秋篠宮家バッシング

フライデー2009年9月11日
秋篠宮ご夫妻「オランダ訪問ワガママ放題」のナゼ-外務省は右往左往
秋篠宮殿下からのご要望は3つ
運河めぐりとりやめ
動物園行き
随行員との会食ではなく妃殿下と二人での夕食を希望
外務省は困惑、宮内庁は秋篠宮殿下側
外務省関係者の愚痴
日程がほぼ固まった7月中旬、秋篠宮サイドから三つの要望
船で運河を巡る予定を「暑いからやめてほしい」
当初予定になかったのに「動物園に行きたい」
「警備の予定もあり、日程は早々気軽に変えられるものではない。
この急な(?)ご要望には現場担当者も頭を抱えてしまった」
さらに、日程後半に予定されていた両殿下と随行員の食事会を「夫婦二人だけにしてほしい」
随行員の慰労も兼ねたものなのに、趣旨を理解されていないのでは?
公務のあり方を「受け身」とした秋篠宮殿下。
自分から要望を出すことはしないはずなのになぜ?
渡辺みどり氏「どのご公務においても、妃殿下の果たす役割は非常に大きい。
妃殿下にはやはり華があり、人気も高い。
招待側も、やはり殿下だけでなくご夫婦で出席することを望んでいるのが正直なところでしょう」
東宮妃が役に立たないから、秋篠宮同妃両殿下にご負担がかかっている現状
実際、秋篠宮ご夫妻のご公務は目に見えて増えている。
今回のオランダもスケジュールびっしり。
「宮内庁の中ではお忙しいご夫妻を気遣う意向が強かったのです。
その結果として外務省が引き下がることになったのです」(宮内庁担当記者)
自身は皇位継承順位2位であり、同じく3位の悠仁さまを子にもつ秋篠宮さま。
秋篠宮ご夫妻は多忙な日々の中で、これからの皇室を引っ張っていくプレッシャーと戦っているのかもしれない。

週刊現代2008年07月19日号
美智子皇后「担当女官」がわずか3ヶ月で退任の波紋
女官の1人が秋篠宮家から皇居にうつり3ヶ月で退官し、関係者の間で波紋。
女官が3ヶ月で退任とは異例中の異例、通常は侍従や女官は10年以上勤務
「退任した女官は不平不満が顔に出がちな人で、紀子妃が秋篠宮家がいただいた贈り物を仕えている人に渡さず
冷蔵庫で腐らせたことに不満めいた発言も」(東宮関係者)
退任には美智子皇后も承認、皇后になんらかの「決断」があったのかもしれない。
「退官した女官はもともと次の女官がみつかるまでのつなぎで、問題はない。
同時期に退官した常陸宮家の女官もこの時期の退官が決まっていた」宮内庁侍従職

週刊新潮2011年8月18日
秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング-侍女長がノイローゼ
お妃のいる宮家に置かれる侍女長という役職は御所の女官長、東宮御所の女官長に相当する役職。
その人事は官報掲載が当然。
しかし1990年に創設された秋篠宮家の5人目の侍女長の人事異動を巡り、宮内庁内部で密かに波紋が広がっているという。
仮名を菊池明子さんとするこの侍女長は09年7月に任命され10年11月末に退任したが、今に至るまで官報に記載にされていない。
官報を印刷・編纂する国立印刷局、宮内庁ではらちがあかず、内閣府に問い合わせ。
官報は政府広報誌という位置づけのため、情報を掲載せずとも罰則はない(人事課)と前置きした上で
「今回の人事は原稿として情報はあったが私どもの掲載漏れ、内閣府のミスになると思う」と意表を突く回答。
菊池さんは70年に採用されて内閣官房への出向が長く、総理官邸事務所で歴代内閣の裏方を務め、
古川貞治郎氏の回顧録にも記されているほどの活躍ぶり。
09年3月に40年の役所勤めを終えた菊池さんはそのキャリアを惜しむ周囲からの勧めで同年7月に秋篠宮家侍女長に就任。
しかし自身が過ごしてきた役所とはまるで異なるしきたりにとまどい、
またイメージと実際の仕事が余りに乖離していたことで神経をすり減らし、
ノイローゼのような状態になって着任後わずか1週間余で出勤できなくなってしまった。
秋篠宮家には15+民間人扱いの侍女数名が務め、3人のお子様が登校・登園後打ち合わせが行われる。
主立ったスタッフを一同に、あるいは職種ごとに個別ミーティングを開くなど
議題の内容やメンバーによってフレキシブルに変わるが、大枠は両殿下同席のもと
公務については殿下と宮務官のやりとり、私生活については妃殿下か指示が出される。
宮邸は平屋作りの公室棟と2階建ての私室棟に分かれ、私室棟に近い一室が「女子詰め所」として侍女らのスペース。
侍女長は連日妃殿下に時間を賜ってその日の仕事の説明を受けるが、ご家族は5人なので
あらゆる作業が生じ、妃殿下が公室棟で指示を出されることもあれば私室棟に呼ばれることも。
そうした折、妃殿下は細やかに、時には厳しい意見を述べられられ、"反省会"の様相を呈することもしばしば。
秋篠宮家のミーティングが単なる一日のスケュール確認以上の性格を帯びていることは明白。
ダメ出しを賜りつつ新たに細密で高水準のリクエストが出されるという日々。
東宮家の職員は50人だが秋篠宮家は15人。絶対的な人手不足の中3人のお子様を育て、
二人の皇位継承者がいるとあっては妃殿下の背負われる重圧は計り知れない。
筆頭宮家を支えていくという強固な責任感がスタッフ指示への「ハードル」を上げていく形になっているのでは。
侍女は御用地内の宿舎から宮家に通う、いわば24時間勤務のようなもの。
両陛下との関係や他宮家とのつきあいがある上、お子様の教育付いては前例がほとんどない、
両陛下の意向を伺いながらなので過酷だと思う、と述べた皇室ジャーナリストはこう指摘する。
妃殿下はご自分の考えをはっきり仰るようだし、何よりお子様が多いので宮邸の仕事がきつくなるのは道理。
「こうしてください」という指示も細かくならざるを得ないのだろう。
酷暑の熱気にむせかえったとたん、体感温度が一気に零下へ。
あたかも氷のごとき峻厳で鋭利なお言葉が連日発せられるわけである。
菊池さんについて改めて宮内庁に問い合わせると「明確な理由について本人から聞いていない」。
彼女の前任者が1年数ヶ月で退任しているのは「家庭の介護のこともあり退職を願い出た」
しかし11年間秋篠宮家侍女長を務めた人もやはり最後は身体をこわし、仕事は年度末までとする診断書を出すに至る。
彼女は傍から見ていても"今にも逃げ出してしまうのではないか"と思えるほどに憔悴しきっていた。(宮内庁古参職員)
かつてある側近は紅殻をうっかり誤読したところ即座に妃殿下が訂正された、
いわば男性のネクタイの結び目が曲がっていると気になってしまう、という類の話。
また、旧秩父宮邸を増改築中の98年頃、妃殿下は用度課職員をたびたび呼んで
応接セットの配置やカーテンの色への指示を適宜出していた。(宮内庁幹部)
お立場を全うしたいとの使命感からもたらされる行動であることは疑う余地もなく、
有形無形に発露されるご心情は、時に"外部"へ向けられることも、として
08年1月26日に悠仁様が庭で転倒した件が2週間後にTBSで報じられ(情報漏洩)たことを、妃殿下が警備担当者らに強い懸念を直接表明。
菊池さんの体調不良で宮家の重要ポストが1年半近く「空位」だったわけで、後任の侍女長も昭和天皇、皇太后に仕えた経験から抜擢されたが、
比類無き激務であるため当初は固辞。2年で戻すと必死の説得で宮邸に。
先の大震災で真っ先に動いたのが秋篠宮家。3400枚のタオル詰めや続けての被災地慰問。
単なる視察ではなく避難所見舞いをされているわけで、男子のお子様を育てながら
次々と公務をこなされる紀子様は相当のストレスをお感じになっていることと思う。(神田秀一)
侍女というのは宮家の生活に合わせて動く仕事。規則はあっても細則はほとんど無く、日々の判断が重要。
公務員といえども役所仕事とは180度異なり、「書類に判子がないから動けない」ではつとまらない。
どんなに優秀でも能力を発揮できない方もいるかもしれない。(同)
菊池さんは官報未記載についてノーコメントで足早に立ち去っていった。

週刊文春2011年8月25号
宮内庁職員が「秋篠宮家には異動したくない」。なぜ境遇に変化が…
紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ
「昨夏、週刊誌に悠仁さまのグラビアが掲載された際、紀子さまが皇宮警察に対して
『将来の天皇に何かあったらどうするのですか』と遺憾の意を伝えられ、所轄署も注意を受けました。
お茶の水女子大学附属幼稚園の周辺は警備が厳重になり、
通りがかりの主婦が遠くから見ているだけでも、両脇に警官が立ち、名前や住所を職務質問するほどです」(警察関係者)
震災の影響で、3月に予定されていた悠仁さまの取材の機会はキャンセルになり、いまだに「着袴の儀」の予定も決まっていない。
そういった事情もあるのか、宮内庁関係者から「紀子さまが、以前にもまして一つ一つのことに気を揉んでおられる」という声が漏れ聞こえてくる。
「秋篠宮両殿下はとても気のつく方々ですから、ご要望も多いのです。
例えば、過去の妃殿下は台所に立つということがほとんどなかったのですが、
紀子妃殿下は御料牧場などから届けられた肉や卵の鮮度をご確認なさって『お願いしていたものと違います』と仰ったり、
ご家族の誕生日の際に、招待する方の順番やその際の手順に不手際があると後からご意見を述べられる。
我々が良かれと思ってやったことが裏目に出てしまい、行き違いが生じることがあるのです」(かつて秋篠宮付だった元職員)
皇宮警察官にも戸惑いの色があるという。
「悠仁さまのご通園時の警備体制については、とくに紀子さまの強い御憂慮が伝わってきます。
最近では皇宮警察官が紀子妃殿下にお声をかけていただけず、
自分に落ち度があるのだはと考えてしまうことがあるそうです」(前出・警察関係者)
また、公務に関するご説明で秋篠宮家にうかがったことがあるという、ある中央省庁官僚は、
「われわれ役人が宮邸にうかがうとき、各宮家ではこちらが恐縮してしまうほど丁寧にご対応下さいます。
たとえば、ご説明など仕事が一段落すると、まるで合図されているかのような絶妙の間で
お茶とお菓子が出てくる。ただ、秋篠宮家ではお茶を頂いた記憶がありません。もちろん些細なことなのですが…」
こういったことから垣間見える秋篠宮家のご様子について、皇室ジャーナリストはこう解説する。
「問題はスタッフの規模が急激に大きくなり、人員のバランスが崩れていることなのです。
(退任した)侍女長の件もそういった環境の激変の中で起きている。
十年以上務めた調理師も退任しています。悠仁さまがお生まれになってから、看護師を増員するなど、
職員が九名から十五名に増えていますが、経験のない新人も配置され、
『秋篠宮家に新人を配属して大丈夫なのか』と関係者から声が上がったほどです」
この規模拡大は、将来の天皇である悠仁さまのご成育環境を整えるため、一気に進められた。
風岡宮内庁次長も国会答弁で「保育、看護に全力を挙げて取り組んでいきたい」と述べているが、
悠仁さまがお生まれになった後には秋篠宮家にご不便がないよう、那須御用邸や御料牧場内の施設の一部の改修されている。
東宮には三人の家族に約五十人の職員がいるのに対し、秋篠宮家は増えても五人の家族に
十五人しかおらず、予算や護衛の数にも大きな差がある。
両殿下は、その中で皇位継承順位第三位の悠仁さまを育てなければならない。
それらの負担が職員のプレッシャーになってしまっているのか、
「宮内庁職員や皇宮警察の中に、『配属されるなら、秋篠宮家よりも東宮家のほうがいい』と洩らす人間が増えているのも事実」(別の宮内庁関係者)
この夏、秋篠宮ご一家は両陛下とご静養先の軽井沢で合流されることが検討されている。
前出宮内庁関係者も「少しの間でも、ゆっくりお過ごし頂きたい」と願っているという。


週刊女性2011年9月13日
「結果」を残す 紀子さまがなぜ"悪者"に?
にわかに"逆風"が吹き始めた紀子妃殿下。
育児から公務、研究まで幅広く活動されていることは誰もが認めるところ。
宮内庁担当記者が説明するように、お子様方の教育やしつけも行き届いている。
不満一つ漏らさず頑張っていらっしゃる。
そんな中での、バッシングと言ってもいいような各誌の報道。
ある宮内庁関係者
「宮家の侍女長の仕事は会社や役所のそれとはかなり異なり、
事務的なものばかりではなく公務での服装持ち物の相談やプライベートな領域まで幅広い。
両殿下との信頼関係を築き阿吽の呼吸で仕事が進められるまで長い時間が掛かると思うので、その意味でも短期間での交代は残念な気がする。」
妃殿下は真面目で責任感が強い方だから、こまかい指示に困ることが多い、と関係者の証言。
和気藹々とした様子を拝見しているので、今回報道のような行き違いのようなものがあるとは考えにくい、と高清水有子氏。
皇太子ご一家に比べて秋篠宮家の職員数が少ないことが職員の負担になっているのではないか。
山下晋司氏は少数の方が意思疎通が図りやすいがデメリットとして
宮家では直接のやりとりが日常的に行われているため、関係が濃密になり細かい点まで話が及ぶのは当然。
しかし職員の立場で相手が皇族なら遠慮し、思ったことが言えないこともあるだろう。
それで精神的に疲れたり不満となる可能性はある。
秋篠宮家には皇位継承順位2位と3位の方がいるが、宮家であることに変わりはないので
国が関与する割合は小さいため、悠仁様の「帝王学」は大丈夫か、という議論につながっていく。
山下氏は更に「女性・女系天皇の議論だけでなく、国と皇室との関係を抜本的に見直す必要があるのではないか」
そのような根本的な問題のひずみが今回のような"逆風"を生んでいるとするなら、紀子様にとっては不幸としか言いようがない。

週刊文春2011年9月22日
紀子さま45歳、秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」-10人以上の職員が
9月11日、編集部はある宮内庁関係者を取材。
この人物はかつて宮家職員が打ち明けた一件が忘れられないという。
この職員は、紀子妃殿下が普段のイメージとは違う迫力で叱責したことに慄然とし咎められた理由を覚えていないほど。
事務方トップの宮務官、オクを仕切る侍女長。この二つのポストだけでもこの4年で6人が辞め、
他のポストも含めれば10年で10人以上が交代している。
お辞めなる方の気持ちはわかる、と前出宮家職員は
「半ば神経症のようになって宮家から下がる職員もいるが『あそこで働いていれば、日々積もりに積もるのがあるのは当然です』と」
悠仁さまが生まれてからは職員は増えているが本質的な人手不足は解消されていないため、
本庁や東宮職の経験者が宮家に移るとその仕事量の差に驚く。
16名の職員はオールラウンダーにならなければならない。(別の宮内庁関係者)
2008年頃まで宮家を切り盛りしていた飯島蘭子氏はマデレーン・オルブライト氏に雰囲気がそっくり。
予算管理が厳しく話しかけるのも憚られるような雰囲気。(元宮家職員)
だが彼女も去り際には心身のバランスを崩したようで、最後はほとんど出勤できなくなっていたらしい。
忙しさと人手不足、理由は知らないが殿下との関係にもつれがあったと聞いた。(別の宮内庁関係者)
飯島氏という"重し"がなくなった現在の宮家を牛耳っているのは"両殿下の三人の側近"(前出・宮内庁関係者)として富士幸子氏(元宮務官・富士亮氏の妻)
松田慶文氏(元フィリピン大使で御用掛)犬伏紗智子氏(飯島氏の前の侍女長・非常勤)
以下、両殿下との関わりと松田氏のコメント。(犬伏氏は取材拒否、富士氏は不在)
そもそも宮内庁の人事が行き届いていない。
将来天皇になる可能性が大きい悠仁様を育てる宮家だから様々な苦労は当然。
人事異動をする前にどういった人材が必要か、まずは両殿下によく相談するべき(皇室ジャーナリスト)
職員の不和がご一家の負担になってはならない。適正な人事態勢を整えることが宮内庁の急務ではないか。

女性セブン2011年10月6日
雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの-紀子さま批判の背景を追って
▼将来の「天皇の妻」と「天皇の母」雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの
年中組に進級された悠仁様は、年長組が育てている野菜を熱心に観察など、充実した幼稚園生活。
幼稚園行事にも積極的に参加し悠仁様に惜しみない愛情を注ぐ紀子妃殿下を巡り、
バッシングめいた批判が相次いで報じられる。
真摯なお姿に国民の多くが好感を抱いている。そんな中、吹き出した逆風。
いったいなぜこのような状況に立たれることになったのだろうか。
▼皇室像」と「ご実家」際立つおふたりのスタンスの違い
共に民間から皇室に嫁がれた雅子妃と紀子妃殿下。
「外の社会を知らないで皇室に嫁がれたことが、紀子様が皇室に溶け込めた理由の一つではないか」(神田秀一氏)
紀子妃殿下の皇室および両陛下へ敬愛を持っている。
一方の雅子妃はそういった気持ちをほとんど持たれなかったといわれる。
皇后陛下は妃が皇太子と婚約したときから、東宮は独立しているという思いを大切にして
東宮にはあまり口出ししないようになさってきたという。
そのため妃に遠慮があって皇后陛下に直接相談することはあまりないようだ。(皇室関係者)
その背景には"皇室の伝統"を大切にされる紀子妃殿下と"新しい皇室"像への思いを持つ
雅子妃とのスタンスの違いがあるのかも。
このスタンスの違いは二人の妃と実家との距離に少なからず反映されている。
雅子妃と小和田家の距離はとても近い。妃が体調を崩してからはなおさら。
「紀子さまが嫁がれた当初、御所へ出されたはずの手紙が、別の宮邸へ誤配されるという嫌がらせもあった。
しかしそんな辛い時でも紀子さまはご実家の両親ではなく、あえて美智子さまに苦しい胸の内を打ち明けられた。
それは美智子さまのご実家には頼らずに皇室にふさわしい女性となられた姿を見習われてのこと。
実際、紀子さまのご実家の人々が宮邸を訪ねることはほとんどない」(宮内庁関係者)
紀宮さまはご結婚前、最後の思い出にと両陛下と那須御用邸で過ごされ、秋篠宮ご一家も合流。
ところがご静養2日目、佳子さまがどうしても学校行事に出席せねばならず、紀子さまは佳子さまといったんご帰京。
だがその日の午後再びとんぼ帰りで那須へ。那須塩原―東京は往復300km。
「紀子さまとしては両陛下が紀宮さまと最後の思い出を作られるうえで、少しでも一緒の時間を持ち、
お役に立ちたいと願われたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
いまでも週に1度は三人のお子さまを連れて両陛下のもとをお訪ねになっている。
あるとき、美智子さまと紀子さま、ご結婚前の紀宮さまが3人で御所にお集まりになって
お菓子づくりをされることがあった。だがそこの雅子さまがご一緒されることはなかったという。
社会での経験が少ないという自覚からか、紀子さまはご結婚直後から頻繁に美智子さまをお訪ねになり、
様々なことを相談されてきたという。美智子さまにとっても初めての嫁でもあり、“キコちゃん”と呼んで可愛がられた。
「雅子さまは母・優美子さんを何より頼りにされていて、彼女が東宮御所を訪れる姿は度々見かけられている。
雅子さまは妹さんの家もよく訪ねたり静養先に妹さん一家を呼ぶことも少なくない」(皇室関係者)
雅子妃が長年に渡る静養を続けている間も紀子さまは自らのご公務を行う一方で、ご高齢の両陛下を気遣われてきた。
▼紀子様を悩ませる東宮との歴然とした差
2006年2月、女性・女系天皇を容認するための典範改正議論が巻き起こる中、悠仁様懐妊。
しかし皇室では前例のない帝王切開を案じて毎日のように紀子妃殿下に電話する皇后陛下。
「私は大丈夫ですから」と気丈に振る舞う姿に涙ぐまれた。
典範改正がなければ悠仁様は将来の天皇。紀子妃殿下は将来の"天皇の母"その重責とプレッシャーを強く感じられたのでは。(神田氏)
しかし秋篠宮殿下は天皇になるための教育をほとんど受けていないため、悠仁様に"天皇"という立場を伝えにくい問題が発生。
さらに紀子妃を悩ませるのが秋篠宮家と東宮家では歴然とした待遇の差、衛視を含めた職員の数、家の広さ、内廷費と皇族費の差がある。
必然的に秋篠宮家は慎ましい生活を送らざるを得ない。
しかし紀子さまとしては秋篠宮家には皇位継承が2位と3位の二人がいるのに、
どうして東宮との間にこんなに待遇の格差があるのだろうという思いが強く、
釈然とされないところもおありなのかもしれませんね(別の皇室関係者)
▼普段の紀子様はしゃきしゃき話される
整わないバックアップ体制に、紀子妃殿下も焦りがおありのことだろう。
そのため日常生活の些細なことにも神経をとがらせていらっしゃるようだ。
悠仁様をビル屋上から撮影されたことに激怒され、所轄の警察が施錠の処置をしたこと、
登園時間と犬の散歩が重なったとき職質のように質問されたことに不満を漏らす人もいる。
愛子様のように運動会などで取材設定の場所が一切設けられていない悠仁様。
多くのマスコミからは残念がる声が後を絶たないが、これも紀子様が悠仁様について必要以上に神経質になられている現れなのかも。
会見では鷹揚な語り口の紀子妃殿下は、普段はしゃきしゃき話し、てきぱきと指示を出し物事をはっきり仰るタイプ。
悠仁様誕生後はその傾向に拍車がかかり、要望は増すばかり。(前出・皇室関係者)
妃殿下の要求が高くなるほど職員たちの負担も大きくなり、通常2年間任期の宮務官が今年3月、着任8ヶ月で辞職。
秋篠宮家職員の仕事量は東宮職員より圧倒的に多く、昼に職員食堂へ行けず、弁当持参の毎日。(前出・皇室関係者)
少人数で切り盛りするからこそ、紀子妃殿下としても個々に対する要求も多岐に渡ってしまう。
短期間でころころ人事が代われば意思疎通が円滑にいかない。それをいい方向にしたい紀子妃殿下は、
新しい職員に逐一アドバイスされるのだろうが信頼関係をなかなか作れない職員からは厳しすぎると映ってしまうかも。(神田氏)

雅子妃は"お世継ぎ"のプレッシャーから解放されたが、
将来は"天皇の妻"、"皇后"となる立場。両陛下ともにご高齢で体調も芳しくない。
こうした状況下でも妃の公務回数は依然増えておらず、
"早く公務復帰を"の声が上がっているが不透明。(前出・宮内庁関係者)
東宮家でも秋篠宮家同様に側近が立て続けに入れ替わっている。
末綱隆氏から愛子様の信頼も厚かった木幡東宮女官長、野村東宮大夫まで。
公務復帰もままならない中"チーム雅子妃"は崩壊状態。
このままでは将来の"天皇の妻"という役割がどうやってサポートされるのか心配は高まるばかり。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

文藝春秋2006年10月号
座談会:毎日の井森記者
「両陛下は付き合い始めた直後から、紀子様を紹介されており、ご夫妻の結婚に反対されていたという事はない」と否定。
クリントン大統領歓迎晩餐会の不参加も宮様が我儘を通したわけではない、
さらには「親しいタイ人女性がいるとか、まったく事実無根の報道もあり、
秋篠宮ご夫妻が心を痛めたことがありましたね。お気の毒になります。
秋篠宮さまがこれだけ、反日勢力にバッシングされるという事は、皇太子と違って、軽はずみに丸め込めないからでしょう。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

AERA2013年9月30日
なぜ紀子さまバッシング
病気療養が続く雅子さまに代わり、紀子さまの存在感が増している。それに伴い、厳しい記事も。
宮家でありながら皇位継承者の養育を担う、そのプレッシャーと苦労が「紀子さまスマイル」を奪っているのか。

先月末、東京都中央区で開かれた「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」には、
紀子さまの姿があった。紀子さまの出席は20年以上前から続き、今回は長女の眞子さまも5年ぶりに同席された。
親子の取材に詰めかけた報道陣は例年の2倍以上、20社。警備も3倍の15人で会場を固めた。
学生時代から手話を学ばれているという紀子さまは終始、目を細めて口角をぐっと上げる
「紀子さまスマイル」で、滑らかな手話を披露された。恒例となった紀子さまの手話によるあいさつも、
参加されて2度目の大会から始まった。紀子さまのご意向で高校生10人のスピーチをすべてご覧になり、
直接お話しされる時間も設けられている。
8月は、スピーチの練習もあり、全日本ろうあ連盟顧問によるご進講は5回に上った。その努力もあって、
「紀子さまの手話がゆっくりと、メリハリがあってわかりやすい」と、来場者の好意的なまなざしが注がれた。
今年で2度目の参加となった眞子さまに、紀子さまが指導するような場面は見られなかったが、
手話やボランティア活動への思いを受け継いでいきたいという思いがあったのかもしれない。
■緊張感が高まって…
いつもやわらかな笑みをたたえ、おっとりと上品で努力家。
控えめで口数の少ない紀子さまだが、公の場を離れると自由に話されることもあるようだ。
「年に一度、秋篠宮殿下の誕生日に記者会見があり、直接報道陣と言葉を交わされる機会があります。
オフレコの時間に記者から『お奇麗ですね』と言われ、とても嬉しそうな様子で『やだー』と言いながら
肩をたたいていたこともありました」(宮内庁関係者)
そんなイメージを覆すような紀子さまの言動が最近、週刊誌では取りざたされている。
コンテスト関係者は「どうしてあのような報道がされるのかわからない」と首をかしげた。
ある宮内庁関係者はこう話す。
「皇室に嫁いで既に20年以上が経過する紀子妃殿下ですが、その大部分は実に穏やかにお過ごしだったと思います。
ところが、ここ1、2年は若干の変化が見られるように感じます」
つい最近もこんなことがあったという。次女の佳子さまがプライベートでお出かけになり、
予定よりも遅い時間にお戻りになった。そのとき紀子さまは、硬い表情を崩さず、
佳子さまとは、ほとんど会話を交わさなかったという。
「それほど大きな出来事ではないと思われたのですが、妃殿下はどこかイライラしているように見受けられました。
一時が万事、そのような調子なのです」
別の宮内庁関係者も、最近の紀子さまの様子について、こう話す。
「特に、悠仁さまがお生まれになったころから緊張感が高まっているように感じます。
普段の生活ではあの笑顔もなくなりました。
秋篠宮家を担当する人数は少ない分、優秀な職員が配置されていますが、ピリピリした雰囲気に、
そうした人たちですら、接することに気後れすることも多いようです」
■相次ぐ週刊誌報道
事実関係は不明だが、最近、紀子さまの言動を取り上げる週刊誌が増えており、「バッシング」とも言える状況になりつつある。
週刊文春は「秋篠宮妃紀子さま『氷の微笑み』の裏側」(今年8月8日号)という見出しで、
6月に中東欧3カ国を公式訪問された際に、通訳の女性に「日本語にもなっていないし、なんだかよく分からない!」
と語気を荒らげて叱責したなどと伝える記事を掲載。女性自身は「紀子さま愕然―悠仁さまお誕生日コメントに
宮内庁担当記者たちが大怒号!」(9月24日号)という記事で、宮内庁職員と秋篠宮ご夫妻との間にある亀裂が、
ご一家の情報量の少なさにつながっていると報じた。
週刊文春は以前、雅子さまと紀子さまのどちらが皇后にふさわしいかをインターネットでアンケート調査し、
「紀子さまの支持率が62%にのぼった」とも伝えている(6月13日号)。
それだけ熱い視線と、期待が向けられていることへの裏返しなのかもしれない。
子育て中の紀子さまの日常は多忙だ。お茶の水女子大学附属小学校に進学された悠仁さまを運転手付きの車で
送り迎えし、その間に公務をこなす。昨年9月からの1年間で、地方公務は計13回、11道府県に上る。
悠仁さまがご一緒されない場合は北海道や福岡県でも日帰りや1泊2日の日程で、赤坂御用地内になる宮邸にお戻りになっている。
秋篠宮殿下もお一人で地方へお出かけになることもあり、
眞子さまは今年7月、福岡市で開かれた「アジア太平洋こども会議・イン福岡」(APCC)設立25周年記念行事にお一人で出席し、
公務で初めて単独地方訪問をされた。
■サポート体制に差
それぞれが公務に奔走される中、ご一家は天皇、皇后両陛下のもとを度々訪ね、3世代で過ごすことも多いという。
「皇后さまのお話の中にも『紀子ちゃんはね……』とよく登場されています。紀子さまは嫁としても
よく気配りされていらっしゃいます。悠仁さまは報道陣の前に出る時、必ずあいさつをするよう
教えられているようで、忘れている時は「ほら」と促されています。そのため3歳になるころには、
きちんとあいさつができるようになっていました。悠仁さまは天真爛漫で礼儀正しく、記者の中でとても人気があります」(皇室ジャーナリスト)
いまや皇位継承者をはぐくむ宮家として、国民が見守るようになった秋篠宮家。だが、皇太子ご一家と比べるとその待遇の差は大きい。
皇族の身の回りのお世話をする宮内庁職員は国家公務員法に定められた特別職で、私費で雇用される
使用人を除くと天皇、皇后両陛下のもとに20人が配置されている。皇太子ご一家は15人の職員が支える。
だが、各宮家には事務的な調整をする宮務官と、女性皇族のお世話をする侍女長が1人ずつ(三笠宮家は2人ずつ)。
それは、皇位継承3位の悠仁さまがまだ小さい秋篠宮家も同様だ。
車での移動の際には、赤信号で停車せずに目的地まで行けるのは天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家まで。
警護も少なく秋篠宮家はより一般の家庭に近い生活をされていると言われている。
報道陣への対応も皇太子ご一家とは異なる。天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家のご様子などは
宮内庁長官や東宮大夫が開く記者会見で定期的に発表されてきた。もし報道された内容に異議があれば、
訂正や苦言も代弁され、宮内庁のホームページ上でも文書で抗議している。
だが、そこには秋篠宮家に関する内容はほとんどなく、宮務官による会見もない。そのため、
宮家は何でもご自分で判断し、対応しなければならないことが圧倒的に多い。
■宮家が置かれた立場
報道陣がご一家の意向に翻弄されるという面もあるようだ。
「今年、佳子さまがアメリカでホームスティされた時のホストファミリーは、紀子さまの知人の
ハーバード大学教員で、紀子さまご自身が選ばれたようです。現地で取材時間が設けられるはずでしたが、
先方がお断りされ、結局実現しませんでした。8月に悠仁さまが福井県の恐竜博物館をご覧になった時も、
ほんの数日前に取材が決まりました。
宮内庁が秋篠宮家の取材をコントロールできているとは言えない状況です」(宮内庁担当記者)
前出の宮内庁関係者はそういった歪みが、紀子さまの言動となって表れているのではないかと推察する。
「本当のところは妃殿下に伺ったわけではないのでわかりませんが、秋篠宮家の置かれたお立場ということが
関係しているような気がします。殿下と悠仁親王とお二人の将来の天皇がおられ、
皇室を継いでいく位置にありながら、将来は皇后になられ、皇后の母ともなります。
そうした重圧がかなり妃殿下の肩にのしかかっているのは、想像に難くありません」
ただ、宮家であるがゆえに、皇族費は、天皇家や皇太子家に比べかなり低い。皇太子さまが天皇になられた時、
秋篠宮さまは皇太子にはならず、一宮家のままという状態が続く。「分家」ゆえの気苦労も絶えないようだと、宮内庁関係者は言う。
「紀子さまもまた、皇太子家に遠慮があって、目立った動きはなかなかできない。悠仁親王に帝王学を授けることも、
表立ってはできないようです。また、皇太子殿下を通り越して秋篠宮殿下が天皇になる、というような報道もありました。
それは極論だとしても、そんな可能性もないわけではない。そうなるとなおさら妃殿下にかかるプレッシャーは大きくなる。
そんな悪循環のような状態に陥っているのではないでしょうか」
雅子さま不在の中、皇位継承と、公務の主力を担う宮家へのサポート体制の弱さが、結果として、
紀子さまバッシングを招いているとも言えそうだ。

  • 最終更新:2017-04-30 12:58:12

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード