皇太子夫妻オランダ訪問2013

皇太子ご夫妻の4月オランダ訪問案浮上 雅子さまも強く希望
2013.02.22 16:00
1月28日、オランダのベアトリックス女王(75才)は、「新しい世代に王位を譲りたい」と語り、
4月30日に退位する意向を発表した。次期国王には女王の長男である
ウィレム・アレクサンダー皇太子(45才)が即位する。
日本の皇室とオランダ王室の親交は深く、その即位式典には皇族も招待されることになる。
そこで今計画されているのが、“皇太子ご夫妻のオランダ訪問”だという。
もし実現すれば、雅子さまにとっては、2002年12月のニュージーランド・オーストラリアご訪問以来、
実に11年ぶりの海外公式訪問となる。
雅子さまの長らく続く療養生活中、皇太子さまの外国訪問のたびに、
雅子さまが同行されるか否かに関心が集まったが、これまで実現することはなかった。
だが、今回は事情が異なるという。
雅子さまは療養に入られて10年目だが、この間に唯一海外で訪問されたのがオランダだ。
2006年8月、雅子さまはベアトリックス女王の招待を受けて、皇太子さま、愛子さまとともに同国で
極めて異例ともいえる約2週間の静養をされた。このときベアトリックス女王とともに
皇太子ご一家と時間をともにされたのが、今回、国王に即位するウィレム皇太子一家だった。
「皇太子さまとウィレム皇太子さまは年齢が近い上に、国連『水と衛生に関する諮問委員会』で
皇太子さまは名誉総裁、ウィレム皇太子は議長を務められています。
長年にわたって、同じテーマに取り組む仲間でもありますので、おふたりは固い絆で結ばれています。
マキシマ皇太子妃(41才)は、結婚前は銀行員として世界中を飛び回り、雅子さまと同じような
国際的なキャリアウーマンでした。またマキシマ妃は3女の母親でもあります。オランダを訪問された際には、
ご自分と似た境遇のマキシマ妃に雅子さまは親近感を抱かれ、意気投合されました。
公務はもとより、子育てや今後の教育についてなど熱心に話し込まれたそうです」(宮内庁関係者)
オランダでの静養は、病に苦しまれる雅子さまにとって、何ものにも代え難い日々だった。
その証拠に、当時オランダで見せられた雅子さまのご様子は日本にいるときとは格段に違っていた。
「あのとき雅子さまが見せられた弾けんばかりの笑顔は、日本ではなかなか拝見できなかったものでしたので、
印象に残っています。それだけオランダという環境が疲れ切った雅子さまを癒したということでしょう。
だからこそ皇太子ご夫妻は、そのときの“返礼”も込めて、今回の式典への参列を強く希望されているようですね」
(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2013年3月7日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20130222_172894.html


【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】
(407)心配な皇太子ご夫妻の「昼夜逆転」2013.4.13 12:03
宮内庁の風岡典之長官が11日の定例会見で「オランダ新国王即位式(4月30日)への
皇太子ご夫妻の出席が当日まで20日を切っているのに決まっていない。
一刻も早く決めていただきたいとお願いしている」と発言した。極めて異例のことだ。
当日朝発売になった『週刊新潮』(4月18日号)の特集「両陛下はハラハラ 宮内庁は不快感 
『オランダ王宮』ご招待を放置1カ月 『雅子さま』の昼夜逆転」を受けての発言であることはまず間違いあるまい。
実はこの件、既に8日、宮内庁次長の会見でも話が出ていたそうで、勘ぐれば、宮内庁が『新潮』に
リークしたとも考えられる。
〈今回は普段のご公務とは勝手が違う。「直前まで出欠は未定」といういつものスタイルは通じそうにない〉
なぜなら、と皇室ジャーナリストの神田秀一氏。
〈「オランダは今回、日本だけでなく世界中の王室を招いているわけです。
他国の賓客が居並ぶ中での夕食会の席次や、宿泊地なども調整しなければならず、
お返事が一日遅れるごとにそれだけ世界の国々にも迷惑をかけることになります」〉
皇太子さまの外国公式訪問は出発の1カ月ほど前に閣議の了解を得る必要があり、
このままでは〈「内閣の重要案件として政府から(意思表示を)要請するような事態を招くかもしれません」〉。
日本、オランダの友好関係を損なわないためにも、一刻も早い“決断”が望まれる。
記事の中で気になったのは皇太子ご夫妻の日常。昼夜逆転の生活。
〈両殿下が夕食をとられるのは夜11時頃〉〈雅子妃は夜が明けて朝8時頃、ようやく床に就かれる毎日〉
〈午前中のご公務など、まずもって無理〉
ここまで放置した責任は宮内庁にもあるのでは。
(『WiLL』編集長)
http:// sankei.jp.msn.com/life/news/130413/bks13041312030007-n1.htm


園遊会欠席の雅子さまに「オランダは行けるのに…」〈AERA〉
4月22日(月)22時2分配信
皇太子妃・雅子さまの久々の「皇室外交」の行き先は、4月30日に王位継承行事が開かれるオランダ。
雅子さまが公務で外国訪問するのは11年ぶり。
オランダ訪問は、ご一家で2週間「静養」された2006年以来だ。
皇室との交流が深いオランダは、雅子さまにとっても、父で国際司法裁判所判事を務める小和田恒氏が暮らす「ゆかりの国」である。
もっとも、療養中の雅子さまは今年も園遊会(4月18日)を欠席。
ネット上では「オランダには行けるのに…」といった批判的な書き込みも見られた。
雅子さまが「適応障害」と診断されてから9年。今も「体調の波がある」(今年2月、皇太子さまの発言)状態だ。
オランダ訪問の正式決定が式典の直前までずれこんだことが、症状の厳しさを物語る。
近年、皇太子ご夫妻に対する風当たりは厳しくなっていた。
雅子さまが学校生活に悩む愛子さまの通学に付き添われた10~11年には「公務より『私』を優先させている」
と一部から批判され、「離婚説」さえ飛び出した。
最近でも宗教学者の山折哲雄氏が「皇太子退位論」を発表し、論争が起きている。
現役時代、自民党内に「皇室問題議員有志懇話会」をつくった村上正邦元参院議員は語る。
「かつて園遊会や御所で天皇、皇后両陛下にお声をかけて頂いた感動は今もありありと覚えています。
国民の代表が招かれる園遊会は大切な行事なのです。
本来、皇室は公で『私』がない存在。雅子さまのご病気が長引き、国民にお顔を見せない状況が続くのは、
日本国の伝統の中心である皇室のためにも心配です」
一方、精神科医で著書に『雅子さまと「新型うつ」』がある香山リカ氏は、こう指摘する。
「適応障害から立ち直るには、小さな成功体験を重ねることが重要です。
訪欧という形で環境を変えることも有効だと医師団が判断したのではないでしょうか。
ただ、皇室にいらっしゃる限り環境変化には限界があります。オランダで元気に振る舞われても、
帰国後にお疲れが出る可能性もあるでしょう。過度の期待がご本人のプレッシャーになることもあります。
長期的な視点で見守ることが必要です」
※AERA 2013年4月29日号
http:// zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130422-00000005-sasahi-soci


11年ぶり海外訪問を決意させたオランダ新王妃からの直電
2013年04月24日16時00分
長い療養生活を送る雅子さまに久々の海外公務を決意させたのは、一本の国際電話だった。
「電話の主は、オランダのマキシマ妃でした。まもなく新国王に即位するアレキサンダー皇太子の妃です。
マキシマ妃は『ぜひ4月30日の即位式においでいただきたい』と直接、雅子さまにお話しされたようです」(宮内庁関係者)
その言葉に背中を押され、11年ぶりの海外公務が実現したのだ。雅子さまは2006年8月、オランダ王室の招きで、
皇太子さま、愛子さまと一緒にアペルドールンの離宮などで2週間、ご静養をされた経緯がある。
「『そのときの感謝をお伝えしたい』と雅子さまはおっしゃり、当時も同行した主治医の大野裕医師
(精神科)に相談されたそうです。4月17日頃になってOKが出て、皇太子さまが電話で小町恭士東宮大夫に
伝えたそうですが、そのお声は弾んでいたそうです」(同前)
皇太子さまの胸中には、長いトンネルをようやく抜けた思いが広がっていたのかもしれない。
雅子さまの前回の海外公務は愛子さまが生まれた1年後の02年12月だった。
03年末には帯状疱疹を患ったのをきっかけに「適応障害」で長い療養生活に入った。
そして皇太子さまが04年5月、「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」という
“人格否定発言”をし、物議を醸すこととなる。国民には、「お世継ぎの問題」などで皇太子ご夫妻と宮内庁、
天皇、皇后両陛下に深い溝があるという印象が広がった。
ご病気に至る経緯について、留学時代から雅子さまを知る知人はこう話す。「帰国子女でハーバード大卒の
元外交官である雅子さまがご意見をはっきり言うのは当然ですし、中でも雅子さまは自由闊達なお嬢さんです。
皇室という閉鎖空間に入るのは当初から無理だろうなと思いました」。
東宮関係者も言う。「ご結婚後、個性を封じ込め『お世継ぎ』を最優先させる皇室という環境に対し、
雅子さまは深く悩まれていました。皇室の将来を案じる両陛下や宮内庁幹部と行き違いも生じていました」。
別の宮内庁関係者は闘病の様子をこう明かす。「特に紀子さまが悠仁さまを出産されるまでお悩みは深く、
雅子さまが軽井沢にある小和田家の別荘にひきこもってしまわれた時期もありました。母の優美子さんと愛子さま、
雅子さまの3人が別荘で過ごされ、思いつめた様子の皇太子さまが訪ねてくるような状況でした。
東宮御所に戻られても雅子さまの生活は昼夜逆転し、投薬治療を受ける状態が続きました。
大野医師をひたすら頼りにしていたようです」。
雅子さまが例年夏の休暇を過ごす那須御用邸周辺でもこんな証言があった。「雅子さまは毎日、日が沈むころに
女官もつけずお一人で散歩されていました。御用邸内には小道があるのですが、草が高く伸びた
獣道のような場所をわざわざ歩いていかれるのです。誰にも会いたくない、
というお気持ちの表れだったのかもしれません」。
そんな状況からの転換となったのが、雅子さまが感謝の気持ちを伝えたいと述べられた06年8月の
「オランダご静養」だ。オランダは雅子さまにとって特別な国で、もっとも頼りにしているご両親が暮らす地だ。
実父の小和田恒元外務事務次官は現在、同国ハーグにある国際司法裁判所の判事を務めている。
さらにオランダ王室と皇太子ご一家は特殊な環境下で“家族の悩み”を抱えているという共通点もあった。
「オランダ王室が雅子さまに共感するのは、ベアトリックス女王の夫クラウス殿下も元外交官で、王室入りした後、
うつ病を患った時期があるからです。自分の職を失い、『女王の夫』でしかなくなったのが原因だと
考えられています」(オランダ王室ジャーナリストのハンス・ヤコブ氏)。
※週刊朝日 2013年5月3・10日号
http:// news.livedoor.com/article/detail/7622000/


雅子さま オランダご滞在中のホテルは1泊36万円
女性自身 4月30日(火)0時0分配信
11年ぶりの海外公式ご訪問として、4月28日に雅子さまが皇太子さまとオランダへ出発された。
現在、出席される予定の行事は2つ。
4月30日に新教会で行われるウィレム・アレクサンダー皇太子の新国王即位式と、
その後に王宮で行われるレセプションだ。
アムステルダムでは、多くの時間をホテルで過ごされる予定の雅子さま。
宿泊所は『ホテル オークラ アムステルダム』。
王宮や新教会から車で10分ほどの距離にある23階建ての最高級ホテルで、
皇太子ご夫妻のお部屋は21階のプレジデンシャルスイートだという。
「広さは150平米で、寝室、リビングルーム、会議室兼ダイニングルーム、書斎などもあります。
寝室に置かれているのはキングサイズのベッドです。リビングルームや寝室からは、
旧市街の街並みからアムステルダム郊外の緑の森まで見渡すことができます」(オランダの観光関係者)
ちなみに宿泊料金は1泊約36万円(2千800ユーロ)。ホテル内には、ミシュラン1つ星の日本料理店『山里』、
ミシュラン2つ星のフレンチレストラン『シエル・ブルー』もある。
ホテル関係者によれば、
「5月2日までは、王族方や各国の政府関係者だけのご利用となります。警備上の問題もあり、
一般のお客様は宿泊も立ち入りもお断りしています」
久しぶりに海外ご公務に臨まれる雅子さま。厳戒態勢のホテルの部屋でアムステルダムの景観を眺めながら、
”復活”を果たされた皇太子妃はどんなことを胸に思い描かれているのだろうかーー
http:// zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130430-00010000-jisin-peo


オランダ訪問、雅子さまの主治医の説明責任
2013年4月30日
岩井克己
皇太子ご夫妻のオランダ訪問が実現した。雅子さまの公式海外訪問は
2002年の二ュージーランド・オーストラリア訪問以来11年ぶりだ。
日本とオランダとの間では、戦時中の捕虜虐待や従軍慰安婦などの歴史問題を抱えながらも、
長年にわたる経済交流や市民レベルの交流に加え、現天皇とベアトリックス女王の真剣な「和解」への取り組みと、
その過程で育まれた友情もあって、基本的には良好な関係が築かれつつある。
06年には王室の好意で皇太子ご一家の史上初めての海外での静養に招待してもらった経緯もある。
女王の譲位に伴うアレクサンダー皇太子の国王即位の式典に、
同世代の皇太子ご夫妻が国を代表して出席することになった。
しかし、雅子さまの訪問の決定に対しては、 国内から様々な批判や疑問が噴出している。
ネット上でニュースが流れると、膨大な批判的コメントが殺到した。雅子さまは一部の主要儀式は出席の予定だが、
その他の行事は同行する主治医の判断により出欠は不透明ということもあり、
宮内庁にも批判の電話やメールが数多く寄せられているという。
きっかけは、オランダからの招待に対するご夫妻の返答が期限から1カ月以上遅れ、
閣議にかけられたのは出発のわずか9日前の4月19日になってしまったことだ。
皇太子夫妻の外国訪問は天皇・皇后に準じ、双方の政府機関や大勢の関係者の準備作業は膨大なものとなる。
閣議決定を経ないと事務方は本格作業に入れないため、早ければ半年以上前、
いくら遅くとも1カ月前というのが常識だった 。とりわけ今回は、安倍首相のプーチン首相との首脳会談のための
ロシア訪問という総理の重要な外交日程もかち合ったため、政府専用機の割り当てや民間機のチャーターといった
頭の痛い問題もあり、官邸、外務省、防衛省、警察庁、宮内庁など各政府機関の事務方や民間関係者は
大変な作業に追われたはずだ。このことは相手国側についても言えることで、
オランダにも多大な迷惑がかかっただろう。
宮内庁の長官と次長が記者会見で「一刻も早く決めていただきたい」と公にご夫妻に催促するに至ったのも、
恐らく「宮内庁、東宮職は何をやっているのか」と政府内からも批判が集まり、
切羽つまったものだったのではないかと思う。
皇室は、周囲や国民に迷惑をかけないようにという思いやりや 、公務とりわけ国際親善活動での公平性を
重んじると受け止められてきた。国民や諸外国からの敬愛も、こうした自らに厳しい「作法」あってのものだろう。
東宮職は「雅子さまの体調をぎりぎりまで見極める必要があった」としているが、
今回の決定と発表の取り運びは不明朗で拙劣だったと言われても致し方ないだろう。
だれもが思うのが、雅子さまが18日の園遊会に欠席する一方で、オランダ訪問は決めるという
「体調」の矛盾の不可解さだろう。返答が長期間にわたって留保される一方で、
ご家族のスキー旅行や学習院の音楽会には元気な姿を見せていたことから
「はじめから園遊会がすむまで意図的に返事を延ばしていたのではないか」という推測まで呼んでいる。
こうした「矛盾」は今 に始まったことではなく、雅子さまが長期療養に入ってから何度となく繰り返されてきた。
インドネシア大統領、ブータン国王ら国賓の歓迎式典や晩餐会は欠席する一方、同じ日に乗馬を楽しんだり
愛子内親王に付き添い登校する。ほとんど全ての公務や祭祀は欠席する一方で、私的な遊興や静養は
活発に行う。節目の命日の「式年祭」を迎える歴代天皇について、その天皇をしのんで祈りを捧げるため
準備の一環として行われる事績の進講は出席する一方で、肝心の式年祭は欠席するといった
本末転倒の状態も続いている。
今回は、皇室にとって重い行事の日程が重なって、そうした矛盾が鮮明に浮き彫りとなって、
多くの一般国民の間で長年たまっていた疑問と不満が表面化した形だろう。
こうした 雅子さまの公務のあり方について、東宮職はこれまで「主治医の判断」と説明してきた。
しかし、主治医は会見して具体的な説明に立つことは一度もなく、・・・・・
http:// astand.asahi.com/magazine/wrnational/2013042600002.html?ref=com_rnavi


テーミス2013年5月号
小和田恒氏が動いた
皇太子ご夫妻「オランダ公式訪問」をめぐる新事実
天皇皇后両陛下が「私的な旅行」を演出された裏側や宮内庁VS外務省の暗闘
天皇皇后両陛下は私的な旅行をされたが、同行者や警備は極力少なくされた
一連の行動には皇太子ご夫妻へ向けてのメッセージ
山中湖付添の事で陛下は心を傷めてらっしゃる(皇室ジャーナリスト)
オランダ訪問について
千代田側は早く皇太子ご夫妻にオランダへ行くことを発表してほしかった
雅子妃の体調は良く、早くから訪蘭を決めていた
東宮職医師団は早くから訪蘭を進めていた
一方、千代田が訪蘭に否定的だった(小和田家に近い関係者)
早くに発表しなかったのはスキーがあったから(皇室ジャーナリスト)
3月下旬に小和田恒氏が日本に戻っていて、総理に会っている
小和田氏は雅子妃バッシングに不満(外務省筋)
オランダ王室側は近隣諸国に「彼女は病気じゃない。日本では仮病を使ってる」と言っている(欧州に詳しい関係者)

八幡和郎 フェイスブック 
【オランダ新王妃の父が即位式参列できず&小和田夫妻と公私のけじめ】
…一方、雅子妃がオランダ在住の小和田夫妻と会われるかも注目されたが、
5月1日にホテルを小和田夫妻が訪れ3時間ほど滞在した。小和田夫妻は頻繁に帰国しているから、
なにも公私混同といわれるこの機会にこれみよがしに会うこともないと思うが、
そんなことを気にしないのが小和田夫妻らしいところだ。
しかも、小和田大使は、「両殿下とも無事にお務めを果たされて、ほっとしているご様子。
オランダ側の配慮により、(雅子さまが)出席することができ、ご夫妻は配慮に感謝されていました」
と記者団にコメントしたが、どう考えても出過ぎたことだ。
平安時代の関白でもあるまいし、両殿下が帰国して内外に正式の
声明として出されるべきところをマスコミにべらべら話すのは不適切だ。
しかも、この日は 水俣病の公式確認から57年目で、水俣では「水俣病犠牲者慰霊式」が営まれ
石原環境相が患者や遺族に厳しく糾弾されていた。雅子妃の外祖父である江頭豊氏は、
1964年から73年までチッソの社長・会長をつとめ、それ以前は主力銀行の役員、会長辞職後も相談役だった。
チッソがホルムアルデヒドの生産を中止したのは1968年、熊本水俣病第一次訴訟が始まったのは翌年だ。
そのとき、江頭社長は、1959年に見舞金契約を結んで死亡者に30万円、生存者には年間で10万円を払い、
「今は水俣病の原因がよくわからない。将来、水俣病の原因がチッソということがわかっても、
それ以上の要求はしない」としたことを盾にそれ以上の補償を理不尽に拒否していたのだから、
この日に江頭豊氏の家族が晴れがましいところに出るのはいかがなものか
(ちなみに小和田邸は江頭邸の敷地内にあって夫人の実家としての通常の関係より深いつながりだ)。
オランダ新王妃の見事なけじめと比較しても割り切れないものがある。
http:// www.facebook.com/permalink.php?id=100001926880555&story_fbid=458627704211455


小和田夫妻 雅子さまを追ってオランダへ日本から発っていた
2013.05.09 07:00
オランダでの王位継承行事ご出席のため、皇太子ご夫妻が日本を出発した4月28日の翌日夜9時半過ぎ、
都内の隠れ家的な寿司店を1組の老夫婦が訪れた。
この老夫婦こそ雅子さまのご両親・小和田恆(ひさし)さん(80才)と優美子さん(75才)夫妻だった。
外務省のエリート官僚として事務次官や国連大使などを歴任した恆さんは現在、
オランダ・ハーグにある国際司法裁判所判事を務め、基本的には優美子さんとともに同国で暮らしている。
この日、夫妻は大好きだというお寿司を心ゆくまで堪能すると、
「明日、朝10時の飛行機でオランダに戻らなきゃならないの。また夏に帰ってくるわ」
と女性客や店主に言い残して店を後にした。
そして翌4月30日、朝7時半過ぎ、小和田邸前に迎えに来たハイヤーに乗り込み、
ふたりは娘・雅子さまを追ってオランダへと旅立っていった──。
即位式の翌5月1日夜──皇太子ご夫妻が宿泊されていたホテルを、小和田夫妻が訪ねた。
皇太子ご夫妻と一緒にお茶を飲みながら、3時間ほど前日の即位式について歓談されたという。
この面会は、新聞・テレビでも報じられたが、誰もがオランダに赴任中の小和田夫妻が、
自分たちの住む国へ久々のご公務としてやってきた娘を訪ねたものと、思ったはず。
しかし現実は、雅子さまを追いかけて、2日遅れで日本からオランダへと渡り、現地で面会したのだった。
小和田夫妻が日本にいたのには理由がある。それは、今回のオランダ訪問が決まるまでの約1か月間、
休暇を取って日本に戻り、雅子さまと直接相談のやりとりをするためだった。
オランダ側から招待を受けたのは3月初め。回答の期限は3月上旬だったが、雅子さまは逡巡を繰り返され、
その回答を1か月以上引き延ばされた。
これには風岡典之宮内庁長官からも異例の苦言が呈されるなど、波紋を広げることとなり、
雅子さまの悩みは大きくなるばかりだった。
そんな雅子さまを支えたのが、小和田夫妻だったのだ。
「小和田さんは3月下旬に帰国されました。恆さんは帰国して間もない3月27日に、安倍晋三首相と面談しています。
このとき、雅子さまのオランダ訪問について首相に相談されたそうです」(外務省関係者)
その後はずっと東京に滞在していたのだが、3月末には、都内の高級中華料理店で
皇太子ご一家と一緒に食事をされてもいる。
「皇太子ご一家、さらに雅子さまの妹の池田礼子さん一家もお誘いになって食事会を開かれたようです。
1人3万円のコースを召し上がったみたいですね。そこでもオランダ訪問の件が話題になって、
恆さんが“行けそうですか?”と質問すると、皇太子ご夫妻は“そのつもりです”とお答えになったそうです。
しかし、やはり雅子さまは困惑の表情をされていたみたいで…。恆さんは心配になったようで、
それからオランダ訪問が決まるまで、雅子さまを励ますために何度も電話をしていたそうです。
優美子さんも、ひそかに雅子さんのもとを訪れていたという話もあります」(前出・外務省関係者)
さらに恆さんは、オランダ王室への根回しも行っていたという。
「小和田夫妻としては、雅子さまがオランダ訪問という“成功体験”をされることが、
病状の快方にとってとても重要なことだと考えたようです。
そのため、恆さんは自らのルートを使って、オランダ王室に“返答はギリギリまで待ってほしい”とか、
“オランダに行ってからも行事への出席が直前になって取りやめになる可能性もあるが理解してほしい”
などと説明したそうです。
小和田家にとっても、今回のオランダ訪問は、雅子さまの健康回復のための大きなチャンスと考えていたんです」
(前出・外務省関係者)
※女性セブン2013年5月23日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20130509_187071.html


皇太子ご夫妻のオランダ訪問裏で取材させろさせないのやりとり
2013.05.11 16:00
オランダでの王位継承行事ご出席のため4月28日から5月3日までオランダを公式訪問されていた皇太子ご夫妻。
11年ぶりに海外公式訪問となるオランダ訪問は実現したものの、その舞台裏では
今後の不安を予感させるドタバタ劇も繰り広げられていた。
出発直前の4月26日に開かれた小町恭士東宮大夫の定例会見でのこと。
「小町大夫が、“皇太子ご夫妻が東宮御所を出発される際の取材設定はない”と発言すると、
記者たちからは“それはおかしい!”と猛烈な反発があったそうです。
 大夫は“11年ぶりの海外公式訪問なので、ご負担軽減に協力してほしい”“空港では取材させるから”
という説明だったようですが、記者たちは“11年ぶりなのだから、なおさら逆に取材させるべきだ”と
会見は緊迫した雰囲気になったそうです。
記者たちにしてみれば、今回は愛子さまがお留守番となり、そのお見送りのシーンは
ご成長を表す意味でも大切な場面なのだから、取材したいという強い思いがあったのでしょう」(皇室関係者)
結局、お見送りシーンの取材が許されることはなく、東宮職と記者たちの間に、大きなしこりを残す結果となった。
「出発前、雅子さまは帰国後のことを大変心配されていました。
もちろん体調がすぐれない日も出てくるはずですから、また問題が生じることもあるでしょう。
そんなときに東宮職と記者たちの間に遺恨があれば、さらなるトラブルが発生するのは必至です。
もしかしたら東宮御所での取材拒否は、雅子さまの意向だったかもしれません。
しかし、“今後を考えて、取材を受けましょう”と進言するのが、東宮職の仕事なのです。
それが雅子さまのご意向を慮るがゆえに、逆に雅子さまを苦しめてしまっている。本末転倒だと思いますよ」
(前出・皇室関係者)
実際、小町大夫自身が、出発前に、「ひとつできるからといって、みんなできると思われては困る」と
語っていたほど、今後のご体調に対する不安は大きいのだ。
※女性セブン2013年5月23日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20130511_187311.html


週刊文春2013年5月16日号
雅子妃が「小和田雅子」に戻られた夜
その“ご訪問”は突然だった。皇太子ご夫妻のオランダ滞在四日目、ご帰国を翌日に控えた5月1日の午後7時頃。
左ハンドルのシルバーのレクサスが、皇太子ご夫妻が宿泊するホテルオークラアムステルダムに滑り込んできた。
現場にいた記者が話す。
「車内にいたのは雅子さまのご両親、小和田恆・優美子夫妻でした。気が付いたいくつかのテレビ局は、
駐車券を取ろうと一旦停止したその車に近づいたのです」
その日、午前中に行われたウィレム新国王夫妻主催の朝食会で王位継承行事は一段落し、
アムステルダムの街はいつもの落ち着きを取り戻しつつあった。
ホテルオークラやその周辺で敷かれていた厳戒態勢の警備も解除され、一般客の利用が再開されていた。
「ご両親との笑顔のご対面が撮れるかもしれない。各局のカメラマンはホテルの駐車場の入り口で
そのチャンスを狙っていました。ですが、カメラが近付くと小和田氏は『撮るな』と言わんばかりに、
急いで車内のサンバイザーを下ろしてカメラを遮ったのです。
その動作はメディアに顔が出るのを遠慮するというような慎ましいものではなかった。
マスコミに対する嫌悪がありありと見てとれました」(同前)
小和田氏は終始憤然たる面持ちで、カメラを一瞥もせず、下ろしたサンバイザーの下から手を伸ばして駐車券を取り、
券を口にくわえて急発進。猛スピードで地下駐車場へ入っていった。
「放送上でじゃキャスターが『ご両親とお会いになれて本当によかったですね」などと伝えていましたが、
現場はそんな雰囲気じゃありませんでしたよ」(同前)
あまりに露骨な小和田氏の態度に、その場にいたカメラマンや記者は開いた口がふさがらなかったという。
天皇皇后に近いある千代田関係者はその様子を聞き、眉をひそめてこう話した。
「妃殿下に関する日頃の報道に鬱積した思いもあるのでしょうが、かりにも皇太子妃殿下のご両親です。
メディアに顔をそむけるような行動をとるべきではなかった。一礼して通り過ぎれば済むことなのですから」
小和田夫妻はそれから約三時間半、ホテルに滞在。
その間、報道陣は小和田夫妻への取材要望を宮内庁東宮職を通じて伝えていたが、ここでも一悶着が。
「宮内庁記者クラブの幹事社と東宮侍従の間で、何度もやり取りが行われました。
ですが、帰りもあのようにテレビカメラを向けられたら困る、という小和田夫妻の意向があったのでしょう。
夫妻のホテルからの帰りの映像は、テレビ局の代表による撮影に絞られたのです。
両者の交渉が決着したのは、夫妻が出発する30分ほど前。皇太子ご夫妻との面会が一段落しても、
報道対応が決まるまで、一時間ほど待っていたそうです」(宮内庁担当記者)
そして夜11時前、小和田夫妻がホテルを出発。車内の夫妻はやはり無表情で、
カメラの前で笑顔を見せることはなかった。
今回の小和田氏の映像を見た外務省関係者の多くは、こんな反応を示す。
「(小和田氏の態度には)別に驚きませんよ」
小和田氏と同時期に外務省に在籍していた元外務省官僚はこう話す。
「外務省の誰に聞いてもそう答えると思いますが、彼は他人に厳しく、栄達や名誉に対する強い執着を持っていた。
私に言わせれば、友人を必要としないタイプですよ。嵩高な物言いで誰も近寄らなかった。
たとえば、彼がペーパーに書き込む字はまるで心電図のような乱筆で、
『小和田の心電図字」といって恐れられていました。
『これは何ですか』などと聞こうものなら、露骨に嫌な顔をして返事もしないのです」
今回、主席随員を務めた小町恭士東宮大夫も、同じ外務省出身だが、両者の差はあまりに大きいという。
「小和田氏が事務次官のとき、大夫はソヴィエト課長。しかも駐タイ大使止まり。
小町氏にとって小和田氏はいわば“雲上人”なのです。
東宮職は訪蘭中のレクでは『来客はない』とコメントしていたそうですが、小和田氏が『行く』と言えば、
小町氏が口を挟む余地はない。下にも置かない対応をしたはずですよ」(別の外務省関係者)
小和田恆氏は、ちょうど皇太子ご夫妻が結婚された93年に事務次官を退官。
03年には、国際司法裁判所の判事に就任している。
「09年2月から日本人として初めて所長を務めた後、一昨年11月の選挙で再選を果たし、
現在は二期目の判事を務めています。任期は9年。前任者である小田滋氏や田中耕太郎氏は
80歳を前に辞職していますが、小和田氏は任期を終えるころには88歳という高齢を迎える。
それでも再選を果たしたのは、本人の強い意思があったためです」(同前)
当然、小和田氏はオランダの日本人社会でも有名人だ。だが、彼について話を聞こうとすると
「どんな些細なことでも話せない」と過敏に反応する在留邦人が多い。
狭い日本人コミュニティの中では仕方がないのかもしれないが、
その中で、外務省時代から親交があるとう一人の邦人が、匿名を条件にこう語ってくれた。
「国際司法裁判所の判事にまで上り詰めた小和田氏が、今欲しているものは名誉です。
彼は『勲章が欲しい』と私に語ったことがありました。
現実には、皇太子妃の父親ですからもらうことは難しいでしょう。
しかし、判事の前任者でもある小田氏も田中氏も叙勲を受けている。それが『理屈に合わない』と感じているのです」
また、小和田氏が判事として赴任後しばらくして、ワッセナーという高級住宅地にある、
オランダ随一の格式高いゴルフクラブ「王立ハーグゴルフ&カントリークラブ」の入会を希望したことがあったという。
当時の会長が話す。
「そのとき、日本の会員枠が埋まっていたため、クラブは彼の入会を断りました。
各国の外交官枠は別にあるのですが、国際司法裁判所の判事は外交官ではないので、その枠を適用できないのです。
しかし彼にすれば『はるかに後輩の大使が会員なのに、
自分が会員になれないのはおかしい』という気持ちだったのでしょう。
秘書を伴ってクラブの会長に直談判に来たのです。
会長は執務室で丁重に迎え、長い時間、小和田氏の不満を聞いていたのですが、結局はお断りしたそうですよ。
いくら文句を言われても、当クラブには当クラブのルールがあるわけですから」
そもそも、雅子さまがご両親と公務先のオランダで会うこと自体が疑問だという声も多い。
一部関係者からは、「政府専用機で里帰りされたと言われかねない」という意見も出ている。
ベテラン宮内庁担当記者もこう話す。
「いくら娘とはいえ、皇室に嫁がせた親族の控えるべき“一線”というのがあります。
皇后さまのご実家である正田家は、かたくなにその作法を墨守してきました。
あれは昭和61年、まだ皇太子妃だった皇后さまの誕生日の会見でのことです。
『ご両親や兄弟と水入らずで会う機会はあるか』という質問に、『両親、それから兄弟も、
どちらかというと遠くからいつも見守ってくれます』『節度を守っていきたいという家族皆の気持ちを、
寂しくても大切にしなくてはなりません』とお答えになっています。
皇太子妃というお立場はそういうものなのです」
別の千代田関係者はさらに手厳しい。
「今回、雅子妃殿下はご両親と会い、“小和田家の娘”に戻る時間をお持ちになったわけですが、
正田家は、皇后陛下が嫁いでからは身を慎み、特に父の英三郎氏は世間の目を引くような会合に出席されることさえ
控えるようになりました。それが『けじめ』だとお考えになったからでしょう。
オランダに来た時ぐらい会えば良いと言う声もあるようですが、東宮御所でも頻繁にお会いになっているし、
昨年9月には馴染みの高級中華料理店で、小和田夫妻の金婚式のお祝いの会もなさっていると聞きました。
妃殿下と長く“途絶状態”にある両陛下よりもその距離は近いのです」
今、雅子さまが心を許すことができるのは、ご家族と、以前からのお知り合いだけのようである。
小和田夫妻との面会からさかのぼること約三時間。
ホテルホークラでは皇太子がお一人で在留邦人との接見をなさっていた。
「雅子さまは当初の予定通り不参加。しかし接見が終わった直後、黒いパンツスーツで足早に別室に入る
雅子さまと皇太子殿下の姿がありました。雅子さまの外務省の先輩である国際刑事裁判所の尾崎久仁子判事と、
ハープ奏者の長沢真澄さんの二名が在留邦人の中にいたため、急遽お会いになることを決められたのです」
(前出・宮内庁担当記者)
接見に参加したのは27名。そのうち2人だけが別室で雅子さまとお会いになったわけだ。
直前に皇太子と接見した一人が話す。
「ご接見が終わった後、皆で部屋を出たのですが、(尾崎さんと長沢さんの)2人だけ
職員に促されて別室に移動していました。そこで初めて、二人が雅子さまに会うことを知りましたね。
雅子さまとはもちろんお会いしたかったですよ。みんなそうでしょう」
前出のベテラン宮内庁担当記者は、この雅子さまの行動に苦言を呈する。
「祖国を遠く離れ暮らす在留邦人にとって、皇族からのお言葉がどれほど有難く、
勇気づけられるか、もっとお考えいただきたかった。今回はご訪問が直前に決定したために、
急遽予定をやりくりして集まってくれた人たちです。そんな25人が『袖にされた』と感じたらどうでしょう。
失礼ながら、雅子さまは馴染みのない人と親しく話すのは偽善だとすらお考えなのではないか。
しかし、えこひいきは皇太子として絶対にやってはいけないことなのです」
11年ぶりの海外公式ご訪問は無事成功した。だが、その反響も大きい。
山高ければ谷深し。今後の公務復帰も含めて、雅子さまのご動静にはますます注目が集まるだろう。

週刊文春2013年5月16日号
工藤美代子(ノンフィクション作家)
オランダが“安心できる場所”だった
今回のオランダご訪問で印象的だったのは、雅子さまが大変ご機嫌麗しかったこと。
現地の空港では、わざわざ皇太子を呼び止められてプレスに向かって手を振られる場面がありました。
雅子さまは報道陣やカメラが苦手だそうですので、国内でそのようなお姿を拝見する機会はありません。
即位式に出席されたことも、多くの国民に感動を与えたことでしょう。
これまでは皇太子お一人での出席が多かっただけに、
雅子さまの笑顔を見守る皇太子のご表情も心なしかいつもより明るかったようにお見受けしました。
ただ、残念ながらすべて手放しで喜ぶわけにはいきません。
これを機に雅子さまのご病状が良くなると楽観視することもできないからです。
ご訪問先となったオランダは、皇太子ご夫妻と非常に縁のある場所です。
新たに即位されたウィレム・アレキサンダー国王は、皇太子と同世代の四十六歳。
しかも、「水の研究」という共通のテーマをお持ちです。
2005年にアレキサンダー皇太子とマキシマ妃が来日した際には、ご夫妻で応対なさっています。
その後、皇太子ご一家がオランダの地でご静養なさったことは、ご承知の通りです。
久々の海外ご公務先には、顔馴染みの王族がいるオランダを選ばれたということなのでしょう。
ご夫妻にとって、オランダは安心できる場所だったのです。
雅子さまは、国立博物館での晩餐会にはご欠席されたと聞き及んでおります。
一方、ご夫妻でご面会に臨まれたのは、オランダ在住の雅子さまのご両親と、以前からお知り合いだった方のみ。
通例ですと、皇族の訪問先では在留邦人との懇談が行われますが、こちらには皇太子が一人で出向かれたようです。
そこで思い出されるのが、今から十五年ほど前、まだ雅子さまがご療養に入る前のことですが、
私が少人数のパーティに出席した際の出来事です。皇太子ご夫妻がいらっしゃり、出席者一人ひとりにお声がけをなさっていました。
ところが、たまたま私の隣に大きな声で話している男性がいて、その方に気付いたご夫妻は、お互いに目で合図を送っていました。
そして、ついにこちらの方へはいらっしゃらなかったのです。
たしかにデリカシーに欠ける印象の男性ではありましたが、皇太子ご夫妻はやはり公平でなければなりません。
当時からお付き合いなさる王族も、ご面会なさる方も“安心できる相手”を選ばれているのでしょう。
ただ、もちろん中には変わった方がいるとしても、本来はそれも含めてのご公務です。
たとえば、被災地を訪れるときに、あらかじめ人選をすることなどできません。
即位式という晴れ舞台に立ち会われたことは、雅子さまにとって充実した時間であったと
拝察します。オランダ王室で世代交代があったように、日本でもいずれ新しい御代がやってくるのでしょう。
「またこういう場に立ちたい」という雅子さまの思いが、新たな治療に入られるキッカケとなることを願ってやみません。

  • 最終更新:2018-05-30 10:06:18

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