秋篠宮ご一家 ニュース・エピソード等1

礼宮さま時代のエピソード
平成皇室論 橋本明 朝日新聞出版2009年7月
(礼宮さまが)留学先から昭和天皇の病室に見舞いに来られた際、ロンドンで航空券を購入するのが大変だったと聞く。
それでも有力政治家からの提供を断り、何とか入手しておじいさまを見舞われたのだった。



千歳サケのふるさと館
1998年7月
7月3日(第144回)
秋篠宮ご夫妻が来館 やわらいだ雰囲気感じる
キュウリウオの話と前後してしまいますが、
この5月28日、日本動物園水族館協会の総裁である秋篠宮殿下が、札幌での総会ご出席後、
紀子様とご一緒に当館をお訪ねになりました。
先の皇太子殿下の時は張りつめた緊張感が漂っていましたが、
今回はそのお人柄も手伝ってか、やわらいだ雰囲気が感じられました。
キュウリウオのにおいを直接嗅がれたり、水生昆虫を殿下自ら紀子様にご説明されたり、
また、紀子様も一度は通り過ぎたパネルをまたご覧になったりと、「この館を楽しまれている」
後ろから見ていてそんなほほえましさが伝わってくるご訪問でした。
先日、家でゴロゴロ「朝のワイドショー」を見ていたら、
「秋篠宮殿下ご成婚記念日」ということで特別番組が放送されていました。
何げない風を装い、のめり込んで見いたのは言うまでもありません。
生い立ちから、出会い、エピソードなどと番組は進みます。
紀子様の最近のファッションへと移ったときに小樽水族館が出ました。
映像は楽しくイルカのショーをご覧になっているところ。
「この後にウチに来たんだ」と真剣にテレビを見ている私に
「同じ服だったの?、じゃあ、うつんないわ」と冷ややかに答える家内。結局、うつりませんでした。
今回、テレビ放映はあまり期待していなかったのですが、
それでも館が映れば労も報われる、そんな気持ちは、やはり今でも変わりません。
http:// www.city.chitose.hokkaido.jp/tourist/salmon/samon/9807.html


宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』
2001.9.8
「新世紀・みやぎ国体」の夏季大会がいよいよ今日開幕。
利府町のグランディ21で秋篠宮殿下、妃殿下をお迎えして開会式があった。
今世紀初めての国体がこのみやぎの地で開催されたことに、感慨を覚える。
開会式を終えて、両殿下のご視察に同行。古川農業試験場視察のあと、
宮崎町の鳴瀬川でのカヌー競技、迫町の長沼でのボート競技を観戦した。
朝からとてもいい天気。久しぶりに「暑いな」と感じるような好天で、国体日和としては申し分ない。
全く科学的根拠はないのだが、この好天気は自分の精進のおかげと信じている。
どこへでかけても、両殿下の人気にはすごいものがある。沿道で車に手を振る人達の顔が上気している。
同行する私と佐藤勇県議会議長までもが熱気に当てられてしまっている。

朝の出発が早い日ではあったが、明日、明後日と早出が続くので、
ちょっと無理して今朝は6K走った。涼しいので、走っている最中はあまり汗をかかない。
早出になるのは、明日から国体の夏季大会が開幕するからである。
開会式にてお言葉をいただく秋篠宮殿下、同妃殿下が今日宮城県にお着きになられた。
まことに気さくで素敵なお二人である。私から県勢概要をご説明したあと、ご昼食、
そして仙台文学館と福祉施設「せんだんの里」をご視察になられた。 
その「せんだんの里」で、とても印象的な場面があった。秋篠宮殿下を見て、一人のおばあさんが
「あんた、どっかで見たことあるねー、名前なんていうの?」と言ったのを受けて、
殿下が「秋篠と言います」とお答えになられたら、両手を打って、
「そうだそうだ、うちの兄貴の友達だ、どっかで見たことあると思ったよ」と喜んだ場面。
思わず笑ってしまったもう一つの場面は、もう一人のおばあさん。紀子さまをじっと見て、
まず、「あんたどっから来たの」と尋ねた。「東京からです」と紀子さまがお答えになられると、
「遠くからよく来たね。東京のどこに住んでるの?この前火事あったね、大変だね。
あんた、かわいいね、なんともかわいいね」と何度も繰り返した。そして、一息おいて、
「かわいいね、宮様みたいにかわいいね」と言ったのを聞かれて、
紀子さまは思わずお声を出されてお笑いになった。傍に控えてやりとりを聞いていた私と
佐藤勇県議会議長も笑い声を上げ、そして二人ともどっと汗が出てきた。
ほんとにいい場面だったと思う。痴呆性のお年寄の方々が入所している施設で、
今日はずんだとあんこのダンゴつくりの作業をしているところだった。
秋篠宮殿下がおじいさんが作っているずんだを、手の平にもらわれて
お召し上がりになられるという「ハプニング」まであった。
ハプニングではなくて、自然にそういうふうに振る舞われたのであろう。
そのあと、入所者の一人ひとりにお声をおかけになられたり、
手をとってお励ましになられたりのお姿を見ていると、そう確信できる。
いよいよ明日は夏季国体の開会式だ。天気が崩れないでくれればよいのだが。
2001.9.7


2002/9/20
秋篠宮ご夫妻 若草養護学校ご訪問 春野町
よさこい高知国体夏季大会出席のため来高中の秋篠宮ご夫妻は20日午後、
吾川郡春野町弘岡下の県立若草養護学校を訪問し、自宅からの通学生や寮生らと交流された。
ご夫妻は中島純臣校長の案内で、小学部から高等部まで19人の通学生と家族らが待つ第1自立活動室へ。
車いすの目の高さに合わせてかがみ込み、秋篠宮さまは「修学旅行は楽しかったですか」などと話し掛けられた。
紀子さまは眠くなった子どもを「ごめんなさい」とささやいて気遣い、
せき込んだ子どもの胸を優しくさするなど、一人ひとりのひざや手に触れながら励まされた。
次に向かったプレイ室では、寮生の瀬尾輝さん(17)、浜吉唯之さん(18)が
木製ラックの組み立ての真っ最中。お二人は目を合わせて「ボックスを作っているんでしょうね」
とほほ笑み合い、寮生2人に作り方の手順などを尋ねられた。
帰り際には、同校に本年度発足した「さをり織りクラブ」(5人)が、織り上げたストールを紀子さまにプレゼント。
クラブを代表して宇賀智子さん(17)が「大切に使ってください」と手渡すと、
紀子さまは「これを見ながら、みんなのことを思い出させていただきます」と笑顔で答えられた。


秋篠宮同妃両殿下のご接見で励ましのお言葉をいただきました!
デフリンピック通信 第6号 2004年12月17日発行
「デフリンピック通信第3号」で事務局長が秋篠宮妃殿下より励ましのお言葉を
頂いたことを報告しましたが、それをきっかけに妃殿下がデフリンピックに関心を持たれ
12月13日(月)に東京の赤坂御所の秋篠宮同妃両殿下によるご接見が実現しました。
各競技の代表選手16名にご出席いただき、秋篠宮同妃両殿下を囲んでの歓談が行われました。
選手一人ひとりに大会にかける抱負やスポーツについてのご質問をされるなど両殿下の優しい心遣いが伝わってまいりました。
紀子妃殿下は手話通訳者を通さないで選手たちと直接話されることもあり
秋篠宮殿下のお言葉を手話通訳されました。これには選手一同も感動されたようです。
http:// juichi05.hp.infoseek.co.jp/document/deafnews6.html


2005年
秋篠宮佳子さまが初優勝、東京のフィギュア大会で
秋篠宮ご夫妻の二女で、学習院初等科5年生の佳子さま(10)が2日、
東京の明治神宮アイススケート場で開かれた「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の
1級女子小学4年生以上の部に出場、8人中1位となり、優勝された。
1分間のフリープログラムを演じた佳子さまは、アクセル(前方系)ジャンプや2回転ジャンプを
次々と成功させ、芸術点でも高い評価を受けられた。
金メダルを受け取ると、母の紀子さまに駆け寄り、うれしそうに示された。
昨年の同大会で佳子さまは、初級女子小学3、4年生の部に出場。
この時は10位だったが、熱心に練習し、今年は1階級上の1級に進まれた。
まだ初歩的な階級だが、樋口豊コーチは「かなり上達されたと思う」と話していた。
http:// yomiuri.co.jp/national/news/20050403ic01.htm


2006
秋篠宮妃紀子さまにちなんで名が付いたスイセン「プリンセス・キコ」が18日、
茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園でかれんな花を咲かせた。
同園は国内唯一の観賞場所で、園関係者は「ご懐妊に花を添えることができた」と喜んでいる。
プリンセス・キコは、白い花びらに淡いオレンジ色の副花冠が特徴。
18日早朝、職員が1輪だけ開花しているのを確認した。
一昨年の静岡・浜名湖花博に秋篠宮ご夫妻が臨席し、
オランダ球根生産者協会関係者と言葉を交わされたのがきっかけで、協会がスイセンの新品種に命名。
園が昨年、オランダ大使館などから6個の球根を譲り受け、育てていた。


コロニア ニッケイ社会 ニュース
「紀子さま、ご懐妊おめでとうございます」
=日語学校生徒が喜びの声=秋篠宮ご一家が昨年接見=内親王も同席お言葉交わす
2006年2月16日(木)
「紀子さまにお祝いの言葉を伝えたい」
――先頃報じられた秋篠宮妃紀子さまご懐妊のニュースを、
ここサンパウロから祝福する子供たちがいる。
昨年、ブラジル日本語センターの旅行「ふれあい日本の旅」で訪日した、日本語学校の生徒たちだ。
子供たちはこの旅行中に秋篠宮邸を訪問。秋篠宮一家と直接言葉を交わしているだけに、
喜びもひとしおなようだ。このほど「子供たちのお祝いの気持ちを伝えたい」と、
旅行に同行した日下野良武・日語セ副理事長と、
志村宗マルガレッチ理事(日伯のびる学園園長)が本紙を訪れた。
「ふれあい日本の旅」はブラジル日本語センター創立二十周年を記念して昨年七月に実施された訪日研修旅行。
十四、五歳から十八歳前後の、国内各地の日語学校生徒三十九人が参加した。
一行は約三週間にわたって愛知、奈良、京都、広島、東京などを訪れたほか、
名古屋では一週間のホームステイも体験した。
赤坂の秋篠宮邸を訪れたのは七月十八日。団長として同行した日下野さんは
「ブラジルの日系子弟らに日本国の象徴である皇室を理解させ、
一生の思い出となるようにとの思いからお願いしました」と今回の訪問への思いを語る。
当初は秋篠宮、紀子さまだけの予定だったが、
直前になって長女の眞子内親王、次女の佳子内親王も同席することになった。
そのため「海の日」の休日が選ばれたようだ。
「内親王様も同席するようにお心配りいただいたのは、
ブラジルの日系人の事や最新の国情をわが子に勉強させたいとの願いからだったそうです。
秋篠宮さまのブラジルに対する熱い思いを感じました」と日下野さんは感慨を表わす。
接見の時間も当初予定の三十分から、一時間半に。三つのグループに分かれた生徒に、
秋篠宮一家から質問があったという。
子供たちは日本語で自己紹介。その後は通訳を交えながら話した。話題はサッカーや、
ブラジルの動物についての話、学校の科目の話などだったようだ。
「子供たちはみな緊張していました。失礼があってはということで、
普段は日本語を話せる子も固くなってしまって」と語る志村さん。
「でも終わってみると、話しやすい、やさしい方だった」と振り返る。
「バスが出る時には、外まで出て手を振って見送ってくださいました」と日下野さん。
まだ来伯したことのない紀子さまからは「ブラジルの移民について勉強させてもらった」
という言葉があったという。
ご懐妊の報道があった日に、ちょうど邸で撮影した写真が届いた。
「会っているから特に感動したようです」と、志村さんはニュースに触れた生徒たちの様子を語る。
この日持参した子供たちのメッセージには、訪問時への感謝の言葉とご懐妊への祝福の言葉が綴られていた。
◎溝口りあ(15)「私たちは七月日本へ行きすばらしい体験をしました。
その中でも一番うれしかったのは秋篠宮ご家族にお会いできたことです。私は一生忘れません」
◎松下ちえみタミリン(14)「秋篠宮様、紀子様、眞子様と佳子様にお会いして頂き
本当に光栄に思いました。優しく話して頂いたことが忘れられません」
◎川崎るみジェシカ(15)「秋篠宮様にお会いできてとても嬉しかったです。
とても偉い方なのにブラジルからの私たちをこころよく迎えてくださいました。
いつかご恩返しがしたいです。ブラジルへいらしたら是非お会いしたいです。
紀子様、ご懐妊おめでとうございます。お幸せに」
◎渡会ガブリエウ(15)
「日本ふれあいの旅はすばらしかったです。色々な所を見学して日本人の友達がたくさんできて
とてもよかったです。でも、このたびの一番の思い出は秋篠宮様ご家族にお会いできたことです。
少し緊張しました。でも、紀子様が笑顔で迎えてくださったので嬉しかったです。
紀子様、ご懐妊おめでとうございます」
◎ロー・かずみ(15)
「この日本旅行は一生忘れません。秋篠宮ご家族にお会いできて、お話ができてとても、
とてもよかったです。紀子様、ご懐妊おめでとうございます。
元気な赤ちゃんでありますようおお祈りしています。お幸せに」
http:// www.nikkeyshimbun.com.br/060216-71colonia.html


川村二郎の人間万歳
貞広 邦彦さん
秋篠宮様が結婚されたとき 僕は「週刊朝日」の編集長だった。
匂い立つようなお二人の写真は 表紙やグラビアに使わせていただいた。
そのお礼を直接お伝えすることができたのはそれから10年ほどたった
「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」(朝日新聞主催)の席だった。
妃殿下は手話の名手なのだが貞広邦彦さんはこのコンテストの審査委員長で紀子さまの手話の先生でもあった。
そういうご縁から妃殿下はほとんど毎年コンテストに来られ手話のスピーチをなさっていた。
紀子さまの手話を初めて拝見したときあまりの優雅さに 「お茶のお手前のようですね」と申し上げると 
貞広さんが「人それぞれに話し方が違うように手話も人なりなんです。
高校生は早口ですが 妃殿下はやはり典雅ですね」と教えてくれた。
貞広さんは「手話の『広辞苑』になるような手話の辞典を作ること」が夢で病床でも準備を進めていた。
しかし惜しいことに03年6月 74歳で鬼籍に入った。
紀子さまはお忍びで弔問にみえ 手話の師の遺影に手を合わせた。
そのとき紀子さまの肩が細かく震えていたことを貞広夫人の加津子さんは昨日の事の様にはっきり覚えている。
加津子さんに電話すると
「紀子さまのおめでたは主人に真っ先に報告しました。きっと喜んでいると思います」ということだった。


朝日新聞・2006年9月6日夕刊・素粒子より
親王さま。はじめまして。
まもなく重陽の節句、菊の花が凛とした美しさを見せるころ。
あなたをお迎えするのに、もっともふさわしい季節です。
ちょうど1年前。お父様とお母様がコウノトリを放ちました。
大空にもう一度羽ばたかせようと、多くの人の願いが託された放鳥でした。
そしてあなたがこの世に生をうけました。
親王様とお会いできて、いま、改めて、ありふれた自然や平和の大切さ尊さを抱きしめています。


藤城清治氏
秋篠宮さまに新宮さまがお生まれになった。
9月6日、待ちに待った男のお子様お誕生のお知らせに、日本中が喜びと幸せに沸いた。
秋篠宮妃殿下の紀子さまは、影絵がお好きで、影絵劇や影絵の展覧会によくお出でいただいたことがあるだけに、
ぼくは、この喜びを光と影でどうしても描いてみようという衝動にかられた。
日本も世界も宇宙も、地球上のすべてが喜びにあふれているような影絵を描いてみたいと思った。
地球の母ともいえるひろい海はもちろん、富士山も、木や動物達までみんなが喜びにあふれ、
祝福しているような絵にしたかった。
桃太郎の家来のきじや犬やさるをはじめ、猫もきりんもくまもいれば、かめさんやなまずさんもいます。
水の中からは鯉のぼりがとびあがって祝福しています。
お誕生の報を聞いて、描きはじめて、約10日ほどで作りました。
ぼくにとってもこんなに早く、描いてしまったのははじめてのことだ。
きっと、喜びにあふれて、気持ちも手もうれしくてひとりでに自然に踊るように動いて描いてしまったからだろう。


2006年9月7日
思い出の里に熱い期待 紀子さまご出産 
「大好きな五箇山を子どもたちにも見せたい」。
秋篠宮ご一家は平成14年8月、非公式で五箇山を旅行された。
ご夫妻はお気に入りの合掌造りの里で、ゆっくりとくつろがれ、
お子さま2人の成長を願って優しく見守るパパとママの顔を見せられた。
案内した当時の関係者らは「お生まれになったお子さまもご一緒に、今度は5人でいらしてほしい」と、
新しいご家族の誕生を祝福した。
ご一家が泊まられた旧利賀村(南砺市)の奥庄川天然温泉北原荘で、
当時10歳と7歳だった眞子さまと佳子さまは、そば打ちに挑戦。
1時間かかる作業のほとんどを、2人だけで取り組まれた。女将(おかみ)の嶋田比呂美さん(44)は
「手際がよく、日ごろからお手伝いをされているんだな、と感心した」と振り返る。
道の駅たいら五箇山和紙の里では、紙すきを体験された。
紙の原料を入れた木枠は重く、幼い佳子さまは特に大変そうだったが、
思い思いに押し葉をあしらい、それぞれ作品を仕上げられた。
指導した伝統工芸士の和田義久さん(42)は
「作業中は真剣な表情をされていたが、完成した時に、お2人ともにこーっとされたのが印象的だった」
と思い出を語る。いずれの体験でも、ご夫妻は黙ってそばで見守られ、
お子さまが作業に苦労されても、安易に手助けされることはなかったという。
嶋田さんは「ご自分たちで最後までやり通す力をはぐくもうとされていたようだった」と、
ご夫妻の家庭教育を推し量った。
同駅内の「たいら郷土館」を案内した南砺市平行政センターの此尾(このお)治和さん(45)は
「説明を聞かれる時はお子さまを前に出され、学ばせたいというご夫妻の気持ちが強く感じられた」と言う。
プライベート旅行のため、取材などもなく、ご一家は心ゆくまで楽しまれ、
家族のきずなをあらためてしっかり確かめられた様子だった。
旧上平村(南砺市)の国指定重要文化財「岩瀬家」を案内した、
同家当主で元上平村長の岩瀬幹夫さん(72)は
「ご夫妻なら、3番目のお子さまも立派にお育てになるだろう。
思い出が詰まった五箇山の里に、今度はぜひ5人でいらしてほしい」と再会を心待ちにしていた。


衆議院議員 竹下亘
親王誕生!おめでとうございます!!
9月6日午前8時27分、東京愛育病院で秋篠宮妃殿下が男の赤ちゃん=親王さまを出産されました。
日本国民の一人として、心から「おめでとうございます」とお喜び申し上げます。
国民あげて心待ちにしていただけに、私自身久し振りに気持ちの昂りを覚えました。
恥ずかしながらテレビの前で『バンザイ!』を叫んでしまいました。
母子ともに順調だという続報もあり、健やかな成長を心から願わずにはいられません。
我が国の皇室での親王誕生は、秋篠宮殿下以来41年振りだという事で、
「いやー、良かったネ!」と会う人ごとに喜びの挨拶を交わしています。
我が国の天皇陛下は、八代十人の女性天皇が存在しておられますが、
原則として男系男子で継承して来られただけに、
このままではこの伝統が崩れるおそれか強いと憂慮していました。
ここ数年、皇位継承権の問題を中心に皇室典範の改正問題が議論されはじめていた事も
国民の心にひっそりと、しかし重くのしかかっていた問題でした。
私自身、女性天皇(女系も含む)を否定するものではありません。
世界には男女を問わず第一子に皇位継承権を与えているロイヤルファミリーが
数多く存在する事も熟知していますし、
我が国でもこれだけ男女平等の考え方を定着している現状でもあります。
しかし2000年以上(皇紀で言えば2600年以上)続いてきた
我が国の基本の一つといえる伝統を果たして我々の世代で、
しかもわずか数年(皇室典範に関する有識者会議の議論は半年)の議論で変えてしまうのは、
いかがなものかという思いが一方で残っていました。
この種の議論は、本来は国民一人一人が、まず自らの心の中で気持ちを整理し、
その上で静かな議論を10年、20年と重ねて
コンセンサスを作り上げていくものではないかと考えていました。
それだけに新しい親王の誕生によって、私達日本国民は
「すぐ結論を出さなくてよい」という長い貴重な時間を与えてもらった事にもなります。
この喜びを素直に受け止め、心静かに次の世代、次の次の世代への想いを新たにしたいと感じています。
18:00 2009/03/15その後の報道で、父子の対面の際
「秋篠宮殿下は物珍しそうに見ていらっしゃいました」と聞き、思わず微笑んでしまいました。
私自身、二人の息子が居ます。
残念ながら女の子は居ませんが、照れ臭さを含めて、しみじみとした喜びが
伝わってくるようでした。何はともあれ、本当におめでとうございました。


秋篠宮紀子さまに手話を指導   井崎哲也氏
2006年9月8日(金)  徳島新聞
≪健やかな成長祈ります≫
このたびは本当におめでとうございます。新しいお子様の健やかなご成長を心よりお祈りするとともに、
幸せなご家庭を築いて頂きたいと願っております。
紀子さまとの出会いは十七年前で、私が出演した手話狂言の舞台を鑑賞して頂いたのがきっかけでした。
当時はまだご婚約中でしたが、ご成婚後間もなく「手話を教えてほしい」との依頼を受け、
その後約十年にわたってお教えしました。皇族の方に手話を教えることなど考えたことも無く、
初めてお住まいの秋篠宮邸を訪れた時は体中が汗だく。眼鏡が曇ってしまうほどでしたが、
少しはにかんだご様子の紀子さまに笑顔で迎えていただき、ほっと安心したことを今でも
思い出します。
最初は数字や日にちなど簡単な手話を通訳をはさまずにお教えしましたが、紀子さまは非常に熱心で、
予定の時間を延長することもしばしばでした。
ろう者の置かれている社会的な立場や私自身の苦労などを聞いていただくこともありましたが、
誠実に耳を(目を)傾けてくださいました。
上達も早く、昔から話す速度が遅かったという紀子さまが
「皇室に入ったらみなさまゆっくりお話になるので、ちょうどよかったです」と手話で冗談を言われた時は、
大笑いしてしまいました。阪神大震災の直後、天皇、皇后両陛下が被災地をご訪問なさった折、
皇后さまが「頑張って」と手話で被災者を励まされる場面がありました。
紀子さまは「お茶会などの会話の中でごく自然にお教えしたことがありました」と明かしてくれましたが、
ろう者も苦しんでいる中、皇族の方が自然な形で手話をお使いになる姿に感動しました。
私は、手話や福祉や障害という視点だけでなく、言葉の一つ、コミュニケーション手段の一つとして
認識してほしいと願っています。紀子さまが普段から手話を使い、
外国の手話も学ぶなど継続して取り組んでおられることは何よりも素晴らしいと感じています。
三年前の夏、一緒に紀子さまの手話を指導した貞広邦彦さんが亡くなりました。
葬儀が始まる前の会場に紀子さまは一人で訪れ、涙を流しながら故人に別れを告げられたそうです。
手話を大事に思ってくださっていることを実感しました。
長女の眞子さまご誕生の際、私は紀子さまに手話の絵本をプレゼントしました。
二年前に紀子さまと手話狂言を鑑賞なさった後、眞子さまは「楽しかったです。ありがとう」
と伝えてくれました。とてもうれしかったです。紀子さまの手話は、ご性格をそのまま映したように優しく、
相手に安心感を与えます。逢えば必ず「うれしいです」などと温かい気持ちを表され、
そうした一つ一つのお気遣いが心に響きます。新しいお子様にもぜひ手話を教え、
紀子さまの優しさを手話を通じて伝えていただきたいと思います。


相模の大凧まつり?題字は「悠風」に決定!
相模の大凧凧 まつり(5月4日・5日)にあげられる大凧の題字に99点の応募があり、
辻紀子さんほか3人の「悠風」が選ばれました。
この題字には、皇室の親王ご誕生を祝し、あわせて子どもたちの成長と、合併を機に
新「相模原市」が幾久しく繁栄していくようにとの
願いが込められています。なお、佳作には「祝悠」「創風」が選ばれました。

03/15-12:44--こいのぼり出荷ピーク 悠仁さま効果? 「皇族柄」人気
こいのぼりの国内一の製造量を誇る和気郡和気町藤野の「徳永こいのぼり」(徳永深二社長)で、
「端午の節句」に向けて出荷作業がピークを迎えている。
同社の年間製造量は通常のこいのぼりで約6万セット。
売れ筋はマゴイで5~7メートルのセットで価格的には8万~20万円。
同社では「京錦鯉」(6メートルサイズの親ゴイで約17万円)が主力商品だが、
今年は〝皇族柄〟の入った最高級の「吉兆」(同25万円)の注文が例年以上に多いという。 
同社の徳永黄二専務は「秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまも初節句を迎えられることで、
それにあやかりたいという人が多いようだ」と話している。



1月15日の秋篠宮邸でのご接見の様子(2007)
(略)最初、私のテーブルには紀子様がご着席されました。スポーツがお好きで、
お子様も様々なスポーツをなさる等、テレビで拝見するのとは違って
よくお話になるのでびっくりしました。また、紀子様は手話でお話しをされました。
その後選手と1対1の会話になったのですが前の方のお話が長めだったため
時間がなくなってしまい、私は「クロスカントリースキーをされるのですか?」
「はい」で終わってしまいました。
続いて、秋篠宮様がご着席されました。秋篠宮様は紀子様と違ってあまりお話しにならず、
質問をされてはその答えをうなずきながらお聞きになっていました。
秋篠宮様と私と1対1の会話で、「クロスカントリースキーについてよく知らないのですが
どのような競技ですか?」と聞いて下さいました。
緊張で手話が固まりながらも通訳の方がきちんと伝えて下さり、無事に終えることができました。
ご接見は全部で20分位でした。帰り際、私ども一行が門を出るまでずっーと
お2人は玄関先で手を振って下さいました。とても緊張しましたが、よい思い出になりました。


2007年06月19日
秋篠宮妃紀子さまが18日,東京・千代田区の帝国ホテルで開かれたチャリティパーティ
「第20回 ドン ペリニヨン セーブ・ザ・チルドレン・チャリティ・ガラ」にご臨席した。
イベントの主催団体から提供された紀子さまの撮影スペースは、
パーティ会場と受け付けをつなぐわずかな通路だけ。
各社からカメラマン一人だけの入場が許可され、約20名の報道陣が、
紀子さまをお迎えする準備を進めた。紀子さまご入場直前に、マスコミには
紀子さまへの音声マイクの突き出しや質問、背部からの撮影はしないようになどと、事前に注意された。
報道陣は一列目が床にべた座りのスチール(写真)カメラマン、二列目は脚立の上に立った
ENG(ムービー)カメラマン。紀子さまがご入場されると、政治家や芸能人の取材と違って、
「ちょっとそこで止まって!」などと声をかけることもなく、しんと静まりかえったまま、
皆淡々と撮影していたのが、いつもがやがやした現場で取材している筆者には印象的だった。
そして、各社報道陣は事前に注意された事項も守り、紀子さまが通り過ぎた後は、
ピタリとシャッター音もストロボの光も止んだのだった。
http:// news.livedoor.com/article/detail/3204057/


みこし勇壮 秋祭り 止止呂支比売命神社 2008/10/08 
大阪市住吉区沢之町一丁目、千二百年を超える歴史を誇る式内社、止止呂支比売命
(とどろきひめみこと)神社(樹裕巳宮司、通称・若松神社)の秋祭りのうち神輿
(みこし)渡御巡行が五日、同神社の境内などで行われ、勇壮な一行が氏地を練り歩いた。
同神社では長年、だんじりを祭りで引いていたが戦後に変更。一九五三年に役員の決定
で神輿を制作したが、数度の祭りで途絶えたという。だが昨年、秋篠宮悠仁親王殿下
ご生誕を記念し、半世紀ぶりに復興した。そして、初めて渡御の神事をつかさどった
樹宮司(67)は「神輿が担がれる姿を見て、背筋がぞくっとした」と振り返る。
この日はあいにくの雨だったが、本殿で祭祀(さいし)が行われ、絹垣で覆われた樹宮
司が「御(ぎょ)」(ご神体)を神輿に移した後、境内を後にした。巡行に参加したの
はそろいの法被で気を引き締めた百人を超える氏子ら。子どもらも加わり、沿道から
の声援に掛け声で応えながら巡行した。
樹宮司は「できるだけ早く復興後の渡御で、すべての氏子区域を網羅して行きたい。
これからも続けていく」と笑顔を見せていた。


1998年開催「第15回全国都市緑化にいがたフェア」では、期間中秋篠宮ご夫妻が
植樹祭にご出席された際、骨髄バンクブースにお立ち寄りになり
「いのちのアサガオ」についてご質問されたのち参加していたボランティアが
「いのちのあさがお~コウスケくんのおくりもの」の本をプレゼントしました。
昨年悠仁さまご誕生の際、秋篠宮ご夫妻は日本さい帯血バンクネットワークへ
さい帯血をご提供されたのも、この出来事がきっかけかもしれない。
そしてそれは、悠仁さまご誕生前年開催の
「第27回少年の主張全国大会~わたしの主張2005~」に、
眞子さまと共に紀子さまがご臨席された際、13名の発表者が自分の思いを伝え、
作文「命をつなぐアサガオ」が内閣総理大臣賞を受賞したのは偶然ではなく必然だったのか。
秋篠宮ご夫妻、そして「いのちのアサガオ」を育てている人の想いが
命の大切さを多くの人へ理解され、白血病などの血液難病と闘っている患者へ繋がる事を願って止まない。


2011年
猪瀬直樹の「眼からウロコ」
過酷な現実から目をそらせてはいけない
東日本大震災の被災地を見て考えたこと
秋篠宮殿下と紀子妃殿下が4月7日、東日本大震災で宮城県や福島県などから避難してきた
被災者が身を寄せる東京ビッグサイト(東京都江東区)を慰問に訪れた。
僕は副知事として両殿下をご案内した。
百人一首に残る貞観地震による津波
契(ちぎ)りきな かたみに袖を しぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは         (後拾遺集)
百人一首にある清原元輔のこの歌を引いて「千年に一度の津波なんですね」とお話しすると、
秋篠宮殿下は「津波は貞観(じょうがん)時代ですね」と相槌を打たれた。
清少納言のお父上である清原元輔(908~990年)が詠んだ歌である。
陸奥、三陸は、美しい自然と日本人のロマンの象徴で、古来より心の故郷だった。
この歌は、日本という島国の歴史が、王朝文化として刻まれている一例である。
男女の心模様に大津波を織り込んでいる。大津波でさえ越えることはない「末の松山」のように、
2人の心もまさか変わらないでしょう、と詠まれている。「末の松山」は、
現在の宮城県多賀城市付近の地名で、石碑も建てられている
貞観11年(869年)、東北沖で大地震が発生し、巨大な津波が押し寄せた。今回の東日本大震災が
「千年に一度」という時間軸で語られるのは、貞観地震に匹敵する大津波が発生したからだ。
「末の松山」は、貞観地震であっても津波が越えることはなかった。
貞観地震の話は京都にまで伝わり、清原元輔の時代にも人々の記憶に強く残っていたのだろう。
http:// www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110411/266542/?top_f1&rt=nocnt



秋篠宮さま平川動物公園視察 コアラ餌やり体験も
園内歓迎ムード一色 (南日本新聞)
動物園技術者研究会出席のため鹿児島市を訪れていた秋篠宮さまは26日、
同市平川町の平川動物公園を視察された。詰め掛けた市民が人垣をつくって手を振るなど
園内は歓迎ムード一色。この日で1泊2日の全日程を終え、午後の便で空路帰京された。
同園の訪問は1997年以来2回目。
森博幸市長らの案内で園内を一巡りされ、コアラ舎ではオスのシン=9歳=を相手にユーカリの葉の給餌も体験。
予定にはなかった鶏の原種セキショクヤケイも熱心に見学された。
大町司志園長は「トカラヤギなど数が少なくなっている純粋種に興味を持たれているようだった。
動物の原種に関する知識の豊富さに驚かされた」と話した。
園内の移動時には沿道の車いすのお年寄りと握手をしたり小学生に声をかけるなど、市民と交流される場面もあった。
手作りの小旗を振って歓迎した可愛幼稚園(同市下福元町)の江上玲ちゃん(6つ)は「優しそうなお顔だった」。
入り口で早朝から3時間待っていた南さつま市加世田唐仁原の自営業瀬戸シヅさん(72)は
「悠仁さまが誕生された後、一層柔らかな感じになられた。次回はぜひご家族そろってきてほしい」と話した。



六枚の写真に込められた物語 天皇家が刻んだ歴史 2007年1月 道越治著
(東久邇)信彦さんは、たとえば、秋篠宮文仁親王殿下ととくにお親しい。お二人は従兄弟同士である。
秋篠宮様は細やかにお心配りをされる方だという。
短時間お会いするお客様は、秋篠宮様にはたくさんおられるはずだが、
お客様が帰られるときには、玄関の外までちゃんと靴をお履きになって、ご丁寧にお見送りされるそうである。
それは決して儀礼的なお見送りではない。
宮様の真心がこもっていることは、接する者にはひしひしと伝わってくるので、
「自分のような者に、ここまでしていただけるのか」と胸が熱くなり、ありがたくて恐縮するのである。
また宮様は、お知り合いの方からお土産を贈られたときなど、
たとえば「いただいたお酒がとてもおいしかった」とか、
「いただいた品は私の好物です」といった具合に、贈った側にお心でお返しするように、温かい、ていねいなお電話を差し上げるということだ。


2011年7月13日
新米課長日記(2011/7/13)
秋篠宮同妃両殿下お成り1日目
心あたたまる一日でした。
秋篠宮ご夫妻のご来県のご様子を取材する報道バス1号添乗員として活動しました。
ご夫妻を関西空港でお迎えし、ロイヤルパインズホテル、めっけもん広場、かき・もも研究所、
ロイヤルパインズホテルの順で移動しました。
同行して感じたのは、沿道や各施設でご夫妻を歓迎される県民の皆さんのはじけるような笑顔。
5月の全国植樹祭の際、天皇皇后両陛下の車列に日の丸の旗を振られる皆さんも
晴れ晴れとしたお顔をされていましたが、その時とはまた違う感覚でした。
やっぱり「紀子様マジック」かな。
和歌山県民にとって、特になじみ深い紀子様。
めっけもん広場では、一般奉迎者の方の差し出す手を取り、握手をしておられました。
警備側からするとNGなのですが、そんなことはおかまいなし。
握手を求める手が殺到し、レジ横に積み重ねた段ボール箱の一団が崩れそうになった時はあせりました。
めっけもんを出てすぐ、新米課長の母校、紀の川市立池田小学校の児童達が
たくさんの日の丸小旗を振っているのを目にすると、少しじ~んときました。
明日も同行できる喜びをかみしめています。


会津若松市長 かんけ 一郎のブログ
「秋篠宮同妃殿下並びに佳子内親王殿下と昼食会に同席」
2011/8/04 17:25:21
今日は東山温泉の今昔亭において、全国高等学校総合文化祭(ふくしま総文)にご臨席を賜りました、
秋篠宮同妃両殿下並びに佳子内親王殿下をお迎え申し上げますと
ともに昼食会に同席させて頂きました。
大変光栄な事であり、会津若松市長として最高の思い出になりました。
感謝申し上げます。
http:// local.election.ne.jp/kanke/14248.html


「NEWあしながファミリー」第119号
「共生」(編集長 玉井義臣)
(2011年)
両陛下を思い出す紀子さまのご訪問
10月1日、午後4時から1時間半、秋篠宮妃紀子さまが神戸レインボーハウスをご訪問くださる。
翌日、近くの大学で学会があり、開会の御言葉を述べられる由。
11年前、天皇皇后両陛下行幸啓のときを思い出す。
美智子皇后さまの御言葉に神戸地震の遺児や保護者は感激し、小さい子はどなたかも知らず、
皇后さまに楽しく遊んでいただいているご様子に、強いオーラを感じたのを今も忘れられない。
紀子さまもお声がけやお遊びは実に念入りにされ、子ども達はよくなつき、
さすが皇后さまのお教えの修業時代かと私は爽やかで清々しいものを感じた。
美智子皇后が神戸のことを気にかけてくださるお気持ちがじかに伝わり、
天皇皇后両陛下とも「この子らをよろしくお願いします」という御言葉が
今も心の奥底に残っていて、思い出すと熱くなる。


「日本の論点2012」文藝春秋社刊
猪瀬東京副知事
秋篠宮両殿下、ビッグサイト避難所の慰問は素晴らしかった。
役人が説明中お渡しした資料の訂正をすると、おふたりとも三色ボールペンでさっと直した。
別々に分かれて慰問したので「効率的だからか」と思ったが、
一つのグループに殿下と妃殿下で2回お見舞いした。
休憩時間が設けられていたがそれは実際は時間調整用で、予定ぴったりに慰問を終らせた。
「皇族はプロフェッショナル」
その前日の皇太子同妃両殿下の慰問は時間オーバー。


秋篠宮さま記念碑完成 あわらの農場視察で
ヒョウタン育てる谷川さん
2012年7月15日
あわら市波松の農場でヒョウタンを育てている谷川茂右エ門さん(82)=同市波松=が、
自身の農場に秋篠宮さまが視察に訪れたことを記念した石碑を建てた。十四日に現地で除幕式を行い、
谷川さんをはじめ、県内外のヒョウタン愛好家らが除幕を祝った。
記念碑は高さ約三メートル、幅約一メートルの大理石製。
「秋篠宮文仁親王殿下御光臨之地 よく作られましたねと御褒めの御言葉!!」などと記されている。
谷川さんはこれまでに二度、秋篠宮家にヒョウタンを献上。二〇〇五年六月九日には、
全日本愛瓢(あいひょう)会県大会に参加されるために訪れた秋篠宮さまが、
大型ヒョウタンを作っている谷川さんの農場を視察した。大きなヒョウタンが育つ農場で
「(当時)秋篠宮さまから、よく作られましたねと褒められ、とても緊張した」と谷川さん。
全日本愛瓢会副会長や県愛瓢会会長の大役を終えたことなどを節目に、
秋篠宮さまが訪れたこの地に当時の思いを託した記念碑を設けた。 
(清兼千鶴)
http:// www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2012071502000188.html

  • 最終更新:2018-10-28 14:25:55

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