雅子妃は離婚して民間人に戻るべき

政治評論家・山本峯章のテーマ別論考
http:// ym-history.seesaa.net/article/97981031.html
保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(22)

●雅子妃は離婚して民間人に戻るべき
小和田雅子という一女性によって、二千年以上つづいてきた天皇家の祭祀が、平成の世で、途絶えかねない事態になっている。
公務サボタージュどころか、天皇家が主催する宮中祭祀に、平成十五年以降、皇太子妃として、一度も参列していないのである。
天皇の最大の任務で、日本の伝統のいしずえである宮中祭祀に無関心な女性が、
一二六代皇后になれば、皇室のあり方が、根本から問われることになり、天皇体制にとって、先の「皇室典範」改悪以上の危機となる。
雅子妃の問題は、病気や個人的な事情によるものであろうか。
皇太子妃なったほどの女性が、気まぐれから、祭祀や公務をサボタージュして、
天皇家の歴史に泥を塗っているとは、とうてい、考えられない。
成婚から皇室の伝統破壊、皇太子の洗脳にいたるまで、一連のかなしむべき事態は、一族揃って創価学会のコントロール下にあり、
反日思想にこりかたまった小和田一族による確信犯的な謀略と、巷間、噂されている。

事実ならば、雅子妃は、皇太子と離縁して民間人に戻り、徳仁親王殿下は、
責任をおとりになって、皇太子の座を、皇太弟の秋篠宮文仁親王に譲られるべきであろう。
さいわいにして、文仁親王と紀子妃のあいだには、悠仁親王というお世嗣がおられる。
紀子妃は、平成十九年から二十年まで、天皇が251回、皇后が一八八回、つとめられた公務に一七六回、参列されており、
わずか一八回の雅子妃よりも、よほど、皇后になられるべき資格をおもちである。
病気と称して、公務や宮中祭祀をサボった翌日、いそいそとジュエリー展(平成18年/インドネシア大統領の宮中晩餐会欠席)や
父母会(胡錦濤主席の宮中晩餐会欠席)へでかけ、私的外出をのべ100回以上もくり返している雅子妃とは、そもそも、資質が異なる。
小和田家は、雅子妃の父親、恆が、大鳳会(外務省の創価学会集団)と関係が深く、
宮内庁からの情報によると、雅子妃の妹夫婦は、正式な学会員である。創価学会は、
家族を折伏できないのは信心が足りないせいとされて、学会内で高い地位がえられない。
その意味では、恆も、妻の優美子も、当然、信者と考えられる。これで、雅子妃が、宮中祭祀に、一度もでなかった理由が、明らかであろう。
創価学会は「神社を祀る日本は呪われた国」「神社に参拝すると一族が地獄に落ちる」という教えをふれまわっているカルト教団である。
小和田一族は、雅子妃が、神道の最高神主である天皇が主催する宮中祭祀に参列すると、
池田大作の怒りにふれて、仏罰が下ると思いこんでいるのなら、何をか言わんやである。
中国への土下座外交を定着させた小和田恆は「日本はハンディキャップ国家なので
ふつうの国になれない」「永久に中国へ謝罪すべし」「東京裁判は正しかった」
「首相の靖国参拝は誤っている」など公然と言い放つ反日外交官で、
外務省チャイナスクールをとおして中国に忠誠を誓い、創価学会の池田大作を崇める売国奴である。

小和田家とは、いったい、どんな家系なのであろうか。
小和田家には、恆の祖父、小和田金吉以前の系図や墓がない。士分以上であれば、考えられない。
雅子妃の母親、江頭優美子も、水俣病という日本最大の公害事件をおこしたチッソ株式会社の社長・江頭豊の娘である。
ちなみに、江頭豊は「貧乏人が腐った魚を食って病気になった」「(水俣病は)身体障害者のいいがかり」
「原因がチッソでも社会的責任はない」と主張して、水俣病の解決を遅らせた張本人である。
昭和天皇も、皇太子の小和田家との婚姻には反対で、故後藤田正晴も「皇居にむしろ旗が立つ」と猛反対した。
むしろ旗といったのは、独自の情報チャンネルから、小和田家の素性や謀略に気がついていたからであろう。
お妃候補から削除されて、皇太子も了承されたにもかかわらず、
皇太子と雅子妃との再会を工作したのが元外務次官で、恆の息がかかった柳谷謙介といわれる。
雅子妃を皇太子妃に推した外務省グループのリーダー格だが、かれらが、大鳳会やチャイナスクールとつながっていたのは、疑う余地がない。

再会後、皇太子が、雅子妃に直接電話して、宮内庁が困り果てたという。
私心をはたらかされたのである。皇太子との婚姻が発表されたのは、その直後である。
一連の出来事が<朝敵>による破壊工作員であったのだ。
彼女の背後には、天皇制度の崩壊を虎視眈々とにらむ、中国政府と創価学会、
外務省チャイナスクールを中心とした売国奴グループの存在があるということになる。
小泉首相の「皇室典範改悪」も、裏でうごいたのが、霞ヶ関の反日・創価学会系のグループで、その中心に小和田恆がいたとつたえられる。
徳仁天皇・雅子皇后が誕生すると、左翼や媚中派、創価学会、改革・革命主義らによって
ふたたび「女系女性天皇」論がもちあげられて、反日マスコミが、愛子内親王が皇位につかれず、
悠仁親王が次期天皇というのでは「雅子さまがおかわいそう」というキャンペーンをはれば、
「女系女性天皇」が蒸し返される可能性がきわめて高い。
皇室の権威や尊厳は、万世一系の男性男系にあり、皇太子妃や女系女性天皇は、もともと、皇位の系列から外れている。

アメリカ大統領が最敬礼するのは、天皇陛下とエリザベス女王、ローマ法王の三人である。
そのエリザベス女王も、天皇陛下と同席するときは、上座を譲る。
男系の万世一系が、国際儀礼上、女王の上位であることをわきまえているからである。
ローマ法王が外国を訪問した際、慣例として、その国の元首が法王を訪ねる。
例外が天皇である。ヨハネ・パウロ二世が日本を訪問した際も、教皇が皇居に出向いて
昭和天皇に表敬している。国際儀礼上、天皇陛下は、世界一の高位にある。
だが、女性天皇の場合、ヨーロッパ王室は、正式の天皇とはみとめず、晩餐会でも、
末席となる。ヨーロッパの王室は、女性の王位継承や財産相続をみとめないフランク王国の
「サリカ法典」にもとづいているからである。
万世一系同様、男系をとっているヨーロッパ王室も、女帝は緊急措置にすぎず、
男系が絶えると、廃絶される。げんに、モナコ公国は、男子の世継ぎが誕生しなかった場合、
フランスに吸収される約束になっている。徳仁親王が、こういう事実を見ず、
雅子妃にひきまわれて、皇室外交を口走るようでは、天皇になる資格を欠いている、といわざるをえない。

イギリスでも、皇太子が皇太弟に王位を譲ったケースがある。
エドワード八世に代わって王位についた弟のジョージ六世である。
ヒトラーやムッソリーニが台頭して、ヨーロッパが風雲急を告げていた1936年、
イギリスで、王位にあったエドワード八世が、ウォリス・シンプソン夫人と恋に陥った。
純潔をもとめられる王室の妃に、未亡人は、みとめられない。王冠をとるか、
恋をとるかの選択を迫られたエドワード八世は、恋をとって、このとき、王位をジョージ六世に譲った。
ジョージ六世は、いまにつたわる名君で、1940年のロンドン空襲で命を落としかけたときも、
ロンドンから離れず、ドイツ軍のイギリス本土への侵攻にそなえ、拳銃を片手に
バッキンガム宮殿にとどまり、ドイツ空軍によって破壊された国内を訪問して国民を慰め、
勇気づけた。王は、私心を捨て、国のため、国民のために尽くすべしというのが、
イギリス王室の伝統で、六世が56歳の若さで死去したのは、病弱をおして、
激務にのぞんだからだとつたえられる。

わが皇室も、これに倣って、徳仁親王は、皇位継承権を文仁親王へお譲りになって、
雅子ともども、海外でお暮らしになってはいかがといいたい。
外務省の反日グループ「小和田一派」の謀略にひっかかり、邪恋で、私心があっては
ならない皇位の尊厳を汚したのであれば、皇祖皇宗は、けっして、お赦しになるまい。
由々しいことに、最近、雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止を主張する言説がでてきた。


保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(23)
●天皇の文化=神道と西洋のキリスト教文明

雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止をうったえる言説がでてきた。
明治学院大学の原武史教授の「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」
(月刊「現代」5月号)もそのうちの一つで、サブタイトルに「宮中祭祀の廃止も
検討すべき時がきた」とある。内容は、宮中祭祀は、前世紀の遺物なので、廃棄して、
ボランティアをやったほうがよいという、お話にならない内容で、雅子妃の
宮中祭祀ボイコットを逆手にとって、天皇体制を形骸化しようという魂胆であろう。

これらの者たちに共通しているのが、神道を、仏教的・キリスト教的な価値観でとらえる
視点である。天皇が、天照大神に、何事かを祈念していると思っているのである。
宮中祭祀は「神に祈る神」=天皇が、身体を浄め、心を清らかにして臨む儀式で、
一つの型である。型は、カタチで、言挙げしない日本の文化は、カタチを整えるところに
根源がある。神道の参拝も、手水を使い、二拝二拍手一拝などの型だけあって、
神に何事かを願うわけではない。浄めとカタチができれば、蘇りや生命の再生は、
おのずとあらわれる。そこが、神との契約といわれるキリスト教や成仏をねがう仏教と異なる。
神道は、思う、願う、念じるという賢しらを捨てて、モノ・コトの本質へ立ち返る儀式で、
人間の頭で考えることは、もとより、対象になっていない。
モノはコトへ、コトはモノへ変化して、実りをもたらす。籾というモノは、手をくわえる
コトによって、苗になる。苗というモノは、太陽の恵みをうけるコトによって、
稲穂というモノになり、手間をかけるコトによって、コメというモノになる。
大自然のなかで、モノとコトが循環するのがむすび(産巣日・結び)で、
その奇異(くすしあやし)にくらべて、人間の思いや考えの、いかに生臭く、小さいことか。
身体を浄めるのは、その生臭さを水に流すことで、儀式は、賢しらを捨て、
モノ・コトが循環する大自然と合一して、高天原に、この世の弥栄(いやさか)をねがうものである。
天皇はこの儀式を、国民になりかわって、おこなっているのである。

『本居宣長』を著した小林秀雄の文章を要約して、引用する。
「(日本人にとって)宗教は、教理ではなく、祭儀という行動であった。長いあいだの
その経験が、日本人の文化にたいする底力を育んだ。海外から新しい文明や観念が
はいってきたとき、それをうけとる日本人の気質(かたち)は、すでに、完成していた。
文明や観念に気質を変える力はない。気質が、文明や観念を吸収して、己の物とするのである」
カタチを重んじる祭儀が、文化を吸収する日本人の気質を育て上げたというのである。
カタチができていれば、内実がともなう。外からどんなものがきても、うけとめ、
咀嚼して、じぶんのものにできる。大陸からきた漢字や小乗仏教、唐文化を、
ひらがなや大乗仏教、国風文化につくりかえることができたのは、日本の文化は、
すでに、カタチができていたからで、このカタチができあがっていなければ、内側から、
外来文化にとりこまれる。

原という者は「実りを祈る祭祀は時代遅れ」という。
天皇が、豊作を念じて、天照大神を拝んでいると思っているのである。そして、
そんなムダなことはやめて、世界一の高位にある天皇に、町で、ボランティアをやれというのである。
戦後、西洋文明で育った者は、日本文化の根本が、大自然のなかで、モノがコトへ、
コトがモノへ循環する美や実(まこと)にあって、宮中祭祀が、それを再現していることに、
気づいていない。西洋合理主義にそまったひとは、すべてを、科学や合理、イデオロギー、
特定の価値観で説明しようとする。そのとき、モノがコトへ、コトがモノへと循環する
大自然の知恵や力が消え、代わりに、生臭く、小さい人間主義が浮上してくる。

古代のギリシア・ローマ文明、中世のキリスト教文明、近代合理主義をへて、
現代の科学万能主義へつらぬかれているのは、人間中心の理性主義である。
フランス革命では、王の代わりに、理性神が玉座におかれたが、人間の理性に、

それほどの価値がなかったことは、理性だけでつくりあげられた共産主義革命の結末をみればわかる。
日本の文化は、自然の力を敬うところから生じているが、西洋文明は、人間が自然を支配できるという
傲慢からうまれた。ギリシア・ローマ文明は、森林を破壊して、天水農業を破滅させ、
略奪経済と侵略戦争にむかった。
キリスト教の中世では、自然物から、動物までも神からの賜物とする思想のもとで、食肉文化がすすめられ、
牧畜と放牧によって、ヨーロッパの森や河川は、大半が消えた。森林と河川が消えた大地は死に、ペストのような疫病が大流行して、
森の栄養を必要とする沿海漁業も全滅した。
人間中心主義と理性は、自然破壊と肉食文化、略奪と侵略、奴隷売買という暗黒の中世をへて、
科学文明へたどりついたが、鉄の科学と火薬の化学は、効率よくひとを殺すため(武器)と、金をえる(錬金術)ための副産物だった。

日本の文化と西洋文明は、逆転した構図になっている。
西洋人は森を破壊しつくしたが、日本人は、森を大事にして、古代より植林をおこなってきた。
日本の古代宗教では、自然やモノが迦微(かみ=神)だったので、枝一本、
おろそかにできなかったのである。勿体ないという考え方、物を大事にする発想は、
物自体が迦微だった神道の名残で、それも、日本の文化である。
中世・近世にかけて、日本には、世界一のものが、数多く、あった。
水田技術をささえた農業土木、釘を使わずに五重塔をつくった木造建築技術、
森と河川がはぐくんだ沿海漁業、大衆レベルの食文化、士農工商によるマクロ経済、
和歌や俳句、浮世絵、草紙物などの庶民文芸など、枚挙にいとまがない。

一方、西洋は、十八世紀前後、産業革命がはじまるまで、特権階級以外、飢えをしのぐのが精一杯だった。
民の味方=権威(天皇)がいなかったので、権力が、富や文化を独占したためである。
製鉄や化学、酪農などの分野が、西洋より遅れたのは、当時、必要(需要)性が小さかったからで、
近代以降、必要に応じて、日本は、短時日で、西洋と肩を並べる文明国になった。 
日本は、近代の科学文明まで消化する文化の型=潜在力までもっていたのである。

もう一つ、日本と西洋で、逆転しているのは、自我である。
日本では、抑制されるべきものであった自我が、西洋では、もちあげられる。
自我は、すべて神からの賜物であるとするキリスト教から、産み落とされた。
聖書によると、自然も他の生物も、神がじぶんに似せてつくった人間に与え給うた
生活資材で、したがって、征服も略奪も、神の御心にかなっている、ということになる。
この自己中心的な世界観から、自我や人権思想がうまれた。
日本で、人権といえば、泣くも子も黙る風潮だが、もともと、これは、キリスト教の教義で、
神権政治や専制政治、絶対主義が滅びてからでてきたのが、民主主義である。西洋は、
すすんでいるのではなく、世界戦争に勝ったキリスト教文明が、他の文明を隅におしやっているだけで、
日本には、人権や民主主義以前に、人々が自然と共存して、仕合わせにくらせる神道という大思想があった。
それを象徴しているのが、宮中祭祀で、人間は、心を浄めて、大自然と共存する以外、
仕合わせに生きることはできない。だから、本居宣長は、ふしぎは、ふしぎのままでよろしき、
といったのである。ふしぎを、そのまま、みとめることによって、人間の賢しらをこえた、
大きな知恵につつまれる――というのは、この世界にあるありとあらゆるものは、
奇異にささえられ、奇異の投影であるが、その奇異は、神の御仕業(みしわざ=古事記)なので、
ふしぎという通路をとおって、われわれは、神々とともにあることができる――というのである。
奇異の頂点は太陽で、お天道様の下に存在するものは、人間をふくめて、すべて、奇異である。
天地があり、禽獣草木が生をいとなみ、人々が出遭い、万物が移りかわってゆくすがたは、
けっして、理屈では説明がつかず、もののあはれ(安波礼)として、そっくり、うけとめるほかない。

現代の日本人が、天皇の文化=神道を再発見すると、ボランティアなどという
西洋のことばを聞いただけでうかれだす、原のようなばか学者は、少なくなるのである。


  • 最終更新:2017-09-24 09:54:16

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