雑誌等の断片1(~2006?)

新潮1989/10/05号
ロンドンの日本大使館を通じて雅子さんにミンクなどの高価な毛皮コートが届けられた。
小和田恒氏が雅子さんに会うためロンドンを訪ねた折、空港に出迎えた日本大使館員に
小和田氏が「これは特に大事なものだから」と断って二着以上のミンクのコートを預けた。

1996年
毎日新聞
雅子妃のもっとも身近にいた人物に会った。小和田家のお手伝い、皆川薫さん(43)。
「今の雅子さまが、本来の雅子さまだと思います。おっとりした方です。
キャリアウーマンは、マスコミが作り上げたイメージに過ぎません」。
結婚後、雅子妃の母優美子さん(58)は「外務省で仕事をするより、結婚を選んだことは
あの子にとって良かった」と話していたと明かす。
皆川さんによると、雅子妃はお忍びを含めてこれまで東京・目黒の小和田家に5回ほど里帰りした。
うち2回は皇太子さまも一緒だったという。
「かいがいしい感じで……。殿下に私が料理を出す時も手を添えてくれたり、
普通の新婚さんですよ。何かを変えようとして皇室に入ったわけじゃないんです。
皆さんが期待され過ぎている」と語る。

週刊文春2001年12月13日号
たとえば、御所(※東宮御所)では、ある時から茶托をやめました。
漆塗りの立派な茶托が、熱くなった湯のみの糸底にぴったりと吸い付いて
持ち上がってしまうことがありますよね。
その茶托が落ちて大きな音を立てると、タダでさえ慣れない御所で
緊張されているお客様が、痛々しいほど緊張される。
だったら茶托はやめて、くつろいでお茶をどうぞ、という気配りなのです。


2003年の愛子様の誕生日、皇居へ挨拶は予定時間より1時間遅刻。
陛下と会うことはできず、侍従を通しての挨拶となり、雅子妃はショックを受けた。

2003年以降
週刊現代
皇居訪問1時間遅刻は(養育係も含め)「愛子様のしつけが出来ていない」 と皇室関係者が怒っている。

週刊朝日
高田装束研究所のHPから眞子様佳子様の着袴の儀の記述が消された。
愛子様の着袴の儀の時期がおかしいことをごまかすことが目的。

フライデー
スキーで愛子さまに着せるウエアの色を実家に電話して相談
東宮関係者には、これ以上妃殿下の勝手にはさせないという強い決意が見られる

文春
有識者会議のある委員の発言
「皇室の歴史はなんとなく男系で繋がってきただけだと思いますよ」
また他の委員は、「皇室がなくなっても日本はどうにもなりはしない。
戦争が終わって日本は180度まるきり変わったんです。
皇統の維持は文化財保存の問題と同じで、政治の問題ではありません」

週刊文春
秋篠宮ご夫妻だけでなく、他の皇族方も東宮御所への訪問は遠慮されている。
東宮御所を訪れるのは、小和田家の親族と皇太子夫妻の数少ない友人だけ。

週刊女性
政府高官夫人
「でも、こうした意見には、若い世代からは、そこまでして皇室(伝統)を維持しなければいけないのか、
という疑問や反発も生まれかねません。皇室も時代に即した改革が避けられないのではないでしょうか。」
「旧皇族の復活は戦後すでに半世紀を超え、国民感情にそぐわないのではないのでしょうか。
皇室の伝統(男系)が途絶えるのは残念ですが女性天皇容認、
それも直系の第一子案が一番理解しやすい現実的な案だと思いますね」

文春
雅子さまと合わないせいで付き合いが途絶えがちになってしまった秋篠宮ご夫妻に気を使って
皇太子さまが夜の散歩に出たときに一人で秋篠宮邸に寄ってお酒を届けたりしていた

地方紙
「ご一家支える柱」
穏やかな笑みと気配りでたんたんと公務を重ねる紀子様の姿に側近は
「天皇一家を支える大きな柱の一つとなっている」と話す。
天皇皇后両陛下をはじめ皇太子ご夫婦を交えた食事会、
食卓を囲みながら弾む会話の途中で水差しの水がなくなった。
「お水を持ってきていただけますか」すかさず紀子様が部屋の外の職員に連絡、
皇后様は「よくお気づきになる」とやさしい笑みを漏らしたという(略)
そんな中で側近は「疲れも見せずきっちりと公務をこなす姿は皇后さまの姿勢と重なる、
両陛下の信頼も厚い」と紀子様を評する

文春
有識者会議は当初、女帝(すなわち愛子さま)ありきのデキレースだったのだけど、
今は「思わぬ反対」が出てきている。
神社本庁も反対している。
羽毛田次長(当時)がオフレコの席で、有識者会議が進まないことで「こんなはずじゃなかった」と言った。

お茶の水女子大学教授・藤原正彦氏 
我々が皇室制度をかえることは、飛鳥、奈良、平安と
千数百年の各々の時代の日本人の心を蹂躙することに他なりません。
なぜ、平成の時代の日本人に、 古えの人々を蹂躙する権利があるのか、傲岸不遜です。

現代
紀宮様のご友人と皇后陛下の甥御さんの結婚
紀宮様の友人は毎年恒例だった旅行に一緒に行く10数年来の友人で御所に泊まる数少ない一般人のひとり。
泊まった翌日、紀宮様が出勤(山階)した後、天皇皇后と朝食を3人でしたこともあったという。

週刊女性
東宮御所の元女性職員
「ご病気のことは別にしても、そんな気の強さは愛子様もそっくりだとか。
それだけに、その将来を心配する声もあるのです。」
紀宮様の大親友鹿野谷さんと美智子さま妹恵美子さんの息子 
(つまり美智子さまの甥)の結婚について、その縁結びとなったのが秋篠宮様、
15日には8人で夕食会。 それには皇太子夫妻は「呼ばれてすらいなかった」。
この流れの18日の5人昼食会も「皇太子と雅子妃は出席どころか呼ばれてすらいなかった」。

20日の定例会見で、東宮大夫が大相撲のエピソードの後
「愛子様は年齢相当に、もしくはそれ以上に成長されている」と発表。
記者談、「他の子供と比べても、'標準以上'とてもでも言いたげな表現だったのでびっくりしました。
きっとご成育に関する周囲の雑音を一掃したかったのでしょう。」

諸君
後世に「官僚による皇室乗っ取り」と思われかねない。 成婚に外務官僚が関わった。
小和田氏は「自分の生きている間は孫を天皇に決定しない様にして欲しい」とでもコメントすべき

女性セブン
今回の会議は、古川貞二郎氏や緒方貞子氏ら皇太子妃の実家に近い立場の人が中心になっている。
そもそも、皇族の結婚については、政治家などの縁者は極力避けるべきだといわれてきた。
たしかに、妃殿下の父君である小和田恒・元国連大使は選挙に出られているという意味での政治家ではないが、
外務省の最高幹部として官界の実務の責任者であるとともに、日本外交の中心にあって強い影響力を
国政にもってきた方であり、政官界にも広く交友関係をもっておられる。
皇太子妃の父親という立場としては現実世界での活動やネットワークは
「外戚」として批判を受けかねないという意味で憂慮のたねである。
皇后陛下の実家の正田氏は、ご成婚後、ともかく、目立たないように生きられた。
皇室の権威を守るためには、正田家と同じ配慮が必要だったと思う。
まして、私は、小和田氏と直接にかかわりのある人々が継承問題の方向付けをすることは、
好ましくないと思うし、また、そういう人々の世代の内に、
まず、愛子様ありきの結論を出すなど 絶対に避けるべきであると考える。

愛子天皇をしたい勢力は、
天皇の外戚になる人達の勢力+日本を内部から精神的支配により壊滅したい勢力
なぜ新居の完成も待たずに、紀宮様の結婚を急いだか。

週刊朝日
正田家が「民」とすれば、小和田家は「官」丸出し税金を使うことに抵抗感がない(渡辺みどり)

官邸 = 羽毛田長官は、陛下が仰せの 「国民の声」 を 「内閣府の世論調査」の結果に依拠し、
「なるべく早く」 を 「国民的人気のある小泉政権の手で」 と都合よく解釈しているにすぎません。
従って、宮内庁の慎重派の意見は、羽毛田長官からは陛下には一切報告されておらず、
官邸サイドの情報だけが上奏されているのが実情です。(略)

天皇陛下が癌で入院したときは、雅子さまはお見舞い欠席。
しかし、自分の祖父である江頭豊氏が、入院すると、極秘で実家に帰り、お見舞い。
江頭豊氏が入院した経緯が怪しい。自宅で腰を打って緊急入院とのことだが、
数日後にチッソ訴訟の判決を控えたあの時期にタイミングよく腰を打ったのだ。
大したことはなかったらしいのだが「大事をとって」入院したとのこと。
皇后陛下の古希の祝賀行事を微熱で欠席した。だが江頭豊氏の見舞いには熱を押して出かけた。
また、天皇皇后両陛下が雅子さまの見舞いにいったときも
雅子さまは愛子さまと一緒に部屋に引きこもったまま現れず、後半10分ほど顔をみせただけ。
両陛下は愛子さまと半年近くも顔を合わせていなかった。
雅子さまはその少し前には外国人の恩師と数時間も談笑されていた。
お見舞いのお礼に御所に行ったときも、愛子さまはいなかった。(車に乗るのがいやだと1時間喚き続けた)
江頭豊氏の見舞いには愛子さまを連れて3時間も一緒。しかも本当は皇太子さまも連れて行く予定だった。
祖母江頭寿々子さんのお見舞いは5回。

  • 最終更新:2017-08-26 10:07:38

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