2008年5月-12月雑誌記事

週刊現代2008年5月24日号
ゴールデンウイークに東宮一家は御料牧場で家族水入らずの時間をすごしたが、そのリフレッシュについても批判の声が。
「東宮一家が泊まるのは立派な本邸、だが御料牧場には肝試しのような古びた木造建物があり、
こちらは秋篠宮ご一家が両陛下と合流されるときに使う。東宮一家は両陛下と御料牧場で合流されることはほとんどない。
雅子妃が古い建物を嫌いなのかも」宮内庁担当記者
高橋紘「NHKニュースで軽井沢秋篠宮ご一家と御料牧場東宮一家静養連続報道がされたが、
兄弟が西と東に分かれているような違和感。今の皇室を象徴しているのでは。」

週刊新潮2008年5月22日号
『雅子さま「晩餐会」欠席の翌日「父母会出席」はいかがなものでしょう』
5月7日、胡錦濤「宮中晩餐会」に雅子妃は欠席。今では雅子妃の欠席はすっかり恒例の事。
「今回の欠席は大分前から決まっていたようで、本当に出席を検討している場合は
雅子妃の意思確認や体調について話が聞こえてくるが今回は一切漏れ聞こえてこない。
雅子妃の出席はそもそも最初から検討されていなかったのでは?」(宮内庁担当記者)
この日の午前の「全国赤十字大会」にも名誉副総裁の雅子妃は欠席。
雅子妃の代わりに皇太子が愛子に付き添ったので、雅子妃はよほど体調が悪いのかと思ったが、
その日の午後2時から開催された父母会総会には小山東宮女官を伴って出席。
「雅子妃は紺のパンツスーツを着て御所から早歩きで颯爽と歩いてこられました。
とてもお元気そうで体調が悪そうなご様子はありませんでした」(学習院関係者)
皇太子一家は晩餐会の前日まで御料牧場で静養しており、休養は十分だったはず。
東宮関係者も困惑。「今の雅子妃はああいう場所(晩餐会)では緊張してしまい、妃殿下としての振る舞いを求められる場所は無理。」
「平成18年にインドネシア大統領が来日した際にも雅子妃は病気を理由に晩餐会を欠席したが、
何とその翌日にジュエリー展にお出かけし、情けなくなった」(宮内庁幹部)

アエラ2008年5月26日号
馳浩議員のブログ
>平成20年4月17日(木曜日)
>はせ日記
>終了後、赤プリ3階ポトマックにて女房と待ち合わせし、春の園遊会へ。
>赤坂御苑に向かう途中、学習院初等科前通過。
>すると、おお、もったいなくも、雅子さまと愛子様の下校途中に遭遇。
>興奮してミーハーになっちゃって、車の中から手を振る高見恭子。

園遊会欠席当日に愛子さまの下校に付き添う雅子さまが目撃された
宮内庁関係者「公務よりプライベートを優先する皇太子ご夫妻に難色を示す向きがある」

週刊朝日
皇太子が登る山は4月に起こった出会い系で知り合った女の子に覚せい剤打って監禁事件の現場。
未だ不明の被害者の捜索範囲に入っているが、数ヶ月前から準備してきたのに中止というわけにも行かず関係者は頭を痛めている。
この山登りは「東京都の水源の御視察」と銘打っているが、どう考えても御視察は10分程度、やはり趣味的な登山と考えられる。
しかし、当日「両陛下は子どもらの施設を御視察される予定があり」
やはり趣味を前面に押し出した登山では体裁が悪いから、『水源地の御視察』とされたのかもしれない。

テーミス2008年6月号
宮内庁担当記者「地方公務には基本的にご出席にならないという方向にあり、妃殿下が同行されるかは、ご体調に波があるので直前まで発表されない。
現地での公務が急に削られることもある状態では、外交上のエチケットの点からも、中座せずに3時間ほどかかる晩餐会へのご出席は難しかった」
「治療優先派の野村と公務復帰派の末綱東宮侍従長の間には確執があり、ほとんど意思の疎通がない状態」
「末綱侍従長と野村大夫の確執」
(警察庁関係者)「末綱氏は、少しずつでも公務や宮中祭祀の出席を検討してほしくて、雅子さまに何度もお伺いをたてていたようだ。」
ところが主治医の大野氏や野村大夫は、雅子さまの希望を受け入れて公務の負担をできるだけ減らそうとする。
急に幼稚園から電車で帰ったり、昨年末、恵比寿にイルミネーションを見に行ったときに、予定しなかった方向へ歩き出されるなど、
警備のことも考えずに身勝手な行動をされる雅子さまに対し、末綱氏は頭を悩ませている。
ご一家でのスキーや御料牧場など私的な外出をされる雅子さまは溌剌とされている。
「皇太子妃としての務めを怠っているのではないか」という厳しい非難の声があっても、病気治療中という理由では、
「雅子さまは皇太子妃としての振る舞いを要求されることがつらいのだから」(宮内庁関係者)と、周りは受け入れざるを得ない。
幼稚園の運動会で皇太子さまの前を歩かれたり、
外務官僚との食事会で皇太子さまを残して帰られても、雅子さまには誰も意見が言えず、腫れものに触るようだ。
「4月30日の鳥のビオソフィア」
天皇皇后両陛下ご訪問 実はこのとき、同席された紀子さまに対して疑問の声があがったという。
「本来、秋篠宮さまだけでこなされても問題のない公務だったので、
紀子さまが同席されていてびっくりしました。紀子さまが、『皇后さまがいらっしゃるなら私も…』とお見えになったそうです。」(東宮職関係者)

週刊文春2008年6月12日号
雅子さまのドタキャンは小和田家の方に対しても度々ある。
約束をしていても寸前に体調が優れないと側近が小和田家にキャンセルを伝える。
皇太子さまは御所に上がっても大事な話は帰り際まで切り出せない。
葉山で御一緒する予定も陛下にお伺いするまえにマスコミが報道、陛下周辺はびっくり。
スペイン行き断念に大きく影響したのは宮内庁幹部の声。
宮内庁幹部の後ろには千代田周辺・両陛下の考えがある。
「親しく交流しているスペインにだけ行くというのは好ましくない」
両陛下は妃の快癒を望んでいると同時に国民に申し訳ないというお気持ち。
オランダで雅子さまの運転で130キロ出して飛ばした。

週刊現代2008年6月28日号
ご成婚から15年皇太子48歳、雅子さま44歳「それぞれの孤独」
編集部は宮内庁筋から流れたとされる怪情報に触れた。
詳細は不明だが皇太子夫妻の私生活についてのことでその噂を耳にした美智子様は激怒したというもの。
複数の皇室ウオッチャーも同種の怪情報に接触している。
皇太子さまは非常に生真面目な性格で雅子さまの苦しみも、宮内庁からの批判も理解しているが、友人がいない。
人格否定会見の時の相談相手がビオラの師、ただ一人であった。
テーミス2008年7月号
2年前のオランダ静養の情報が欧州王室に広まって海外からも赤信号が
野村東宮大夫はモスクワ時代小和田の忠実な部下だった。
モスクワ時代、雅子さまは「世の中で一番尊敬してる人は?」に「お父様」といい、
2番目を聞かれ「レーニン」と答えたという話も伝わってくるが、
このことを知っているかどうかは別として、雅子さまの思考回路を知り尽くした元外交官であることは間違いない。
西欧王室に詳しい関係者談
「オランダ王室もしばしば国民から批判を受けるようなことがあって、ベアトリクス女王の申し出は雅子妃にはありがたいことだったかもしれない。
しかし、このご静養以降、ヨーロッパの王室を中心に、
プリンセス雅子は心の病気ではない(うつなどではなく先天的精神障害・人格障害)という噂が広まったことは事実。
とくに、オランダ発の情報は英王室に漏れて、この情報がロンドンから聞こえてくるようになるのにそれほど時間を要しなかった。
西欧の王室を通じてなされる情報網はテーブルの上と下では大違い。絶えず足の引っ張り合いが展開されている。」
「つまり、雅子妃のオランダ静養の”成功”という事実が、「日本の皇室は危機に陥っている」
というメッセージに変わってしまったというのだから、皮肉な話である。
雅子妃は大野医師に深夜まで携帯で相談されることが増えているという。

皇太子に近い皇族関係者がいう。
「一般的には皇太子さまの英国留学は、学問に励み、英王室などとの交流を深めたという意味で
皇太子さまの人間性を大きく育てたと見られているが、実態は違う。
いままで日本では何もかも教えてくれる人がいたのに、英国では誰も教えてくれない。
あまりに自由で、かえって無力感だけが残る。皇太子さまは雅子妃の病気の問題が出てきたある時期に
『天皇になんかならなくてもいい』と、周囲に語ったことがあるという。
もし、そういったことを皇太子さまが一度でも考えたことがあるとすれば、あの留学期間はあまりにも長すぎたといわなければならない」

週刊女性2008年6月?日号<
「この日、東宮御所では天皇皇后両陛下をはじめ、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さんご夫妻、
また雅子妃の母・小和田優美子さん、妹の池田礼子さん夫妻、
もう一人の妹・渋谷節子さんも出席して夕食会が催された。
いわば天皇家と小和田家による一大イベントになったわけだが、きわめて異例な結婚記念日だ」

週刊現代2008年07月19日号
ブラジルでは皇太子殿下に対して大歓迎
皇太子殿下は終始にこやか、地元記者のリクエストに応えてポーズをとるなどした。
しかし雅子妃不在に不満の声も
「先進国ではないブラジルだから訪問を見送ったという噂も耳にした」現地の一世女性
皇太子殿下ご出発前の雅子妃は比較的お元気そうで9日水晶婚の夕食会、12日青年海外協力隊慰労(体調がよいとして急遽ご同席)、13日乗馬
しかし皇太子ご不在中は東宮御所にこもってすごす
21日学習院(お元気そう)、23日定期検診ドタキャン(オフレコ依頼)
7月2日は外出ご公務だったが、ご病状は相変わらずのようで
ご機嫌が悪いと口をつぐまれたままドアをバタンとしめて部屋にこもってしまう。
不特定多数の目に触れると精神的に不安定だが、外国からの要人や身内は大丈夫
池田礼子さんのお宅にはよくお忍びでいかれる
愛子さまの登校のご様子
東宮の門から小学校の門(子どもの足で10分程度)の距離を
警官が等間隔で並び愛子さまと雅子妃の前後左右をSPや女官が最低8人で取り囲む

週刊ポスト2008年9月12日号
「兄弟の皇室観の違い」に側近たちは右往左往
「軽井沢の天皇・皇后」に合流した「秋篠宮の覚悟」と「皇太子の立場」
秋篠宮ご夫妻の軽井沢訪問中は、悠仁さまに相好を崩される両陛下の姿がたびたび見られた。
このところ秋篠宮家の積極的な活動が衆目を集めている。
8月3日、8月6日のご公務には眞子さまを伴ってご臨席
秋篠宮家の娘たちへの教育も徹底している(皇室関係者)
積極的な公務への取り組みに、秋篠宮ご一家の存在は日増しに際立とうとしている。
秋篠宮ご夫妻は日程を調整され両陛下とともに過ごされたが皇太子夫妻は合流しようとしなかった。
皇太子ご夫妻と両陛下、秋篠宮ご夫妻の関係は本当に大丈夫なのかと危惧する声が宮中内部で広がっている(皇室関係者)
皇太子家と秋篠宮家の"消極的な関係"は公務をめぐっての見解の相違が大きいとされる。
両陛下を一番近くで支えなければならない皇太子夫妻だが雅子妃は回復途上にありその責務を果たせない状況。
秋篠宮殿下のお気持ち(公務分担・軽減)は両陛下にとって精神面で大きな支えとなっている(高清水有子氏)
秋篠宮さまは、悠仁さまご誕生に強い意思を持って臨まれた。
両陛下を一家の中心になって支えていこうと覚悟を新たにされている気がしてならない(皇室関係者)
皇太子さまと秋篠宮さまの立場が逆転しているような状態に側近たちは困惑、右往左往。

週刊朝日2008年9月12日号
皇太子ご一家
28日は「那須テディベア・ミュージアム」に足を運んだ。
夏休み中、御用邸の近くに呼んだ愛子さまのお友達一家との会食が続けて中止になったというが、
この日も体調が悪かったのだろうか、どの入館者に尋ねても館内に雅子さまの姿はなかったという。
それでも愛子さまは、さまざまな「くまちゃん」のキャラクターに笑顔を見せ、お買い物。
近くのリゾートホテルで食事をとった。

両陛下、秋篠宮両殿下、悠仁親王殿下
茶臼岳登山、当初25日予定が天候を考えて22日に前倒ししたが雨続きで前夜に中止決定。
悠仁さまも当初は登山する予定ではなく、陛下と殿下か皇后さまが登られる予定だったのが、雨がやまず中止。
そこで紀子さまと悠仁さまも一緒に林道散策になった。
25日皇太子ご一家の家族登山中止、悠仁さまは陛下と石尊山林道散策。

女性自身2008年9月16日号
「礼子さんも、国際弁護士のご主人と2人の男の子の家族連れ。」
「礼子さんの自宅は、東宮御所の近くにあり、両家の行き来は頻繁だという。
それだけではなく、両家一緒でのお出かけも多い。2年前のディズニーリゾート、
2年続けてのクリスマス夕食会、長野県奥志賀高原でのスキー……。」
「牧場での1日を満喫されたご一家は翌27日の夜、御用邸近くのホテルに滞在していた
礼子さん一家とともに、水上レストランで遅くまでご夕食を楽しまれたという。」
ファミリー牧場ではメリーゴーランドだけ乗る予定だったのに、
愛子さまと礼子さんのお子さんの希望で、足こぎボートとミニジェットコースターに急遽乗った。
心無いバッシングをする向きもあるが、このように家族で雅子さまを支えようとする礼子さんに賞賛の声もある。
ミニジェットコースター、昇降用にドアが開くにも関わらず、愛子さまは待ちきれなかったのか、
座席に土足で立ち上がってから、ドアを跨ぎ越した。

26日は、りんどう湖
27日は、礼子さん一家と遅めの夕食を近くのレストランで
28日は、皇太子さまと愛子さまでミュージアム 
29日は、どうぶつ王国
礼子さん一家は御用邸の近くのホテルに滞在していた

週刊現代2008年9月13日号
軽井沢と那須御用邸ー「完全別行動」の理由とは
天皇家と皇太子家「離ればなれのご静養」でわかった決定的"距離感"
8月24日天皇皇后両陛下は軽井沢入り、滞在は鹿島ノ森
一方皇太子ご一家は20日に那須御用邸入り
那須塩原駅前の出迎えは、大げさなことを嫌う雅子妃の意向で350人に制限
御用邸周辺は多くの警察官が張り付き、通りかかる車のナンバーを控えるなどピリピリムード
那須街道周辺では地元住民が草刈・清掃
24日には秋篠宮ご夫妻が悠仁親王殿下をつれて軽井沢1泊合流
「皇后陛下は悠仁様のご成長ぶりに目を細めておられた」(宮内庁担当記者)
8月17日、東宮御所を両陛下が訪れお食事をともにされたが、静養地での交流に比べややよそよそしい印象
今回両陛下は軽井沢を強く希望、皇太子ご夫妻(雅子妃)が那須滞在を希望
皇太子殿下の山登りは天候不順で中止
イタリアンレストラン予約以外の外出のご予定はない?(地元住民)
8月6日、沖縄豆記者交歓会に雅子妃欠席、東宮侍従から事前にお話なし(豆記者交歓会会長)
7月30日の例祭の儀も雅子妃欠席
長時間儀式出席、不特定多数の人と会う等を苦手とし、那須で一般の人と交流したり、
清掃奉仕団への会釈などの行事を苦手とする(宮内庁関係者)

週刊現代2008年8月16日号  
新聞・テレビが報じない「3カ月の学校生活」 愛子さま 学習院初等科「3度の長期欠席」で囁かれる「不適応」
担任に名前を呼ばれてもモジモジして返事ができなかったり
給食の器の受け取りもできない、引っ込み思案と人見知りが強い
友達の輪に入っていけない。運動面もテンポがずれている。
カメラ禁止、あまり話さないようにという箝口令が出ている。

週刊朝日2008年8月22日号
秋篠宮ご一家 高まる「存在感」
秋篠宮家の存在感が、じんわりと増している。
7月には、皇室の先頭を切って岩手・宮城内陸地震の被災地を訪問し、
日本赤十字社の献血大会には皇太子ご夫妻のピンチヒッターとして紀子さまが出席。
さらに今月10日から那須御用邸で異例のご静養
いまご一家の動きが注目を集めている。
那須御用邸に秋篠宮ご一家が単独で8月10日から5日ほど滞在。
両陛下に合流、という形が普通なので極めて異例(皇太子ご一家は単独利用可)。
両陛下や皇太子ご一家は貴賓室に泊まるのに対し、秋篠宮ご一家は隣接の職員宿舎を使う。
「古い建物で申し訳ない」(宮内庁職員)
宮内庁幹部が「皇子御殿(天皇のお子様が泊まる離れ)を」と勧めたが遠慮された。
悠仁さまご誕生以来宮家を支える環境が不十分、との声が
秋篠宮家では特に悠仁さまご誕生後、特に一宮家としての分を越えないよう気を配られてきたらしく、
かえって出過ぎないようにと気を使っているようだ。職員用を使うのはその配慮の現れ。
被災地訪問・献血大会など、秋篠宮家の存在感が増してきた。
米国出版社が「クイーン&プリンセス」という子供向け教材を発売。
「アジアの妃を米国の子供に紹介したい。プリンセス・マサコでなくキコなのは
庶民の家庭出身という点と将来の天皇の母になりそうという点が選定理由(本の担当者ジョン・ローム氏)」

女性自身2008年9月23日号
雅子さまご回復エールの母子を招いて新幹線車中“感謝”の同乗サプライズ
雅子さまがおっかけの女性二人を新幹線の車両に招いた。
那須塩原駅の次の駅、宇都宮に停車している3分ほど間の出来事だった。

週刊新潮2008年10月9日号
9月23日、皇太子一家と秋篠宮ご一家がアワの刈入れの為皇居を訪問。
両陛下が愛子さまに会うのは1か月ぶり。
「以前の東宮一家なら参加しなかったか雅子さまだけ欠席したはずだが、
一家で訪問したのは参内回数を増やすよう努力しているのでは?」(宮内庁担当記者)
とは言え秋篠宮家と比べると両陛下との交流頻度の差は歴然。
8月24日~28日まで両陛下は軽井沢で静養されていたが、その間の24日秋篠宮一家が1泊という強行スケジュールで両陛下の静養先を訪問。
その間、皇太子一家も那須の御用邸で静養中。
昨年同様、池田礼子さん一家と一緒に楽しんだが、両陛下を訪ねることは無かった。
9月9日、紀子さまは悠仁さまを連れて御所を訪問、満2歳のご挨拶。
さらに12日からの両陛下の葉山御静養にも合流。これだけの差がでるのは何故か?
「東宮が両陛下と過ごさないのは雅子さまの病気が原因。雅子さまは泊りがけの公務が
無理だと言われているが、家族以外との泊まりがけの静養すら無理。
雅子さまにとっての家族というのは皇太子さま、愛子さま、小和田一家。
それ以外の親族と過ごすのはご負担なので、義父母の御静養に合流できない。」(宮内庁担当記者)
「秋篠宮さまが悠仁さまを連れて両陛下の元にお連れするのは帝王学」(皇室ジャーナリスト)
「皇室ではまず両陛下のスケジュールが決定し、それが各宮家に女官を通じて知らされるので
東宮女官らは一応雅子さまに合流を勧めるが、雅子さまは東宮職員を誰も信用していないので話にならない」
最近では両陛下も諦めていらっしゃる。日程は知らせるが“来るも来ないも自由ですよ”
というスタンスで、それについていくのが秋篠宮家。いかないのが東宮家。
最近は苦言めいた声も聞こえなくなって、東宮はもうご勝手にという事でしょう。(同)
「両陛下という存在を肌で感じ接する事が帝王学であり、皇族である限り皇位継承のあるなしに拘わらず、
男性であれ女性であれ両陛下から学ばなければならない事がある。
東宮一家は“普通の子と同じように”という意識が強いが、それでは愛子さまにとって
とてもかわいそうなこと。愛子さまだけ「カヤの外」では禍根を残すことになりかねない。」(皇室手帳編集長山下晋司)
軽井沢には秋篠宮さまがハンドルを握って向かわれた。
愛子になかなか会えない、という言葉の意味を何も考えなかったのが皇太子さま。真摯に受け止めたのが秋篠宮さま。
天皇家の伝統=公を優先、私は出さない
「妃の日常には私が出る。親が東宮御所に出入りし、家族と行き来を繰り返す。
実家の別荘での静養も、すべて「私」である。皇太子は妃に引きずられているのではないか」
「外交官の経歴が生かされると皇太子が述べ、妃もその算段をめぐらし、二人は公務のリストラを図り・・」
「妃は最大の公務である日嗣皇子の誕生と皇室外交を同レベルに置いた」

高橋紘氏
「皇太子殿下は、今の天皇と一緒に、歴代天皇について学ばれていました。
ご自宅では、今の天皇が総監督となってお勉強です。皇太子殿下に対しては、
やはり帝王学を学ばせているんです。
そして、幼い頃からの最大の帝王学と言えるのが定例参内です。
週1回、皇太子殿下は今の天皇と皇居に参内し、祖父である昭和天皇と食事をなさっていました。
天皇としての立ち居振る舞いを直に見せる、これが最大の帝王学でしょう。
これは、今でも変わらないと思います。悠仁さまが、頻繁に参内しているということは、
そういった意味があるのかなと思います。秋篠宮殿下にもそれなりの気持ちがあるのでしょう」

FACTA2008年10月号<
天皇家「兄弟不仲の深層」
皇嗣誕生で俄然存在感を増す秋篠宮両殿下
近世に例のない兄弟間の皇位継承はうまくいくのか
■秋篠宮が敢然と兄宮批判
雅子妃の外国へ行けなくてつらい発言や皇太子の人格否定発言など、
皇太子と同妃の発言は「臣下」を公然と批判した発言で、皇族として前代未聞のことである。
また「天皇に私なし」は天皇家の伝統、天皇皇族としての心がまえ。
天皇の心は、「国平かに民安かれ」であり、
江戸時代の後水尾天皇は「天地には私なく人には私あることんれば、深く慎まるべきことこそ」
大事であると記している。昭和天皇も「公を先にして私を後する」と側近に語っている。
紀宮も「公務は私事に先んじるという陛下のご姿勢は、私が幼いときから決して崩れることのないこと」
と誕生日会見で語っている。
しかし、雅子妃が皇室に入ってから、公と私の問題で天皇家に不協和音が生まれたのではないか。
伝統的公務をリストラして自分たちの思うような公務をしたいという皇太子と同妃の発言は
「私」としての主張であり、皇室の伝統にそぐわないと、秋篠宮は諫言したのだ。
■皇后と雅子妃の違い
雅子妃の日常は、親が東宮御所に出入りし家族と行き来を繰り返し、
実家の別荘で静養など、これらはすべて「私」である。
一方の美智子皇后の実家は、娘は皇室に差し出した今や公人であるという認識だった。
皇后の母、正田富美子の臨終のとき皇后は秋篠宮と紀宮だけを連れて行き天皇、
皇太子は遠慮してもらったのは、皇位継承者の見舞いは「おそれ多い」と考えたからだ。
ヤンチャ坊主だった礼宮が皇太子夫妻に諫言するまでに大きく成長したのは、皇室の危機感であろう。
兄弟についていえば、昭和天皇と、秩父宮、高松宮の間には、はっきりした確執があった。
ヒトラーと会見し国家改造論に共鳴していた秩父宮と昭和天皇は、三国同盟などについて激論する。
高松宮とも終戦をめぐりたびたび衝突する。
敗戦責任をとつて退位し、幼い皇太子に譲位する構想も一部では考えられたが、
「そうなると高松宮が摂政になる」と懸念している。
兄姉弟間の継承は過去に27例ある。古代の5~7世紀は兄弟継承が多く、27代安閑天皇から28代、
29代は、26代継体天皇を父とする。30代敏達、31代、32代、33代(推古・女帝)の4人は、
欽明天皇の子だ。当時は兄弟間で皇位を継ぐのが通例だった。
それに逆らったのが38代天智天皇で、弟の大海人皇子を即位させずにわが子の大友皇子を即位させた。
39代弘文天皇である。そこで大海人は兵を挙げ(壬申の乱)、天皇を追い落として自害させ40代天武天皇となった。
皇位継承という観点から皇太子と秋篠宮の関係を見ると、秋篠宮が皇太子に継いで継承すれば127代となる。
次は悠仁親王で再び直系に戻り、秋篠宮家の血統が続く。
将来の天皇が出る秋篠宮家は、皇太子家に比べ予算や人員が貧弱であるという声が出始めている。
東宮がいかに特別な待遇か。奈良時代の持統天皇から始まる独立組織で、
もう一つのミニ宮内庁といえるほど独立性が高く、天皇も遠慮がち。
最近では世間の一部から「皇太子を廃嫡して秋篠宮が継いだらどうか」という発言も飛び出す。
しかしそれはできない。兄弟は不仲とはいえず、
弟宮にすれば今後も諌めもするがともに皇室のために働こうという決意である。
何より今上陛下と皇后陛下の作り上げた温かい家庭でともに育った兄弟であるのだから、
そこで育まれた兄弟の緊密な絆、簡単に断ち切れることはない。

テーミス2008年10月号
秋篠宮への譲位論まで出始めた雅子妃、愛子様「引き籠もり」の深刻事情
GHQが仕組んだ『100年で皇室をなくす』がいま現実になる中、論争は終わらず
■池田礼子さん家族とご一緒に
西尾論文をきっかけに、言論界は大きく揺れている。ある皇室関係者は、
「皇太子ご夫妻は、最近は皇室関連の記事に目を通されているようだ。
バッシング記事も含めて受け止めていらっしゃる」と語る。
8月20日からの那須。厳戒態勢だったが、御用邸の静かな環境で、雅子さまはゆっくりされたようだ。
久々に「連続で数時間にわたって熟睡された」という報道もあったが、
十分リラックスできたのは、池田礼子さんとご一緒されたことも大きい。
愛子さまは年下のいとことメリーゴーランドやボートなどにのられておおはしゃぎ。
滞在時間が予定の倍になった。雅子さまも大きな口をあけて笑われていた。(皇室ウォッチャー)
ご一家と池田さん家族は翌27日の夕食と、29日のどうぶつ王国にも一緒。
皇太子は公務のため30日に帰京されたが、
雅子さまと愛子さまは9月8日の始業式直前の4日まで滞在が続いた。
皇太子さまは、愛子さまの学校行事やプライベートを優先される雅子さまの気持ちを、最大限理解されているのであろう。
東宮御所の近所に住んでいる池田礼子さんと皇太子ご一家は頻繁に行き来して、
礼子さんの夫が大野医師を紹介したという話もあるほど親密だ。
クリスマス の夕食会やディズニーランド、スキーなど一緒に出かける機会も多く、いかがなものかと非難の声も起こっていた。
「気に入った相手と好きなことをしている」と見えてしまう雅子さまだが、
皇室への漠然とした不安の底流にある病気は、本当に回復するのか。
ある精神科医は、「最近は、仕事には行けないけど、遊びは大丈夫という新しいタイプの
「ディスチミア親和型」といううつ病が増えている」と語る。雅子さまとぴったり重なる病状だ。
比較的症状が軽いこのうつ病は、カウンセリングも投薬も効果が出にくく、環境を変えるのが有効な治療法だという。
いささか身勝手なうつ病だからこそ治療は難しい。
このままでは、雅子さまが国民の前に姿を見せないまま、皇后になられる可能性もある。
■秋篠宮の公務が目白押しに
天皇皇后両陛下の軽井沢に秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを連れて24日に合流し、一泊された。
紀子さまの都内での単独の公務の合間を縫った 〝強行軍”である。
「秋篠宮さまは陛下の登山に同行を申し入れて合流された。悪天候で登山はかなわなかったが、
両陛下は悠仁さまのかわいらしい姿に相好をくずされていた」(宮内庁関係者) 
皇室ジャーナリスト
「ご夫妻は、悠仁さまが自然にお辞儀などの挨拶ができるように教育されているようだ。
すでに秋篠宮流帝王学を始めている」
悠仁さまが陛下のなさりようを直接学ぶ環境づくりに努められているかのような秋篠宮の積極的な活動が
いま衆目を集めている。雅子が療養入りされた約5年の間に、皇太子と秋篠宮の立場が逆転に見える。
しかし、興味本位に兄弟関係や雅子の病状に目を奪われ続けていると、皇室問題の本質を見誤ることになる。
■内掌典と呼ばれる側近も・・・
ある憲法学者「東大を中心とする日本の憲法学会には、
45年8月の終戦を“8月革命”と位置づけ、今上陛下は2代目であるという捉え方がある。
大日本帝国憲法やそれまでの日本の歴史を全否定したうえで、
日本国憲法を金科玉条のようにとらえる憲法解釈だ」
戦後、共産党も驚くような極左の学者たちの弟子たちが官僚になり、宮内庁や外務省に入りこんだことも
皇室に対する「事なかれ主義」を生んだ原因だ。最近では宮中祭祀が公費で行えなくなったり、
宮中祭祀を手伝う「内掌典」と呼ばれるいわば巫女さんのような人たちも「5年任期」になったという。
「口伝ができりうほど長く勤めると(公務員に準ずるため)昇給などで皇族方の経済を圧迫する」
などの理由でそうなったという。
もともと皇族の存続や宮中祭祀の伝承などを断絶させようとしたのはGHQだ。
彼らは「100年たったら皇室はなくなる」とうそぶいたそうだが、まさに時限爆弾が爆発寸前のところまできた。
皇室が安泰だったのは、両陛下のために身を粉にする側近がいたことも一因だ。
最近の側近は各省庁の出向者で固められている。昔堅気の側近は皆無に等しい。
「皇室周辺には、皇太子夫妻の離婚を望む声もあるが、ご夫妻の絆は固い。
最近は、皇太子が自ら秋篠宮に譲位を申し出るべき。陛下も早くご決断するべきだともささやかれ始めた。
秋篠宮ご一家の活動が活発になってきたのも意識してるからではないか」
7月末、野村東宮大夫は「妃殿下のご努力に水をさすだけでなく、努力が足りないと批判している印象を
与えかねない」という東宮職医師団の見解を発表した。クレームまがいのこんな見解よりも、
きちんと病状を説明しなければ、国民と皇太子一家の距離は広がるばかりである。

週刊女性2008年10月21日号
夏の沖縄豆記者とのご接見は両陛下が皇太子時代から長く続いているもの。
沖縄には両陛下が心を寄せていらして、豆記者との交流が始まった。
その関係で豆記者を引率してくる方と親しくなり、
夏の軽井沢静養でもお招きしたりしていた。(1978年から)
あるとき、豆記者たちを山にハイキングさせたいと、その方が話し美智子さまがハイキングのルートを提案。
一緒にいた浩宮さまも登山好きということでルートを提案。
浩宮さまは自分の案を強く主張し譲らなかった。
困ったその方は、両方のルートを提案させてもらうということにした。

女性セブン2008年10月23・30日号
運動会。例年は午前の最後が女子・午後の大トリが男子リレーだが、
今年は愛子さまが選ばれているため女子リレーが大トリに。
雅子さまの(公務とされる)芸術祭突然出席や鳥の展覧会への出席は
美智子さまが皇太子妃時代に行われていた赤十字大会への出席とは違うのではないか。
雅子さまは小和田一族と三つ星レストランで6時間も居座っていた、という話を聞くと、 
私的にも元気なのが病気の特徴かも知れないが、誰かが説明をしないと誤解されてしまう。
礼子さんは愛子さまの服を買って届けたりするなど、
頻繁に東宮御所に上がっており女官たちと気まずい雰囲気が漂うことも。
「宮内庁としては、ご家族のかたが事前のアポもなく訪ねてくることがあったりして、
セキュリティーの上でも困っていたようです。
そんなこともあって“ご親族との過度のおつきあいはほどほどに”といった趣旨を
東宮職を通じて皇太子ご夫妻に伝えたそうです」(宮内庁関係者)
これはきわめて異例なこと。 雅子さまは皇族だが妹たちはそうではなく、
そのこと(アポ無し訪問)によってどういうことが起こるのか「外交官一家なのだから考えて欲しい」
雅子さまは実家と頻繁に会いに行くなら、同じくらいの頻度で御所に上がり美智子さまとお会いするべきでは。
心の病気は完治との線引きが非常に難しいので少しずつ公務を重ねていった方がいいのでは。

テーミス2008年11月号>
「公務欠席」の一方で運動会だが 雅子さま「外務省ご進講」と小和田家の影
国際情報統括官をはじめ外務省関係者から情報を収集されているが政治利用の心配も
■公務関係
東宮御所内での雅子妃の進講や公務の状況を見ると、外交関係のものには比較的積極的
2006年から2008年10月15日までの外務省国際情報統括官からのご進講への出席状況
・06年:ご進講合計14回のうち、同官のものは5回で全て出席
・07年:ご進講合計18回のうち、同官のものは8回で4回出席
・08年:(原稿執筆時点で)同官のものは4回でうち3回出席
・海外に赴任する大使にはほとんど会う。
 他に今年は国連事務総長夫妻やヨルダン王族夫妻、バーレーン皇太子殿下などとも話す。
・外国からの着任・離任大使との接見にはあまり出ない。
 但し今年はオランダ大使、イギリス大使などには会った。
現在の外務省国際情報統括官は小寺次郎氏。
外務省関係者「野村大夫とともに雅子妃の回復に大きな役割が期待されている」

女性自身2008年12月2日号
愛子さまには福迫氏と絵本博士が登下校に付き添うが、
最近、東宮警護担当の一人(女性)がお気に入りで付き添いや、下校後に庭で遊ぶときにはご指名される

週刊朝日2008年12月09日号
雅子さま 私生活もますますご活発
宮内庁関係者
「陛下のストレスが強まっているのは皇太子ご夫妻の現状に対する憂慮と無関係ではないのでは」
雅子妃が健康を取り戻しつつあるような気配を見せたのは今年の夏
妹の池田礼子さん一家と花火大会
那須御用邸でも連日外出。
宮内庁関係者
「那須御用邸の敷地内、雅子妃は草が人の背丈程生い茂る草むらを好んで散歩
日の落ちた夕暮れ、一人で薮の間を分け入って歩かれた」
さらに秋、10月31日池田家訪問。親族も集まる。
別の日には一人で友人宅へ
11月5日愛子様と神宮外苑のアイススケート場へ(午前中貸し切り)
公務もされたが大半がドタ出ドタキャン
表向きは皇太子一人の発表でも二通りの日程を準備。
雅子妃同行の場合、視察先をあまり入れない、休憩を増やす
行事の主催者側にしてみれば、急遽ご出席は歓迎一辺倒ではない
「長野かがやき国体」雅子妃のフィギュアドタキャンは到着1分前に連絡が入る
その瞬間「警備はどうなる」等の怒号が飛び交った。国民の理解を得るためにも宮内庁は病状説明を。
秋ごろは大野医師が頻繁に東宮御所に出入りしていた。
必死になって説明の文章を練っているのではないかと噂されていた(東宮関係者)
旧宮家関係者「元気だと認識されると、何故公務しないのかと批判される。
むしろ、出席出来て良かったくらいの、『最低』の基準にしておきたいのでは」 

8月7日 御所で礼子さんと花火
8月10日 礼子さん宅で花火
8月14日 皇太子さま 愛子さまと友人宅訪問
10月7日 乗馬
10月31日 池田さん宅に親族集まる
11月2日 秋篠宮邸訪問
11月5日 愛子さまと神宮外苑アイススケート場
11月7日 友人宅訪問 
11月24日 友人宅訪問
11月26日 夜に友人宅訪問

女性セブン2008年12月18日号?
45回目の誕生日にあわせ赤坂から雅子妃の病状について
「治療に時間がかかりすぎるのはそれだけ受けたストレスも大きかったからだ」との発表がされた。
同じ日に陛下に心身性のストレスがあり胃と十二指腸の出欠が認められたと千代田から発表された。
千代田と赤坂の会見はどちらかが傷ついたかと言い合っているような図式(皇室記者)。
両者の対立がとりわけ深まったのは雅子妃の病気以来。
そして、06年の夏に両陛下のご静養が予定されていたが
オランダ静養が発表され批判の声が高まったから両陛下はご静養を中止した。
それにもかかわらず、皇太子一家はちゃっかり7月にも那須にも静養に行ってしまい、千代田から厳しい声が上がった。

週刊女性2009年1月1日号
「皇室から出ていけ!」 雅子さまへの最後通告 
当時(愛さま誕生後)、皇室には次々世代の男子は不在。
そんななかでの皇太子ご夫妻の第2子断念は、事実上、女性天皇を容認することにも通じる。
これについて、もっとも不満を抱かれたのは美智子さまだったと指摘する声もある。
天皇陛下の学習院時代の学友だった橋本明さんは、
「美智子皇后は皇室で初めての民間出身ということから、皇太子妃時代には、まるで皇室改革の旗手であるかのようにいわれてきた。
それが美智子妃非難の口実なもなった。しかし、実際の皇后は、皇室に嫁がれた当初から、皇室の伝統を誰よりも大事にされてきた人なんです」
と美智子さまの人となりを語る。
天皇陛下とともに、親子同居を実現し、みずからの手で3人のお子さまを育てられた美智子さまだが、
皇位(天皇)の男子継承はなにより守るべき伝統と考えられておられたのかもしれない。
陛下の元・学友の橋本明さんは、今回の体調異変について次のように語る。
「陛下の心労ぶりは大変深刻なものです。ただ、皇太子ご夫妻の問題などは枝葉のことで、真の原因はもっと根本にかかわること。
たとえば、最近、皇室の内外で、今のような状態を招いたのは、そもそも両陛下の結婚が間違いだったとか
跡継ぎの子どもを自分たちで育てたりするからだ、なんて非難が声高になっている。
それは、この50年、陛下が皇后と一緒に築き、歩まれてきた象徴天皇制を否定する、時代の針を逆転させるようなものですからね。
そんなことに老齢の陛下は心を痛めておられるんです」

  • 最終更新:2018-12-16 16:54:33

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