雅子さまの特別な思い

雅子さまの歌に地元感激「復興後押し」…歌会始
皇居・宮殿「松の間」で15日に行われた歌会始の儀では、皇太子妃雅子さまが、
昨年11月にご夫妻で訪れた岩手県釜石市で釜石湾を目にした際の思いを歌にされた。
歌には東日本大震災の悲しみが癒やされるよう願いが込められ、
被災者からは「励まされました」などの声が聞かれた。
皇太子ご夫妻が昨年11月に訪問された同市平田の仮設団地。大槌町の自宅が流され、
夫婦でこの仮設に住む岩崎敬子さん(77)は当時、雅子さまと言葉を交わし、被災した状況などを伝えたという。
「とても気さくで話しやすかった。釜石を忘れないでいてくれたことは本当にうれしいし、
ありがたいこと。励まされました」と笑顔で話した。
野田武則市長は、「来ていただくだけでもありがたいのに、歌に釜石を織り込んでいただいて
大変感激している」と話す。
「新しい年の始まりに歌は大きな復興の後押しとなる。今年は本格復興の年と位置づけており、
歌を大切に復旧復興に努めていきたい」と決意を新たにしていた。
2012年の歌会始の儀でも、天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻は、
被災地をはじめ東北地方に関連した歌を詠まれている。
(2014年1月16日14時32分 読売新聞)
http:// www.yomiuri.co.jp/national/news/20140115-OYT1T01272.htm


雅子さまの特別な思い
2014年1月24日19時15分
〈悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり〉
1月15日、皇居・宮殿松の間で開かれた新年恒例の「歌会始の儀」。
皇太子妃雅子さまの歌が、読み手の朗々とした声で詠み上げられました。
実は、この歌には、雅子さまの特別な思いが込められていました。
昨年11月、雅子さまは皇太子さまとともに東日本大震災の被災地・岩手県釜石市を訪れました。
雅子さまにとって、3年9カ月ぶりとなる国内での泊まりがけの公務でした。
仮設住宅を訪れ、被災者を激励。予定になかった場所でも被災者に声をかけ、
「(津波で)兄を流されました」という男性を「つらい思いをされましたね」といたわりました。
津波で工場を流されて再建した水産加工会社にも足を運び、従業員を激励しました。
この日、雅子さまは目の前に広がる釜石湾に、心を打たれたといいます。
釜石湾はリアス式海岸の造形美と、穏やかな水面が古くから地元民に愛されてきました。
「長年海とともに歩んできた地域の人々の悲しみが癒やされますように」
「海が穏やかに人々の暮らしを守り、豊かな恵みをもたらしていってくれるように」。
雅子さまは、そんな思いを歌に込めたそうです。
 昨年は、雅子さまにとって節目の年でした。皇太子さまとの結婚20年、そして40代最後の年でもありました。
2012年12月の誕生日に際して「40代最後の年となるこれからの1年の日々を大切に過ごしていくことができればと思っております」
と文書で語っていたように、2013年、雅子さまは積極的に活動しました。
4月下旬から5月初旬にはオランダを訪問。
11年ぶりとなる公式の海外訪問に自信をつけ、夏から秋にかけて東日本大震災の
被災3県を訪問。お疲れが蓄積するために避けてきた2日連続の公務もこなしました。
「式典出席は○年ぶり」「地方訪問は○○以来」。
そんな注釈付きで報道されることもめっきり減りました。
長期療養に入る前の、本来あるべき姿に戻りつつあります。
雅子さまが復調傾向にある今だからと、これまで取材拒否だった複数の関係者が話を聞かせてくれました。
長期療養の原因としては、日常生活や皇室行事の中で、思うようにいかなかったり、
疎外感を感じたりする出来事が続いたことがあげられるといいます。
皇室行事は毎年同じような所作が繰り返されます。自信を失うきっかけとなった行事に再び出席しようとして、
心を痛めた過去の記憶がよみがえって体調を崩してしまう。
その繰り返しだったようです。
でも、雅子さまが周囲に悩みを打ち明けたり、誰かを恨んだりした様子はうかがえません。
雅子さまに近い人物は「皇太子さま、愛子さまに支えられ、つらい体験を自分で乗り越えたのでしょう」と話していました。
ご一家を支える東宮職も、雅子さまが元気だった頃を知る職員を中心に明るくもり立てているようです。
関係者によると、雅子さまは昨年12月、自身の誕生日について報じた新聞記事に久々にゆっくりと目を通したそうです。
長期療養に入った後、バッシングともとれる報道が続き、
雅子さまは体調がすぐれない時期には新聞や雑誌を遠ざけていたと聞いていました。
側近の一人は「精神的に余裕がおありになる証しでしょう」と分析していました。
昨年12月の雅子さまの誕生日当日。皇太子さまは南アフリカ共和国の
故ネルソン・マンデラ元大統領追悼式に参列するため日本を離れました。
外国の王室関係者以外の葬儀や追悼式への日本の皇族の参列は初めてでしたが、
政府や宮内庁が出席をめぐって議論を尽くしたか疑問を残したままです。
皇太子さまの不在による影響も心配されましたが、雅子さまは誕生日行事の準備などを積極的にこなし、周囲を安堵(あんど)させたそうです。
「歌会始の儀」は、天皇、皇后両陛下や皇族方をはじめ、入選した一般の人らの歌が披露される宮中行事です。毎年1月中旬に開かれ、
元旦から始まる皇室の新年の諸行事の締めくくりとなるものです。
「歌会」とは、人々が共通の題で歌を詠み、集まって披講することで、奈良時代にはすでに行われていました。
このうち天皇が催す歌会を「歌御会(うたごかい)」といい、
少なくとも鎌倉時代中期には、年の初めに天皇が歌御会を主催していたことが、当時の文書からわかっています。
これが明治時代に入り、一般から広く歌を募り、入選歌は天皇の前で披講されるようになりました。
今年のお題は「静」。広く国民からも歌を募るため、例年こうした平易な題が選ばれます。儀式は、両陛下や皇族方のほか、
「選に預かった」という意味から「預選者(よせんしゃ)」と呼ばれる入選者や各界で活躍する人たちが見守る中で進みます。
司会役の読師(どくじ)、節をつけずに読む講師(こうじ)、第1句から節をつけて歌う発声(はっせい)、
第2句以下を発声に合わせて歌う講頌(こうしょう)が松の間中央に置かれたテーブルを囲み、次々と歌を詠み上げていきます。
儀式はNHKで中継されますから、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
「預選者」として招かれた方々は、終始緊張した面持ちでした。
終了後には両陛下と懇談したそうです。最後に宮内庁庁舎で記者会見に臨み、頬を紅潮させながら喜びを語りました。
今回、最高齢となったのは愛知県の伊藤正彦さん(83)。
3年前に交通事故で妻を亡くし、1人住まいの様子を詠みました。
皇后さまから「おさみしいですね」と声をかけられたといい、
「(1人でも)さみしくねえやい、と意地を張ってましたが、皇后さまに温かく声をかけられ、胸がじんとなりました」と語っていました。
 都内の広告会社員、樋口盛一さん(29)は、詰めかけた記者やカメラマンを見渡して
「ドラマや映画でしか見ることがない風景を見ているよう」と一言。
大学4年のときに俳句の授業を受けたことがきっかけで、歌を詠むようになったそうで、今回、2度目の応募で見事選ばれました。
中島梨那さん(20)は、皇后さまの母校・聖心女子大の2年生。
大学の制服姿で出席しましたが、皇后さまはすぐに気づいたといいます。
皇后さまは自身の頃の制服と「似ているわね」と話したといい、
中島さんは「皇后さまの後輩といううれしさを意識できました」と笑顔で話していました。
大阪市の前田直美さん(52)は、姉の着物と母親の草履姿で出席。
そして、着物の帯には、亡き父の写真を入れていました。
天皇陛下に「家族と一緒に来ました」と伝えると、陛下は写真を見たいと希望。
両陛下に写真を見せたといい、「(父は)喜んでいると思います」と話していました。
あまり知られていませんが、読師の手元にある半紙には、それぞれの歌が毛筆で書かれていました。
これはすべて、両陛下や皇族方がご自身で書いたそうです。
取材席から目をこらして半紙を見てみると、天皇陛下や皇太子さまはくっきりと太く、力強い文字。
皇后さまは細く流麗な文字でした。雅子さまの字は、伸びやかで端正な筆致だと感じました。
しかし、儀式の場に、雅子さまの姿はありませんでした。
長期療養に入って以降、欠席が続いています。
今回、同じく療養を続けている寛仁親王妃信子さまが7年ぶりに歌を寄せました。
来年の儀式ではそろって出席されることを期待しています。
(宮内庁担当 島康彦、中田絢子)
http:// www.asahi.com/articles/ASG1H7DD5G1HUTIL069.html

  • 最終更新:2017-06-17 21:49:54

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