櫻井よしこ氏 週刊ダイヤモンド

「日本文明からの逆襲か 秋篠宮妃紀子さまご懐妊で証明された皇室典範改正の拙速さ」
週刊ダイヤモンド2006年2月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 629

秋篠宮妃紀子さまご懐妊の報は、性急に進められようとしている皇室典範改正に
強いブレーキをかけるもので、まさに、日本文明からの逆襲ではないだろうか。
皇統の継承者は男系男子という2600年あまり続いた伝統から180度の転換を図る女系天皇、
長子相続容認の基軸を打ち出した有識者会議の最終報告は、報告書作成のプロセスもその内容も、
わずか10人の有識者と小泉純一郎首相らによる専横だとしか言いようがない。
同会議の吉川弘之座長らは、皇室典範改正の基本的な視点として、(1)「伝統を踏まえたもの」、
(2)「国民の理解と支持を得られるもの」、(3)「制度として安定したもの」の三点を挙げた。
正論ではある。だが、その言葉とは裏腹に、最終報告書は三点すべてにおいて落第である。
まず「伝統」について、“有識者”たちがどのように認識しているか。最終報告書は「伝統とは、
必ずしも不変のものではなく、……選択のつみ重ねによって新たな伝統が生まれる」
「伝統の内容は様々であり、皇位継承についても古来の様々な伝統が認められる」
「伝統の性格も多様である」「皇位継承制度に関する様々な伝統の中で、
何をどのような形で次の時代に引き継ぐのか」などと書いている。
伝統とはくるくる変わるものだと言っているのだ。東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は、
有識者会議は「流行をもって伝統だと考えている」と喝破する。
吉川座長自身が「歴史観や国家観でこの案をつくったのではない」と述べたのも周知のとおりであり、
有識者会議は、自ら掲げた基本的視点と逆の立場で皇室典範を改正しようとしているのだ。
第2の国民の理解は、現段階ではほど遠い。
第3の制度としての安定性については、何をもって皇室とするのかという基本を問わなければならない。
かたちを優先し、どなたでもよいから皇位を継承する人物を確保する、というのでは、
皇室はやがて消滅する。皇室の皇室たるゆえんを守らなければ、制度としての安定性は確保されようがない。
皇室を皇室たらしめてきたのは、2600年あまり続けてきた皇統を男系男子が継承するという伝統、つ
まり、天皇家のお血筋だといってよい。
伝統は続いてきたことに意味がある。それはそのまま民族生成の物語なのだ。
だから、現代の合理主義に合わない面もある。有識者が示した男系男子誕生の統計学的確率からいえば、
男系男子で皇統を維持していくのには非常な困難も予想される。
しかし、だからといって十幾世紀も百幾世代も続いてきた伝統を180度変えてよいというものではない。
むしろ、しっかりと守っていかなければならないのだ。
無理な議論をおそらく承知で、有識者会議はあの最終報告書を作成したのではないか。
だからこそ、多くの反対論がわき起こってくると、女系天皇、長子相続の容認は
“天皇のご意思である”という情報が駆け巡り始めたのだ。はたしてそうなのか? 
その情報の真偽は判断のしようがないが、旧皇族の一人、
竹田恒泰氏が西郷隆盛の言葉を引用して非常に大事なことを発言している。
「大義のない勅命は勅命ではない。なぜなら天皇が間違ったことを言うはずがなく、
もし言ったとしたら、それがなにかの間違いである」
有識者会議周辺から流布されてきた「天皇のご意思だ」というゴリ押しの論法に、
最も心を痛めておられるのが、じつは、天皇家をはじめとする皇族の方がたではないか。
紀子さまのご懐妊は、天皇家が核として担ってきた日本の歴史、日本文明からの逆襲ではないのか。
皇室典範改正の拙速を許してはならないと、あらためて思うのだ。



「『悠仁親王』ご誕生でも低調な世論 皇室への無関心こそ最大の危機」
週刊ダイヤモンド2006年9月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 658

秋篠宮家にお生まれになったお子さまは、9月12日、悠仁(ひさひと)と名づけられた。
悠久の日本の伝統を継がれるのにふさわしいお名前である。
お印の高野槇は日本固有の常緑樹で高くまっすぐに育つ。
皇室の未来が、お名前とお印の示すように、悠久の歴史を偽りなくまっすぐに貫き、続いてほしい。

注目された皇太子と雅子妃は、オランダから帰国後、10日には愛子内親王を伴って大相撲を観戦、
雅子妃はお元気な笑顔を見せられた。その笑顔はオランダでの静養の“治療効果”を示すとともに、
悠仁親王ご誕生が雅子妃のお気持ちをも軽くする効果があったのではないかと思わせる。
ご自分が男子を生まなければ幾百世代も続いてきた天皇家の伝統が途絶えるかもしれないという事情に、
雅子妃ならずとも、重圧を感じられるのは当然であろう。
悠仁親王ご誕生で、ともかくも、現世代の次の世代への最小限の責任は果たされたことになる。
そのようにお考えになって、気分が軽くなったのかと思えたのが、10日の晴れやかな笑顔だった。
どの人にとっても、少しのあいだ息をつくだけの時間的余裕が、皇位継承問題について生まれたのだ。
しかし、9月6日以降の動きには、懸念材料も目につく。その一つは、皇室への無関心である。
むろん、紀子妃の男子出産という喜ばしいニュースを熱烈に歓迎した人びともいる。
けれど、どう見てもその喜びが全国民的慶事として盛り上がったようには見受けられないのだ。
皇室の求心力は明らかに落ちていると思わずにいられない。その大半の責任はおそらく国民の側にある。
戦後の国民教育の責任だといってもよいだろう。同時に、皇室の側にも努力が求められる。
皇室の歴史を見ると、時代によって天皇の果たされる役割は変化してきた。明治天皇は、天皇であるとともに
大元帥として君臨し、開国して欧米列強の力に直面せざるをえなかった日本国の求心力となった。
昭和天皇は大東亜戦争を戦い、敗北を受け入れ、戦後の復興に当たって国民を勇気づけつつ
立憲君主の立場を守ろうとなさった。今上天皇は国民とともにあろうと各地にお出かけになり、
国民のための祈りを大事にされてきた。次の世代の天皇は、どんなかたちで国民の信頼と尊敬を得、
どのように絆を深めていかれるのか。その答えは、少なくとも皇太子ご夫妻からは見えてこない。
ご夫妻について、ご成婚以来記憶に残るのは、ご結婚前の雅子妃のキャリアをどう生かすか、
妃の能力を皇室の伝統と責任のなかにどう織り込んでいくかという苦悩である。
その苦悩は、雅子妃のために皇室の伝統をどう変えるかという点から発しているかにさえ見える。
対して、皇室の伝統的な役割と存在意義を強調する議論のせめぎ合いが続いてきたのが、
ここ数年の現実である。雅子妃と同世代の、仕事を持つ女性たちを含めて幅広い人びとが
前者の考えを支持すれば、保守の人びとは日本国の基盤に天皇を戴く皇室があると見なし、
雅子妃の“人格”も重要ながら、日本には変えてはならない守るべき大切な価値観があると考える。
今、雅子妃がお元気な笑顔を取り戻されたことはなによりである。
だが、合理的な価値観の持ち主である雅子妃が、西欧風の合理精神では測れない皇室の伝統、
この国の文明としての皇室のあり方に、どこまで協調していけるのか、あらためて考えざるを得ない。
もう一つ、皇室全体にとっての問題は、悠仁親王誕生による皇太子と秋篠宮の力関係の接近である。
昭和天皇は弟宮たちを警戒し続け、高松宮にはあからさまな批判もなさった。
この種の皇室の人間関係をおおらかに乗り越えることも、皇族全員の重要な課題となる。
国民がその存在意義を前向きに大切に受け止めていくことが出来るような皇室であってほしいものだ。



「深くて重い皇室典範改正問題 眼前の問題解決のための安易な女性天皇容認は慎重に」
週刊ダイヤモン2005年7月30日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 602

日本の皇室はどのようなかたちで存続していくのか。
また、皇室は日本人と日本にとってどのような意味を持ち続けることが出来るのか。
グローバル化時代といわれ、人類の交流はすべての面において国境の壁を低くしつつある。
同時に、歴史や文化など民族の基盤の確立なしには、グローバル化時代の国際社会にのみ込まれ、
漂流する民族となりかねない。皇位継承者問題は、日本民族の基盤をどこに求めるかという問題と
ぴったり重なり、私たちに厳しい問いを投げかけている。
皇室に、男子の皇位継承者が今のところ見当たらないこともあって、
いったい誰方(どなた)が未来の日本の天皇になられるのか、私たち日本人はいったいどんなかたちで
この国を継承していきたいのかが問われているのだ。その問いかけへの答えは容易ではなく、
皇室と日本の将来には、いわく言いがたい不安がつきまとう。
そうしたなか、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、有識者会議)が、
今月26日に正式に「論点整理」をまとめるそうだ。
現在、皇位継承者は、皇統に属していること、嫡出子であること、男系男子であること、
皇族であることの4点が条件である。吉川弘之・元東京大学学長が座長を務める右の有識者会議では、
皇位継承者は男系男子でなければならないのか否かが中心に論じられてきた。
同会議のメンバーは岩男寿美子、緒方貞子、奥田碩、佐々木毅氏ら、肩書を紹介せずとも
そのまま通用する人びとに加え、元最高裁判事の園部逸夫氏、前内閣官房副長官の古川貞二郎氏らが参加している。
いずれもひとかどの人物だが、気になることもある。
有識者会議の議論が、どこまで日本の有史以来の皇室のあり方について議論を深めてきたのかという点だ。
同会議は今年の1月下旬に検討を開始し、これまでに8回の会議を開き、8人の有識者の意見に耳を傾けたという。
皇室のあり方は日本のあり方そのものだ。一二五代続く皇室の伝統と、皇室という明白な血脈を
とにもかくにも守ってきた日本の価値観のあり方である。
皇室典範の議論は、そうした諸々のことを論じたうえで初めて出来るはずだ。
しかし有識者会議は、わずか半年間、8回の会議でそれらを掘り下げて論ずることが出来たのだろうか。
同会議が発表する論点整理は、これを基に議論を深めるためのもので、
女性天皇容認論を着地点として意図したものではないと政府は説明する。だが、これまでの状況を考えれば、
論点整理が女性天皇容認に向けての、いわば地ならしであるのは否めない。
万が一、女性天皇容認の方向で皇室典範改正がされるとしたら、
そのことが持つ歴史的意味は革命的に大きいだろう。あるいは次の比喩は適切でないかもしれない。
が、あえて言えば、戦後の占領下で、わずか一週間で日本の文化文明を真っ向から否定する憲法や
教育基本法がつくられていったことと、質的に似た、かつ同規模の変化を日本にもたらすと思えてならない。
皇室存続のためには女性の天皇を認めることも必要かもしれない。
しかし、それは、打つ手がなくなった段階での最後の手として考えるべき方策ではないだろうか。
一二五代にわたって「男系による継承」が不動のものとして続いてきた事実は、非常に重く、
文明的価値のあるものとして、尊重されなければならない。
女性天皇容認を優先するあまり、長く続いてきた男系継承の歴史と原則を軽視し、
眼前の問題解決のために結論ありきの姿勢に傾くようなことは、万が一にでもあってはならないだろう。
事は、日本の伝統の根本をなす文明の核の問題なのである。
今、ここで踏みとどまり、なお十分に論ずることが望ましい。



「女系天皇容認案の矛盾と危険 日本文明無視の一方的結論とその手法は、第二のGHQだ」
週刊ダイヤモンド2005年12月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 619

たったひと握りの人びとが、独善的にこの国の文明の土台を変えてよいはずがない。
わずか10人による、ほとんど公開されてもこなかった議論によって、
連綿と引き継がれてきた皇室のあり方を、革命的に変えてよいはずがない。
小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の出した最終報告を、
私は激しい憤りで受け止めざるを得ない。
最終報告は、かねて予想されたとおり、女性・女系天皇を容認し、
皇位継承は、男女にかかわらず、長子を優先する内容である。
女性天皇は、男系天皇制の下でも可能である。つまり、皇太子ご夫妻の長女の敬宮愛子さまは、
男系天皇制の下でも天皇に就くことは出来るのであり、私はそのことに反対するものではない。
今回の報告の問題点は、女性天皇を超えて、天皇制を根本的に変えることになる女系天皇制を容認していることと、
男女にかかわらず長子優先としたことの2点である。
右の問題点多き結論を導き出した有識者と呼ばれる人びとは、吉川弘之座長、
および園部逸夫座長代理を筆頭に、岩男壽美子、緒方貞子、奥田碩、久保正彰、佐々木毅、笹山晴生、
佐藤幸治、古川貞二郎各氏の10人である。
GHQでさえ手をつけることを憚った天皇制の本質に、10人の“賢者”は手をつけたことになる。
天皇制を天皇制ならしめてきた血筋の純粋性に踏み込み、異質のものに変えようという
今回の結論を導き出した人びとは、吉川座長が「私たちは歴史観や国家観で案を作ったのではない」
と述べたように、日本の歴史も文明も振り返ることなく、また、それらへの愛情も理解も反映させることなく、
日本文明の核である天皇制のあり方に手を入れたことになる。
その意味で有識者会議は、日本文明をばっさり切り捨てて現行憲法を押し付けた、あのGHQと同じである。
この“GHQ再来”の前に、私たちは今、本当にしっかりと天皇制の意味について考えなければならない。
神話の時代も含めて、日本の皇室は紀元前に始まる。神武天皇が大和を平定し橿原宮で即位したとされる
紀元前660年より現在に至るまで、2665年にわたって連綿と続いてきた皇室は、
古代から男系で一貫してきた。そのことに日本人は幾数十世紀ものあいだ、挙げて重要性を認めてきた。
他方、万世一系の血筋の純粋性を軽視する人びとは、有識者会議の10人の人びと同様、確かに存在する。
だが、男系天皇制も、万世一系も、時代によって異論を含みながらも、長い歴史のなかで、
日本民族が紡いできた精神的価値であり、日本文明の核となるものだ。
天皇制の論議は、これらの点をしっかりと認識したうえでなされなければならないはずだ。
だが、有識者会議では、「現実的な問題を見極めながら議論する必要性」
「皇室制度は日本独自のものではあるが(中略)
世界の王室の状況についても一応整理しておく必要がある」などと指摘され、
吉川座長は「神学論争は不毛」「歴史観は国会で議論すべき問題だ」とも発言した。
歴史、文明など、端から考慮しないのだ。だが、天皇は総理大臣などのように、役職を問われる存在ではない。
前述のように、第一義的にその血筋が問われる存在である。そのことを日本人は大切にしてきた。
だからこそ、天皇制はその神話的起源が示すように、抽象的、観念的議論こそが重要なのだ。
それを、「神学論争は不毛」として、それらすべてを省いて、いったいどこに日本を導こうとするのか。
男系天皇制維持に、先人たちは工夫を重ねた。私たちは歴史に学び、有識者会議の結論を白紙に戻し、
より深く天皇制を論じるべきだ。第二のGHQによる日本変革を許してはならない。

  • 最終更新:2019-02-14 11:41:38

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