雅子さま福島慰問直前 皇太子「小和田会」でのお立場

週刊文春2013年10月3日号
雅子さま福島慰問直前皇太子「小和田会」でのお立場
皇太子ご夫妻は9月22日、福島県郡山市を日帰りで訪問された。約一ヵ月前の宮城県ご訪問に引き続き、今年二カ所目目となる被災地の慰問だ。
ご夫妻は郡山駅から車で15分ほどの場所にある、双葉町の住民が避難している仮設住宅を訪問された。
「そこではテントの下に、高齢者を中心とした住民、約50名を前後三列に並ばせていました。
三連休の中日ということで、外出している人も多く、接見希望者の人数も少なかったのですが、
それでも予定された時間内にお声掛けすることができたのは、50名のうち半分以下でした。(同行した宮内庁担当記者)

今回の慰問は「慌ただしいまま終わったという印象でした」と、別の宮内庁担当記者は振り返る。
「午前11時に東宮御所を出発され、午後1時に郡山に到着。現地滞在時間が5時間という非常に短いご訪問だったからでしょう。
どの訪問場所も郡山駅に近いところばかりで、“急ぎ足の慰問”という印象は拭えませんでした。
やはり雅子さまのご体調を最優先に組まれたスケジュールで、被災者中心に考えられたものとは言えない」(同前)
(略)

「雅子さまは郡山駅に到着されたときは笑顔も強張っているように見えましたが、
ペップキッズでは子供たち囲まれ、緊張もほぐれたご様子でした。お二人でエアマットで飛び跳ねる場面もありました。
砂場では、先に進もうとした皇太子に雅子さまが『お父さん待って』と話しかける一幕もあったのです。
リラックスされて思わずご家庭での呼び方が出てしまったのでしょう」(同前)

日帰り慰問はつつがなく終わり、雅子さまはご満足の様子で帰途に就かれた。
だが、ある千代田関係者は不安の色を隠さずにこう話した。
「相変わらず、東宮と両陛下の交流は少なく、“途絶状態”は続いています。
両陛下は13日から17日まで葉山の御用邸でご静養されましたが、
そちらに合流されたのも秋篠宮ご一家です。皇太子ご一家はいらっしゃいませんでした」

葉山御用邸の近くに住む住民が話す。
「ご滞在中の土曜日の夕方、天皇陛下と紀子さま、悠仁さまが御用邸前の海岸の岩場にいらっしゃいました。
陛下は悠仁さまと一緒に水に入って、悠仁さまが磯の生き物を探すのを手伝っておられました。
悠仁さまは陛下も追いつけないくらいあちこちと夢中で動き回っていましたよ」

一方、天皇と秋篠宮ご一家が葉山でお過ごしになっていた16日、東宮御所には雅子さまのご両親である、小和田恆・優美子夫妻の姿があった。
「今回、小和田恆氏は、万国国際法学会が日本で初開催する総会に合わせて帰国しました。
小和田氏は学会の会長を務めており、12日には代表者の1名として、東宮御所で皇太子ご夫妻の接見も受けています」(別の宮内庁担当記者)
折悪く16日は台風の関東接近が予想され、一度は参内が見送られたという。
「結局、小和田夫妻はいらっしゃることになりました。皆さんで軽食を召し上がり、
小和田夫妻は、翌日オランダにお帰りになったそうです。
恆氏もご家族の集まりでは、愛子さまやお孫さんの話題に目を細めていらっしゃるそうですから、
今回も愛子さまの夏休みのご様子などお聞きになったのではないでしょうか。
雅子さまはその席で非常にご機嫌がよろしかったそうです」(東宮職関係者)

天皇皇后と秋篠宮ご一家がご静養中に開かれた「小和田会」。
この対照的な構図に、前出・千代田関係者は憂いを隠さない。
「東宮家の予定は、職員を通じて両陛下の耳にも入るでしょう。
葉山ご静養の留守中に、小和田夫妻との会があったとお知りになった両陛下は、どのようにお感じになるでしょうか。
最近では、皇室や皇位継承者としての在り方について両陛下がお伝えになりたいことを、
秋篠宮殿下が代弁して皇太子殿下にお伝えしているようです。葉山で直接三家族がお話になれば大変喜ばしいことですが…」

しかし、昨年9月の葉山ご静養でも、秋篠宮ご一家が天皇皇后と合流する中、皇太子ご一家は小和田夫妻と会食をしている。
小和田夫妻の金婚式を祝う会が、東麻布の高級中華料理店「富麗華」にて開かれ、小和田夫妻の親族を含め総勢10名ほどが集まったのだ。
今回の小和田会を知った別の千代田関係者は、愛子さまが産まれたときの小和田夫妻の振る舞いを思い出したという。
「12年前、愛子さまがお生まれになった当日、小和田夫妻は両陛下に先んじて、宮内庁病院に駆け付け、
内親王殿下と面会をされました。さらにその後、宮内庁で会見まで開いたのです。たとえマスコミから
求められたのだとしても、両陛下がまだ内親王にお会いしていない段階にです。ご遠慮すべきでした」
その後も頻繁に里帰りされるなど、小和田家との距離の近さは変わらないままだ。

記憶に新しいのは今年5月、皇太子ご夫妻がオランダを訪問されたときの“サンバイザー事件”だ。
「ご帰国前日、小和田夫妻は皇太子ご夫妻の宿泊されていたホテルを突然訪れたのですが、
駐車場に小和田家の車が到着した際、ハンドルを握っていた恆氏が、
『撮るな』と言わんばかりに、報道陣のカメラを遮るようにサンバイザーを下ろし、走り去ったのです」(皇室ジャーナリスト)
終始憤然たる恆氏の面持ちはテレビでも報道され、小誌ではまさに凍りつく報道現場の様子を報じた(「雅子妃が『小和田雅子』に戻られた夜5月16日号)。
この金箔の一幕は、恆氏の出身官庁である外務省内外でも話題になったという。しかし、その評判が本人の耳に届いているかどうかは定かではない。

外務省関係者が話す。
「事務次官経験者で皇太子妃の父には誰も意見できませんから。
いま務められている国際司法裁判所の判事のポストだって、後進もつかえていますが、ご本人の強い意思もあって再任されたのです。
任期があと7年半も残っているので、終えられる頃には小和田氏は89歳になられる。
普通はご自分から道を譲るところですが、非常に名誉欲の強いお人柄ですから…」
東宮御所での「小和田会」の背景には、こうした小和田ファミリー独得の“押しの強さ”がある。

別の千代田関係者はその態度を長らく疑問視してきたが、「それを殿下もお許しになってきたという経緯もある」と説明する。
「殿下が療養中の雅子さまをお気遣いになるのは、素晴らしいことだと存じます。
しかし、そればかりになってはいけません。
次代の天皇として、これまで身に付けてこられた帝王学を大事になさっていただきたい。
今回も小和田夫妻との会食ではなく、葉山に合流すべきだとご決断するのが皇太子の役目です。
それなのに小和田家の予定を優先させている。まるで小和田家と一体のようです。
被災地慰問にしても、本当に被災地のことを考えるのならば、
妃殿下とお二人での訪問に拘らずに、皇太子お一人でもいっらしゃればよいのです」(同前)

元宮内庁担当記者が振り返る。
「いまは東宮職を去ってしまったある幹部の落胆した顔が忘れられません。
その人物は、東宮の現状を大いに心配し、雅子妃の公務復帰についてや、愛子さまの取材設定を増やしたほうがいいなどと進言したのに、
皇太子がひと言、『その話はもういいですから』と仰ったそうなのです。
ふだんから雅子さまと会おうとしても、30分以上も平気で待たされたり、
皇太子とは話ができても、雅子さまが首を縦にふらないケースもあったそうです」
もちろん皇太子はご病気の雅子さまを守ろうとされているのだろうが、昭和の時代から
尊敬と期待を集めてきた皇太子が、最近では、雅子さまのご意向ばかりを気にされている、と肩を落とす関係者も多い。
ご一家とご親交のある人物は、ご家族の日常の姿に驚いたという。
「以前、ご一家とお話をしていて、殿下のあだ名の話題になったことがありました。
殿下は“デンデン”とか趣味が年寄りくさいので“ジイ”というあだ名で呼ばれていました。
そのとき、愛子さまがゲラゲラと笑っていらしたのです。
雅子さまが殿下に話すときも『~なのよ』という敬語ではない話し言葉でした」
皇太子の学生時代を知る学習院関係者の間にも、そのイメージが広まっているのだという。
「学生時代の浩宮さまは、リーダーシップのある方ではありませんでしたが、
噴水に放り込まれて先輩のトレパンを借りて帰ったりと、とても快活な方でした。
その頃を存じているだけに、雅子さまのママ友のお相手をなさったり、参観日で長時間、初等科にいらっしゃるご様子を拝見すると、
つい“恐妻家”のイメージが先行してしまう。どこかに雅子さまへの気遣いを感じてしまうのです」

しかし、それこそご性格ゆえと、皇太子とご親交のある学習院OBの鎌田勇氏は話す。
「皇太子殿下は、まじめで私心のない方です。人の意見に熱心に耳を傾ける方です。
国や皇室のために良いことは何かと、しっかりとしたお考えをお持ちであると思います。
ただそのご性格上、本当に大切と思われる場合以外は、ご自分の意見を無理押しされることがないのでしょう」
かつての皇太子のそばに仕えた側近は、小誌記者の問いにこう言葉を濁した。
「殿下はお優しい方ですからね。意見をはっきりおっしゃらないにしても、
たぶん妃殿下のことだけでどうこうというわけでもないと思います」
その寛容なお人柄が多くの尊敬を集めている。だが、ご家族のことだけでなく、公正無私の御心も長く受け継いでいって頂きたい。

  • 最終更新:2017-06-25 13:39:21

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