2004年~2005年 ニュース・雑誌等

2004年

人格否定発言後

テレビ朝日
これからの新しいご公務のありかた。
皇太子夫妻らしさが出せる公務の像について
・○○祭や○○式典などの出席を減らす
・公務時間の短縮
を挙げている。(東宮大夫の会見より)

週刊ポスト
宮内庁対外務省
外務省は長年皇室を政治利用してきた。
94年の天皇皇后の訪米では、真珠湾に献花させようとして大反発をくらった。
92年の訪中も、外務省と官邸が無理やり天皇皇后を中国へ行かせたが、戦争責任問題もあり国内で大論争が起きた。
以上のように皇室を政治利用する外務省に宮内庁側は、ご立腹であった。
「皇族を政治利用するとは何だと思っているんだ。皇室への侮辱だ」
その反動から鎌倉節長官から皇族の外国訪問をセーブしだす。
両陛下も二年間外国へ行っていない。皇太子夫妻は八年間。
ベルギー訪問も、鎌倉氏は反対した。そして案の定流産の結果が出る。

週刊文春2004年7月1日号
秋篠宮ご夫妻は五月十七日には宇都宮の超音波医学会議に出席され、
二十日には名古屋の東山動物園、二十一日にはランの館を視察、紀子さまにちなんで命名された
カトレアの改良種「プリンセス・キコ」の苗を植えられるなど、公務に追われる日々だ。
「昨年末の湯浅長官の<第三子発言>で公務が減るかと思いきや、逆に増えているくらいです。
おそらく皇太子ご夫妻の分も担当されているのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
中学一年の眞子さまと小学四年の佳子さまのお二人も健やかにご成長のようだ。
「読書をよくなさるんです。眞子さまは一日一冊ペースで読まれているとか。
眞子さまが卒業された後に、初等科の先生たちが宮家にお呼ばれしたんですが、
私は『理想的な成長でしたね』とお話ししました」(学習院初等科科長・斉藤進氏)

テーミス2004年7月号
天皇・皇后は「女帝」を望まれていない
皇太子さまの真意を説明する「文書」が公表されたが、これで問題が解決したわけではない。
皇室・宮内庁関係者の話を総合すると、湯浅長官の「秋篠宮さまに第3子を」発言は
まさに天皇皇后両陛下の意向が隠されていることがわかった。
「雅子さまは妊娠中もタバコをやめなかったんだ」堤治医師
潔斎、おすべらかし、中世から伝わる儀服も、キャリアウーマン出身の雅子さまにはいまだによく理解できないようだ。
これに対して「プライベートな情報まで漏れていた」ので信用できないと雅子妃

週刊朝日2004年6月25日号
雅子さま「哀しきカゴの鳥」論
「雅子のため」の持ち帰りピザ
天皇家に近い人によれば、ご一家はときおり手作りの大皿料理を持ち寄り、
御所やお子さま方の家に集まってホームパーティーを開くという。
通常は大膳課職員の給仕がつくので、プライベートな会話が聞かれてしまう。
こんなわずらわしさから開放され、水入らずで楽しもうという趣旨だ。
美智子さま、紀宮さまの料理上手は有名だし、秋篠宮妃紀子さまにも日本画や書道で培った繊細な感覚がある。
普通の主婦でさえ頭を悩ます持ち寄りパーティーのメニュー、雅子さまはさぞや考えに考えぬいたことだろう。
30歳代のある「帰国子女」は、雅子さまに同情する。「たまにはデリバリーのピザが食べたいんじゃないかな」
渡辺みどりさんは、皇太子さまの学友からこんなエピソードを聞いた。
彼が言うには、「イタリア料理店で食べたピザを皇太子さまがお気に召して、
『雅子へのおみやげにテークアウトしたいのですが』っておっしゃたんですよ」

文藝春秋2004年8月号
「毎日出勤する所がある人はいいですねぇ」と、皇太子が電話で知人に言った。
友納尚子
私の取材でも、たとえば、宮内庁の最高幹部のひとりが、外務省OBに伝えた話として
『愛子さまの発育が遅いので雅子妃のご病状がひどくなった』
『愛子さまのことを気に病んで、雅子妃が自らを傷つけるようなことがあった』という噂が、実際にさまざまな席で語られていた。
また、『愛子さまの発育の問題が、女帝議論の妨げになっている』という話が、
財界のトップクラスの間などでも、なぜかまことしやかに語られているのである

新潮45「紀子さまの研究」(2004年)
天皇皇后両陛下は、眞子さま、佳子さまをたいそう可愛がっている。
小さい頃から御所に顔を出し、眞子様5歳、佳子様3歳の頃から天皇が持つ陸稲と栗の畑に行って、
種まきや刈り入れのお手伝いをし、養蚕の作業も姉妹で楽しんでいる。
紀子さまはいつも、物事を素直に受け止めることができて、公園デビュ-を自分の意志でやって、結局体調を崩した雅子妃とは違う。
紀子さまは結婚してからしばらく、赤坂御用地で過ごされ、美智子さまは秋篠宮邸を、気軽に訪れることが出来た。
紀子さまと二人で、御用地を散歩することも度々あった。紀子さまも両陛下の元へ、手料理を持って訪ねることもあり、
元々ピアノやチタ-演奏を趣味とする紀子さまは、音楽の話題にもすんなり入ることができ、新御所に移ってからでも、両陛下との交流はスム-ズである。
秋篠宮さまは、「天皇をサポ-トすることが大事」という意志を持ち、それに紀子さまも従っている。
殿下が本を出版されたときは、紀子さまが扉口絵を描かれるなど、
控えめでいながらも協力を惜しまない姿勢が、皇室になじんでいる理由の最たるものであろう。

週刊文春2004年9月2日号or9月9日号
同窓会に出席された皇后さまに「愛子さまにお土産を」と渡そうとしたら
皇后さまは「直接わたせないから」とお断りになった。
2003年の誕生日に車を嫌がって散々ぐずった愛子様は、置いて行かれることが決定して夫妻だけが乗った時、
「置いていかれること」に対しては泣いたりしなかった。
お付の人に抱かれて平気な様子だった。

ハロー 河原敏明氏
皇室に連なる人々の中には、
「雅子妃は将来の皇后には適切ではないかもしれない」という見解を私に伝えた人もいます。
この病気が次の5年あるいは10年と続く場合、公の批判は避けられないかもしれません。
したがって、それ以前に皇太子が離婚するのがよいでしょう、と皇室関係の方々は示唆しているのです。

文藝春秋
皇太子の誕生日の映像で、愛子さまの様子が変だったのは、
カメラマンが愛子さまの気を引こうとして緑のカエルの人形を見せたから、
愛子さまが固まってしまって良い映像が撮れなかった。
雅子さまも後で「あれは撮り直すべきでした」とコメントした。

アエラ
宮内庁では、毎年秋に「職員文化祭」が催され、書、絵画、写真、手工芸などの職員の作品が展示される。
長年見ていて気づいたことだが、秋篠宮はアジアの路地裏で出会った、しわだらけの老人、
目を輝かせる子供たちなど「人間」にレンズを向けている。
対照的に皇太子のほうは、山岳などの美しい大自然を写したものが多い。
(中略)
皇太子は公務の見直しを宮内庁と相談したいと述べている。
しかし、何に不満があり何を望んでいるのかがよく伝わらない。
宮内庁幹部も、本人の思いの在りかを探りあぐねている。
中には「丸投げされても・・・」と、当惑を隠さない人もいる。

女性自身2004年11月16日号
雅子さま-笑顔を回復させた主治医の「プライベート・ケア」
主治医が女性から男性(公立昭和病院に勤務していた高江健太郎医師・東大医学部卒・34歳)に代わり、その医師と「とても相性がいい」

週刊文春
紀宮様と黒田さんのことは やはり皇太子ご夫妻には知らされていなかった。
婚約内定までの秋篠宮ご夫妻の活躍を、天皇皇后両陛下は 高く評価されていて、
紀子様の誕生日会は、その労をねぎらう 意味合いもあって、ことのほか盛大だった。
にもかかわらず、その趣旨は皇太子ご夫妻には伝わっておらず、席上において、紀宮様と黒田さんのことは話題にものぼらなかった。

文藝春秋
友納尚子
皇太子ご夫妻は孤立させられている。
紀宮さまご婚約内定を直前まで知らされてなかった。

週刊朝日
天皇陛下は秋篠宮殿下を、皇室の"キーパーソン"として今や、全幅の信頼を寄せていらっしゃる。
健全な家庭を築き、研究の成果も上げていて、幅広い人脈もあり、妹宮を慈しみ、
今回の婚約にも尽力された"人間力"豊かな秋篠宮殿下。
皇族としての自覚も増しているようで、近年は天皇陛下を思いやる発言が多くなった」宮内庁関係者
秋篠宮さまの言ったことは正論。
ご高齢の天皇皇后両陛下が被災者を見舞っている最中、雅子さまと皇太子さまは御料牧場でご静養している。
その行動をみれば、皇太子さまと雅子さまが国民を慮っている姿勢は一切無い。
そして、静養から帰ったらすぐ19日に雅子さまの祖母が亡くなる。
雅子さまは19日未明に小和田邸を訪れ、20日午前に、皇太子さまと愛子さまを連れて再度訪問。
21日皇太子さまと共に、葬儀に出席。
ご静養~葬儀の間、皇太子さまの公務日程は空白のままだった。
香淳皇后の一連の葬儀関連行事は「夏ばて」のようなものといった理由で、出席されなかった雅子さま。
今の、雅子様は自分がしたいことを優先しすぎているのではないか

週刊女性2005年1月1日号
一方、3年遅れで結婚された皇太子ご夫妻には、いっこうにお子さま誕生の兆しがなかった。
お世継ぎ出産の重圧は、次第に雅子さまに大きくのしかかっていった。
「そんなころ皇居での両陛下と秋篠宮ご一家の団らんの場に、たまたま皇太子ご夫妻が顔をだされることもあったんです。
すると、それまでのなごやかな団らんの雰囲気が一変するんですね。雅子さまは、当然、その変化を敏感にお感じになる。
ご自分を、まるで氷柱のような存在とさえ思い込まれたんじゃないでしょうか。
そんなことで、皇居から皇太子ご夫妻の足が遠のいていったんです」(元・女官)
もちろん、なごやかな団らんの雰囲気が一変するというのは、美智子さまや秋篠宮ご夫妻の、雅子さまに対する気遣いからだろう。
(中略)
さらに、雅子さまをひとつの不幸な出来事が襲う。
信頼した不妊・受胎治療チームが崩壊してしまったことだ。
原因は、リーダーである堤治・元東大教授が「大学の公金流用」という不祥事を起こしたためである。
「堤・元教授と定月みゆき医師(元・宮内庁病院産婦人科医長、10月異動)。
雅子妃はこのふたりをたいへん信頼されていた。
あの種の治療は心身ともにたいへんなこと。愛子さま誕生はこのふたりの存在があったからこそ実現したんです」(別の元・宮内庁関係者)
結局、そんなことから、雅子さまは第2子出産を断念、というより拒否されたのだと。
私は子産みマシーンではない!そんな雅子さまの悲鳴こそが、今回の長期静養=皇室騒動の真の原因だったのだ。

週刊現代2004年12月?日号
結婚前は、東宮職員と皇太子は密に連絡を取り合って関係も良好だったのに、結婚後は疎遠になり直接にではなく、電話によるやりとりが主。
雅子さまは宮内庁とコミュニケーションをとろうとしない。
その様子も職員には良くわからず、ご夫婦が何を考えていらっしゃるのか、
周囲にとってはまったくつかみどころがない。
「雅子さまは皇室を『自己実現の場』としてとらえている。
皇室というものが自分の目標を実現するため、夢を叶えるためのひとつの手段だと考えてしまうと、
この世界に馴染むことはできない」(宮内庁職員)
「雅子さまは伝統を覆そうとするご意思が強すぎる。伝統を重んじる皇族、
宮内庁には今までにはない行動をとり続ける皇太子夫妻に戸惑いを感じる人が多い」(天皇に近い宮内庁関係者)


2005年

※主に雑誌・TV
日付・月・号数等不明

ダカーポ
噂の真相の記者座談会特集
宮内庁では、雅子さまが公務できない状態なのに冬山でスキーするというのは国民にどう映るかということで大反対していたが、
そんな側近の反対もむなしく皇太子ご夫妻がスキー静養を強行した。
そしてこのスキー静養に両陛下は強い不満を示していた。
最初は医師団の勧めで、と雅子さまのためと言っていたが、反対されたら、
今度は、愛子さまのため、と目的をすりかえ皇太子ご夫妻が計画して実行した。

週刊文春
皇太子の爆弾発言について皇后は嘆き悲しみ、
「昭和天皇から受け継いで守り育ててきたものがガラガラと音を立てて崩れ落ちたような気がしました」
と漏らしていた。キャリア云々の発言についても「私たちは職に就いた事がないので…」と負い目のように感じているようだ。
陛下の文書回答にも「心が沈む日も…」とあったが、特に夏ごろはかなり体調が悪く、周りの者がとても心配していた。
御所では毎年年末恒例の餅つき。宮内庁職員と家族のように和むための重要な行事。
秋篠宮家は毎年欠かさず出席だが、皇太子一家は一度も参加したことがなかった。
今回(2004/12/28)初めて皇太子と愛子さまが予告なしに登場。
そして・・・年明け2005/1/6東宮御所でも初めて餅つき実施。
東宮御所での餅つき
「今回は皇太子さまと雅子さまからお話をいただいて、急遽やることになりました。
東宮御所に臼と杵がなかったため、新たに購入したくらいです。」

文藝春秋
友納尚子「雅子妃は東宮御所の警備用のライトが強すぎて嫌い。」
高橋紘(静岡福祉大学教授)
「皇族は政治家ではないのだから、ご自分の代に新しい ”目玉”をなどと考えなくてもよい。
先代とまったく同じことを継承しても一向、構わないのである」
「実家の別荘で過ごしたのも、どれだけの警備と経費と人が動いたことか」

週刊ポスト
黒田さんと紀宮様の、ご婚約が内定するまで秋篠宮様と紀子様がたいへん活躍された。
秋篠宮様はバードウォッチングで、赤坂御所に、紀宮様・黒田さん・友人らを呼び集めたりした。
その際、紀子様が人数分のおにぎりとポットに入れた味噌汁を用意して対応する。

週刊文春2005年1月27日号
雅子様は「籠の鳥」か!? ご回復を阻む東宮御所での知られざるご日常
「あー、疲れた」ご成婚からまもない頃、上下トレーナー姿の雅子さまがこう仰って、
自室のベッド上で伸びをされていたこともあったという。
雅子さまにとっては東宮御所の奥にある私室だけがくつろげる空間だった。
その状況はおそらく現在も変わらないだろう。
「(宮中祭祀について)妃殿下は長期静養に入られる前からお出にならないこともありました。
いまでは職員のほうが雅子さまは出られなくても当たり前みたいに思うようになっています」(宮内庁職員)
装束に着替えるのが負担というのが理由。
新年祝賀の儀も欠席理由は、ローブデコルテを着るのが負担だから。
「いつもしていれば身についてしまうものですが、長くお休みになってから再開されたとしてもすぐにおできになるかどうか。」
雅子さまが長い間宮中祭祀を欠席することによって祭祀の細かい部分がきちんと継承されていかないのではないかという危惧がある。
東宮御所の女官たちも祭祀に関する着付けや細部のしきたりを忘れていく恐れがある。
皇后陛下は今でも祭祀に関しては普段から女官と細かい点についての勉強やしきたりを何度も確認して練習している。
皇族は、歌会始だけではなく、毎月お題があるが、皇后はいつも持ち歩き、構想を練りながら
「こうやって伝統が受け継がれていくと思うのだけれど、これからどうなるのかしらね」と嘆いた。
スキーは、皇太子が同行する予定が出来た時、祈年祭への出席の意思表示がまだだった為、大事な祭祀よりスキーなのかとの批判があった。

週刊文春2005年2月10日号
外務省北米二課時代の上司や同僚とも久しぶりに再会されている。
1月18日夜、(略)レストランの一室で雅子さまを囲んだのは、佐々江賢一郎氏(元北米二課長)、
上村司氏(元北米二課主席事務官)ら3人の外務省の現役職員である。

雅子さまご日程
1月18日 夜 六本木全日空ホテルレストランで
外務省上司の上村氏、佐々江氏らと食事、歓談
1月25日 皇太子と日本橋三越平山邦夫展
1月26日 愛子さまと運転手付きの公用車で都内をドライブされ、
気晴らしに街の様子をご覧になる
1月27日 外務省中村滋 国際情勢進講
(他の進講は欠席しているが、外務省のものは参加)
2月 1日 ベーカー駐日大使接見
(カンボジア大使とは会わず、アメリカ大使とは会う)
私的会食翌日(1月19日)に行われた皇居宮殿でのザンビア大統領夫妻午餐は欠席
1月26日 本邦駐在カンボジア大使離任のためのご接見(東宮御所) は欠席

週刊朝日2005年2月25日号
雅子さま「復帰」にみる外務省指向
外務省国際情報統括官、中村滋氏による進講には、皇太子さまとともに出席。
その5日後には東宮御所で米国のベーカー駐日大使に会い、離任の挨拶を受けている。
また、お忍びで六本木のホテルに出かけ、外務省時代の同僚とも会食した。
皇太子さまによれば、雅子さまの適応障害の原因の一つに
「それまでのキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動き」があったという。
最近の雅子さまの「外務省志向」は、皇室の中で失われた自信を取り戻すための方策なのだろうか。
しかし、こうした治療にも問題点はある。皇太子妃という立場上、「公務に出たり出なかったりがあるのは
公平さに欠け、相手方に失礼にあたる」(宮内庁関係者)との声も出ているのだ。
「外務省指向」も全方位というわけではなく、カンボジア駐日大使、ポーランド首相の接見、
ザンビア大統領夫妻との午餐は欠席。カンボジア大使接見日の夜は、愛子さまと一緒に都内をドライブし、
六本木ヒルズやお台場のイルミネーションを楽しんだという。
私的なおでかけとしては、そのほかにも日本画の平山郁夫画伯の展覧会へ足を運んだり、都内に住む妹さんの家を訪ねたりしている。
これら一連のお出かけに対しても宮内庁関係者の中からは、
「息抜きが過ぎるのでは」といった声があがっているという。
喜久子さまの儀式を寒さで欠席されたのにスキーの寒さは大丈夫なのか質問した記者がいた。
紀宮さま婚約発表の日劇場へお出かけした皇太子さまと愛子さまにも
「ついていく予定だったのに体調不良で行かなかった。すべての体調不良の原因は「公園デビューストップ」から。1回は公園に行ったものの、
2回目以降の公園行きについては宮内庁からクレームが入り、雅子さまはショックを受けた。

週刊現代
雅子妃が久しぶりに明るい笑顔を見せたのは、かつての職場仲間の前だった。
1月18日夜、都内の全日空ホテルで外務省幹部、職員やOBの集まる会食が開かれた。
その会食に、雅子妃が出席したのだ。
「雅子さまはかなり回復されたようで、昔の同僚と楽しそうに話しながら、始終笑顔でお食事もよく食べていらっしゃいました。
今回の会食を皮切りに、この種の会合などには参加していくおつもりのようです」
'03念冬に体調を崩し、公務を休んで以来、外出する機会があまりなかった雅子妃だが、
この会食には一人で出かけ、途中退席することなく、最後まで昔話に花を咲かせて、かつての同僚たちをほっとさせたという。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「雅子さまは、年明けから妹さんを訪ねたり、結婚前からの友人と食事をするなど、
皇太子さまとは別行動のお一人でのお出かけを頻繁に行っています。
東宮職は、主治医から『できるだけ私的な外出を増やすように』というアドバイスを受けており、その一環のようです」
「愛子さま同行は公務復帰のために雅子さんが出した条件ではないか」
御所には毎年恒例で、 皇太子の学習院時代同級生だった友人夫婦が数組訪れることになっている。
去年は雅子さまの引きこもり騒動で中止となったが、今年は例年通り、七組の夫婦が招待された。
子供がいる夫婦は全員子連れで訪れたが、ほとんどの子が学習院の制服を着ていた。
皇太子は終始ご機嫌で、会は盛況だったが、そこに雅子さまと愛子さまの姿は無かった。
2月14日から、奥志賀高原へ皇太子一家でご静養に出かけることも明らかになった。
東宮職員
「皇太子さまは17日に新年祭出席のご公務があるため、16日に帰京なさいますが、雅子さま、愛子さまは5日間ほど滞在される予定です。」
実はこの奥志賀高原行きは、雅子妃の「最後の静養」になるという。
宮内庁担当記者がこう話す。
「雅子妃は、2月26日に長野県で行われる、知的発達障害者の競技大会
『スペシャルオリンピックス』開会式への出席を予定しています。
もちろん直前まで出席可能がどうかは、雅子妃の体調を考えて調整するそうですが、 14日からのご静養は、公務復帰への助走というところでしょう」

文藝春秋2005年3月号
皇太子ご夫妻に近いXという匿名の人が
「ようやく判明したのは、妃殿下のご症状が悪くなるのが、皇居にうかがった時、
ということでした。つまりご病気の要因に皇室の人間関係があったのです。」と語っている。
「人格否定したのは両陛下」とも受け取れる「証言」だった。
この頃、天皇陛下の前立腺がんマーカーが再上昇しつつあり、昨年6月末、ホルモン療法に入ることが発表された。
発表に驚いた殿下から妃殿下と御所を訪ねたいという打診があったが、
妃殿下の私的外出をさせたいのでその前に陛下へのお見舞いを済ませたいというのはおかしい。
「静養の許可をもらう為だけに陛下に会いに出向いた」の声。
皇居に来ると具合が悪くなるのなら、きちんと治ってから来るべき、
陛下が殿下に求めているのは国と国民に対して重い責務を負い、これからも負っていく者としての出所進退だ、と関係者は語っている。
皇太子の人格否定発言後が一番宮内庁職員と東宮夫妻の溝が深まった時期で、
一方的に責められた格好の職員の間からは「今までの皇太子夫妻の言動を世間に対し明らかにすべき」との強硬論まで飛び出した。

奥野修二「女帝誕生 美智子様と雅子妃は」
皇太子の知人は、あるとき「いいですね、皆さん仕事に行けて」と言われて驚いたことがある。
そのとき知人は、式典などの「お手ふり」だけでない、もっと生き甲斐のある仕事をしたいと思っていらっしゃるのだろうと推し量ったという。
皇太子はもしかしたら、これまでの「受け身的」な公務でなく、生き甲斐となる目標を設定し、
それにあわせて公務をつくりだすことを考えているのかもしれない。

フライデー2005年3月?日号
皇太子さまは東宮の職員達にはまったく期待してない。
会見の草稿などの相談も、外部の人や小和田家の人としか行わない。
皇太子夫妻は東宮職の人事に同世代の職員を希望、また進講も同世代の講師を希望している。

週刊現代
皇太子殿下がお誕生日会見で、陛下や国民に謝罪をしたのは騒がせたことについてであり、
「人格否定」発言そのものを謝罪したわけでも、反故にしたわけでもない。
新潟の震災後の大雪で苦しんでる方が多くいる中でのスキー旅行は、陛下の御性格からは考えられないこと。
皇后さまが友人に語ったお言葉「東宮妃は私達の大切な家族です。家庭と言うのは、
家族全てを受け入れる場所であると私は思っていますし、だからこそ、東宮妃のことは認めているのです。」
結婚前小和田恒氏が「せめて両陛下からのお言葉添えがあれば』の言葉に、
そちらからお願いに来てくれと言っているようなもので、天皇、宮内庁関係者にショックを与えた。
その辺りから、天皇家と小和田家に溝が生まれた。
9月に公開されたビデオで愛子様を見て、皇后陛下「こんなに大きくなったのね。」
皇族関係者「愛子さまは天皇家ではなく小和田家のお孫さん」
宮内庁関係者「人混みは体に悪いからSOの開会式は欠席なのにスキーに行ってどこが病気なのか」
宮内庁職員「外務省よりの進講や会合が多すぎる」

フジテレビ
スキー映像
代表カメラマンの撮影日は吹雪で中止。
翌日宮内庁撮影映像。
雅子さまは愛子さまを吊り下げ、雪に慣れさせようとストンストンと愛子さまをおろす。
雅子さまは強靭な体力
「宮様~早い、早い」というお付の人の甲高い声
愛子さま「う~う~う~う~う~ 」 テロップ付 無表情
雪だるま、大人が作ったものだとはっきりわかるがまるで作ったかのような印象操作
コーチ「愛子さまは喜ばれていたか?」の質問に答えず
「…これを機会にスキーを好きになってくれれば」
フジテレビ
文楽
「招待されたので公務ということになります。」
映像 周囲の人はしら~っとした印象の映像 3割ほどの人は拍手なし。

女性セブン2005年4月28日号
4月5日午後6時30分すぎ、小和田邸に不審な男が侵入した。小和田恒氏は現在ハーグに赴任中。
優美子さんは、3月中旬に帰国し、この家で生活をしている。
小和田一家は’71年に帰国、東京・新宿区にまず住まいを持ち、翌’72年、現在の家に転居。
敷地内に優美子さんのご両親が住む江頭邸があった。
時を重ね双子の妹さんが嫁ぎ、雅子さまも皇太子さまと結婚され、恒氏と優美子さんはオランダへ。
雅子さまの祖父母にあたる江頭夫妻が留守を預かることとなった。
ところが祖父・江頭豊氏(97才)、祖母・寿々子さん(’04年死去・享年88)が相次いで体調を崩し、
老親の介護に腐心した小和田夫妻は、苦渋の末に、昨年の秋、両親(江頭夫妻)を
静岡県の介護サービスの整った病院に預ける道を選択した。
だが、それからわずか3週間あまり。 寿々子さんは亡くなった。
「それ以後、小和田邸には誰もいなくなって、愛犬のショコラだけが残されて‥‥。
知り合いのかたが世話をされているようです。外からみるとモダンな建物ですが、
やはり人が住んで風を入れないと、痛みがひどくなるんじゃないですか」(小和田家と親しい近隣の住人)
優美子さんの胸中に、いまひとつの案として浮かんでいるのは、例えば嫁いだ礼子さんが暮らしている同じマンションに住むことだという。
豊氏は、いま静岡県内の病院で暮らしているが、「もう、あの家には、誰もいなくなった。
目黒の家は、売却したほうがいい」と、周囲に話しているという。
だが、優美子さんとしては、そう簡単に結論を出せない理由がある。「やはり、いちばんの理由は、仮にも
妃殿下の実家を売却ということになれば、ご静養中の雅子さまが戻られる場所もなくなるということでしよう」(皇室ジャーナリスト)

週刊新潮2005年5月4日号
雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜 (2004年4月5日のこと)
「御所の一室で天皇皇后両陛下、紀宮殿下とともに食卓を囲んでいた。
アフター・ディナーの時、天皇陛下は御所のベランダに立った。
雰囲気を察したのか紀宮殿下も続いてベランダに立つと、皇太子殿下は皇后陛下と話し始めた。
が、そのうち、皇后陛下の手を握りしめ、涙を流した」という。
話の内容は「雅子妃殿下のことだったのは間違いない」。
雅子妃が実家に行ったり、妹夫婦の家に愛子さまを連れて遊びに行き、御所には戻ったのは夜の零時近かった。
その雅子妃の「気まぐれな行動」に周囲がとまどっているという。
深夜の街中ドライブ(自分で運転)、中華料理店で食事など、ご静養中の人とは思えない行動。
しかもこれらは「回復」の途中の雅子さまのために完全オフレコ、数ある私的外出の中のほんの一部。
いくら雅子さまの外出は報道するなといっても
事後報告でもよいから知らせるべきだとの記者会からの要請により、宮内庁がいくつかを報告した。
「挨拶に来た旧長官および新長官には会わないで、外国からの賓客には会うのみならず、
食事も共にするというのはよくわからない。そちらのほうが負担がかかるのでは・・」(皇室記者)
皇太子は「ローマ法王の葬儀に行きたい」と駄々をこねられた。

週刊文春2005年5月19日号
3月18日に青年海外協力隊が東宮御所を訪れたとき、皇太子だけが接見。
その最中に雅子さまは黒いパーカー、ブルージーンズ姿で中庭で愛子さまと追いかけっこをして遊んでおり、そこを協力隊の方々に見られた。
協力隊員の「妃殿下は御所にいるのか」という質問に対して東宮職員が「それは答えられない」と返事をした。
その後で、窓から見られてしまった。
勤労奉仕団へのご会釈も、体調によって逢える人と逢えない人が出てはいけないから、
お出ましになりたい気持ちはあるのに全て欠席にしている。
雅子妃は公務を選り好みし、宮中行事などは参加しないのに、外国の要人とは頻繁に会う。
新旧長官との面会を拒否。小和田家と関係の深いユニセフ行事には参加。
いままでの皇室なら身内の関係のものは一番後回しだった。
ユニセフハウスのオープンの時も、皇太子夫妻が雅子妃の母と二人の妹と一緒に出席。
負担の軽い勤労奉仕団への会釈は今年は一度も出席していない。
外国の客には愛子さままで紹介しているのに地方から出て来る勤労奉仕団に一言「ご苦労様」というのがそんなに負担なのか。

平成皇室論 橋本明 朝日新聞出版2009年7月
(2005年)3月18日、青年海外協力隊員ほぼ200人が東宮御所に招かれた。
皇太子だけが労をねぎらい、雅子妃は姿を現さなかった。
しかし、隊員の数名が庭で愛子内親王とその遊び相手の児童、母親たちと同席している東宮妃を目撃したという。
翌19日、雅子妃は紀宮清子内親王納采の儀には出席だったが祝いの膳には欠席。
24日の愛知万博開会式も欠席。月末、両陛下が那須御料牧場で紀宮とさりげなくお別れの時を過ごしたとき、
秋篠宮家は合流したが、東宮ご一家は東宮御所にとどまっておられた。
31日には皇居内主馬寮馬場で乗馬してお元気かと思われたが、翌4月1日、退任と新任の挨拶のため湯浅利夫、羽毛田信吾新旧宮内庁長官が
東宮御所に出向いたとき、雅子妃は接見に姿を現さなかった。

雅子妃は沖縄の豆記者(2004)が来た際にも、顔を出さなかったが、
こどもの1人がトイレに行ったとき、車に乗っている雅子妃を見かけた。
(ニュースでこどもが語った)

6月4日
ヘイリーコンサートを皇太子ご夫妻がご鑑賞
公演後、ヘイリーはご夫妻と歓談。
雅子さまはがヘイリーがお気に入り。
歓談も予定よりも大幅に延長され、関係者をやきもきさせるというハプニングもありました。 ※
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※参考

ヘイリーのコメント
「約束の20分が過ぎても私たちが歓談を止めなかったので、御付きの人たちはやきもきしたようです。
ドアがノックされたけども、皇太子ご夫妻は、気にしないように、といってくださり、
お気遣いを感じて、とてもうれしかったです」
雅子妃は「興奮してゾクゾクした」と感想を口にしたという。
女性自身近重氏によると、これは「音楽療法」だという

※ヘイリーは後日談として
雅子妃は
「Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us」と仰った。と
インタビューに答えた。

『English Journal』2008年11月号
Hayley Westenraロングインタビューp48-49
A Royal Stir(やんごとなき珍事)
2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて
来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった二人とも「lovely」だった
警備がすごかった
ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら
But on the second knock, I was like“Oh”, you know,
“Thank you very much. Um, I'd better, better be going. I'd better let you go.”
And they're like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”           
And so, I thought, “OK, well, I'll, I'll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」
と言われ、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドア向こうの警備がパニックになってしまった。
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週刊文春2005年9月1日号
2005年5月21-30日 栃木県御料牧場にて一家静養。
那須オルゴール美術館ショップで愛子さま
買い物籠2つにいっぱいの買い物をして五千円を出し支払った。
雅子さまは籠を山盛りにする愛子さまを見て膝を抱えるようにして笑っていた。

女性セブン
紀宮さまご結婚前に、兄弟妹の家族もそろっての一家での最後の静養を陛下夫妻は望んでいたが、皇太子は雅子妃の状態を理由に辞退。
最後の機会を皇太子一家欠席となり、「とりかえしのつかない」寂寥感を両陛下は感じていられたであろう。

女性自身
紀宮さまのご結婚のお祝いの会も、これまで何度も開かれてきました。
それも秋篠宮家では開かれているのに、ご長男である皇太子さまのもとでは一度も開かれていないようです。(皇室担当記者)

週刊現代2005年10月22日号
天皇皇后両陛下は出席も小泉首相は呼ばれず  紀宮「帝国ホテル」結婚式の全貌
紀宮さまの結婚式に小泉首相を呼ばないのは、人気取りのための政治的利用をされたくないから。
ただし、結婚式と披露宴の間に天皇皇后が一度皇居に戻り、三権の長などからお祝いを受ける。

週刊新潮2005年10月27日号
お忍び外出「雅子妃」を密かに護衛する「黒バイ隊」
警視庁関係者のコメント
「警衛課には大体100名以上の警察官が所属していまして、皇太子ご夫妻は、
約20~30名で担当しています。外出先の状況にもよりますが、雅子妃殿下の外出の場合、
乗られている車の前後を挟むように少なくとも2台以上の覆面パトカ-が警護しているはずです。
ただ、極秘の警備ですから、緊急時以外は所轄の応援も要請できませんし、レストランなど、
建物の中では少し離れた場所で警護するので、かなり神経を使っているようです。」

女性セブン2005年12月29日・2006年1月1日合併号
(外国からの賓客をもてなされる折々は)お食事のメニューはあらかじめ大膳課が考えますが、
侍従を通じて皇太子様、雅子様ともご相談し最終決定します。
例えばコーヒーと紅茶のどちらかにするか、紅茶ならティーカップをどのようなものにするかを
お決めになるのは雅子様の役割になることが多いといいます。
外交官の経験がおありなだけに雅子様はその国の賓客にあった最高のおもてなし方について
腐心なさるんだそうです。皇太子様と一緒に考えられる場合もありますが
女性らしい視点で雅子様がご決済されることも多いそうです(皇室関係者)

文藝春秋2006年新年特別号 塩野七生
美智子妃はなんと賢い方だろう。
この賢さは、両親から受けた「見苦しいまねはしてはいけない」というしつけの成果ではないか、
このようなしつけは東京山の手の家庭ではなされていた。」
「とは言っても、誰もがこの種のしつけを受けて育ったわけではないし、
引き受けたからには責務は果たすという覚悟も、誰にでも期待できるとは限らないのである。
だからこそ民間から皇室に入った方々の中に違和感をふっきれないでいられる方もでてくるのだろう。」

  • 最終更新:2018-11-04 15:21:28

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