毛沢東時代の言論弾圧と同じだ

WiLL2009年2月号
毛沢東時代の言論弾圧と同じだ
石 平(せき へい)

田母神論文問題を論じるに当って、まず明確にさせておきたいのは、論文というのはあくまでも「言論」である、という至極単純な事実だ。
それが現役の航空幕僚長の書いたものであろうと、懸賞論文として公表されたものであろうと、
言葉の綴りとしての論文はあくまでも言論であって、それ以上のものでもなければそれ以下のものでもない。
したがって、民主主義社会において「言論」をどう扱うべきかという問題こそ、今回のケースの最大のポイントである。
今回の田母神論文にたいする批判は、もしそれが論文の内容や観点に対する言論上の批判であれば、別に何の問題もない。
「言論をもって言論と戦う」というのは民主主義の基本でもあるから、互いに論を持って論争しあえば良い。
しかし、田母神論文にたいする批判の数々を見れば分かるように、それらの批判は、論文内容にたいする正面からの論争というよりも、
むしろ「政府見解への離反」や「文民統制からの逸脱」など別の理由からの糾弾なのだ。
それだけでも卑怯なやり方であるが、批判者たちはさらに、田母神氏本人に対する懲戒処分や退職金の返納までを求めたりしている。
したがって、田母神論文にたいする糾弾と批判は最初から、「言論の戦い」から大きく逸脱した「魔女狩り」の類いのものである
と言わざるを得ない。論文の内容にたいする批判ではなく、論文の書き手、すなわち言論の発信者個人への処罰を企むものであれば、
それは言論にたいする弾圧以外の何ものでもない。「そんなことを言うやつは懲戒処分にせよ」というのは、
言論に対する弾圧と言わずして何というべきなのだろうか。

弁明の機会を一切与えない
田母神論文にたいする日本の国会やマスコミの糾弾ぶりを目の当たりにして、元中国人の私が最初に抱いた感想は、
かつての中国、毛沢東流のファシズム的言論弾圧と同じような状況ではないか、というものである。
というのも、批判派たちが田母神論文を糾弾する時に用いた手法と論法は、毛沢東流の言論弾圧のそれとあまりにも酷似しているからだ。
たとえば、中国でかつて盛んに行われた思想弾圧の手口の一つは、弾圧される相手に弁明や反論の機会をいっさい与えずして、
ひたすら一方的な批判を浴びせる、というやり方である。
実はそれこそが、言論弾圧の基本中の基本なのだ。ある言論が正論だからこそ弾圧の対象となるのが普通だが、
正論を吐く人に弁明や反論のチャンスを与えると、どちらが正しいかが明確になってしまうので、弾圧は成り立たない。
だから最初から力ずくでそれを徹底的に封じ込めるしかない。
このような言論弾圧の基本が、今回の田母神論文糾弾においても十分に「活用」されたのではないかと思う。
一カ月以上にもわたる「田母神論文問題」にかんする継続的な報道の中で、全国紙の中では産経新聞以外は、
問題となった田母神論文の内容にたいする詳しい検証がほとんど行われていないのが特徴的だった。
「問題の発覚」以来、田母神氏本人もさまざまな場で発言しているが、それをまともに取り上げるような新聞報道がわずかしかない。
せいぜい糾弾するのに都合の良い発言の断片が引用されただけである。それはいくら何でも、フェアな報じ方とはいえないだろう。
11月3日、田母神氏本人が記者会見を行い、「事件」の経緯について語り、自らの考え方を堂々陳述した。
マスコミがつくり出した「大問題」の渦中の人物が自ら記者会見を行ったのだから、本来なら新聞にとっての絶好のネタであるはずだが、
翌日の新聞朝刊を見ると、その報道ぶりがまったく拍子抜けのものであった。田母神氏の記者会見の要旨を記したのは産経一紙のみで、
毎日、朝日、読売などの全国紙は言葉の断片的引用以外には会見の内容をほとんど無視する姿勢をとった。
ニュースとしての扱いも最小限のものに留まった。
とにかく、一番の当事者であるはずの田母神氏本人の声をできるだけ伝えたくないという思惑が透けて見えている。
読売新聞にいたっては、田母神氏の発言を公平に伝えるどころか、その関連記事のタイトルはまたもや陰湿きわまりないものだった。
「謝罪・反省の色なし」という、あたかも罪人を扱うような「意地悪」な書き方である。
いくつかの全国紙が圧倒的なシェアを占めるいう日本独特の新聞事情の中で、上述の三つの全国紙がこのような不公平な扱いをすると、
田母神氏の記者会見での言い分が半ば封殺されたと言わざるを得ない。言ってみれば、「こちらはお前のことを好きなように糾弾できるが、
お前に反論の機会など与えない」という人民裁判式の一方的な言論弾圧が、まさに言論の公器であるはずの日本の大新聞によって見事に断行されたのである。
「発言封じ」の最たる例は、やはり11月11日に行われた参議院外交防衛委員会での参考人招致だった。
招致実施に先立って、各テレビ局の中継申請にたいして参議院側が許可したのはNHK一社だったことは周知の通りだ。
招致質疑の場面を国民の目に触れることを恐れていたのであろうか。
質疑の冒頭、民主党の北沢俊美委員長が「個人的見解を表明する場ではない」との珍セリフを吐いて、
田母神氏が自らの考えを陳述するのを最初から封じ込めようとしたのは、あまりにも陳腐であった。
そして質疑の全過程において、質疑に立った議員たちができるだけ田母神氏本人にたいする質問を避け、
防衛大臣やその他に質問を振っていくのがとりわけ印象的であった。
参考人として招致されたはずの田母神氏の口を開かせないための作戦がそこまで徹底していたとはまさに驚きである。
さらに驚くべき場面は他にもあった。たまに与えられたわずかな機会に、田母神氏が自分の考えを述べ始めると、
その都度、北沢委員長が直ちにそれを遮って強制的に招致人の口を塞いだことである。まさに言論封じの生々しい現場ともいうべき場面だったが、
それが現れたのは一度だけではなく、何度も繰り返された。それは私自身がかつて目撃した、
中国の人民裁判式の「反革命分子批判大会」の恐ろしい光景と何の変わりもなかった。
2008年11月11日、日本国の「言論の府」であるはずの参議院が、まさに「言論弾圧の府」と化したことは、
日本の憲政史上の汚点として将来の歴史に残るであろう。

二重基準の適用
毛沢東流の言論弾圧の常套手段のもう一つは、言論や思想に対する二重基準の徹底的な適用である。
つまり、「毛沢東思想」に反するような言論や思想に対しては、あらゆる隙や穴をさらい出して徹底的な攻撃を加えるが、
「毛沢東思想」に則すると判断された言説や意見であれば、それがただのデタラメであろうとあからさまな嘘八百であろうと、
そんなことはいっさい構わない。すべてが容認され、奨励され、堂々たる市民権を手に入れるのである。
言論弾圧というのはけっしてすべての言論にたいする弾圧ではない。弾圧する側にとって都合の悪い言論は容赦なく弾圧するが、
都合の良い言論はけっして批判にさらされることがない。そのためにあるのが二重基準の使い分けだ。
「弾圧すべき言論」にたいしては理由をこじつけてもそれを弾圧するが、都合の良い言論は同じような理由で批判することは絶対しない。
「良い子は常に良い、悪い子はどこまでも悪い」ということである。
今回の田母神論文弾圧事件においても、このような卑劣きわまりない手法が最大限に生かされたのではないだろうか。
朝日をはじめとする多くの大新聞や田母神批判の論者たちは、田母神論文が「政府見解に反する」ことを問題視する。
「公務員として政府見解に反する論文を発表するのが許せない」という論調である。
しかし、彼らにはそもそも、「政府見解に反する」というような理由で人を批判する資格があるのだろうか。
学校の行事において国旗を掲揚して国家を斉唱すべきというのは、単なる一内閣の「見解」を超えた日本国政府の基本方針であるはずだ。
そして、現在に至るまで、この方針に抵抗して国旗の掲揚と国歌斉唱を妨害さえするような教師が跡を絶たない。
それらの教師も立派な公務員である。
しかし朝日や毎日などは、それらの「反政府方針」の教師たちを批判したことがただの一度でもあったのだろうか。皆無ではないか。
2001年、台湾の李登輝元総統が心臓病治療のため訪日ビザの申請を行った時、当時の森喜朗総理大臣はビザ発給の方針をはっきりと表明した。
にもかかわらず、槙田邦彦・外務省アジア大洋州局長という一外務官僚がビザ申請などないと大嘘を吐いてまで
それに必死に抵抗した。槙田氏も立派な公務員だから、それがまさに行政の長である総理大臣の方針に正面から反抗したという許し難い反乱行為だ。
しかしその時、産経を除いた日本の大新聞や親中派の論者たち、つまり、今回の論文問題で田母神氏を激しく批判しているような人たちの誰か一人でも、
上述のような官僚の暴走を批判したことがあっただろうか。
結局、国旗掲揚・国歌斉唱にたいする抵抗も、李登輝訪日にたいする阻止も、本来ならあってはならない行為であるはずが、
それが朝日新聞や親中派たちの意に適うような言動だったから、彼らは一様に目をつぶったのである。
時の総理大臣の方針に反する公務員といえば、もう一人錚々たる人物がいる。防衛大学校長の五百旗頭真氏である。
小泉政権時代の出来事だったが、2006年9月7日に配信された「小泉内閣メルマガ第二四八号」では、彼が防衛大学校長の肩書で寄稿し、
その中で当時の小泉首相の靖国参拝について次のように書いている。
「たとえば靖国参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々として築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」
言うまでもなく、靖国参拝は小泉首相の一貫した方針である。そして小泉首相こそは当時の日本政府のトップであり、
公務員としての五百旗頭氏の歴とした上司でもある。ところが五百旗頭氏は、総理大臣の方針と異なった見解を示すどころか、
総理大臣の方針を正面から批判したのである。
しかしその時、朝日をはじめとする新聞、テレビのどれか一つでも、それにたいする批判を行っただろうか。一部の保守系メディアを除けば、
まったく批判がなかったのは歴然とした事実である。五百旗頭氏の首相批判発言はそのまま容認され、
彼は今でも公務員として防衛大学校長という重要ポストに座っている。
なぜ今回の田母神論文だけが、かくも問題視されたのか。内容が「政府見解」としての村山談話に反する問いかけだったとしても、
村山談話自体を批判した文面はまったくない。にもかかわらず、この一編の論文を発表したというだけの理由で、田母神氏は
航空幕僚長のポストから“解任”され、日本中のマスコミや「進歩的な」言論人から総力戦的な糾弾の嵐にさらされた。
小泉首相を批判した五百旗頭氏の待遇とはまさに天と地の差がある。これほどの不公平と、これほど恣意的な二重基準の使い分けは他にはあるだろうか。

批判の急先鋒・五百旗頭真
さらに驚くべきことは、田母神論文にたいする糾弾キャンペーンにおいて、朝日や毎日がこともあろうに、
件の五百旗頭真氏を急先鋒として担ぎ出したことである。
11月12日付朝日新聞が掲載した田母神批判の社説の中には次のような一節がある。
<問題が表面化した後、防衛大学校の五百旗頭真校長は毎日新聞のコラムでこう書いた。
「軍人が自らの信念や思い込みに基いて独自に行動することは……きわめて危険である」
「軍人は国民に選ばれた政府の判断に従って行動することが求められる」
五百旗頭氏は歴史家だ。戦前の歴史を想起しての、怒りを込めた言葉に違いない>と。
五百旗頭氏は「怒りを込めて書いたに違いない」という朝日のこの文言を目にした時、私は呆然とせざるを得なかった。
田母神氏と同じ公務員であるはずの彼こそは、「自らの信念や思い込みに基いて」、
「国民に選ばれた」政府の長である総理大臣を堂々と批判したのではないか。
自分のやったことを忘れたかのような涼しい顔をして「政府の判断に従うべきだ」と諭す五百旗頭氏の厚かましさもさることながら、
彼の論を援用して田母神批判を展開する朝日と毎日が、どれほど公正性の欠けた偏向メディアであるかもよく分かった。
とにかく、糾弾したい言論にたいしては、公平さや公正さなどを屁とも思わず、二重基準の使い分けという卑劣な手法を堂々と用いて
徹底的に叩いていくというのが、まさにこれらの日本の大新聞と、
中国の毛沢東たちとの間に相通じるような言論弾圧の凄まじい「ファッショ根性」なのである。

最大の楯は村山談話
日本における「田母神論文糾弾」と中国の毛沢東流の言論弾圧との特徴的共通点を見てきた。
もちろん、特徴上の共通点があるからといって、今日の日本が毛沢東の中国と同様のファシズム的言論統制社会になっているとはいえない。
日本はあくまでも民主主義社会である。しかし、今の日本にも、権力を楯にした疑似的な言論統制社会の到来の可能性がまったくないわけではない。
まさに「田母神論文糾弾」の凄まじい嵐が日本列島を吹き荒れる中で、その危険性の兆しが見えている。
本稿で論じてきたように、今回の「事件」において、日本の国会やマスコミが田母神論文を追及したり糾弾したりする時に用いた最大の根拠は、
この論文の主旨が「政府見解に反するものだ」ということである。その「政府見解」が村山談話であることは言うまでもない。
かりに村山談話なるものが最初から存在していなかったとすれば、日本の国会は田母神論文を問題として取り上げることも出来ないし、
マスコミは田母神氏個人にたいする糾弾も出来なかっただろう(論文の内容にたいする言論上の批判ならばいくらでもできるが)。
その意味では、「政府見解」としての村山談話こそは、このたびの言論弾圧をバックアップした最大の楯であると言えよう。
11月11日の参議院参考人招致が終わった後、田母神氏が記者に対して、
「村山談話は言論弾圧の道具であることが分かった」と語ったのは、まさに弾圧された本人の実感を込めた鋭いコメントであろう。
日本の国会もマスコミも、「政府見解」を楯にして、一編の論文に対する徹底的な弾圧を実行したわけである。これはいかにも
危険な構図である。健全な民主主義社会においては、国会(立法府)とマスコミは、行政府にたいするチェックがその本来の機能の
一つであるはずだ。政府の政策や見解が正しいかどうか、総理大臣の言動に問題があるかどうか、
それを徹底的にチェックして正していくのが国会とマスコミのやるべき仕事だ。
その意味では、日本の国会とマスコミは今回の田母神論文を問題視する前にまずやっておくべき仕事があったはずだ。
それは「政府見解としての村山談話」そのもににたいする吟味である。村山内閣の発表したこの談話が果たして正しい歴史認識といえるかどうか、
それが日本の国益にかなっているかどうかを徹底的に吟味したうえで、自らの判断を下すことである。それこそが民主主義の王道である。
しかし、日本の国会もマスコミも、このたびの「事件」への対応は、民主主義の王道から完全に逸脱していた。「政府見解」の是非を
チェックするどころか、彼らは最初から「政府見解としての村山談話」を支持し、それを是とする前提に立って、
一編の論文にたいする徹底的な糾弾を行った。
そのとき、この日本にはもはや三権分立もなければ、政権から中立したマスコミも存在しないことになる。
国会もマスコミも、「政府見解」の擁護に集結して、同じ歩調を取りながら行動をともにしている。
あたかも、「党中央と政府の正しい指導下で一致団結して行動する」という中国共産党政権のスタイルが、そのままこの日本に移植されたかのごとくである。
考えてみれば、実はそれこそが、日本の大新聞が好んで批判している「戦前翼賛体制」の再来ではないのか。
いわば「村山談話」を中軸とした「村山談話翼賛体制」の雛形がすでにその姿を現しているわけである。
田母神論文を批判した朝日社説の表現を借りれば、まさに「ぞっとする」危険きわまりない政治構図の出現である。
そしてさらに危惧すべきことは、このような「村山翼賛体制」を背後から支えるイデオロギーが東京裁判史観であることだ。
戦後60数年にわたって日本人の心を束縛してきた偏向イデオロギーとしての東京裁判史観は、
さらに「村山談話翼賛体制」という疑似的なファッショ体制として強化されつつある。
日本人にたいするこうした一方的な思想体制が、自らの政府によってこのまま強められれば、
わが日本国と日本民族の未来は完全に断たれるであろう。それは断じて許してはならない。
その意味で、かつて「民主化青年」として中国共産党の一党独裁体制と戦い、今は日本国民となった私は、戦後日本の最大の癌となっている
東京裁判史観と疑似ファッショとしての「村山談話翼賛体制」との戦いに、今後も身を投じていかなければならないと思っている。

  • 最終更新:2018-10-09 14:56:43

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