東宮職員出入り2

女性セブン2011年2月3日号
東宮女官長退任で抜擢
「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー“命の献身”
愛子さまは年を追うごとにスケートの練習に熱心に取り組まれている。
1月15日。東京郊外のスポーツ施設のリンクで新年初滑り。
午前10時過ぎ、愛子さまは皇太子さまと二人で姿を見せ、お友達数人と約2時間スケートを楽しまれた。
この日午後から公務があった皇太子さまは、愛子さまをスケート場に送ったあとすぐに帰られたが、
いつもは付き添われるはずの雅子さまの姿は結局見られなかった。
「関係者の間では、“体調を崩されて同伴を取りやめたのでは”と、心配の声も上がったようだが、
実はこの直前、雅子さまに不安を抱かせる出来事があった。その影響もあったのかもしれない」(宮内庁関係者)
その出来事とは、木幡東宮女官長が1月17日付けで退任することになったこと。
これまで東宮には女官長を筆頭に常時5人が皇太子夫妻に仕えてきたが、
最近では愛子さまの養育掛を務めていた福迫さん、昨年12月には養育専任女官だった小山さんが退任するなど、
側近たちが立て続けにいなくなっているのが実情。
そして今回、女官たちを束ねる“トップ”である女官長までが退任するに至った。
雅子さまとしては心寂しいことであり、その不安もさぞかし大きいことだろう。
元外交官夫人であった木幡さんが東宮女官に任命されたのは、雅子さまが皇室に嫁がれたのと時期が同じ93年6月。
「それだけに、常に雅子さまに思いを馳せる方だった。(中略)
ときには関係各所とのパイプ役となり、またときにはクッション的な役割を果たし、日々腐心された姿が印象に残っている」(別の宮内庁関係者)
木幡さんは03年に女官長に就任。宮内庁が雅子さまの病気を「適応障害」と発表してから、木幡さんの腐心の日々はさらに続くようになった。
「公務がなかなか果たせない雅子さまに対して、厳しい意見を耳にすることもありました。
そんな時、木幡さんは必死に歯を食いしばるようにして雅子さまを支え、ときには盾にもなってお仕えしてきました」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまはそんな木幡さんを信頼され、木幡さんがいれば大丈夫と何よりの頼りとされるようになった。
退任理由を宮内庁は「17年もの長きに渡って務めを果たしてきたため」としているが、
「木幡さんは責任感の強い方でした。彼女が何より大事にしたのた組織の和を守ること。
しかし、福迫さん、小山さんと立て続けに辞めてしまい、東宮職内部に少なからず混乱が生じました。
リーダーである木幡さんはそのことに心を痛め、責任を重く感じてしまったようです。
そのために退任という道を選んだのではないでしょうか。そうでなければ雅子さまの体調が
いまだに回復していない状態で、辞めるわけがない」(ある皇室関係者)
後任はまだ決まっていないが、当分の間、岡山いち・東宮女官が東宮女官長事務代理を務めることとなった。
「15年近く木幡さんの下で女官として働いてきた岡山さんに、木幡さんは絶大な信頼を寄せてきた。
それだけに、雅子さまを支えてくれる人はこの人しかいないという思いで、
木幡さんは次のリーダーに彼女を推挙したようです」(前出・宮内庁関係者)
岡山さんは学習院出身。「児童養護施設の仕事をボランティアとして手伝ったり、
いのちの電話の手伝いもされていたと聞いたことがある」(岡山さんの知人)
岡山さんは、母親が介護と必要とする状況になったときも、東宮女官としての務めを果たさなければという思いを貫いた。
5年ほど前に母親が亡くなった時も、東宮女官の職を第一に考える気丈な姿であった。
そんな姿勢に前出の知人は感嘆しながら、
「母親の死に直面しても、雅子さまのために命をかけて献身する。責任感の強いあの方は
東宮女官としていつも自分に言い聞かせているのだと思う。いつだったか、“雅子さまのご病気が心配です”と
伝えると、“一日も早くお元気になっていただきたいと願っているんです”と、それは祈るような眼差しで話されたことがありました」

女性自身2011年2月1日号
雅子さま、“復活”支える新女官は東大卒のスーパー翻訳家!
今春に退職するらしい東宮侍従のAさんは入れ替わりの多い東宮侍従の中でも10年以上務めてきた。
編集部が本人に直接確認「僕は辞めないですから」
愛子さまもなついているし、登校にもしばしばお供をしている。
後任の東宮女官長は未定だが、木本彰子さんという女性が東宮女官として新しく採用された。(宮内庁関係者)
今回の人事には、雅子さまの強い意向があったそうだ。(宮内庁関係者)
木本氏は東大卒で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の翻訳者。
木本氏がOG会のときわ会長を務めていた当時、東大総長だった吉川氏は、
皇室典範改正有識者会議の座長を務めていたためシンパシーを感じるところがあるのでは。
東宮女官にという話があったのは、(雅子さまと東大の)同窓で、英語が堪能などの経歴があったから。
もともと雅子さまと親交があったわけではないが、何人か候補者がいた中で、
雅子さまと(経歴が)近いということで白羽の矢が立ったと聞いている。(本の共訳者で、前参議院議員の広中氏)
木本彰子さんを採用することに関して雅子さまはとても前向きだったと聞いている。

週刊文春2011年1月27日号
「東宮女官長」辞任の衝撃! この4年で5人目
雅子さま「側近たち」はなぜ次々去るのか~深層レポート
木幡清子氏は、退任の午後9時過ぎ、都内の高級住宅地にあるマンションに帰宅した。
片手に花束を持ち、もう片方の手には、記念の贈り物か、それとも荷物なのか、紙袋を三袋ほど重そうに運んでいた。
「お話することはございません、失礼します。」
小誌の取材には応えなかったが、木幡氏の表情は晴れ晴れとしていた。
小山さんが退任されたばかり。ひと月も経たないうちに、女官長まで退任する事態に。
通常、人事異動は3月末。小山さんは「体調不良」が理由。
木幡さんは「体調は悪くない」という。木幡さんは新潟出身。おしとやかで品が良い。
自分のことをあまり話さない方でしたが、皆の憧れの的でした。
青山学院大学文学部仏文科を卒業してすぐ、外交官と結婚した。(大学の同級生)
夫である木幡昭七氏は、大使時代小和田恒氏と官邸に一緒に報告に行ったことも。
中山太郎外務大臣(当時)が顔色が悪いことを指摘され、昭七氏は病院へ行ったらガンと分かったが、
その時点ではもう手遅れだった。(外務省の同僚)
立て続けに起こる東宮女官の退任事件。
東宮さまのところはどうなっているの、と関係者からいぶかしがる声も上がる。
木幡さんは前々から辞意を表明。
小山さんも木幡さんも退任したのは、雅子さまの病気と無関係ではない。
今の東宮御所は愛子さまにかかりきりで、公務もほとんどない。
女官としても居場所がなくなったと感じたのでは。(宮内庁関係者)
女官の仕事は、以前は当番制だったが、数年前から、ある女官が重用されていると噂されるようになった。
皇居に来られる時も、その女官がお付きのことが多く“雅子さまのお気に入り”と見られている。
木幡さんからすれば、自分を差し置いて、お気に入りの方がいたらやりづらいでしょう。(同関係者)
最近、初等科などで度々姿を見せていたのも、その女官のようだ。
がっしりした体格なのにすごく細やかなので、すぐ覚えたほど。
運動会に同行していた時には、ひざかけを二つも三つも袋に入れて、
雅子さまや優美子さん、礼子さんに「お寒くありませんか」と渡していた。
応援しているうちに温かくなった雅子さまが「暑いわね」と言うと、パッと扇子を取り出し「お使いになります?」。
愛子さまもとても懐いており、愛子さまの担当なのだと思っていた。(初等科父兄)
一方、小山さんは当初は愛子さまご養育専任という任命だったはずが、徐々にその任を重んじられなくなったように見られていた。
野村大夫の発言で、木幡さんには「たいへんよくやっていただいた」と感謝の念を示しているのに、
小山さんの場合は「もういいでしょうという感じです。」といささか冷たかった。
請われて東宮へ入ったのに、これではさすがに失礼なのでは。(皇室ジャーナリスト)
小山さんは正論をハッキリおっしゃる方ですが、両殿下と意見が合わなくても、自分の意見を主張されるのはないかと心配していた。
幼稚園では「夜8時以降に子どもが起きている場合、それは虐待です。あなた方は違うと思いますけど…。」とおっしゃっていたので驚いた。(児童の父兄)
小山さんは退任前に関係者に漏らしていた。
「園長の時には言えていたことも、女官にあがると部下なので、アドバイスもしてさしあげられない」。
女官は役人として、“召使”としての仕事と両方をこなさなければならない。
おそばの者なら、妃殿下のお部屋の中のことだって、わかるはずだというかもしれないが、
雅子さまの場合は「おやすみなさいませ」と言ってプライベートなお部屋に入られたら、
なかで何があっても私たちにはわからない。天皇皇后両陛下は、侍従や女官がお部屋に入ることも、
あまり苦とお感じにならないらしいけれど、東宮御所は公私の部分がはっきり分かれている。
それに雅子さまは何でもご相談される性格ではないので、
ご体調が悪くても、周りが気づいて差し上げることができない。(雅子さまに仕えたある東宮関係者)
雅子さまは仕事に対して厳しいところもあり、私たちがしかられることも多い。
しかし女官とはそういうものだと思わないと務まらない。召使としての覚悟があるかどうか。
語弊を恐れずに言えば、優秀な人ほど出て行きたくなるような仕事なのだ。(同関係者)

側近の退職者はこの4年間で5人。
2007年9月に楠田恵美子東宮女官、2009年3月に末綱東宮侍従長、
2009年4月には福迫美樹子氏が辞めている。
天皇皇后両陛下に比べると、比較的若く、しかも短期間で辞めている退職者が目立つ。
楠田さんの勤務は、2005年3月からの2年半。雅子さまの東宮女官の中で最も短かった。
上智大学外国語学部英語学科を卒業し、エール大学に留学経験もある。
英語が堪能で、雅子さまが定期的に聴講されている国連大学へのお出ましの際には、
大学の事務方と流暢な英語で打ち合わせ。
ご主人が亡くなってからは、近所の子どもたちに英語を教えていた。(前皇室ジャーナリスト)
雅子さまは優秀な楠田さんを気に入り、休日にも出られる日は出てもらうこともあった。
しかし楠田さんは、御所には内緒で休日や早く帰れる日にはまだ英語を教えていた。
生徒には「もう教えてあげられない」と言っていたようだが、ぜひ教えてほしいと請われた。
ただ、休日に仕事が入れられるかどうかという話の時に、英語塾のことが知られてしまい、
雅子さまからお叱りを受けたという。このことが退職につながったもよう。(楠田氏知人)
末綱氏の場合は、皇太子ご夫妻との関係が退任に影響したと言われている。
就任当時は、2004年5月に皇太子の「人格否定発言」があったこともあり、
末綱氏の着任によって、千代田との関係改善が進むものと期待する向きもあった。
就任当初は「大丈夫。皇太子さまとは何でも話せますから」と自信を見せていたそうだが、
天皇皇后との関係が深いことがかえって、皇太子ご夫妻との関係を築く上で障害になったと見られている。(別の宮内庁関係者)
退任の数ヶ月前から噂はあったものの、「長官まで務める」と見られていただけに、周囲は「東宮御所の仕事はそんなに大変なのか」と受け取った。
退任直前の末綱氏の、警察庁のOBや宮内庁長官を訪れて、苦しい胸の内を訴えていたという。
「皇太子妃との関係がうまくいかない。これ以上続ければ、かえってご迷惑をおかけする」と話し、
時折涙を見せていたそうだ。期待が高かったのは本人も承知していたから、無念だったはず。(同関係者)
福迫さんの場合はどうか。愛子さまは福迫さんに懐き、オランダご静養にも同行。
2006年新年の「ご近影」撮影中に千代田サイドからクレームがつく“事件”が起こった。
愛子さまがおむずかりにならないようにあやしたり、
カメラマンの側で愛子さまに向かって手を振って注意を引いたりしていたのが、
皇室ではありえない振る舞いと思われ、千代田側から苦情が伝えられた。(皇室関係者)
福迫さんは辞める数ヶ月前に知人にこう漏らしていた。
宮さまはかわいいし、雅子さまにもよくしてもらっている。でも私は一人の子の面倒ではなくて、
たくさんの子と関わりたくて、幼稚園教諭になったから、やっぱり現場に戻りたいわ
木幡さんと入れ替わりに着任したのは、翻訳家の木本彰子氏。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・ヴォーゲル氏は、
小和田恒氏と交流があり、雅子さまのことは米国の高校・大学時代から知る人物。
愛子さまご誕生の際には祝電を寄せている。
「家族、友人はもちろん、天皇家の血筋が途切れないことを望んでいる日本の国民も喜んでいるだろう。
(中略)彼女が米国で高校生活を送っていたころ、私が小和田さん宅を訪ねると、
彼女は母親の手伝いをし、客をよくもてなす思いやりがあった。
彼女は皇室に入って多くのものを犠牲にしたと、数多くの西洋人は思っているが、私はそう思わない」
側近たちの退任理由はそれぞれだが、雅子妃のご病気が長引くなか、お仕えする苦労もひとしおだろう。

テーミス2011年2月号
▼養育掛の退任はこれで2人目
それでも、雅子さまと愛子さまはマイペースだ。
1月11日の学習院初等科の始業式も、式は欠席し、HRだけの出席。
愛子さまの通学問題が長期化する中、「養育担当専任女官」というポストを新設して
迎え入れた小山さんが昨年12月27日に退任。
小山さんは雅子さまの代理で父母会に出席したり、
1年生の初等科祭には池田礼子さん親子を案内するなど、雅子さまのお気に入りと見られていた。
小山さんは野村東宮大夫の“いじめ会見”直前に、数人の初等科の母親から聞き取り調査をするなど、
愛子さま入学以来、学習院側との連絡役も担っていた。
さらに1月17日付で木幡東宮女官長が突如退任し、激震が走っている。
「長年、皇太子ご夫妻を支えてきたはずの女官長や女官がこの時期に辞めたのは、
やはり雅子さまから何らかの“ご意向”があったからとしか思えない。
その原因が愛子さまの教育に関するものなのか、雅子さまのご病気に関するものなのかは分からないが、
東宮職が次々に辞めていくのは明らかに異常事態だ」(宮内庁関係者)
09年3月には末綱東宮侍従長も辞めており、これでは東宮は崩壊状態と言われても仕方ない。
▼木本さん就任に小和田家の影
東宮女官長の後任はしばらくの間空席で、岡山東宮女官が東宮女官長事務代理を務める。
そして、木幡さんと入れ替わりで新しく東宮女官に就いたのは木本彰子さん。
「木本さんは『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を翻訳したことでも注目を浴びた。
著者のヴォーゲル氏はハーバード大学名誉教授で、小和田氏とも親交があり、
雅子さまのこともよく知っている。いずれ、木本さんは女官長に就任するのではないか」(宮内庁関係者)
木本さん就任の裏に小和田家の何らかの意向もあったのか。
さらに、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の共訳者の広中和歌子氏は
本民主党副代表でもとは(創価学会員ではないが)公明党議員だった。
木本さんの亡き夫は広中和歌子氏の実弟だということで、政治的な人脈も噂されるのだ
東宮職トップの野村東宮大夫や野本侍従もすでに70歳となり、
2人とも退任が「秒読み段階」(宮内庁関係者)といわれている。
「東宮の空白」は、やがて皇室の危機につながる可能性が高い。

愛子さまに“家庭教師” 元教諭の56歳女性採用
宮内庁は16日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科4年=の個人学習を指導する御用掛として、
東京都の元公立小教諭、糸川順子さん(56)を採用した。
宮内庁によると、長年の教職経験が期待されているほか、学習院側との事務連絡も担当する。
愛子さまは学校への不安感をきっかけに、昨年春から雅子さまが付き添って時間を限った通学を続けている。
御用掛は専門知識を生かして皇室を支える非常勤の国家公務員。糸川さんを含め15人いる。
[ 2011年5月16日 15:50 ]
http:// www.sponichi.co.jp/society/news/2011/05/16/kiji/K20110516000832610.html

サンデー毎日2011年6月5日号
学習院関係者によると愛子さまは
「休み時間には大きな声を出しながら校庭でボール遊びに興じるなど、充実した学校生活を送られています。」
糸川さんは都内随一の教育レベルである品川区で勤務していた。
ご夫妻と学習院の間に立って折衝をする役割が大きいと考えられる。
愛子さまには個人的な家庭教師がいて、遊びながら勉強をみる指導者が週に数回、東宮御所を訪れているし、
他に音楽や体操などで一流の講師がついている。糸川さんは、学習面での指導というのは表向きの理由で、
実際は学習院との「緩衝役」の意味合いが強い。小山さんも福迫さんも幼児教育の専門家だったのに、
何故、これまで初等科教育の専門家がいなかったのか不思議だが、宮内庁関係者によると「なかなか適任者がおらず、この時期になってしまった」

女性セブン2011年6月9日号
雅子さま、「次は英語家庭教師を」<チーム愛子>再生計画
5月23日 2時間目途中の9:55、雅子妃に付き添われ車登校。
「1年生を迎える会」には朝から登校できたが、また2時間目登校に戻ったようだ。
一年以上1時間目を受けていないため学習の遅れが懸念され、また小4ともなると
親のフォローが難しくなってくるので、御用掛として糸川氏を招いたのではないか。(宮内庁記者)
福迫氏、小山氏、木幡氏、と雅子妃を支え愛子様がなついていた人が相次いで去り、「チーム愛子」は崩壊。
雅子妃は愛子様のために英語の教師を捜している。雅子妃も英会話は堪能であるが、話すと教えるは別と考えている。

週刊新潮2011年6月9日号
5月16日、御用掛として糸川順子さんを任命。「発表の際、野村大夫が人物について、
“とてもいい方”なんて表現をするのは非常に珍しい。」(宮内庁担当記者)
ここ2年の間に、次々と重荷を背負った人物が去っていった。
「小山さんは“緩衝材”役を期待されていたのが、逆に板ばさみになって
最後は心身症のようになって辞められた。木幡さんも、雅子さまとの間で軋轢を抱えたのが原因でした。」(同)
その直後から新たな養育者探しを始めたらしいが、難航の末に決まっただけに、
野村大夫もひときわ感無量だったのだろう。
糸川さんは、教育者としても人柄も高評価の人物。大学では算数教育も専攻したが、
現場では国語教育のエキスパートとして有名。加えて書道にも造詣が深い。
「女官や御用掛は縁故以外ありえませんから、誰か関係者の紹介には違いない。
ご主人が東京都の職員ですから、ひょっとして黒田清子さんのツテかもという情報も流れましたが…。」(別の記者)
当の糸川さんも、「まったく関係ございません。ただ、(経緯など)詳しいことは
お話しできないことになっておりますので、申し訳ございません。」
ともかく、単なる家庭教師以外にも、東宮家と学習院の調整役も任されるらしく、極めて大役なのである。
「選考にあたっては、雅子さま愛子さまお二人との面接を何回も行ったと聞いております。
一番の決め手は愛子さまとの相性であり、雅子さまと上手くコミュニケーションが取れるかでしょう。
すでに糸川さんは東宮でも“なかなかの人”と好評のようですよ。」(松崎敏弥氏)

週刊女性2011年6月7日号
愛子さま新教育係の「なるほど!素顔」
小2から中3まで紀宮様に御用掛が付いたことがある。
家庭教師としての仕事が主なものとして、学校との調整役については否定的。(東宮大夫)
愛子様は不規則とはいえそこまで勉強が遅れているわけではないようなので、家庭と学校との連絡係を期待されていると思う。(宮内庁関係者)
「不安感」を覚えた愛子様は昨年3月以降雅子妃に付き添われて時限登校。1時間目からの登校も
見られるようになったが、5月20日も2時間目が始まる9:45ぎりぎりに車で付き添われ登校。雅子妃はそのまま同伴。
宮内庁は昨年末に小山氏退職後から後任の人選を進めていた。
東宮女官という立場では愛子様に仕えるという立場なので、言いたいことも言えなかった可能性がある。
御用掛というフラットな関係を考慮したのでは。家庭教師という立場も、公立の先生ということを考えれば
勉強よりも情操面を考えているのでは。(元・東宮職関係者)
小山氏は幼児教育の専門家にもかかわらず、つい半年前まで担当を続けていた。
今になってようやく小学生の専門家を採用したのかという印象。(山下晋司氏)
糸川氏は聞き上手で、息子に対する意思を聞いてくれて、
それを親の意思だとわからないように子どもに伝えてくれたこともあるので、
連絡役をうまく務めることも出来るのでは。(不登校気味だった息子の母親)


2011年7月
宮内庁東宮職トップの東宮大夫に前駐タイ大使・小町恭士氏の就任が決定
皇太子ご一家のお世話をする宮内庁東宮職トップの東宮大夫に、前の駐タイ大使の小町恭士氏が就任することが決まった。
新しく東宮大夫になる小町恭士氏は、外務省入省後、欧州局長やオランダ大使、タイ大使を歴任した。
小町氏は、2006年に皇太子ご一家が静養のためオランダを訪問された際に、大使を務めていた。
5日付で退任する野村一成氏は、5年間にわたり東宮大夫を務めた。
愛子さまの登校不安問題では、野村氏が2010年3月、記者会見で、「強い不安感があり、ご通学できない」と発表し、波紋を呼んだ。
http:// www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00202594.html

週刊朝日2011年7月15日号
7月1日、最後の定例会見に望んだ野村東宮大夫は極めて淡々としていた
東宮大夫は定年の決まりはないが、おおよそ70歳で勇退が不文律
この時期の勇退について宮内庁関係者
「去年は大変な状況で辞めるどころではなく、勇退が一年伸びたというところ」
昨年の大変な状況とは、愛子様の欠席問題
いま、雅子妃や東宮関係者にとって最大のテーマが「お付き添いからの脱却」
「雅子妃がそばにいないと、愛子様が学校へ行きたがらない。
教室を移動する授業以外、ずっと雅子妃が付き添っている」同関係者
だが1年以上が過ぎ、愛子様に改善の兆しが
1時限からすべての授業に出る回数が6月に入って増え、管弦楽部の朝練に雅子様の付き添いなしで登校(6月25日)
愛子様の欠席問題を公表したのは野村氏。
「ほかの児童による乱暴が原因」と明かしたことから報道も過熱
学習院側は「乱暴はなく、野村氏もそれは把握していた」と反論、野村氏ものちに釈明
野村氏はこの間、参内し両陛下に直接ことの経緯を説明したが、これは極めて異例
この事件を境に野村氏は次第に元気を失っていった
そんな野村氏が東宮夫妻を5年3カ月もの間支えてきたのは、
療養が長引き風当たりの強くなってきた夫妻の最後の砦だったから
宮内庁では、水面下で主治医の大野裕医師を交替させようという動きがあった。
だが野村氏が大野医師の立場を守ろうと腐心した
雅子妃は依然、公務をこなせる状態になく、女官長も今年一月から不在
「雅子妃は公務をほとんどしていないのだから、公務を支える女官長不在でも差し支えない」ある東宮関係者
後任の小町恭士氏(65)は外務省出身。野村氏と同じロシアンスクールの出
将来のロシア大使とも目されたが「外務省機密費問題の対応に追われ、騒動に巻き込まれてかなわず」元外務官僚
03年には出向先のタクシー券を、外務省でも流用したとして訓告処分を受けた※
「大臣官房の人間は、みな横領だ不正使用だと非難されやすい。彼に非があったとは思えない。
温厚で、おべっかを使ったり力を誇示するタイプではない」外務省OB
小町氏は06年の東宮一家のオランダ訪問の際、オランダ大使としてサポートした程度で、
野村氏と比べ小和田家との交流はほとんどないとされる。
「野村氏の定年は本来なら3月。ずれ込んだのは後任探しが難航したからでは。
今の東宮で東宮大夫を引き受けるプレッシャーは相当なもの」ある東宮関係者

※2003年
内閣府、外務省前官房長を訓告処分
内閣府は16日、タクシー券を不正使用したとして、外務省前官房長の小町恭士・内閣府国際平和協力本部事務局長を訓告処分にした。
外務省によると、小町氏は出向していた国際協力事業団(現国際協力機構=JICA)から同省に復帰した後の2001年4月4日から同年6月23日までの間、
JICAが支給したタクシー券約2万4000円分を不正使用した。 (07:03)
日経新聞 http:// www.nikkei.co.jp/news/seiji/20031017AT1E1600L16102003.html

週刊女性2011年7月19日号
新・東宮大夫が隠しておきたいあの話!
野村東宮大夫が勇退し、7/5付で小町恭士氏が新たに東宮大夫として就任。
「91年4月の日ソ首脳会議のときには、雅子さまの父上の小和田恒氏が外務官僚として、
小町氏が外務大臣秘書官として同席するなど面識はありますし、皇太子一家がオランダで静養された時のオランダ大使は小町氏で、
愛子さまも覚えていらっしゃると思います」(宮内庁関係者)
趣味はガーデニングで、三人の娘がいるという小町氏だが、順風満帆のエリート街道を歩んできたというわけでもない。
《厳重訓戒》―これは、01年12月に小町氏が受けた処分。この年の相次ぐ外務省の裏金流用問題で、
監督者として苦しい記者会見を何度も行っている。02年には、国会を混乱させたことと、
問題があるとされた鈴木宗男代議士(当時)と接触したことなどを理由として官房長職を更迭。
03年にも、タクシー券の流用や、会食の費用を一部しか負担しなかったとして《訓告》処分を受けている。
「清廉潔白のイメージというものは大切だと思うので、たとえ軽微なものでも不祥事で処分を受けている者が、
皇室の方々の側近になるのは好ましいことではないと思う」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
「現在、妃殿下のご病気のこともあり、東宮大夫はマスコミ対応が非常に重要な職務になっている。
まじめなだけでうまく対応出来ない人より、多少傷はあったとしてもうまく対応できる人のほうが
いいのかなとも思う。外務省で官房長もやった人ですから期待しています」(前出・山下氏)

皇室ウイークリー(189)(※一部)
愛子さまに新たな「お姉さん」役 皇居はホットスポット?
2011.7.23 07:00
皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは22日、学習院初等科の1学期の終業式を迎えられた。
愛子さまはこの日、午前8時前に皇太子さまとご登校。終業式にも出席されたという。
約1時間後、皇太子妃雅子さまが初等科に入り、皇太子さまと付き添いを交代された。
下校時は雅子さまの付き添いはなく、東宮職の職員とともに徒歩で帰られた。
雅子さまは約1時間後、車で東宮御所に戻られた。
宮内庁は21日、愛子さまの養育を担当する東宮職の出仕として、霜鳥加奈さんを採用した。
宮内庁によると、出仕は「内親王(天皇の娘、女性の孫など)の日常のお世話をする方」だという。
愛子さまには現在、霜鳥さんを含め、3人の出仕がいる。20代後半から30代の女性で、愛子さまにとって、“お姉さん”のような存在という。
過去には、天皇、皇后両陛下の長女、黒田清子さんに出仕がいた。
だが、幼少期の皇太子さまや秋篠宮さまには付いていなかった。
あくまでも内親王のお世話を専門とする役職というが、同じ内親王でも秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまや次女の佳子さまには出仕はいないそうだ。
宮内庁は「年齢に応じて、適任者を採用する」としており、
愛子さまが5歳だった平成19年3月から4年以上出仕として働いた筒井美奈さんは20日付で辞職が承認された。
http:// sankei.jp.msn.com/life/news/110723/imp11072307000001-n1.htm

週刊文春2011年8月4日号
ご一家を支える側近たちの体制はめまぐるしく変化している。
また新たな動きがあった。愛子さまのご養育係(出仕)が交代したのである。
「7月21日付で、霜鳥加奈さんが就任しました。
4年間、『絵本博士』として養育係を務めていた筒井美奈さんは前日付で退任。
霜鳥さんは、上智大学英文科を卒業し、08年に同大学の修士課程を修了した20代の女性だそうです。
その後、2年間中学校の英語教師のキャリアを経て、迎えられることになった、いわば“英語教育のスペシャリスト”です。
修士論文では“イギリス小説の父”ヘンリー・フィールディングについて
69ページにわたって英語で論文を書いています。」(皇室担当記者)
4月から初等科では週に1回、英語授業が始まっている。約30人のクラスを半分に分けて授業をするという。
「教科書はロングマンの『ゴーゴー・ラブズ・イングリッシュ』と、学習院オリジナルの副教材『初等科のペンマンシップ練習帳』。
このオリジナル練習帳には、薄い色で手本が書かれており、なぞることでアルファベットを書く練習ができる。
4年生の間にbookやcatなど約200単語勉強します。」(学習院関係者)
さっそく1学期には5段階評価で英語の成績がつけられたという。
「さらに夏休みの間に、1学期に習った練習帳の7ページを覚えること、という宿題がでました。
(中略)霜鳥氏の採用は、英語が堪能な雅子さまが、愛子さまのご成長を願われてのことでしょう。」(同学習院関係者)
霜鳥氏が2年間教員として務めていたのは、健常児と自閉症児の「混合教育」が特色の、武蔵野東中学校。
自閉症児が1学年のうち約3分の1在校し、そのユニークな指導法や、
自閉症児の治療法は世界的に注目されている。
「彼女は1~3年の英語を指導していました。今年3月に『家庭の事情で』という理由で退職したのですが、
非常に優秀で、教師の間でも『早く担任を持たせ、昇進させたい』と評判でした。」(理事長 寺田欣司氏)
霜鳥氏は「熱心な先生」として教え子からの人気が高い先生だった。
「英語の発音が綺麗でカッコよかった。」(在校生の一人)
大学時代はホッケー部に所属していた霜鳥さん。同部の古いHPには自己紹介が残っていた。
好きな言葉の欄には、<There is always a better way>というトーマス・エジソンの言葉が。

テーミス2011年9月号
7月21日付けで愛子さまの養育係である出仕に就任した霜鳥さんは、
自閉症児と健常児のユニークな混合教育で有名な武蔵野東中で2年間教鞭を執っていた。
「霜鳥先生は発音が綺麗で、同僚教師からも『早く担任を持たせた方がいい』と評価が高かった
この3月に『家庭の事情』ということで突然辞職されました」(武蔵野東学園関係者)
「出仕は内廷にある内親王の身の回りのお世話をする職種で、秋篠宮家など宮家にはいません。
霜鳥さんがどういう経緯で入庁されたのか知りませんが、通常、出仕には必要なスキルを持った高学歴の若い女性が採用されます。
内親王のお出かけにも付き添うなど、始終一緒なので大きいポストです」(皇室ジャーナリスト・山下氏)

週刊文春2011年12月29日号
「雅子さまシフト」東宮職の崩壊-「お付き添いがあると仕事がたまる!」
最近の愛子さまのご登校、正門時間には多くの場合間に合わない。
アルファードが校門に横付けされても愛子様はしばらく下りず、
数分後十数名のSPや東宮職に囲まれて通用門から校内へ。
東宮職職員の緩みを感じる。
中堅東宮職職員「(愛子さまの)お付き添いがあると仕事がたまる」
別の東宮職職員「いじめっこって本当にいたんですすかね…」
皇室記者「(東宮職は)当事者意識を欠いているとしか思えない。野村東宮大夫は身を呈して愛子さまを
お守りしようとしたともいえるが、現場レベルではしょせん他人事かも」
年末で退任予定の野村氏、本人も皇太子夫妻も任期延長の意向があったがかなわなかった。
野村氏退任理由は明らかではないが、外務省流の仕事ぶりに宮内庁幹部からの評価がもう一つだった。
(先例を省みない仕事ぶり…オランダ静養、国賓来日中のテニスや乗馬、ジュエリー展、
高級レストランなどへの私的な外出、 『乱暴な児童』発言など)
彼が築き上げた「雅子さまシフト」ともいえる東宮職体制は千代田関係者からは批判的にみられていた
野村氏が重点をおいたのは報道対応。
現在の報道担当は外務省出身の岩間東宮侍従。記者からは「瞬間湯沸かし器」と評され評判は高くない。
事務主管は侍従の要。大谷事務主管は岩間氏より年令は下。「行啓よりも報道体制」との東宮職の姿勢が表出。
皇太子さまがカメラ片手にお召列車の際に同乗していたのが大谷氏。
東宮職・東宮女官も入れ替わりが激しい。
小山氏(養育専任女官)は不登校問題対応で雅子さまと意見の相違があり退任
新人東宮女官は着任後2、3カ月後になっても雅子さまと会っていない。
小町氏も記者会見の発言で雅子さまとのコミュニケーション不足を露呈。

週刊新潮2012年1月19日号
雅子さまが東宮大夫へご不信露わでSOSした前東宮大夫
野村前東宮大夫は年内いっぱいで御用掛を退く予定だったが12月28日、
急に任期が3月末まで更新されるという発表があった。(宮内庁担当記者)
「通常役所が出した内容は覆らない。今回は皇太子ご夫妻の強い意向があったのではないか。
余人を以て代え難い要素が野村さんにあり、それも公的業務ではなく
私的な問題に対処して欲しいということだと思われる。」(皇室ジャーナリスト神田秀一氏)
小町氏をはじめ東宮職は現在妃殿下と全く意思疎通はとれていない。
「任期中批判を気にせず、いわば確信犯的に妃殿下を擁護してきた野村氏と違い、
小町氏は妃殿下と報道陣、つまり世論の双方を立てようとしている。(宮内庁関係者)
一例を挙げると昨秋、ご一家の葉山での静養にあたり、記者クラブの意を汲んだ小町氏が
鎌倉大仏前で撮影取材をセッティングし、雅子妃の不興を買った。
本来であれば皇太子殿下が妃殿下から話を聞いてあるべき方向へ導くのが最良だが、
現状ではご一家のイニシアチブは雅子妃にあるので難しい。(宮内庁関係者)
1月6日の定例会見で小町氏は、12月29日の表参道のイルミネーションの件で、
雅子妃には人々の様子をご覧になることは良いことだと述べた。
しかしあるベテラン記者が数年前の会見での質疑を引用し、
「かつては”明るい光を浴びることが治療に役立つ”という説明があった。見解が違うのでは。」
と問い質すと、小町氏は知らなかったと言葉に詰まってしまった。
このことで引継ぎはもちろん雅子妃の体調を把握していないことが露呈した。(皇室担当記者)

女性セブン2012年8月16日号
名物侍従が退任。雅子さま、信頼寄せる側近「これで誰もいなくなった」
先月退任した野本勲氏。慣例を越えて72歳まで務めたのはそれだけ東宮一家の信頼が厚かったから。
雅子妃にとって良い意味での"イエスマン"。



  • 最終更新:2017-04-09 11:00:33

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