森暢平

週刊朝日2006年9月22日
森暢平氏
「次の次の世代」の天皇は愛子内親王か、新親王か男児誕生で深まる「皇統の危機」
私たちはいずれ、愛子さまと秋篠宮家の新宮さまのどちらを天皇に選ぶのかという<究極の踏み絵>を迫られることになるのだ。
現在の皇太子がいずれ天皇になったとしても、秋篠宮は「皇太子」にはならない。
皇位は親から子へ継承するのが基本であり、(※間違い)
「皇太子」とは、ときの天皇の子供の中で最も順位の高い継承者(通常は長男)を指す。
秋篠宮は一度天皇家から出ており、「狭い意味の皇室」から見れば、「外の人」である。
皇太子の即位後に、新たな皇太子になることは絶対にないのだ。
繰り返すが、秋篠宮家は本来的には天皇家の外にあり、身位がまったく異なる存在である。
その秋篠宮家を厚遇するということはつまり、<愛子さまか、新宮さまか>という選択で、後者を選び、前者は切り捨てることを意味する。
男児誕生で、皇太子一家と秋篠宮家の間の不安定要素が大きくなった。
皇統の不安定化はさらに深まるだろう。これは、まさに皇統の危機である。


週刊朝日2006年10月6日号
本当に「帝王教育は必要か」 森暢平
秋篠宮悠仁親王について、早くも教育を心配する声が上がっている。
しかし戦後、象徴天皇制もとで、本当に「帝王教育」必要なのかは、もっと実態に沿って考える必要があるのではないだろうか。
たとえば昭和天皇は「東宮御学問研究所」で選ばれた学友5人とともに7年間学んだ。
御学問所総裁の東郷平八郎の目標は、儒教的な徳を備えた「理想の天皇」の育成であった。
いまの皇太子さまも学習院にかよう一方で、中国古典や歴代天皇の事績について専門家の講義を受けた。
浜尾実さんの著書によると「皇族男子は簡単に泣いてはいけない」と強く教えられ、
小学生時代は最後まで順番を待つ忍耐を教えられた。
世間で想像される「帝王教育」とはこのように最高水準の教育によって、高い仁徳と広い教養が、涵養されるというイメージであろう。
それでは、果たして「帝王教育」の成果は表れているのであろうか。
皇太子さまに対する批判を考えてみればいい。
「公務よりも、雅子妃の治療を優先している」
「日本を留守にして、オランダに15日間も出かけるのは如何なものか」
「皇室に41年ぶりに男児が生まれたのに、登山にいそしんでいる場合だろうか」
私自身はこの批判にくみするものではないが、皇室の伝統を何より重んじる人たちはそうは思わないだろう。
「小さいころは立派だった皇太子さまがどうして」と考える。
なぜ、そう感じるのかを考えれば「帝王教育」が見えてくる。
思うに、「帝王教育」とは、天皇・皇族がいかに徳の高い、無私の気持ちを持つ人物なのかを信じるための<舞台装置>である。
「あれほど立派な先生に習われたのだからいつも国家国民のことを考えておられるはず」と考える<仕掛け>と言ってもいい。
<装置>や<仕掛け>は、あくまでも観念上のもので、実態が伴うとは限らない。
昭和天皇のときにも18歳の祝賀パーティーの席上、ただ黙って座っていたため
「御学問所の教育が、机上の空論ばかりだからだ」と「帝王教育」批判が起こった。
いくら完璧な教育を施したとしても、完璧な人間に育てることはできない。
ある教育を施したとしたら、目標に沿った人間が育つと考えるのはあまりに傲慢でありそんなことはありえないのだ。
そもそも「皇族であっても個性を大事にした子育てを」という考え方は天皇ご夫妻がお持ちになっていたものだろう。
その考えを体現するのが、秋篠宮さまのような気がしてならない。
小さい時から、動物や虫が大好き。個性的に育てられたことが現在の鶏の研究につながり、
秋篠宮邸はいまも小動物でいっぱいである。「悠仁」という命名にも、
周囲にとらわれず悠然と生きていってほしいという宮様の思いが込められているのではないか。
ある考え方を押し付けるやり方は秋篠宮家の哲学とは異なる。
もちろん悠仁親王は一生、皇族として生きていかねばならないのであり、職業選択の自由はない。
その中で悠仁親王に必要なんのは、皇族としての覚悟である。
それは跡継ぎを運命付けられた商家の長男の必要と、そう大きくは変わらないものだ。
象徴天皇制について極論すれば、天皇の仕事は内閣からの書類に印を押すことに尽きる。
それは、まさにロボットでもこなせる職務だ。
しかし、天皇や皇族が操り人形であって欲しいと考える国民はいないはずだ。
むしろ個性のある皇族が多いほど、皇室の魅力は増す。
21世紀の皇族の教育は、個性を伸ばし国民と同じ視線で活躍するためのものであるべきだ。
「帝王教育」が前世紀と同じ、旧態依然の<装置>や<訓練>だけのものならばもはや必要性は全くない。


週刊朝日2007年9月14日号
「帝王教育」は無駄である-象徴天皇制は終焉した(森暢平)
天皇家の古きよき大家族ぶりは途絶え、
一部メディアをにぎわすのは皇族の家族としての一体感のなさを強調する記事。
いつから皇室はコアなマニアにむけてディープな情報を提供するヲタク文化のような存在になったのか。
昭和天皇、美智子皇后という2人のビッグスターによって持ちこたえてきたが、
実際には象徴天皇制は平成に入り流動化し、人格否定発言でその終焉が表面化。
皇室が日本の心象全体をシンボライズした時代が終わったということ。
こうした公共性が見失われた時代に帝王教育などと騒いでみても無駄ではないか。
皇室のレゾンデートルは祈りだからと、被災地に入ってみても、かつてのように、
みんなから感謝すされるということはなくなってしまったのだから。
マスコミ週刊誌は皇室の家庭内のすれ違いをことさら強調し、
愛子さまがsuicaを使っただのどうの、単なる皇室ヲチャのような報道をされてしまっている。
昭和の時代の憧れと羨望、国民統合のシンボルでもあった皇室はすでに終わった。
東宮も秋篠宮も我々全体の象徴ではなく、それぞれ「個」の延長なだけである。
こうした公共性が見失われた今、帝王教育など無駄ではないか。
以前のように、災害地に出向き、皆から感謝される時代でもなくなった。



・森暢平は、悠仁親王殿下誕生前は「愛子様に早く帝王学を」と発言していた。
・森暢平は過去に「ナマズのためなら」という記事で、秋篠宮殿下が私的な研究でタイに行ったことを批判。
・悠仁親王殿下誕生時に民放の特番に出演。
 根本的に秋篠宮殿下を誤解している、あるいは憎悪している(あるいはそういう指令を受けている)ということが態度や発言に表れていた。

  • 最終更新:2017-01-29 10:27:13

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