庁OB 中島宝城氏)

女性自身2011年3月8日号
2月18日。学習院初等科では2年生と3年生による『小さな小さな音楽会』が開催された。
生徒たちが合唱や合奏を披露する行事である。愛子さまは雅子さまに付き添われて登校した後、
皇太子も初等科を訪問。平日の昼間ということもあり、父親たちの参加は少数だったという。
「舞台の上で歌われる愛子さまを、皇太子さまも雅子さまも
優しく見守っていらっしゃいました」(学習院初等科に子供を通わせる保護者)
2月23日には51歳の誕生日を迎える皇太子さま。最近では愛子さまと二人でのお出かけも多いが、
皇太子さまの“パパ奮闘ぶり”は二人でのお出かけばかりではない。
「昨年9月ごろから皇太子さまは知人たちに相談されています。“愛子にテニスを始めさせようかと
思っています。いい先生はいらっしゃいませんか?”とおっしゃっていたそうです。
しかし残念ながら、半年ほどたったいまでもコーチは決まらないそうです。
声をかけられた人たちの辞退が続いていると聞きました」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
皇太子のテニス仲間は、両陛下と共通の知人も多い。なかには“まず両陛下のご了承を得てください”という人もいたという。
昨年12月の天皇陛下の誕生日会見のお言葉で、天皇陛下と皇太子さまの“溝”を感じた宮内庁担当記者も多かったという。
ある宮内庁関係者も嘆息。
「古参の宮内庁職員のなかには、『あの素晴らしかった皇太子さまが最近はいったいどうなさったのだろう』とはっきり口にするものもいます。
陛下が一番懸念されているのは“皇室と国民の結びつきが弱くなってしまうこと”だと思います。
陛下は皇太子時代から、美智子さまと一緒に全国を飛び回られ、地元の人々と触れ合うことに尽力されてきた。
しかし最近の皇太子さまの地方公務は、日程も短くスケジュールもゆるめに調整されています。
これは、もし雅子さまが参加されても負担が少ないようにと考慮されているからです。
しかし陛下は“1泊2日など、そんな短い日程で本当に人々との交流がはかれるのか”と心配されているのです」
あくまでも雅子さまと一緒に公務をすることを目指している皇太子と、単独でもいいから、
もっと国民と触れ合うべきと考えていらっしゃる天皇陛下。ここでも考え方の違いが見られる。

女性セブン2011年3月10日号
2月18日。美智子さまはおひとりで亡き師の書道展を鑑賞。しかし、前日の段階では、
“もしかしたら美智子さまは書道展へのご訪問をお取りやめになるかもしれない”
という話が持ち上がっていた。(宮内庁関係者)陛下の検査入院の際も、当初は美智子さまも病院に宿泊され、
付き添われたいお気持ちだったようだが、陛下に諭され御所に戻られ、翌朝、再び病院へ。
「美智子さまはとても陛下のお身体を心配されている。片時も陛下のおそばを離れるわけには
いかないという思いが強く、そのため書道展のご訪問も取りやめることが可能なら、
陛下のおそばにいたいとお考えになられたようです。しかし、陛下が“せっかくの機会だから”と後押しされ、
予定通りのご訪問となったそうです」(宮内庁関係者)
2月12日に退院された天皇陛下はわずか2日後にご公務を再開。15日には宮崎県知事に会われ、励まされるなど、
退院後4日間でのご公務は12件。美智子さまがいつもおそばに…というほど心配されるのも無理はない。
「日課とされている朝夕の皇居内の散策も、いままでは陛下が美智子さまを気遣っていらしたが、
退院後は、美智子さまの方から手をつながれたり、寄り添って歩かれているようだ」(宮内庁関係者)
「陛下のお体を考えられ、美智子さまは大膳課と相談し、お食事に自らの手料理を
加えられているようです。悲痛な思いで陛下のために献身なさっている美智子さまですが、
お気持ちの隅には皇太子夫妻にご公務の名代を、という強いお気持ちがおありのようです」(皇室関係者)

週刊現代2011年3月12号
異色レポート/父兄が明かす
愛子さまと学習院初等科3年生南組の春
2月18日(金)、学習院初等科では、2年生と3年生による音楽会が行われた。
音楽会のテーマは「みつけよう大切なもの」。クラスごとの合唱と、縦笛を使った合奏も行われ、
愛子さまも大きく口をあけて歌っていた。皇太子夫妻はビデオカメラを手に熱心に愛子さまが歌う姿を撮影。
ところが、この音楽会の最中に異変が。愛子さまがいる3年南組に、10名近いインフルエンザによる欠席者が出た。
結局3年南組は、音楽会の日の午後から21日まで学級閉鎖となった。
「最近の愛子さまは以前よりも活発になり、積極的に勉強や運動に取り組んでいます。
とにかく運動が得意で、ドッヂボールなどのスポーツが好きだそうです。手足もすらりと伸びて
同級生のなかでもかなり背の高い方ですからね。それから、書道や音楽がお好きなようです。
親しい友人と話したり笑いながら、休憩時間を過ごしているそうです。依然として
雅子さまが付き添われての“時短登校”は続いていますが、最後の授業(6時限目)まで
学校にいらっしゃる日も増えていますね」(学習院に子どもを通わせる父兄)
愛子さまが登校拒否に陥った騒動からちょうど1年が経った。
先日の皇太子の誕生日の記者会見を聞いた宮内担当記者の感想。
「1年経ってもまだ、『怖い思い』とか『つらい体験』という厳しい言葉を使わざるを得なかったところに、
皇太子一家の苦衷を感じる。1年生、2年生のあいだに経験したことが、
愛子さまの心にはまだ重いものとして残っているのだろう」。
愛子さまはようやく、穏やかな日常を取り戻しつつあるように見えるが、実際にはどうなのか。
「確かに1年生から2年生にかけて、4~5人問題がある児童がいたようです。東園理事の言うように、
授業中に歩き回って、先生に怒らるとそのまま教室を出ていってしまったり、体育の時間に
じっとしていることができず、他の子を叩いたり、通学の途中、別の児童の帽子を放り投げたりという
行動があったと聞きました。しかし、最近はそういった行動もおさまり、学年も落ち着きを取り戻しています」(学習院初等科OB)
一時は学習院初等科内で「数人の問題男子児童がいる」などの噂が流れたが、なかでも
もっとも乱暴と思われている一人は、放課後のボール遊びを得意とする活発な男子児童で、
愛子さま以外の女子児童を小突いたりすることもあった。
問題行動がもっとも顕在化していた2年生の夏休み前には緊急父母会が開かれ、児童一人が
退学を申し出るという一幕があった。しかし、この児童の退学理由はいまだに明らかにされないまま。
噂になった男子児童以外にも、乱暴と思わあれる児童はいた。東園理事は会見で、
「突然廊下をもの凄いスピードで走ってくる二人の男の子がいて、愛子内親王が恐怖を感じた」
と話していて、愛子さまが「登校拒否」に陥ったのは、3月初めのこの廊下事件が直接のきっかけだったという。
事態を憂慮した、雅子さまは「付き添い登校」を始め、愛子さまが出席しているときは、
教室の後ろのスペースで子ども用の椅子に座り、授業を見守ることを続けている。
「学校側でも、これまで以上にきめ細やかな指導を徹底していくつもり。愛子さまが
校庭で遊ぶようなときは、主管や副主管、副院長などが望遠鏡で注視している。
望遠鏡は愛子さまだけを見ているわけではなく、腕白なこどもの行動にも注意していて、
何かあったらすぐに対応できるようにする目的で使っている。以前のように、
教室に鍵をかけたりということはしていない」(学習院初等科関係者)
こうした手厚い態勢によって、愛子さまは徐々に勉強に集中できるようになってきている。
「授業中の愛子さまは、挙手をすることはあまりない。主管が愛子さまを呼ぶときは、
敬宮さまと言って指名するが、答えられないことはほとんどない。ただ、声は小さいですね。
時々、教室の後ろにいる雅子さまを見やるときがあるが、そういう時雅子さまはにっこり笑い、うなずいている。
先生の質問に答えなさいと、促しているのでしょう」(別の学習院父兄)
「書き取りの授業では、愛子さまの文字の丁寧さ、まとまりがクラスでもっとも美しいと
評価されたことがある。その時愛子さまはクラスメイトから拍手されて、かすかに笑みを
浮かべたそうです。学業は優秀で、字も上手ですし、習字が得意のようです。最初は
『愛子さん』と呼ばれていたが、最近は親しいクラスメイトから、敬宮さまとか、
トッシーと言われることもあるようですね。食事は相変わらずクラスメイトとは別行動で、
雅子妃とともに教室でお弁当を食べていますが、月に一度の『お弁当の日』は、
友達と一緒にお弁当を広げられる」(前出・別の学習院父兄)
皇太子一家は、昨年夏の那須での静養の際、数人の親しい同級生を御用邸に招いている。
「学習院幼稚園時代からのお友達のほかに、初等科に上がってから親しくなったご友人も招いたそうです」(前出・宮内担当記者)
こうした友人たちについて、前出の学習院OBはこう違和感を語る。
「愛子さまが初等科に進学されてすぐの頃、お迎えの時などに雅子さまに
積極的に話しかけている父兄がいた。ほかの方はあまりそういうことはしないのですが…。
結局、いまも雅子さまと親しくしているのは、そういう積極的な方達ですね。愛子さまも、
比較的よく話しかけてくるお友達と仲良くされているそうです。3年生のご父兄に聞くと、
多くの同級生の方が一度は御所に招かれて御所内で遊んだりしているそうですが、なかにはまだ一度も招かれていないという子もいるようです」
旧華族などの出身者は、愛子さまや雅子さまに積極的に近づくのをむしろ抑制する傾向にあるという。
また、自らも学習院を卒業したという父兄は、学習院が変質した、と嘆く。
「最近は生活費を切り詰めても子どもをお受験塾にやり、名門小で学ばせたいという親御さんもおり、
そういう方にとって、学習院の教育が物足りない思うことがあるようなんです。『もっと
丁寧に勉強を教えて欲しい』と要望する親が増えていると聞きます。私は、小学校なんだから
それほどガツガツ詰め込み型の勉強をする必要はないのではないか、と思っているんですけど」
「愛子さまと同じ学年ではないが、何人か初等科在学途中で公立や別の私立小に転校された
例も耳にしている。学習院に通う子どもたちの父兄も、時代と共にかなり変わってきている
のではないだろうか」(ジャーナリスト・渡辺みどり氏)
かつて院長を務めた乃木希典が「質実剛健」を唱えた学習院がいま、大きな岐路に立たされていることは間違いないようだ。

女性セブン2011年3月24日号
愛子さま/給食時間、今日も別室で雅子さまとお弁当/もうひとつのいじめ事件
春休みには、毎年恒例となっている長野県へのスキー旅行へ一家で出かけられる予定。
「昨年、愛子さまはパラレルに挑戦されました。傾斜のきつい斜面も滑れるようになって、スキーへの自信を
深められました。そのため、スキー旅行がいまかいまかと待ち遠しい様子だそうです」(宮内庁関係者)
3学期になると、これまでより1時間早い、2時間目から登校され、さらに6時間目の最後の授業まで学校にいられることが多くなられた。
しかし、学習院関係者や宮内庁関係者によれば、まだ二つの懸念事項があるという。
まず一つ目は、1時間目の授業に出席されていないこと。
もう一つが児童全員が集まる食堂での給食にいまだに愛子さまが顔を出せずにいることだという。
実はこの背景にはこれまで明かされなかったもうひとつのいじめ事件があるという。
愛子さまへの“いじめ問題”が浮上する直前の昨年2月のこと。
学習院初等科では、お腹にくる風邪が流行していたという。
愛子さまも何度か体調を崩され、主管に「お腹が痛い」と訴えられたこともあったという。
そんな中、愛子さまがお友達と食堂で給食を召し上がっているときだった。仲良しのお友達が
風邪の影響で、愛子さまの目の前で給食を嘔吐。「すると一部の男子児童が“うわっ!きたない!”
などと声を上げる騒ぎとなって、その女の子は顔面蒼白になって泣き出してしまったそうです。
その事態をご覧になっていた愛子さまも、もう呆然とされて言葉も失われ、
ショックをかくせないご様子だったといいます」(別の学習院関係者)
更に前出の学習院関係者は、「このとき、愛子さまも同じような症状の風邪をひかれていましたから、
“もしかしたら自分が同じようなことになっていたかも”と思われ、恐怖を感じ、
トラウマとなってしまい、それが今も消えないのではないでしょうか」
本誌前号で伝えたとおり、雅子さまの同伴登校は愛子さまが強く望まれてのことだという。
「愛子さまは、お昼の時間に一人になられるのが怖いのではないでしょうか。お昼だけでも
雅子さまに一緒にいてほしいというお気持ちから雅子さまのご同伴を望まれているような気もします。
しかし、いつかはこの状態を克服されなければ、これから先、前にはお進みになれません」(前出・学習院関係者)

週刊女性2011年3月29日
前日3/10、この日で学習院の通常授業は修了。1:40、女児3人が門前に。
すぐに愛子さまが雅子さまと出てきてそのまま約300メートル離れた東宮御所へ。
「今日は敬(とし)ちゃんちで遊ぼー」となったのかも。
学習院では下校途中に友達宅へ寄り道して遊ぶことは厳禁なのだが、と苦笑する前出・学習院関係者。
お稽古事なども事前に場所や時間などお届けをしている。ただし、とフォローして
「お友達は東宮御所で愛子さまと一緒に何か習い事をしているのかも。それなら学習院も許可するだろう」





  • 最終更新:2017-09-03 16:32:16

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード