2時間47分中座

週刊文春2006年1月19日号
むずかる愛子さまを連れて…  雅子さま「2時間47分中座」

天皇ご一家が 天皇誕生日 夕食会で待ちぼうけ 2時間47分・・・
天皇誕生日、天皇陛下にご挨拶に御所を訪れた愛子さまが、一人御用係と東宮御所にお戻りになるのを嫌がられて、
むずかり雅子さまが連れて帰る事になった。
愛子さまを東宮御所に置いて、御所に戻られるはずだったため、お誕生日のお祝い膳の始まりを、他の天皇家の人々は2時間47分待った・・
雅子さまは、愛子さまと一緒に夕飯を食べて、寝かしつけていた。
天皇誕生日の翌日はクリスマスイブなので、皇太子ご夫妻は丸の内のミレナリオ見学ドライブ。
しかし翌25日の大正天皇例祭には雅子さま欠席。
1月5日に予定されていた両陛下との夕食会は、37度台の熱がある愛子さまの看病のためキャンセルし、皇太子さま一人で行った。
「雅子さまは愛子さまが落ち着かれたら御所にお戻りになるはずだったのに、なかなかもどられませんでした。
そこで御所から東宮御所へ問い合わせの連絡を入れたのですが、
東宮御所からの回答は『すぐに戻るのか、戻らないのか』 はっきりせず、要領を得ないものだったと聞いています」(皇室関係者)
「御所で愛子さまが帰りたくないとおむずかりになって、夜のお祝い御膳が遅れたのです。
まだ四歳の愛子さまのなさったこととはいえ、大変なご無礼だったと御所では受け止められています
眞子さまも佳子さまもこのようなことは一度もなかったといいますからね。
天皇皇后もさすがにご不快なご様子だったと聞いています」(宮内庁担当記者)
普段のお食事と違い年に数回の御祝膳で、御食堂も来賓用の御食堂。
作り置きはせず時間配分を考えながら、作るので大膳はパニックだった。
朝から、一般参賀や皇族・政府関係者のご慶賀を受けられる儀式や一杯あって、
夕方6時過ぎにご進講係りの先生方とのお茶を終えられて、6時半からという段取りだったという。
ご高齢なのに、朝からぎっしりと行事をこなし、ようやくお身内だけでゆっくりとお食事をなさろうと言う時の騒ぎ。
「天皇誕生日の『お祝い御膳』はあくまでも祝賀行事の延長であって、たんなる家族の会食とは意味合いが違ってきます。
愛子さまを連れて帰らなくてはいけない状況だったしても、できるだけ早く戻るべきでしょう。
三十年間皇室を見てきた者としては残念に思います。
雅子さまにとって、両陛下はどのような重みの存在なのでしょうか」元宮内庁担当記者


週刊朝日2006年1月6日・13日新春合併号
雅子さま静養3年目 朝日新聞皇室担当記者が投げかける東宮への疑問符
一部の親しい大使に傾きがちに見える大使接見など、雅子さまの公務の恣意的選択は「選り好み」と受け取られないだろうか。
公務の直前のキャンセルで関係者をあわてさせることも一再ならずだった。
両陛下が育て、皇太子ご夫妻が引き継いだ青年海外協力隊員の激励や勤労奉仕団へのご会釈などには
雅子さまは一度も顔を見せず、宮中祭祀も欠席を続けている。
これまでも皇太子妃への医師団の助言が、外から拝見してちぐはぐに見えることも少なくなかった。
当初はご病気への同情が強かったが、療養が長引き、中途半端な公務への取り組みが積み重なっていくと、
国民の視線も厳しさを増していくことにはならないだろうか。
04年10月に起きた新潟県中越地震では、皇室は紀宮さまの婚約内定を延ばすなど、深く心を痛めたことが話題になった。
しかし天皇、皇后両陛下が現地を訪れ励ましている最中に、皇太子ご一家は御料牧場で「動物とのふれあいのため」静養。
また05年、戦後60年の節目の年として両陛下がサイパン島を慰霊訪問し、
様々な形で戦没者や戦後引き揚げ者に心を寄せる動きを重ねる一方で、
皇太子ご夫妻は8月15日の節目の戦没者追悼式の日に、那須御用邸に滞在、テニスをした後、
ホテルのレストランで食事を楽しんでいたことには、深い失望を覚えざるをえなかった。
家族関係でも、ぎくしゃくぶりが目立つ。
宮内庁内からは
紀子さまの誕生日を祝う夕食に皇太子ご夫妻は45分も遅刻したが、おわびもなかったようだ
「天皇陛下の心配の御言葉かけに『おそれいります』の一言のみで顔を伏せた。」
天皇陛下が問いかけても、雅子さまは答えなかったらしい」などという噂話も聞こえてくる。
05年12月9日の雅子さまの誕生日を祝う東宮御所での天皇家そろっての夕食会は、
雅子さまの風邪を理由に同日午後5時過ぎという直前になって突如中止となった。
雅子さまが「体調が悪くて出られません」というメモをドアの隙間から女官に渡した
両陛下や秋篠宮ご一家、黒田慶樹・清子さん夫妻も既に準備を整えていただろうし、
大膳課職員にとっては、当然夕食の用意をしていなかった(東宮御所で食べるから)「両陛下のお食事はどうするんだ!」と大騒ぎになった。
何日も前から念入りに準備していた東宮詰めも、いかにパニックに陥ったかは想像に難くない。
天皇誕生日の夕食会における3時間近くの中座について
雅子さまが「私がちょっと連れて帰って食べさせてきます」と言って愛子さまを連れて戻った。
その”ちょっと” がなぜか3時間近くになってしまった。
東宮職の職員たちは、皇太子夫妻から意見や希望を含めて声がかからない上、
自分たちからも何も言えないので、どう対応したらいいのか苦慮している。
医師団見解からは、国や国民への重い務めを負い、天皇を支え、時代を担う東宮という観点がほとんど感じられない。
皇太子ご夫妻のみならず、皇室全体に対する国民の敬愛が深く静かに傷ついていくのではないかと恐れる。
皇室典範改正反対集会である評論家が「皇太子妃に自覚が乏しいとの観察がある。
皇后になって国民がうんざりして皇室はやめちまえと言い出すのではないか」すると、
会場から大きな拍手が起こった。東宮職は「プライバシー」を盾に、担当医師の名前の公表を拒んでいる。
私たちも名前は早くからつかんでいるが、要請を受け入れて直接報道も控えてきた。
かつて、皇室でこんなことは考えられなかった。
「ご本人たちも十分承知だろうが、もともと公務はご本人のためにあるのではない。」
公務を自分たちのために変えるのは十分な説明責任と象徴的存在としての厳しい自制の裏打ちがなければならない。
そうした緊張感がなければ象徴天皇制の基本が揺らぎかねないのではないか。
皇室の実績と無縁だった外部の一精神科医に、象徴天皇制の要諦や皇室の作法、
伝統の重み、国民のための公務全体の姿が果たしてどれだけ理解されているのだろうか。
いかに濃密にカウンセリングなどを重ねたとしても、深い見識に基づいて判断することは
難しいと思う。医師団が、ほとんどご本人の代弁者か司令塔のように語ることには違和感がある。
新潟地震で紀宮様は婚約内定発表を延期し、両陛下が現地慰問中に御料牧場静養、サイパン慰霊訪問を両陛下がしているのにかかわらず
戦没者追悼式の8月15日に那須御用邸でテニスのあとレストランで食事を楽しんでいた

女性自身
午後5時55分:東宮ご一家皇居着
午後6時55分:雅子さまと愛子さまの二人は東宮御所に帰る
午後9時46分:雅子さまだけ皇居に戻る
この件につき宮内庁より3日後の26日、時間経過の説明があったとの事。
列席した皇族の中からは「帝王教育はどうなっているのだ。」という声も聞かれた。
雅子妃は皇室に対する不満を爆発させ、重大な公務を連続して欠席、天皇陛下をなおざりにしている。
雅子妃は今年だけでも2度重大な公務を欠席、なかでも天皇皇后両陛下の祝賀夕食会に至っては、
約30分だけ顔を出して、続いて第2、3の祝賀は欠席、その非礼な振る舞いに、天皇の怒りをかった。
一部関係者に寄れば雅子妃はすでに情緒の制御ができない状態にあり、
友人に向けた電話の中でヒステリックにこう叫んでいるという"私は皇太子妃になりたくなかった"


週刊文春2006年2月23日号
「あの日は夕方六時半からご一家と黒田夫妻がお揃いで、
天皇陛下の七十二歳のお誕生日をお祝いする予定でした。
ところが愛子さまがむずかられて、雅子さまが一緒に東宮御所に戻られてしまった。
すぐお戻りになる予定だったので、お箸もつけずに待たれていたのですが、東宮御所から何の連絡もないまま時間が過ぎていった。
御所から連絡を入れても東宮職の返事が曖昧で、状況がよくわからなかったそうです。
結局、雅子さまがご不在のまま御夕餐は始まりました。天皇陛下もさすがにご不快の様子で、
せっかくのお祝いのお席も雰囲気がすっかり冷めてしまわれたといいます」(皇室関係者)
御夕餐を終えられた後、雅子さまのご到着をお待ちになっているところへ、ようやくお戻りになると連絡が入ったのだという。
「両陛下はじっとお待ちでしたが、すでに二時間以上が過ぎていました。
連絡が入った後、皇后さまは長い御廊下を歩いて玄関までお迎えに出られたそうです。
そこで十五分ほどお待ちになったのですが、なかなかお車がご到着にならないので、皇后さまは御食堂にお戻りになられました。
しかし、ご一家が揃って席についたままお待ちになっていては雅子さまも気まずいだろうと、
紀子さまと黒田清子さんがそろって御廊下に出てお迎えすることにしたといいます。
御廊下から一緒にお話をしながら入れば、お気楽だろうと気配りされたのです。
それなのに、戻られた雅子さまは『どうも』と軽く会釈をされただけで席に着かれてしまわれたといいます。
その場の状況を目の当たりにされて、紀子さまは思わず泣き出されてしまった。
この日のお祝い御膳はとりわけ重い意味があったからでしょう。
天皇陛下がご病気の中でお誕生日をお迎えになる意味は非常に大きいですし、
秋篠宮ご夫妻が縁結びをされた黒田夫妻が初めて出席するお祝い御膳でもあったからです。
紀子さまのお気持ちには格別のものがおありだったと思います」(同前)

文藝春秋2006年3月号
友納尚子 雅子妃 その悲痛なる決意
「天皇誕生日の『お祝い御膳』は格式の高い席であるため、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまや
幼少の愛子さまは列席できません。愛子さまは説明されれば聞き分けられるのですが、このときは事前によく知らされなかったので、
ご両親と離れ一人だけ女官に連れ帰られることに不安を覚えて、そうとうむずかられた。
そこで天皇皇后両陛下のご承諾のもと、雅子妃が夕食会を中座して、東宮御所にお連れになりました」(東宮職員)
なぜ、連絡がうまくつながらなかったのか。
東宮御所の私的なゾーンである「オク」には職員も立ち入ることはない。
雅子妃はそこで愛子さまを落ち着かせながら、皇居に残った東宮職員に、あらかじめ定められた連絡順にしたがって、
何度も携帯電話をかけ、もう少し時間がかかる旨を告げようとした。
しかし樹木が生い茂った皇居は電波状況が悪く結局連絡が取れないまま、急いで皇居に戻られたという。
「結局妃殿下はこの日、ご夕食を召し上がらないままだったんです」
テニスや乗馬は医師団の勧め
祭祀をしないのは暗闇が苦手
イルミネーションを見に行ったのは光(取材のフラッシュ)に慣れるため 

  • 最終更新:2017-01-28 15:05:40

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