譲位 皇室会議

2017.12.1 11:23
天皇陛下譲位は平成31年4月30日 改元は5月1日
天皇陛下の譲位の日程等を決める皇室会議が1日午前、宮内庁で開かれ、平成31年4月30日に譲位して5月1日に改元することが決まった。
政府は5日の閣議で結果を報告し、8日の閣議で譲位日を定める政令を決定する方針。
天皇の譲位は、江戸後期の119代光格天皇(1771~1840)以来、約200年ぶりとなる。
皇室会議は議長を務める安倍晋三首相が招集し、衆参両院の正副議長や最高裁長官、皇族、宮内庁長官ら計10人で構成。
現在、皇族議員は秋篠宮さまと常陸宮妃華子さまだが、秋篠宮さまは譲位に伴い、皇嗣となられる立場であることから、常陸宮さまが代わりに出席された。
皇室会議は午前9時46分から始まり、午前11時に終了した。
政府が検討していた「31年4月30日譲位、5月1日改元」案と「同年3月31日譲位、4月1日改元」案が提示され、首相は4月30日譲位案を推したとみられる。
安倍首相は会議終了後、天皇陛下に内奏し、譲位が4月30日になることなど会議の結果を報告したとされる。
皇室会議には菅義偉官房長官も陪席し、臨時記者会見を開いて概要を説明する。
譲位後、陛下の称号は「上皇」、皇后陛下は「上皇后」となる。
皇太子さまの即位により、皇位継承順位1位となる秋篠宮さまの呼称は「秋篠宮皇嗣殿下」となる。
天皇陛下は昨年8月8日に在位30年での譲位を強くにじませるビデオメッセージを公表された。
これを受け、首相は10月に「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を発足させて議論を進め、1代限りで譲位を可能とする特例法案を策定。
国会は与野党協議の末、6月9日に譲位特例法を成立させた。
http:// www.sankei.com/life/news/171201/lif1712010023-n1.html


「皇位の継承に向け前進、深い感慨」 首相発言全文
2017年12月1日12時33分
安倍晋三首相が1日、皇室会議の終了後に首相官邸で記者団に語った発言全文は次の通り。

     ◇
本日、皇室会議が開催され、皇室典範特例法の施行日について平成31年(2019年)4月30日とすべき旨の皇室会議の意見が決定されました。
天皇陛下のご退位は約200年ぶりのことであり、憲政史上初めての事柄であります。
本日滞りなく皇室会議の意見が決定され、皇位の継承に向けて大きく前進したことに深い感慨を覚えております。
政府としましても、この皇室会議の意見を踏まえ、速やかに施行日を定める政令を制定するとともに、
天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が、国民の皆さまの祝福の中でつつがなく行われるよう、全力を尽くしてまいります。
http:// www.asahi.com/articles/ASKD140WCKD1UTFK002.html



退位
日程、苦肉の策 官邸と宮内庁綱引き
毎日新聞2017年12月2日 07時00分(最終更新 12月2日 09時54分)
1日の皇室会議で、天皇陛下が退位される日が2019年4月30日に固まった。
退位日は新元号が始まる改元と関わるため、国民生活への影響が大きい。
年末や年度末という区切りの良い日も検討されながら実現しなかった背景には、
年末をめざした首相官邸と、それに反発した宮内庁による綱引きがあった。
菅義偉官房長官は皇室会議後の記者会見で、退位日を2019年4月30日とした理由について、
年度末は転居が多く、与野党が対立する統一地方選が19年4月に予定されていると指摘した。
年度末で区切りが良い19年3月31日の退位日を選択しなかった理由を説明することに力点を置いた。
昨年の段階で、安倍晋三首相が最初に検討したのは国民生活への影響がもっとも少ない「18年12月31日の退位、19年1月1日即位・改元」だった。
年の変わり目の改元ならシステム障害が起きにくく、国民にもわかりやすい。
だが、宮内庁は元日の宮中祭祀(さいし)や国事行為の「新年祝賀の儀」など行事が集中することを理由に難色を示した。
それでも首相は「元日改元」にこだわった。菅氏とともに練り上げたのが「天皇誕生日の18年12月23日の陛下の退位、
24日の新天皇即位、19年1月1日改元」の日程だった。退位、即位と改元の時期をずらし行事を分散させ元日改元を実現する次善の策だった。
ところが宮内庁はこれにも反発し、官邸に年末年始の皇室行事の一覧表を持ち込んだ。
「12月から1月までいかに多忙かがわかる表」(同庁幹部)で、同庁は年末年始の皇位継承は難しいとの説明を繰り返した。
19年1月7日の昭和天皇逝去から30年の「式年祭」は現在の陛下が行うべきだとも伝えた。
「宮内庁は『とにかく年末年始だけはやめて』の一点張りだった」。官邸幹部は振り返る。
一方で宮内庁が今年夏ごろに提案してきたのは皇室行事が一段落する「3月31日退位、4月1日即位・改元」の日程だった。
官邸も検討は進めた。だが、4月に統一地方選が予定されるなかでは「静かな環境」とはなりにくい。
首相も10月ごろ、周囲に「なかなか難しい」と漏らすようになった。1~3月は来年度政府予算案の国会審議が続く。
夏には参院選がある。19年の政治日程を踏まえれば、残された選択肢は限られていた。
年度末の退位とすれば、宮内庁の言い分が通った形になるのを官邸が嫌ったとの見方もある。
今回の退位は、陛下の意向によって始まった側面が否定できない。それだけに官邸には主導権を確保しておきたいという意識が強い。
政府関係者は「陛下の意向をくんだ宮内庁が主導したとなると、(天皇は国政に関与しないという)大前提が崩れる。
年度末の異動によるシステムの影響はあるが、それは後付けの理屈だ」と指摘した。
官邸内では年末退位案が実現せず、中途半端な日程に収まったことに対し
「宮内庁は伝統や格式ばかりを重視しすぎている」(政府筋)との不満もくすぶっている。

皇室会議、採決せず
1日に宮内庁で開かれた皇室会議は、想定の1時間を超える1時間14分にわたる議論になった。
出席者からは、天皇陛下の退位が国民の総意となる必要性や、国民と皇室に混乱が起きないよう注意喚起する声が上がり、
議長の安倍晋三首相が退位を「2019年4月30日」とする意見案を示して集約した。政府高官によると、出席者から強い異論は出なかった。
午前9時46分から同11時まで行われた皇室会議には会議の議員10人が出席。
退位を実現する特例法の担当閣僚である菅義偉官房長官も陪席した。
会議では、特例法の全文などの資料が配られた。
「国民がこぞって陛下のご退位と皇太子殿下のご即位をことほぐにふさわしい日を選択する必要がある」との趣旨の発言のほか
▽19年1月7日に昭和天皇逝去から30年の「式年祭」がある▽19年4月に統一地方選が予定される▽4月前半は国民の移動が多く、
多くの行事がある--ことに留意を求める声も出た。
首相は冒頭、会議の趣旨を説明し「退位・即位の日程についての意見を聴きたい」と発言。続いて菅氏が特例法の趣旨を説明した。
そのうえで、首相が各議員を1人ずつ指名して意見を求め、議員は用意した文書を読み上げるなど意見を表明した。
大島理森衆院議長は特例法制定に至るまでの経過を説明し、伊達忠一参院議長が賛同する場面もあった。
高齢の常陸宮さまや常陸宮妃華子さまの体調を考慮し、10人全員が発言して議論が一巡した時点で休憩を挟んだ。
休憩中、首相は菅氏と別室で意見案について打ち合わせをし、議論再開後に提示。皇室会議の意見として決定し、出席者が署名した。
 出席者による採決は行わなかった。山本信一郎宮内庁長官は記者会見で「皇室典範に基づく議決ではない。
意見交換を踏まえてこういう意見がよい、という形で決定された」と説明。
「(日程案が)複数示されたということではない」とも語った。
https:// mainichi.jp/articles/20171202/k00/00m/010/185000c

2017.12.2 05:00
【天皇陛下譲位】官邸、宮内庁そして皇室…水面下で続いた静かなる攻防 憲法4条の狭間で揺れた1年4カ月
天皇陛下の譲位と改元の日程が1日の皇室会議でようやく決まった。
昨年7月13日にNHKが「天皇陛下が生前退位のご意向」と報じて1年4カ月余り。その裏では、首相官邸と宮内庁、そして皇室の間で静かなる攻防があった。
「憲法に抵触しかねないデリケートな案件だけに報道が先行して議論がねじ曲げられるようなことはあってはならない」
ある政府高官は厳しい表情でこうつぶやいた。憲法4条は「天皇は国政に関する権能を有しない」と定める。
これに抵触せぬ形でいかに天皇陛下の「お気持ち」に沿えるか。
この難問に対処するため、安倍晋三首相は、菅義偉官房長官、杉田和博官房副長官、今井尚哉首相秘書官らだけで極秘裏に協議を進めた。
昨年7月のNHKのスクープに官邸は衝撃を受けた。「寝耳に水」だったからだ。
しかも報道通り、天皇陛下は翌8月8日に譲位をにじませるビデオメッセージを公表された。
譲位は皇室制度の根幹に関わる。旧皇室典範策定時、明治天皇は譲位を可能とするよう望んだが、初代首相だった伊藤博文は一蹴した。
譲位により皇室で権力闘争が起きることを恐れたからだった。
にもかかわらず、天皇陛下の真意は官邸になかなか伝わらず、報道ベースで皇室の「ご意向」が次々に漏れ伝わった。
官邸は宮内庁との関係を強化すべく、警察庁出身で内閣危機管理監だった西村泰彦氏を宮内庁次長に送り込んだが、「菊のベール」は厚かった。
首相は昨年10月、譲位に関する有識者会議を発足させる一方、法制官僚らにひそかにこう命じた。
「皇室典範改正は最小限にとどめ、1代限り譲位を認める特例法を制定せよ」
「陛下のご意向」ではなく「ご意向に共鳴した国民の総意を受け譲位を実現する」と解釈すれば憲法4条に抵触しない。ギリギリの線だった。
それでも、譲位特例法をめぐる与野党協議は難航した。「皇室とのパイプ」を誇示する一部野党議員が「譲位の恒久化」を迫り、
女性宮家創設までねじ込もうとしたからだ。「譲位問題で政局を招くわけにはいかない」。
そう考えた首相は、高村正彦自民党副総裁と茂木敏充政調会長(現経済再生担当相)を与野党協議に投入して何とか事態を収拾させ、譲位特例法を成立させた。
これで一件落着、とはならなかった。譲位の日程をめぐり官邸と宮内庁の綱引きが始まったからだ。
官邸は、平成31年元日に譲位・改元する案を内々に決めていた。国民生活への影響を最小限にできる上、「元号離れ」を食い止められると考えたからだ。
ところが、宮内庁は「元日は早朝から重要行事が続く」と反発した。
官邸は「暮れに退位し、元日に改元」という妥協案を示したが、宮内庁はなお難色を示した。
「天皇陛下は31年1月7日の昭和天皇崩御30年式年祭を自ら営みたいと望んでおられる」というのが、その理由だった。
これで元日改元案は消えた。代わりに宮内庁は「31年3月末譲位・4月1日改元」案を打診してきたが、今度は官邸が難色を示した。
統一地方選の最中で政治的喧噪(けんそう)に巻き込まれる危険性があるからだ。
そこで浮上したのが、「31年4月末譲位・5月1日改元」案だった。4月29日は昭和天皇の誕生日である「昭和の日」があり、その後大型連休となる。
気候もよく祝賀ムードも醸成しやすい。首相は11月21日に天皇陛下に内奏した際、5月1日改元案の意味合いを切々と説明したとされる。
譲位日程は決まったとはいえ、即位の礼や大(だい)嘗(じょう)祭(さい)などの日程・段取りはなお決まっていない。
官邸と宮内庁の静かなる攻防はなお続くだろう。将来の皇室のあり方を考える上でも、譲位問題は政府に多くの宿題を残した。(譲位問題取材班)
http:// www.sankei.com/politics/news/171202/plt1712020004-n1.html


(耕論)天皇と政治 御厨貴さん、河西秀哉さん
2017年12月2日05時00分
天皇陛下が2019年4月末に退位することが固まった。「おことば」から1年半近く続いてきたプロセスから見えてきたものは何だろうか。
天皇のお気持ちと首相官邸の動きをどう考えればいいのか、そしてそこから浮き彫りになった天皇と政治の関係とは。
■退位、官邸と宮内庁のバトル 御厨貴さん(「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」元座長代理)
天皇の退位問題を巡り、官邸に設置された有識者会議で、私は座長代理を務めました。
その立場から見えたのは、今回のプロセスを通じて、官邸と宮内庁が一貫して熾烈(しれつ)なたたかいを続けていた、ということでした。
それは極めて政治的なバトルでした。
一連の動きは、昨年7月に突然NHKが「ご意向」を報道したことに端を発していますが、
私が最初に感じたのは、この情報発信は象徴天皇制の「則(のり)を超えたな」ということでした。
宮内庁参与など、天皇周辺の人々が政治の側にしかるべきチャンネルで働きかけ、政治が動きだすのが本来の姿だからです。
最初の「ご意向」は、宮内庁関係者がNHKに報道させようとしたのだろうと私はみています。
官邸側からは、退位を認めるけれども、退位に反対する一部保守派への配慮もあってか、
やすやすとそこへ持っていくわけにはいかないという思いを強く感じました。
私自身、座長代理として、官邸と、天皇のお住まいである「千代田のお城」とのせめぎ合いの一端を垣間見ました。
早い結論を求めて業を煮やす宮内庁側が「第二の天皇メッセージ」を準備しているといった情報も漏れ聞こえました。
いつ平成を終わらせ、次の天皇が即位するのかも、両者のさや当てになっていたと私は思います。
平成が30年で終わり、元旦から新しい年号というのが分かりやすく自然でしょう。
しかし、宮内庁が4月1日だといい、それを官邸側が5月1日に再びひっくり返したように見えます。
改元の日はメーデーですよ。驚きました。
     *
メディアが大きな役割を果たしたことも今回の特徴でした。
私自身、昨年7月に朝日新聞の紙面で、「有識者会議のような場が必要になる」と述べたのですが、
図らずもその3カ月後に有識者会議に入ることになりました。
8月にはテレビを通じ、天皇から、「ご高齢」という人道的な問題として、直接国民にメッセージが投げかけられた。
ご意向がメディアを通じて一気に広がり、事は急を要することになりました。
国は国民の理解を背景に、一瀉千里(いっしゃせんり)に結論を出す必要が生じました。
実は、メディアと天皇制の関係は1959(昭和34)年に、いまの天皇が皇太子で結婚した時にさかのぼります。
結婚の模様がお茶の間に映像で届くテレビ天皇制、かつて政治学者の松下圭一が呼んだ大衆天皇制です。
メディアの影響力は、有識者会議の検討プロセスにも反映されていました。
私たち委員はヒアリング対象者20人の選定には全く関わっていませんが、
私は思想的歴史的に研究した碩学(せきがく)を中心に話を聞くのかと思っていました。
しかし官邸は、5大新聞などへの登場数も基準に人選を進めたそうです。
そして有識者会議のヒアリングの度に新聞・テレビが、識者の発言を大々的に取り上げました。
結論のとりまとめでも、当初は官邸主導だったのが、途中で国会の正副議長が乗り出してくる、といった場面にメディアは注目しました。
しかし、官邸と宮内庁の政治バトルという肝心な部分に、メディアは十分な焦点をあてていなかったような気がしてなりません。
     *
近代日本の政治制度が想定していなかった天皇の生前退位が1日の皇室会議で実現に近づき、
一つの大きな歴史的節目を迎えたことは間違いないでしょう。この間の意思決定、政治過程は戦後政治の中でも異例なことの連続でした。
今回の退位をめぐる動きは、封印されていた箱を開け、近代の政治体制の中で、これまで考えてこなかった論点を考えられるようになりました。
天皇制や皇室について自由に議論できる空気が醸成されたという点は評価できると思います。
女性宮家の問題など、本当はすぐに検討を開始すべき問題は山積しています。
(聞き手 編集委員・村山正司、池田伸壹)

     ◇
みくりやたかし 51年生まれ。東京大学名誉教授。政治学者。
天皇、皇室と近代政治の関係についても研究。著書「天皇と政治――近代日本のダイナミズム」など。

■能動的象徴、利用される危険 河西秀哉さん(神戸女学院大学准教授)
今回の退位は、憲法で国政に関する権能を有しないと定められている象徴天皇制下で、
初めて天皇の発言で政治が動いたという点で大きな問題をはらんでいます。
しかし、昨年8月の「おことば」から1年半、問題の大きさはあまり認識されないままでした。
メディアと国民の側に、天皇と政治がかかわることへの抵抗感が減ってきていることを反映しているのだと思います。
今上天皇の人柄や振る舞いは国民から絶大な支持を得ているので、「今の陛下がすることなら間違いはない」という感覚があるのかもしれません。
今上天皇は、戦後50年の1995年あたりから、政治的にも踏み込んだ発言をするようになりました。
象徴天皇制の本来のあり方からの逸脱というより、時代の変化に応じた適応だと思います。
平成は停滞の時代で、格差が広がり、国民が分断されていきました。
その中で天皇は被災地や福祉の現場を訪れ、取り残されつつある人々に目を向けてきた。
社会の分断を前にして、国民統合の象徴として能動的に動こうとしたからこそ、行動や発言がある種の政治性を帯びざるをえなかった。
それが、昨年8月の「おことば」にまでつながっているように思います。
     *
驚いたのは、安倍首相が11月21日に内奏を行い、皇室会議の日程を天皇に報告した模様だと各メディアが報じたことです。
首相や閣僚による天皇への内奏が大々的に報道されるのは極めて異例です。
内奏は、戦後の象徴天皇制のもとでずっと行われてきました。
当初は、あまり問題視されることはなかったのですが、73年、防衛庁長官だった増原恵吉が、内奏時の昭和天皇の発言を記者に話してしまった。
天皇の政治利用につながると批判され、増原は辞任します。それ以来、内奏に触れることは一種のタブーになります。
変わったのは、95年の阪神淡路大震災が契機でした。
天皇の被災地訪問が国民に受け入れられた中で、政治家が天皇に報告するのもその一環と見なされたのでしょう。
2013年には、安倍首相が天皇に内奏する写真が初めて公開されましたが、メディアも国民も当然のように受け止めました。
     *
政治と天皇の距離が縮まるなかで、天皇が能動的な象徴たらんとすることを、政治の側が逆手にとるリスクも出てきています。
今は、天皇が進んで被災地を訪れていますが、政治がそれを利用しようという気になれば、
結果的に被災者の政治への不満を天皇が和らげ、政治の不作為を覆い隠してしまうことにもなりかねません。
今回、安倍政権は、象徴天皇のあり方や皇位継承をどうするかなどの本質的な議論は避けたまま、退位を政治日程に組み込みました。
昨年8月の「おことば」にこめられた今上天皇の思いは、半分は受け止められ、半分は政権に受け流された感じがします。
国事行為の縮小や摂政の設置を否定するなど政治性を帯びた「おことば」は、結局、政権によって政治的に処理されたのかもしれません。
菅官房長官が会見で述べたように、4月29日の昭和の日、退位、即位と続けることで、
「国の営みを振り返り、決意を新たにする」というのであれば、保守層の支持を得るために、天皇制という装置を利用しているように見えます。
ある意味で、われわれ国民の不作為も問われています。戦後の70年間、象徴天皇とは何なのか、その役割は何なのかを真剣に考えてこなかった。
その結果、天皇の政治的行為をなし崩し的に認めるようになってしまった。
今後は、2019年4月の退位を、国民がどう受け止めるかが課題になります。
ただ盛り上がるのではなく、政治の意図をきちんと見抜かないと、天皇と政治のかかわりがさらに進む恐れがある。
象徴天皇のあり方を国民が考える機会にすべきだと思います。
(聞き手 編集委員・尾沢智史)
     ◇

かわにしひでや 77年生まれ。専門は日本近現代史。
著書に「『象徴天皇』の戦後史」「明仁天皇と戦後日本」、編著に「平成の天皇制とは何か」など。
http:// www.asahi.com/articles/DA3S13255004.html

  • 最終更新:2017-12-05 20:47:38

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