2008年1月-4月雑誌記事

2008年01月24日
療養5年目・雅子さまへのバッシング=真鍋光之(社会部)
◇展望語らぬ宮内庁に責任――情報発信不足が憶測呼ぶ
昨年10月の国民文化祭出席のための徳島県訪問。
帰京の際、離陸前の機中で雅子さまは、後ろの席の野村一成・東宮大夫に何事かささやいて大笑い。
そして、羽田までの約1時間、皇太子さまと笑顔で楽しそうに話し込んだ。
療養に入る直前の5年前、東京都内でのバレーボールの試合を
ご夫妻で約2時間観戦した時の、硬いうつむいていた表情と比較にならない笑顔が印象的だった。

サンデー毎日2008年1月20日号
12/26日雅子さま銀座で買い物。マスコミと警備間でトラブル発生
28日に御所で予定されていた餅つきを皇太子一家は直前キャンセル
皇后陛下は着物を着てお待ちになっていた。
この日の夜、皇太子夫妻は銀座の三ツ星レストランで食事
翌29日は一家で青山円形劇場へ行った。

週刊現代2008年1月26日号
三ツ星レストランでは深夜(日付がかわるまで)食事
私服警官を配置
愛子さまは留守番
治療の一環
暮れの恵比寿ガーデンプレイスでの取材は一般人にまじるというお膳立て
ご夫妻が予定外の動きをして現場は大混乱
騒動に不快感を示す一般客が多かった。
天皇誕生日の夜、御所の帰りに六本木ミッドタウンイルミネーションを車中から見学。
クリスマスイブには、池田礼子さん宅にて、小和田夫妻とともに食事
体調が悪いのは雅子妃だけではない。
天皇陛下のがん、ホルモン治療。皇后陛下の失語症、精神的ストレスからの腸壁出血、
ここ2年間は精神的疲れからくる表層的胃炎をおして公務を務めている。
皇太子殿下は十二指腸ポリープ。
紀子妃は「左手根管症候群」「頚椎椎間板症による神経根症」で治療中と、
皇族たちは多かれ少なかれ体調不良を抱えながら公務をこなしている。
両陛下は激務。現皇太子家は皇太子妃がほぼ機能されていない現状から、
皇太子殿下の受け持ちの公務もかなり少なくなっている。
これでは両陛下の負担が増えるばかり。

雅子妃関しての海外報道
環球時報
ヘラルドトリビューン紙
タイムズ
ロイター
telegraph
など
13皿のごちそうをたべた
食欲の妃、精神障害、公務スキップなどという表現も有り

寛仁親王殿下
「万世一系の伝統と皇室典範」
我が国の伝統に女性宮家の創立は馴染みません
(有識者会議の)法案は一度つぶれたと理解しています
元旦の各国外交団の両陛下への拝賀は約130か国
天皇は一度の例外もなく男系の血筋によって受け継がれてきた。
伝統は必ず意味があるから残っている。
(皇室典範)改定は必要。旧皇族にお戻りいただくことが必要。
(旧皇族は)親族だし始終会っており身内同然。

雅子さまへの報道規制
ストロボ撮影禁止
治療の一環やプライベートと宮内庁が主張するのはいいが、
公的なお金が投入されている以上、その内訳や成果についてある程度説明責任があるのでは。
12月21日には、皇太子ご一家と小和田夫妻、妹・池田礼子さんのご家族らで食事会も行った

週刊新潮2008年2月28日号
雅子さまは愛子さまの卒園を控え、謝恩会準備に忙しい。
雅子さまは歌会始の歌の提出が遅れた。
その話を長官が蒸し返したことが東宮側は面白くない

週刊文春2008年2月28日号
新年のお祝い御膳。秋篠宮ご一家は時間通りだったが、東宮家は遅刻。
皇太子「出掛けにいろいろあって・・」

女性自身2008年3月4日号
橋本明氏「皇太子殿下への手紙」
婚約会見で雅子妃の口から「一生お守りしますと言ってくれた」と暴露された時、
「新妻がこのような言質を頂戴したと事実を述べた」 
「ご成婚への裏書を国民に迫ったのかと私は暗然としました」
環境不適応と説明されてから5年、
「海外生活が長かったから天皇家の伝統になじめないお気持ちがあるのでは…
 国民は雅子妃をどう考えたらいいのか戸惑っています。」  
「両陛下との交流がほとんどないと羽毛田宮内庁長官がだめ押ししたようですが、
 妻を庇護するお気持ちと親との問題は別でしょう。どうか改善してください。」
「個人的には、両陛下への反逆的な感情とは全く違う遠因が妃殿下にあり、
 それについて殿下は口を閉ざして語らないと決意しておられるように私には見受けられます」 
このままでは宮中行事欠席、恣意的民間施設訪問という印象だけが目立ち、国民の気持ちが皇室から離れていく
「親の背中を見て自分の行動様式を割り出す」普通の親子のあり方を見せてほしい

アエラ2008年3月3日号
愛子さまとのお約束
関根さんの率直な人柄を象徴するエピソードがある。
05年夏、那須の御用邸に向かう皇太子さまご一家を新幹線に案内した。
3歳の愛子さまは歩けたがエスカレーターにさしかかると皇太子さまに「だっこ」と甘えた。
関根さんは、「愛子さま、怖くありません。お戻りの際にご自分でお乗りになりましたら、
駅長はお土産を持ってお待ち申し上げております」と語りかけた。
しかし帰京時も変わらず、関根さんを見た愛子さまは手を突き出した。
「ご機嫌を損ねたかと心配したんですが、雅子妃殿下が『4歳になったら歩くのね』とおっしゃいまして」
手の意味は「よっつ」。そして昨年10月、鉄道博物館の内覧展に訪れた皇太子さまは、
「館長、愛子も4歳になって一人でエスカレーターに乗れるようになりました。
雅子からも館長に宜しくお伝えくださいとのことでした」と目を細められたという。
(JR東日本の前東京駅駅長で現在さいたま市鉄道博物館館長である関根徹氏)

週刊新潮2008年3月8日号
「風邪でも公務」の美智子皇后と比較される「雅子さま」
風邪で体調がすぐれない中でも熱心に公務をこなされる皇后様
それに対し何かというとすぐ体調不調を訴え公務をしない雅子様
昨年夏のオランダ静養後の山形行啓同行は体調不良で直前キャンセル
10月下旬の奈良・正倉院展見学は「公務というより治療の一環」(宮内庁担当記者)
宿泊先も京都御所を選び、そこまで配慮したにもかかわらず、
京都から帰って以来「疲れた」と漏らし、また朝起きられなくなる。
治療の一環としての一泊公務も失敗したことで宮内庁はより慎重になり、今年に入ってからも地方公務は白紙状態。
都内での公務も体調と相談しながら という按配でほとんどこなしていない。
それに比べて皇后陛下の精勤ぶりが際立っている。
雅子さまの分まで頑張らねばというお気持ちが強く、
それと同時にここまで一生懸命取り組む事が 皇族としての務めであると示されたのでしょう。

週刊現代2008年3月22日号
皇太子殿下には、天皇陛下から一刻も早く生きた帝王学を身につけてほしい、
そんな気持ちが両陛下にも宮内庁にもあるのだと橋本氏は言う。皇室研究家の高橋紘氏の意見も同じだ。
「今の天皇陛下が皇太子の時代には、毎週金曜に一家そろって昭和天皇のもとに参内していました。
そうやって昭和天皇のふるまいに接することで、自然と帝王教育を受けていたわけで、
美智子皇后も、『よいことでした』と述べられていました。ところが今の皇太子殿下は、
儀式や一般参賀を除くと 年に2~3回しか御所を訪れていない。
このままではと思い余っての長官発言なのでしょう」
皇太子殿下が両陛下と疎遠になってしまった最大の理由は「雅子さまのご病気」にあるというのは、 関係者の一致した見方だ。
「皇太子殿下はご自分の家庭を大事にするがあまり、両陛下へのお気遣いが足りなくなって
しまっているのではないでしょうか。さらには、東宮大夫も女官も雅子さまの主治医の言うがまま。
独自の判断が出来なくなっているのではないかという疑念を、宮内庁幹部は持っているんです。
羽毛田長官は、あの会見の前に皇太子殿下に会い、東宮大夫とも話をしたそうです。
にもかかわらず参内が回数に変化がないということで、
あの発言に至った。世間にも知らせるべきだという意味で、長官が率先して情報開示したわけで、
あの行動は正しかったと思うます」(前出・天皇のご学友橋本明氏)
宮内庁内部に溜まっている鬱憤は、相当なものらしい。
宮内庁関係者からこんな発言まで飛び出した。
「これはもう雅子妃のご両親がいけません。小和田家は、『皇室の仕事ができないなら、娘を引き取ります』と言うべきでしょう。」

文藝春秋2008年4月号
激震、天皇家に何が起きている
引き裂かれる平成皇室
皇太子一家の参内は昨年15回の内、自発的な参内は年に2、3回。8月が最後である。
記者会見でも、もっと大所高所の内容を聞きたいのに具体的な内容と云えば愛子さまの話、
雅子妃の病状、それからご自身の話の三つだけ、
日本の皇太子として、それに取り組むという軸、あるいは切実さがみえない、
皇太子は誰に向かって何を言ったらいいのか理解なさっていない印象を受ける
将来の天皇が妻の心の病だけに振り回されていて良いのか?
夫婦ご一緒~夫婦一体になってしまっていると辛辣だがそれをアドバイスする人もいない。
人格否定発言にしても雅子妃の考えが相当に反映しているのではないか?
しかもその代償として皇太子ご一家は孤立を深めていった。抜本的解決策はあるのか?
両陛下のご体調への配慮「公務」と「祭祀」の軽減を検討するにしても
「雅子妃の回復を待ってから」ではすまないタイムリミットがはっきりしてきたのです、
今の天皇の根底にあるのは、万世一系の意識、と民主主義のもとで象徴天皇である事、此の侭で無事に引継ぎが出来るのか?

月刊現代2008年5月号
羽毛田発言の趣旨から、皇太子には祭祀をもっと真剣に捉えてもらいたいという、陛下の意向が伺える。
一方で、皇太子の言動は新しい祭祀のかたちを模索中。
新しい天皇像みたいな話がありますが、今の東宮に求めるのは、初めから無理。
皇族がその時代時代で新しい役割を見出してきた。
貞明皇后がハンセン氏病の救済に力を尽くした。
皇太子がそのような役割を果たすとは思えない。
羽毛田発言の読み方
1.天皇家と東宮家の間のコミュニケーションの回路が完全に機能していないこと。
2.皇太子さまが描いている天皇像が不透明だと天皇・皇后両陛下や宮内庁幹部には受け止められている節があること。
3.皇太子さまが天皇像を描いていくための補佐役としての良きアドバイザーが不在と窺えること。

週刊新潮2008年4月10日号
皇太子北京五輪出席を「小和田恒氏」に頼んだ福田首相
皇太子の訪中には前向きで、雅子さまの父である小和田恒氏に直接電話して訪中への働きかけを依頼。
小和田氏は皇室外交で娘の希望を叶えてやりたいという思いがあり
出来れば夫婦で訪中させたいと考えているのではないか。
西尾幹二氏「世界情勢を見れば訪中すべきでない。もし皇太子殿下が出席したら
世界中に恥を晒すことですし、日本の将来に大きな禍根を残すことになる。毅然と要請を断るべき」

女性自身2008年5月6日号
12日 両陛下結婚記念日夕食会 出席
13日 オール学習院 ドタキャン(前日の夕食会で「お疲れ」と東宮大夫)
14日 学習院初等科父母会 出席 
雅子さまは、翌14日にあった初等科父母会にはお元気なお姿をお見せになっていたという。
「末綱氏は、親しい知人たちとの会合で、こう語ったそうです。
『私が見ている限り、皇后陛下と皇太子妃殿下は、(梅見の会で)ほとんどお話を交わされなかった……』。
さらに、『東宮侍従長という職務に疲れた。もう限界かな』と、辞意を漏らしたそうなのです」

週刊文春
和歌の指導の先生が変わったのに、皇太子ご夫妻だけがいつまでも前の先生に教えてもらっている。
とても明るい気さくな先生らしく、特に雅子さまが気に入ってる。
でも一応交替したのにいつまでも新しい先生には声がかからない。
前の先生も、慕ってくるのを無下にお断りもできない。

女性セブン2008年4月17日号
ご静養3日目(3月31日)午前中にゲレンデにお出になった愛子さま。
愛子さまは、インストラクターに誘導されながら、
同行している雅子さまの妹・池田礼子さんのお子さん2人と一緒に白銀の世界で思いっきり歓声を上げられた
午後からは、皇太子さまと雅子さま、池田夫妻もゲレンデに出られてシュプールを描かれたという。
今回の人事は雅子さまが“ぜひに”と切望(宮内庁関係者)
小山さんのモットーは
「すべての子に分け隔てなく平等に接する」「幼稚園のルールをきちんと遵守」
学習院幼稚園は母親が送り迎えをするのがルール(慣習)。
臨月のお母さんが体がきつくなり、父親に代わりをしてもらったら園長に呼ばれ注意されたことも
そんな姿勢に一部保護者からは「厳しすぎるのでは」という声も。
しかし小山さんはどんな時も子供たちを平等に叱るため、保護者や教師もその方針に納得していた。
愛子さまは学校から帰られると和歌やピアノや書道などを習われ、また家事のお手伝いなどをして過ごされる。
小山家の家人の男性「最近になって打診があって、お受けするかどうか
大変迷ったようですが、これまでの経験が少しでもお役に立つならとお受けしたようです」

SAPIO2008年4月23日号 
宮内庁プロパーと外務省出身者との対立
皇太子ご夫妻訪中賛成派は、皇太子担当責任者・野村、両陛下の側近トップ川島
彼らは小和田恒ともつながりを持つ
小和田は折に触れ彼らに"メッセージ”を送っていると言われている
06年4月に野村が07年6月から川島が現職に就き、小和田家にとっては心強い状況となった。
特に、外国訪問に関しては野村が着任直後から動いて、オランダを実現
このオランダ訪問の進め方については、宮内庁内部で猛反発を受けた。
「皇太子さまの外国訪問に関しては、公表する前に天皇陛下の許可が必要とされる。
陛下が書類をご覧になる場合、目を通すだけの「御覧もの」と許諾を要する「伺いもの」とがある。
野村はこの「伺いもの」を怠ったまま、オランダ訪問を発表したとして問題となったのだ。
この独断に宮内庁プロパーたちは「外務省のやり方を持ち込まれても困る」
「宮内庁は組織に使える外務省と違い天皇陛下にお仕えする身であることがわかっていない」
と野村および彼をトップとする東宮職に不信感を募らせた
いまだに東宮職は外務省色が強まったという揶揄が消えず、2月の羽毛田長官の発言につながった
外務省出身者はいきなりやってきて上に立つ進駐軍のようなもの
川島も他省出身ながら宮内庁の作法に馴染み、2月の発言も天皇陛下の意を汲んだといわれる
羽毛田長官ほどの信頼を、皇室および宮内庁から得ているとは言いがたい。
この一件いらい、野村も外国訪問については慎重

アエラ2008年4月21日号
「このままでは天皇家が途絶えてしまうのではないだろうか」
天皇陛下の懸念は続いていた。
皇太子家に子供が誕生せず、1994年12月に秋篠宮家に次女佳子さまが生まれた前後から、
「お世継ぎ」が誕生しない悩みを周囲に漏らすようになった。
陛下の苦悩は、皇太子夫妻との擦れ違いでさらに深まっていた。
陛下「将来についてどう考えているのか」
皇太子さま「あちらがいるので・・・」
「将来」とは天皇家の跡継ぎを、「あちら」は弟の秋篠宮家を指す。
天皇家の危機について多くを語らない長男。
陛下の不安は募り、二人の間に重い雰囲気が漂った。
雅子さまと陛下が「お世継ぎ」について語る機会があった。
「国民の皆が待っている」と語りかけた陛下に、
「私の友人にそういうことを言う人は一人もおりません」と応じたという。
強気の姿勢に陛下は黙り込んでしまった。

  • 最終更新:2017-10-01 12:44:38

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