頼れるのは秋篠宮さま

AERA2011年12月5日号
緊迫する皇室の支柱
頼れるのは秋篠宮さま

ご高齢なうえ、体調を崩された天皇陛下。やはり万全ではない皇后陛下。
雅子さま、愛子さまの諸問題を抱える皇太子さま。
となると、現時点で最も頼れるのは、この人かもしれない。
朝日新聞の岩井克己・皇室担当編集委員が震災後の秋篠宮さまを描く。

秋篠宮さまは11月30日、46歳の誕生日を迎える。普段はあまり報道されていないが、
近年、紀子さまともども公務や自身の研究など年間の活動量は皇族方の中で突出して多い。
高齢の天皇、皇后両陛下や、雅子さまが長期療養中の皇太子ご夫妻を支える「縁の下の力持ち」ともいうべき存在となっている。
東日本大震災と原発事故という未曽有の大災害に見舞われた今年、ご夫妻の震災関連の活動も天皇、皇后両陛下と双璧をなす。
宮家の少ないスタッフで、よくぞこれほどの活動を実行できたと思う。
震災の悲劇を若い感受性で重く深く受け止め、並々ならぬ覚悟を固めたことがうかがえ、
これまでの活動の積み重ねで築いた経験と人脈がフルに生かされたように感じる。

■すべて列車と車で
今回の大震災の被災者訪問では、天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻は、
東京から自衛隊の小型ジェット機U‐4を使って現地空港に飛び、そこからヘリなどで被災地に入った。
しかし、秋篠宮家など各宮家は普段から地方公務出張では公共交通機関と現地自治体提供の車で動くことがほとんど。
しかも今回の震災では、秋篠宮さまの「被災地の負担にならないように」との意向で、すべて宮家の車でまかなう方針で臨んだという。
5月25日から26日にかけて岩手県を見舞った時は、宮邸の運転技官2人がご夫妻用の車と職員用の車各一台を運転して
前日に宮邸を出て現地で一泊し新花巻駅に先着して待ちうけた。
25日早朝に宮邸を出たご夫妻は東北新幹線とこの車を乗り継いで、計5時間かけて遠野に着き、
知事から被災状況を聞いた後、更に一時間半車に揺られて大槌町に入った。城山公園の高台から眼下に広がる
惨状に悲痛な表情で黙祷。体育館に避難している被災者を見舞った。再び一時間半かけて遠野に戻って宿泊。
翌26日に山田町を訪れて町役場の屋上から被災状況を視察し黙祷を捧げ、大沢小学校で授業を参観し、
被災者を見舞った。また健康支援のため現地に入っている結核予防会関係者の活動報告を聞いた。

■大槌町には帰途も
そして帰途、再び大槌町に立ち寄り、同町の白澤鹿子踊保存会館に避難している人たちを見舞った。
地元の人たちは、地域の伝統芸能「白澤鹿子踊り」を「是非お見せしたい」と会館前庭で披露。
復興への祈りを込めて演じられる勇壮な踊りをご夫妻は被災者と一緒にじっと見つめていた。
同町では、津波で生息地の川が汚れたことで絶滅が心配された町指定天然記念物「淡水イトヨ」が
わずかながら生き延びていたのが確認されたばかりだった。
秋篠宮さまはかつてイトヨをテーマにした研究会の一員として訪れており、ご夫妻とシンポジウムに参加したこともある。
この日午後に生息地の源水川に立ち寄ったご夫妻は、「以前のように戻るといいですね」と語り、
町関係者は、「増やして復興のシンボルにしたい」と誓っていたという。
丸2日間にわたって駆け回った岩手県訪問を終えて宮邸に戻ったのは26日午後10時半。
紀子さまは翌27日には結核予防会の寄付者への感謝状贈呈式に臨んでいる。
6月17日には日帰りで福島県入りしたが、「車にしましょう」との宮さまの判断で新幹線は使わず、
宮邸を午前8時半に車で出発して東北自動車道を北上、2時間半かけていわき市の勿来土木事務所に到着し、
福島県知事から説明を受けた。「震災の被害に加え、原子力発電の事故、風評被害と苦しみの続く中でも、
地元を愛し懸命に努力している住民の気持ちを伝えられる知事の言葉に、じっと聞き入っておられた」と関係者は言う。
同市の平豊間地区では、津波の被災状況を視察し被災者らと言葉を交わした。被災者の中には、
亡くなった家族の姿をご夫妻にも見てもらいたいと思ったのか、あるいは故人もご夫妻に対面させたいとの思いからか、
遺骨や遺影を胸に抱いている人もおり、ご夫妻は丁寧にお悔やみを述べた。

■強行日程もいとわず
また日本動物園水族館協会総裁として水族館「アクアマリンふくしま」も訪れて被災状況を視察し、再建を誓う関係者を励ました。
「いわき南の森スポーツパーク」体育館でも避難している被災者一人ひとりの話に耳を傾けた。
一人の被災者の女性からタオルで作った「まけないぞう」をプレゼントされた紀子さまは、
それを大切そうに抱きながら被災者に声をかけて回った。この日、宮邸に帰着したのは午後6時半だった。
どこも休む間もない過密日程だったが、極め付きは宮城県への慰問だ。宿泊所の確保が難しいこともあり、
日帰りで2回に分けて訪問した。6月27日に気仙沼に入った時は、午前7時半ごろ宮邸を発ち、
同8時12分東京駅発の東北新幹線で宮城入り。
終日、市内を回って岩手県一関市で午後8時過ぎの新幹線に飛び乗って、東京駅に着いたのは午後11時だった。
それでも翌28日にはご夫妻で離任ハンガリー大使引見、紀子さまはその後、結核予防会震災対策委員会出席などの公務に臨んだ。
7月8日には石巻市に入ったが、この時も東京駅を朝早く発ち、
古川駅で降りて石巻市、松島町、仙台市と回り、東京駅着は同日午後9時48分だった。
いずれも宮家の自動車2台と運転技官2人が東北自動車道で前日に現地に入り、ご夫妻を待ち受けた。
普段から職員の仕事量は多い。
心配した宮内庁職員が運転技官に、「被災地訪問が重なった今年は大変だったでしょう」と尋ねると、
「いや、遠出の後はお休みをいただけますから」と答えたという。


■お忍びボランティアも
一切発表せず、人知れず携わっていた被災地支援活動もある。
8月、以前から活動に携わっている団体が栃木県のキャンプ場に福島県の被災者の子供たちを招いて
夏休みにキャンプを開いたが、これを知った紀子さまはお忍びで4日間手伝いに出かけた。
このうち2日間は1泊2日だったが、残りは2日続けて東京から日帰りで足を運んだ。
あくまで一人のボランティアとして子供たちと一緒にマシュマロを作ってクッキーにはさんだおやつを作ったり遊んだり。
絵本を持参し、低学年の子のために読み聞かせにも参加した。
長い避難所生活から久しぶりに広々としたキャンプ場に来て、歓声をあげて走り回る子供たちのために、
縄跳びの綱を回したり、大きな布に絵を描いたりして一緒に遊び、
紙細工や竹筒の水鉄砲や楽器作りも他のボランティアとともに手伝った。
ある子が突然、「何歳?」と尋ねると、紀子さまは、「何歳だと思う?」子供たちが、
「60歳?」「15歳?」「わーい60歳だ、60歳だ」とおどけて騒ぐのを、にこにこして見ていたという。
夜もボランティアの青年たちと一緒に食事をし、被災者のこと、支援のあり方などを語り合ったようだ。
紀子さまはスラックスのラフな服装で溶け込み、子供たちはもちろん、若いボランティアたちとも自然な形で交流していたという。
「何かお役に立てることがあれば」と主催者と相談して、求めがあれば参加するというのが紀子さまの考え方だという。


■「皇族のあり方」教え
ご夫妻は2人のお嬢さんにも宮邸での震災被害報告聴取や被災地で地元の人たちに接する機会を作っている。
3月30日、外務省国際法局長による諸外国からの支援の状況説明をご夫妻で受けた際にも眞子さま、佳子さまが同席。
翌31日の京都大名誉教授による地震の説明や、4月6日の近衛忠煇・日本赤十字社社長らによる
救護活動の説明も4人で受けた。
4月11日、震災1カ月の発生時刻には幼い悠仁さまも加え家族5人で黙祷した。
その後も、ご夫妻は全国社会福祉協議会や日本看護婦協会、日本助産師会の幹部たちから震災による被災者の看護、
介護活動の実情について説明を受けたり、防衛庁や厚生労働省、国土交通省、文部科学省など関係省庁から
被災状況や復興・支援活動について熱心に説明を受けている。
「8月4、5の両日、福島県で開かれた全国高校総合文化祭「ふくしま総文」には高校生の佳子さまを同道。
会津若松市の宿舎では、福島第一原子力発電所の地元・大熊町の住民たちが近くに避難していることを聞くと、
夕食前に3人でお見舞いに足を運んだ。
8月19日の厚労省雇用均等・児童家庭局長による震災の影響に関する説明や、9月24日の岩手県遠野市主催の
「文化による復興支援シンポジウム」には眞子さまと3人で出席した。
眞子さまは夏休みには岩手県の山田町と大槌町、宮城県の石巻市を被災地支援ボランティアの一員として訪れ、
「夏休みの出張講座のお手伝い」として子供の勉強を手伝ったり一緒に遊んだりしたという。
悲惨な災害の理不尽さ、人々の悲しみや悼み、社会の動きを知り自分の生き方、
皇族のあり方を考えてもらいたいという親心だろう。
あるいは妹の紀宮さま(黒田清子さん)以来の「公務に積極的に携わり、天皇、皇后を支える内親王」への
教育の一環なのかもしれない。9月11日の紀子さまの45歳の誕生日は、
ちょうど震災半年にあたることを考慮して一切のお祝い行事を取り止めた。
お祝いのお花も飾られない宮邸では、玄関脇の芙蓉の花だけが薄紅色の花を控えめに咲かせ、
被災者に思いをはせる静かな一日が過ぎたという。


■天皇の名代の重責も
この秋には、長女眞子さまが10月23日に成年を迎え、11月16日にはブータン国王夫妻の歓迎晩餐会で
宮中行事デビュー。国際基督教大学に通うかたわら公務に携わる機会もこれから増える。
長男悠仁さまの「着袴の儀」は今年春に予定していたが、これも震災に配慮して半年延期し11月3日に行った。
赤坂御用地内の皇族共用殿邸でご家族が立ち会い、当日夜の内宴も天皇、皇后両陛下と
紀子さまの両親川嶋辰彦さん夫妻の両祖父母だけ招いて祝った。「幼児」から「少年」へ。
碁盤から飛び降りる「深曽木の儀」のあと殿邸前で報道陣からの「おめでとうございます」の声に
悠仁さまは、「ありがとうございます」と愛らしい声で答え、去り際には、「ごきげんよう」とあいさつ。
すくすく明るく育っているようだ。
今年はご一家にとっても記憶に残る大きな節目の年になった。天皇陛下の入院で皇太子さまと兄弟で天皇の名代を務めた。
年上の男子皇族方はみな高齢や療養中とあって、ご兄弟にかかる責任は大きくなっている。
秋篠宮ご夫妻が担う役割は今後ますます重くなっていくだろう。
                              
朝日新聞編集委員 岩井克己

  • 最終更新:2017-02-11 20:37:11

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