皇太子夫妻23回目の結婚記念日

2016.6.9 06:00更新
【皇室ウイークリー】
(番外編)皇太子ご夫妻ご成婚記念日〈雅子さまのお写真で振り返る〉

皇太子ご夫妻は9日、23回目の結婚記念日を迎えられた。
これを機に、ご成婚当時のお写真を交えてその経過を振り返る。
平成5年1月19日、宮内庁の藤森昭一長官(当時)は午前10時半過ぎから、宮内庁3階の講堂で記者会見を行い、
皇太子ご夫妻のご結婚が決まったことについて正式に発表した。
この際にお妃(きさき)の選考経過についても初めて公表した。
藤森長官の説明によると、ご夫妻が初めて出会われたのは、昭和61年10月18日に、
今の東宮御所で行われたスペインのエレナ王女歓迎のレセプションの席だった。
その後、皇太子さまは62年以降、日英協会のパーティーや東宮仮御所、高円宮邸などで4回ほど雅子さまと会い、親しく会話を楽しまれたという。
だが、63年の春、雅子さまの父、小和田恒氏がOECD(経済協力開発機構)大使としてパリへ赴任。
外務省に入省した雅子さま自身も外交官として同年7月から平成2年6月まで、英国に研修留学したこともあり、ご夫妻のご交際は遠のいた。
宮内庁からの内々のご交際の打診に対しては、小和田家から辞退の意向が伝えられた。
また、雅子さまの母方の祖父、江頭豊氏が水俣病訴訟が継続中のチッソの要職にあったことなどから、
宮内庁も雅子さまを皇太子さまのお妃候補として考えることには慎重を期さざるを得ず、ご交際は中断されたという。
引き続き、宮内庁のお妃選考作業は継続されたが、宮内庁主導によるお妃候補に、皇太子さまが納得されることはなかった。
その後、祖父は水俣病の発生には無関係で、刑法上の責任がないことが判明。
平成4年春、報道自粛の申し合わせが締結され、皇太子さま自身の強いご意向を受けて、
宮内庁側は5月初旬、外務省関係者を介して「お妃候補としたい」と小和田家に申し入れた。
ご夫妻のご再会の場は8月16日、外務省関係者の自宅だった。次いで10月3日にも、
宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)で会われたが、10月中旬になって、小和田家側からは
「雅子の気持ちが決まらない」という趣旨の返事が宮内庁に伝えられた。
その後も皇太子さまは直接、雅子さまに率直な気持ちを話された。11月28日、
東宮仮御所で雅子さまと十分なお話し合いが行われた。12月12日には再び、雅子さまが仮御所をご訪問。
ここで雅子さまは正式にプロポーズを受けることを直接、皇太子さまに伝えられたという。
クリスマスの12月25日、雅子さまは仮御所で、天皇、皇后両陛下、皇太子さまと楽しく時間を過ごされた。
藤森長官は、お妃候補について「広い範囲を対象に本人の健康や人格、親族にも支障がないことを基準に行った」とした上で、
「皇太子さまのお気持ちを何よりも重視し、両陛下に逐次、ご報告しながら進めた」と説明。
この選考の過程で、天皇陛下は「皇太子の意思に基づいて」、また皇后さまは「皇太子に全てをおまかせします」とのご意向だったことを明らかにし、
お妃の選考に関して「両陛下は関与を一切、控えられた」とした。
また、一時報道機関のお妃報道が過熱したことや報道自粛申し合わせについて触れ、「申し合わせがなければ、お二人が会うのも困難だった。
申し合わせがあったことが、今回の慶事につながった」と総括した。
宮内庁によると、雅子さまは小和田家の長女として昭和38年12月9日に誕生された。
60年、米ハーバード大学経済学部をご卒業。62年に東京大学を中退し、外務省に入省された。
63年~平成2年、英オックスフォード大学ベーリオールコレッジに留学し、5年1月19日、皇室会議でご成婚が正式に内定した。
その後、外務省ご退職。4月12日には一般の結納にあたる納采の儀を経て、6月9日に結婚の儀と祝賀パレードに臨まれた。
雅子さまが身の回りの物などにつける「お印(しるし)」には、
夏に赤い花を咲かせるバラ科バラ属の落葉低木「ハマナス」を、ご夫妻で選ばれたという。
http:// www.sankei.com/premium/news/160609/prm1606090003-n1.html


会見でのお言葉は今もーー
雅子さま、皇太子さまとのご婚約から24年目を迎えられて
2016年06月08日(水) 11時00分
〈週刊女性2016年6月21日号〉
6月9日、皇太子妃雅子さまが皇太子さまのもとに嫁いでから24年目に入るが、
どのような感慨をお持ちになるのだろうか─。
「ご夫妻の婚約決定の記者会見で、“雅子さんのことは、僕が一生、全力でお守りしますから”という
皇太子さまのお言葉が明かされましたが、そのとおり、雅子さまの長期療養を見守ってこられました」
そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
ご成婚から9年目の'01年12月に、長女の愛子さま(14)が誕生されたころから、ご体調が徐々に悪化し、2年後には「長期静養」に入られた雅子さま。
お出ましの数は激減し、'04年7月には「適応障害」という病名が発表され、結婚されてから療養期間のほうが長くなっている状況だ。
渡辺さんが続ける。
「ご婚約会見で雅子さまは、皇太子さまの魅力として、『思いやり』、『忍耐』、『根気』を挙げられました。
そんなご性格がそなわった皇太子さまによるサポートのおかげで、最近の雅子さまは回復傾向で、お出ましも増えているのだと思います」
ここ3年ほどは雅子さまが公の場にお姿を現す機会も増え、苦手とされる活動もこなされてきた。
「雅子さまは不特定多数の人がいる場や宮中行事が苦手とされていますが、一昨年には11年ぶりに国賓を迎える宮中晩餐会に参加されました。
昨年は12年ぶりの園遊会に、この4月には7年ぶりに宮中祭祀に参列されるなど、活動の幅は広がっていると思います」(宮内庁担当記者)
例年はお出ましが多くない年明けだが、今年は都内で開かれた式典2件にご出席。
3月から4月にかけては、学習院女子中等科3年の愛子さまをお連れして、
映画の試写会、美術館、昭和記念公園を訪問し、元気な姿を見せられた。
「愛子さまのご成長による“親離れ”も、雅子さまの快方にいい影響を与えているのではないでしょうか。
小学校時代と中学に進学されてからも、愛子さまには登校問題が起きましたが、最近では学校生活にも慣れ、
皇族としてのお出ましにも同行されるようになりました。
6月7日は、都内で開かれている『世界遺産 ポンペイの壁画展』も、お3方でご鑑賞の予定でした」(東宮職関係者)
http:// www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/27988

女性セブン2016年7月7日号
6月9日、ご夫妻は23回目の結婚記念日を迎えられた。
当日は東宮御所に天皇皇后両陛下や他の皇族方をお迎えし、お祝いの夕食会が催された。
「ご夫妻は、愛子さまと親子3人で小さな音楽会を披露なさったそうです。
両陛下をお招きするわけですから、失礼がないようご夫妻も大変緊張なさいます。
雅子さまにかかるプレッシャーもかなりのものだったわけですが、
その直後の2つの公務ではお疲れの様子を一切見せられず、しっかりとお務めを果たされました」(前出・東宮職関係者)
雅子さまのお姿からは、「適応障害」から順調にご快復の一途をたどられていることが伝わってくるが、
その陰で、事実、大きな前進が裏付けられていた。宮内庁関係者がそっと耳打ちする。
「両陛下、両殿下のお出ましのご予定などを記した文書が、東宮大夫の定例会見の際に
宮内庁担当記者に配布されます。最近になって、ご夫妻でお出ましになる予定のものには『(両)殿下』と記載されるようになったのです」
療養中の雅子さまは体調が不安定なこともあって、当日のご様子をみて出欠を最終判断されてきた。
また、事前にお出ましを発表することが、過度な重圧につながるともいわれてきた。
「そのため、これまで文書には『皇太子殿下』とだけ書かれ、あくまで雅子さまは“当日、急きょご出席が叶った”という形式が取られてきました。
それが事前に記載されるようになったわけです。
表情やご様子から感じとれるだけのものだった雅子さまのご快復傾向が、文書として裏打ちされたのです」(宮内庁関係者)


  • 最終更新:2017-05-29 21:24:42

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