香淳皇后と美智子さま

皇室ジャーナリストがぎくり 天皇一家にあった嫁姑バトル
(更新 2014/9/26 07:00)
皇后・美智子さまは今年10月で80歳、傘寿を迎えられる。ジャーナリストの渡邉みどりさん(80)が、
テレビ中継で飛び込んだ衝撃的な映像を振り返る。

*  *  *

昭和50(1975)年9月30日。昭和天皇と香淳皇后が戦後30年の節目に、アメリカ訪問にご出発になる日でした。
日本テレビのディレクター職にあった私は、ご出発の様子をニュースで中継するために、
音声担当など十数人のスタッフと早朝から千代田区麹町近くにあった社屋内の副調整室に詰めていました。
この時にモニター越しに目に飛び込んだ衝撃的な映像。
危うくテロップの指示を間違えそうになったことを覚えています。
そのシーンを振り返ってみます。羽田空港で待機する特別機のタラップの脇には
皇太子ご夫妻(現・天皇、皇后両陛下)、常陸宮ご夫妻、秩父宮妃、高松宮ご夫妻、三笠宮ご夫妻、
そして三木首相ご夫妻の順に並んでおられました。昭和天皇、香淳皇后がいよいよ機内にお入りになるとき、
おふた方は、宮様方のごあいさつに対し丁寧に返礼をなさいます。
特に昭和天皇は美智子さまにお辞儀をされた後、皇太子殿下に「あとをよろしく頼みますよ」というように
深く頭を下げられ、皇太子さまも父君に「お元気で」といったご様子で最敬礼なさいました。

次の瞬間、モニターを見ていた私は、ぎくりとしました。
数歩遅れた香淳皇后は常陸宮さまにゆっくりとお辞儀をなさったあと、
美智子さまの前を、すっと通り過ぎて皇太子さまに深くお辞儀をされたのです。
モニターの画面に映る映像は、後ろ姿でしたが、素通りされたのははっきりわかりました。
香淳皇后は手に、つい先ほど美智子さまから贈られたカトレアの花束をお持ちでした。
そのまま、美智子さまにも、深々とお辞儀をなさるとばかり思っていましたのに。

この「天皇訪米」の一部始終の映像はテレビで日本中に放送されたのです。
私自身その時は、昭和天皇の訪米という歴史的なニュースを無事に中継することで、頭がいっぱいでした。
昭和天皇と香淳皇后がご出発したあと、思わずスタッフと顔を見合わせて、「お気の毒に」とつぶやきました。
東宮ご一家に長年仕えた浜尾実元東宮侍従は当時、私の取材に対しこう話してくれました。
「私もテレビを見ていて驚きました。東宮侍従をしていたころ、美智子さまのお供で吹上御所に行った時など
何か皇后さまの態度がよそよそしいことは感じたことがありました。それは美智子さまの人間性というより、
そのご出身(平民)が美智子さまを孤立させることになっていたんだと思います。
ただ、あのお見送りの時は人前で、それもテレビカメラの前のことですからね。
美智子さまはやはり大変なショックをお受けになったと思いました」

美智子さまのご苦労については、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏が残した昭和42(67)年11月13日付の
日記にも記載があります。美智子さまは、入江氏に、胸の内を吐露しています。

<三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁(はいえつ)。(中略)
終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、
おたづね。夫々(それぞれ)お答へして辞去>

皇位継承者である親王を2人もお産みになっていても、ここまでご苦労なさるのかと感じました。
高松宮ご夫妻に取材した際など、喜久子妃は美智子さまのことを、
「あまり気をお使いになるからお痩せになるのよ。おしおらしい」とおっしゃっていたことを記憶しています。
時は流れ、昭和天皇は逝去され、平成の御代になりました。おひとりになった皇太后良子(ながこ)さまは、
皇居内の旧吹上御所にそのままお住まいになりました。

平成5(93)年に、天皇陛下と美智子さまもそれまでの旧赤坂御所から皇居・吹上御苑に完成した新御所にお移りになります。
当時の美智子皇后をお側で支えた井上和子元女官長が先日、亡くなりました。
井上元女官長は当時、私にこう話してくださいました。
「明治の昭憲皇太后さま、大正の貞明皇后さま。近代の天皇陛下の母君のお住まいはお堀を隔てて別のところにありました。
平成に入り、陛下と皇后さまは、良子さま(香淳皇后)に
『スープの冷めない距離』にお住まいになっていただきました。これは、すごいことなのですよ」

平成7(95)年に美智子さまが詠んだお歌です。
 緑蔭
 母宮のみ車椅子をゆるやかに
 押して君ゆかす緑蔭の道

天皇陛下が母君の車椅子を押し親孝行なさっている情景を詠まれたものです。
天皇家のお歌に車椅子が登場したのです。時代を感じ胸が熱くなりました。
皇后美智子さまも折に触れ吹上のバラ園で皇太后良子さまの車椅子を押してご一緒に散歩なさいました。
平成10(98)年6月。英国、デンマークへの外国訪問からお帰りになった時も、同じ光景がありました。
旧知の間柄でおられる英国のクイーン・マザーやエリザベス2世女王陛下の近況をお話しになったのかもしれません。
毎週末、良子さまがお住まいの吹上大宮御所は華やいだ雰囲気に包まれたものでした。
それはお子様やお孫様方のお見舞いがあったからです。
今上陛下と皇后美智子さま、そして孫の紀宮さまは、お庭伝いに吹上大宮御所の良子さまを訪問されたのです。
秋篠宮ご夫妻と幼い眞子さま、佳子さまも、大広間でご一緒にビデオなどをご覧になりました。
昭和天皇が逝去されて10年余りの時が流れた平成12(2000)年6月16日に良子さまは逝去されました。
同年春には97歳のお誕生日をお迎えになり、歴代皇后のなかでは最長寿でした。
人生の最晩年を吹上大宮御所でお過ごしになったことは今上陛下と美智子さまのあたたかい親孝行でした。
黒田清子さんとなられた天皇家の一人娘、紀宮清子内親王は、良子さま逝去の折の印象をこう書かれています。
<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、
そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」と
ささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。
(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)
美智子さまはご結婚以来、毎週、昭和天皇と香淳皇后をお訪ねになりました。当時、侍従に取材した限りでは、
お会いになった回数は、昭和と平成を合わせると千回を優に超えたと聞いています。
恩讐(おんしゅう)を超えたご交流が、そこにはあったのでしょう。

※週刊朝日  2014年10月3日号
http:// dot.asahi.com/wa/2014092400103.html?page=1

  • 最終更新:2017-06-10 12:14:15

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