東宮職員出入り1

週刊現代2006年2月4日号
愛子内親王の養育係VS女官 「平成の宮中魔女事件」
愛子内親王の養育係である福迫美樹子氏(44歳)は、鹿児島の歴史ある名家の出身だ。
雅子妃と田園調布雙葉学園の同窓で、3年先輩にあたる。
高校卒業後は、美智子皇后の母校・聖心女子大学に進み、教育学科の幼稚園コースで学んだあと、
雙葉小学校付属幼稚園で16年間、教諭を務めた初等教育の専門家である。
愛子内親王の養育担当事務官として東宮に着任したのは、'04年6月のことだった。(中略)
民間の幼稚園教諭の経験を活かし、愛子内親王の養育を担当してきた福迫氏。
しかしその教育方針に女官たちが反発しているという。(中略)
ここ民間から福迫氏が入ったわけだが、養育係の立場は「仕人(つこうど)」。女官よりも下の地位である。

女性セブン2007年5月24日号
雅子さまへ!皇太子さまと秋篠宮さまつなぐ紀子さまの「使者」
東宮職に5月1日付けで、民間から中村久之さん(39才)が任命された。
90年に学習院大学経済学部を卒業後、大手デパートの高島屋に入社、営業部門に勤務。
96年の結婚を機に妻の実家が営む山形県のコーヒー会社で営業マンとして活躍。
昨年、埼玉県の環境関連の企業に転職したばかりだった。
中村さんは大学時代、陸上部で短距離選手として活躍、夫人も同じ部に所属しており、中距離選手だった。
そんなふたりは紀子さまの1年後輩にあたり、夫人は当時から紀子さまと親交が深かったという。
秋篠宮ご夫妻と中村夫妻のおつきあいも始まった。
殿下はときおり、中村さんにお酒を贈られ、お返しに中村さんからは
山形名産のさくらんぼなどをお贈りしている間柄だったという。
さらに中村さんは両陛下とも面識があるという。
皇太子さまと面識はなかったが、選ばれたのには理由があった。
「自分の年齢に近い側近がいてくれれば相談しやすいと、皇太子さまはかねがね望まれていました。
そうした皇太子さまの胸の内を察せられ、いろいろ腐心なさったのが紀子さまなのです」宮内庁関係者。
「皇太子さまと秋篠宮さまの距離を縮めたいというお気持ちで、中村新侍従を橋渡し役の使者として
託されたのではないでしょうか」皇室関係者。
知人談によれば中村氏は宮内庁からの要請に驚いたという。
「彼は故・橋本龍太郎元総理の甥なんです。何事にもまじめだし、仕事への取り組みも一生懸命で、
人間的にも申し分なし。言葉遣いも丁寧で、もしかすると、天職を得たといえるかもしれませんね」
学習院関係者。
なかなか子宝に恵まれなかったが娘が授かり今幼稚園なのも東宮と共通。
民間から登用された侍従は意気に感じてよく働く。

女性自身2007年7月?日号
福迫さんは寝室も愛子さまの隣りの24時間体制
着袴の偽の時も通常出仕がしない着付けに携わるなど重用

女性自身2007年10月23日号
「同世代女官」突然の辞意! エール大“才媛”2年半の「心労」で露わになった東宮の「混迷」
東宮女官(Aさん)の突然の退官。
彼女(女官)は雅子さまの信頼の厚い方だった。辞める直前に雅子さまに相談がなく、
雅子さまもさぞかし驚いたのでは?(渡辺みどり)
女官は9月13日付けの官報に、「願に依り本官を免ずる 9月10日」とだけ記されていた。
9月7日の定例会見で「彼女は今年春から体調を崩しており、回復を待っていたが、
やはり無理なので退職させてほしいとの申し出があった」と東宮大夫は語った。
普通は人事の発表は春だから異例。
雅子さまの信頼も厚かっただけに、東宮内部にいったい何があったのかと話題になった。
Aさんは05年に就任 上智大学卒業 年齢40代後半、Aさんは女官の中でも英語が堪能
雅子さまが模索してる皇室外交についても、国際感覚をもつAさんだったら気楽に話もできたのかもしれない。
少数の女官が一年中顔を突き合わせて激務をこなしてるからストレスも大変だったのでは?


<愛子さま>養育専任の東宮女官に小山久子さん就任
4月1日5時0分配信 毎日新聞
皇太子ご一家を身近でお世話する東宮女官に1日付で長女愛子さまが通っていた学習院幼稚園園長の小山久子さん(61)が就任した。
昨年9月に女官の1人が辞めたための補充人事の形だが、愛子さまの養育専任の女官となる。
天皇家のお子さんに養育専任の女官が就任するのは初めて。小山さんは、都内の私立幼稚園を経て、
78年から学習院幼稚園に勤務、01年から園長を務め、3月31日付で同園を選択定年退職した。
野村一成東宮大夫は「学齢期を迎えられ、ご養育に万全を期したい」と説明。直接養育に当たるほか、
養育担当などの女性職員の指導、養育に関して皇太子ご夫妻の相談に応じるなどの役割を期待しているという。
最終更新:4月1日5時0分

週刊文春2008年4月10日号
雅子さま「女官」に幼稚園園長を引き抜かれた学習院の困惑
3月31日、小山久子学習院幼稚園園長が定年退職。
この時点ですでに多くの父兄がその事実を知っていたが、
4月1日から東宮女官に就任するという話が伝わると父兄から驚きの声が
野村東宮大夫の説明によれば,他の女官とは違った職務内容で呼び方も「養育専任女官」。
学齢期を迎えた愛子の養育に万全を期したいという両殿下のご意向があった。
一方、この人事には困惑の声も聞かれた。これまでも学習院出身の女官はいたが、
退職から時間を置かずに引き抜くというのは聞いたことがない。
学習院関係者によると
「以前にも田園調布雙葉学園から福迫さんを出仕として引き抜いていますからさもありなんという感じ」
学習院の中には「いい先生を持って行かれた」という人もいる。
東宮もこうした批判を気にして、「小山さんがたまたま幼稚園を定年退職されるというので」と、いわゆる“引き抜き"でない事を強調。
だが本来の学習院幼稚園の教員は65才が定年で、小山氏はまだ61才。
「愛子さま卒園後に園長を辞めても65才まで残留するというパターンもあり、やはり事実上の引き抜きだっだのでしょう」(学習院関係者)

週刊文春2009年2月19日号
「雅子さま」で悩んでいた東宮侍従長「辞任」の衝撃
宮内庁関係者談
「末綱氏が三月にお辞めになるそうです。これまで辞意を漏らしたと何度か報道されましたが、今度は具体的に動いています」
「就任当初は『大丈夫。私は皇太子さまとは何でも話せますから』と自信を見せていたそうですが、
最近は『精一杯努力しています』とは言うものの元気がない」
辞意のきっかけは、2月5日の皇太子訪越記者会見の打ち切り※。
第3問への答えを皇太子さまがはぐらかしたので、
担当の森東宮侍従が陛下の健康問題や雅子さまについて突っ込まれないように打ち切った。
末綱氏は、警視庁副総監から宮内庁入りし、70歳までは宮内庁入に勤める気持ちだったそうで、将来の(千代田の)侍従長、長官候補だった。
末綱さんの同期が警視総監なので警察には戻れず、欧州の大使のポストが検討されている。
宮内庁関係者は、末綱氏の不調は「雅子さまとの関係」に原因があると指摘。
「雅子妃殿下と、ほとんどお話ができていないと聞きます。過去に一度妃殿下に対して
“それはどうでしょうか”という意味のことを申し上げて以来だそうです。
もっとも、今、妃殿下と直接お話しできるのは、大野医師くらいで、東宮大夫でさえ、そう頻繁に会えないと言います。
昭和天皇二十年式祭やベトナムご訪問でも、妃殿下のご意向を御前でうかがおうにも、
その機会もなくギリギリになって結論だけ聞かされる。だいぶ悩まれているようでした」
後任には、加地正人・皇宮警察本部長を充てる方向で調整に入っているという。

※2009年2月6日 昨日会見について、宮内庁東宮職が時間切れを理由に慣例に反して関連質問を受け付けず会見を打ち切ったため、 
宮内記者会が「国民の知る権利を尊重しないやり方」と文書抗議。
野村一成東宮大夫が同日「率直におわびいたします。今後、このようなことがないよう留意してまいります」と文書謝罪

女性セブン2009年3月5日号
皇太子妃雅子さまを追い詰める「6人目の重圧」-超側近がまた辞任!
将来の宮内庁長官とも目されていただけに末綱氏が3年足らずで辞任することに皇太子ご夫妻はショックを受けている。
末綱氏は皇太子とはよく会話がありコミュニケーションが取れているが雅子さまとは取れていないことに悩んでいた様子
今上陛下が即位前は一生を捧げるという人物が多く仕えていたが現在の宮内庁はそうではなく 機能不全を起こしているのでは。
この15年あまりの間に不在期間を含めれば早くて数ヶ月、最長で3年足らずで侍従長等が辞めていき
雅子さまは自分のせいではないかと思い詰めてしまわないか心配(皇室関係者)

週刊新潮2009年4月16日号
愛子さま「養育係」も辞職 「東宮」で何が起きているのか
東宮関係者談
「彼女が辞めたいと漏らし始めたのは、小山さん(養育専任女官)の就任直後、1年前のこと。
そのため、養育係が自分ひとりでは雅子さまにご満足いただけなかったのかと思い込み、意気阻喪したとの見方も流れています」
東宮家専従のスポークスマン(宮内庁総務課報道室・東宮家担当)と、愛子さま付きの専任事務官(庶務第二係)が誕生した。
これらの人事は、野村大夫の強い熱意があって実現したもの。
野村大夫は、かねて羽毛田宮内庁長官に対して”東宮家に関する報道がひどい”と訴えつづけ、スポークスマン役を立てたいと主張してきた。
また”愛子さまも小学生になられたのだから、事務仕事も増えるだろう”と、東宮職の増員を求めてもきた。


愛子さま養育係が辞職
4月3日16時50分配信 時事通信
皇太子ご夫妻の長女愛子さまの養育係を務めた元幼稚園教諭福迫美樹子さんが3日付で辞職した。後任は未定という。
福迫さんは2004年6月に世話役の「出仕(しゅっし)」に就任。
愛子さまにとって初めての専任の「先生」だった。 

皇室ウイークリー(74)
3月24日から長野県の奥志賀高原で静養していた皇太子ご一家は同月30日、新幹線で帰京された。
皇太子妃雅子さまは帰京後の2日、久しぶりに乗馬をされた。乗馬は昨年10月以来。
スキーに乗馬と、雅子さまはこの春、さまざまなスポーツにアクティブに取り組まれた。
野村東宮大夫は4月3日の記者会見で、末綱氏の退任に関して、皇太子ご夫妻の 
「大変よくしてもらって、感謝しております」とのコメントを発表した。
もう一人、皇太子ご一家の下を離れる人がいる。
愛子さまの養育係としてご一家に仕えていた福迫美樹子さんだ。
幼稚園教諭としての経験を買われ、16年6月から東宮職出仕(しゅっし)という立場で愛子さまの養育のサポートに当たっていた。
今回のご一家の奥志賀ご静養にも同行していたが、その仕事が一段落した3日付で退職した。

テーミス2009年5月号
「公務復帰が注目される中 雅子さまを巡る「東宮女官」の微妙な関係」
“雅子さまシフト”ともいえる東宮女官人選=雅子妃は「環境の整った」宮中に入った50年前の皇后さまのお興入れと比較する際の大きな違い
初代女官長(在職期間’93~’03年):高木みどり氏(民間人)
夫は皇太子のフランス語の教師。氏の長女と皇太子が学習院幼稚園で1年違いの先輩後輩
保護者の繋がりが深い学習院幼稚園時代から皇后さまとは知り合い。
高木氏の東宮女官長就任は皇后さまのお気遣いがあったと考えるほうが自然(皇室関係者)
2代目女官長(在職期間’03~現在):木幡清子氏(民間人、小和田家との縁が深い人物)
夫はシリア大使などを務めた外交官で、小和田氏とは東大のクラスメート&外務省での親交も深かった
セラピスト(在職期間’93~’99):中町芙佐子氏(臨床心理士、元家裁調査官)
82年に夫を亡くした後渡米し、セラピストの訓練を受ける。
ニューヨークの病院では躁うつ病や統合失調症など、種々の心の病に苦しむ患者の信頼を得る。
海外でのキャリアもあるので雅子妃との会話にも共通性があり、雅子さまも相当打ち解けていた(宮内庁関係者)
皇太子妃は様々なプレッシャーがかかる立場。
また、宮中のしきたりを理解するのも心に負担がかかるだろう。
そんなときに悩みを吐露できたら気持ちは軽くなるもの。
そういう理由から「適応障害」になるなど予測だにしない結婚当初から
専門家がスタンバイいたのではないだろうか(皇室事情通)
▼スムーズではない雅子さまと東宮女官の関係
女官との関係がスムーズでないことは、雅子さまのチグハグな動向で表面化
園遊会を欠席して当日夕方三越行き など
妃殿下の「個性」や「経歴」に応じた女官の人選がされるようになったことで、
逆に耳に痛いような厳しいアドバイスができる女官がいないのではないか(皇室ジャーナリスト)
実際、雅子さまの女官は長続きせず、すでに何人も代わっている。
皇后さまが国民に圧倒的に支持されるのは、常磐会などの旧勢力の恩讐を一つ一つ超越し受け入れてこられたからではないか。
伝統や前例が全ての宮中において、女官に期待されていることの一つは、皇室内のあらゆる人間関係と意思の疎通を図ること。
今の東宮女官が皇后さまや他の宮家の女官と「意思の疎通」が取れているかどうか甚だ疑問。
清子さんの結婚式の時、雅子さまだけ洋装。ほかの宮家は、女官同士ですり合わせができていたと思うが、
雅子さまの女官だけできていなかったのだろう(皇室担当記者)
雅子さまは「私に恥をかかせた」と女官を叱責したという。
▼東宮女官は「お友達クラブ」!?
女官制度は律令制の時代まで遡ることのできる古い制度。
「側室」「家庭教師」「身の回りの世話」「宮中祭祀」の4つの役割があった。宮中でのしきたりや立ち居振る舞いを教育するのもその一つ)。
昭和天皇が女官制度から側室機能を廃止した上、両陛下が家族同居を始めたことで、現在の女官は皇后と皇太子妃に仕えるようになった。
機能や役割は変われども、戦前から変わらないのは「おしゃべりではないこと」。
皇室の秘密を知りえる立場であるので、退職時には「守秘義務」が課せられ、誓約書のようなものも書かされると言われる。
テーミス記者の取材に対し、高木みどり氏や松村淑子氏(皇后さまの元女官長)は「ご容赦ください」
「どうぞお許しください」と丁寧な言葉遣いながらも、追加の質問を許さない迫力で拒否した。
愛子さまの養育係の一人である小山久子氏(学習院幼稚園元園長)について、
「園長時代、子どもが挨拶せずに先生の前を通り過ぎると、
必ず親子ともども注意されましたが、愛子さまにはなにもおっしゃいませんでした」
学習院初等科関係者によると4月15日午後3~6時、
学習院初等科2年生父母会に雅子さまと小山さんが出席
雅子さまにも愛子さまにも、女官達は厳しさに欠ける。
宮中ではビジネスライクに仕事は進まないから、雅子さまの意向が100%通るとは限らない。
古いしきたりを全く理解しない雅子さまが、自分に近い女官を集めた今の東宮女官の現状は、友達クラブのようにしか見えない。
東宮女官たちは雅子さまの顔色をうかがうだけで、問題をさばききれなくなっていることが、
東宮家が宮中で孤立している一因ではないか(皇室ジャーナリスト)
「厳格な」女官の存在も、未来の皇后を育てる重要な側面なのだが。

週刊朝日2009年6月26日号
皇太子さま雅子さま「ブレーン不在」の孤独
平均3年! 定着せず
3月19日午前、警察庁の人事が内示、昼過ぎに末綱氏の異動が追加
初めの内示から数時間後に追加などあまり聞かない。なにかあったのではといぶかる人も
今は他省庁が良い人材を宮内庁に出したがらない。出向を打診されても行きたがらない
末綱氏の後任には加持正人氏が就任し「側近」となれるか注目
一番の問題は皇太子夫妻と東宮職員との距離が広がり、両陛下とのコミュニケーション不足につながっていること。
「皇太子さまは環境や人材に恵まれないという指摘もあるが、
一方でご自分たちがバリアーをつくり、周囲を寄せ付けなくしている雰囲気もある」(東宮関係者)

※民主党の津村議員の要求で宮内庁が明らかにしたデータ表
「昭和天皇側近・今上側近・今上皇太子時代側近・現皇太子側近の氏名・役職・在職年数」
現皇太子側近の平均在職年数は3年
ちなみに昭和天皇側近18年、今上側近7年、今上皇太子時代側近9年、が平均

テーミス2009年7月
テーミスロビー
「末綱隆前東宮侍従長 皇太子ご夫妻との仲は」
3月31日付で退任し、4月21日付でルクセンブルク大使に任命された末綱氏
だが6月16日現在、いまだ皇太子夫妻との赴任の挨拶なし
両陛下、秋篠宮両殿下とは挨拶済みだけに何か事情がありそうだ
皇太子とは英国留学中からの付き合いだったが退任前
「ご夫妻にあまりお目にかかることができない」と苦しい胸のうちを明かす
秋篠宮両殿下がご接見するのは関係のあった大使だけだが、
両陛下と皇太子夫妻は基本的に日本からの赴任大使、外国からの着・離任大使全員に会う
(末綱氏とは)「お互い忙しいスケジュールなので日程調整が難しかったのでは」(皇室担当記者)
雅子さまとの不仲が今回の人事に繋がったと噂されているだけに「お互いに顔も見たくないのか」
などと詮索されないよう、気軽に気軽に会ったほうがいいと思うのだが……。

女性自身2009年9月8日号
宮内庁関係者「今春の人事で東宮侍従長が加地正人に」
彼は97年から00年まで東宮侍従を務め夫妻とは旧知の仲で、雅子さまもよく話しているようだ。
更に7月末に加地氏を助ける東宮侍従に外務省出身の岩間公典氏が就任した。
皇室担当記者:岩間氏は雅子さまと同じ63年生まれで86年に外務へ入省した雅子さまの一年先輩。
今でも外務省時代の職員たちと交流している雅子さまと共通の話題も多く、相談相手として期待されている人物。
岩間氏は節子さんが暮らしていたジュネーブに赴任経験あり。
皇室ジャーナリスト稲生雅亮
雅子さまの最初の妊娠を(流産)正式発表前に一部マスコミがスクープしたのにショックを受けて以来、
プライベートが側近から漏れているのではと疑心暗鬼になり、
この不信感が病気の原因のひとつになったと言われる。
岩間氏の東宮侍従長就任と同時に、陛下のおそばに仕える侍従職に就任したのが
これまた外務省出身の菊田豊氏。岩間より2歳上の48歳。
菊田氏と岩間氏は外務出身で雅子さまと同世代の先輩たち。
彼らが両陛下と夫妻とを結ぶパイプ役となることだろう。

テーミス2009年9月
3月で末綱氏辞任、後任には同じ警察庁より加地氏着任。
7/31で大森氏が外務省へ、替わって外務省から岩間氏が着任。
東宮侍従6人のうち、4人が他省庁からの出向組。
定期的に侍従が出向を終えて出身省庁に戻ることを考えると、“現状維持”ならざるを得ない。
5人の東宮女官からも新しい火種がくすぶり始めた。
■宮内庁関係者の話
もともと雅子さまはドアの下からメモを差し出して意思表示していたと言われるほど、東宮女官との意思疎通がなかった。
その雅子さまが信頼しているある女官が、マルチ商法まがいのネットワークビジネスに熱中していることが噂になっている。
そのことで雅子さまが相当お怒りになっている。(「マルチビジネス」騒動
東宮職はもはや“機能不全”に近い状態。
■産経新聞社会部・大島真生記者の話
皇族の周辺に多い外務省出身者
10年半の間侍従長だった渡邉允氏は、外交上に儀礼などを総括整理する儀典長だった。
侍従長退任後も侍従職御用掛としてたびたび皇居を訪れるほど、両陛下の信頼が厚い。
渡邉允氏の後任は川島裕氏(外務事務次官→式部官長→侍従長)
川島式部官長の後任は原口幸市氏(元朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)理事会日本政府代表)
野村大夫も含めて、宮内庁の中で両陛下や皇太子夫妻に密接に関わる
"三職”(侍従職、式部職、東宮職)のトップが、外務省出身で固められている。

女性自身2009年9月22日号
雅子さま<愛子さま養育係が見つからない>「すでに空白6カ月」募る焦燥!
福迫氏は雅子さまと同年代で愛子さまにとってはまさに第2のママ。
それだけに退職は急な感じがしたが、宮内庁内部では"すぐに次の発表があるだろう”と思われていた(松崎敏弥氏)
東宮職の希望する養育掛は勉学を教えられること。初等科だけでなく、出来れば中学へ行っても見られるような知識。
愛子さま自身が悩みを打ち明けられるような人。
女性であること。愛子さまは女性へ心を開くことが多い。
以上の条件で何人かと話し合ったが全て断られる。

女性自身2010年6月1日号
雅子さま・愛子さま<新ご養育係>は20代特命女性巡査部長!
自ら東宮付を希望して配属された奇特な方だそうで、とにかく愛子さまが懐いてる。
飛びつくこともある。普段はもちろんパンツスーツ。が、この方はスカートはいてて注目されたこともあり、
愛子さまの専属護衛とはいえ、四六時中ついてるのは異例で、一緒に菜園の世話したり、お相撲取ったり、
学校のなにかに付き添ったり、身分上はあくまで護衛官ながら、まさに「養育係」のようだ。
とはいえ、あくまで異例中の異例。

女性自身2010年12月21日号
「ご病気で倒れられる前のことだが、女性の有識者を雅子さまのブレーンとして
起用しようという計画があった。しかし、東宮職員たちが選んだ人材は、
雅子さまの考えにはそぐわなかったそうで、計画自体が頓挫してしまった」(宮内庁関係者)
民主党・津村代議士
皇太子ご夫妻のそばにいらっしゃる方(東宮侍従など)が、10年前、20年前と比べて、
非常に短いサイクルで異動している。このことが、ご夫妻をサポートする力を弱くしている懸念がある。
ご夫妻に適切な助言が出来、ご相談に乗れるような人材が不足している。外務省や警察庁など、
よその省庁からやってきて、3年ほどで元の省庁に帰ってしまうような人では、雅子さまのご公務復帰問題を解決することは出来ないだろう。
現在、東宮大夫以下7人のうち、他省庁からの出向者が5人も占めている。美智子さまが皇太子妃でいらしたころは
10人中2人であり、その差は歴然としている。在職年数も1/3ほどになってしまっている。
美智子さまには、10年以上苦楽を共にした側近が4人もいたのに、雅子さまには、ご病気になる前からお仕えしている側近は1人しかいない…。
元宮内庁担当、産経新聞・大島記者
ある出向組の東宮侍従が、酒席で、『もう十分ですよぉ』なんて嬉しそうに言っていた。
出身省庁に戻れる時期が間近に迫っていたのがよほど嬉しかったのだろう。
こういう人達が皇太子さまや雅子さまに進言するということはない。
“言われたとおりに仕事をしていれば、3年で古巣に戻れる”と考え、ダンマリを決めこんでいるとしか思えない。
元宮内庁職員・山下氏
今の天皇皇后両陛下が皇太子同妃だったころの東宮職は、両殿下と職員たちの交流も密だった。
長年務めている者も多く、両陛下のお考えやお気持ちを理解できているという自負があり、仕事ぶりにも自信が感じられた。
残念ながら、今の東宮侍従や職員たちには、そういった自信が感じられない。
側近の役割は、身の回りのお世話だけではない。両殿下と国民の間の潤滑油になることも重要な仕事。
お出かけの際の通行規制もそうだが、国民が過度に気を遣わないような配慮をすること。
また、宮内庁本庁との橋渡しもある。他省庁から来て、3年くらい在籍する東宮侍従では、
本庁の職員は“顔も知らない”こともある。長く務めることも重要。


皇室ウイークリー(166)
宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫は7日の定例会見で、皇太子ご夫妻の長女、
敬宮(としのみや)愛子さまの「養育専任東宮女官」を昨年12月27日付で退官した小山久子さんの
後任の女官を、小山さんと同様の養育専任とはしない考えを明らかにした。
野村氏は、元学習院幼稚園園長の小山氏が、健康上の理由で辞めたことを改めて説明。
代わりとなる「通常の女官」を人選中とした。
養育専任東宮女官のポストを「廃止」する理由については「彼女は専任女官ということで採用しましたし、
やっていただいたんですが、『もういいでしょう』という感じです。宮様のご成長もございますし、
全体でしっかりとお支えするというほうがいいという判断です。侍従もしっかりとお支えをしておるわけで、
東宮職という組織全体で対応することになります」と説明した。

皇室ウイークリー(167)
皇太子妃雅子さまのお世話をする東宮女官のトップ、木幡清子・東宮女官長が
17日付で退任することが14日、決まった。
木幡氏は、皇太子さまと雅子さまの「結婚の儀」が行われた平成5年6月に東宮女官となり、
以降、約17年間にわたって雅子さまを支えてきた。14日は67歳の誕生日だった。
昨年末には、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまの養育専任東宮女官、
小山久子さんが退任したばかり。新たに女官1人が17日付で入るものの、女官は女官長を含め
当面、通常の5人から4人態勢となる。
宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫は14日の会見で、欠員が一時的に生じても、お世話の面では
支障は生じないとする認識を示した。木幡氏の退任理由については、「かねてより本人から希望があったが、
新年行事が一段落するこの時期を選んだ」と説明。「たいへんよくやっていただいた」とねぎらった。
http:// sankei.jp.msn.com/life/news/110115/imp11011507020001-n1.htm

週刊新潮2011年1月13日号
愛子さま「養育女官」が辞めた深いワケ
昨年12月27日、小山久子さんが東宮御所を去った。
宮内庁は、小山さん本人から「健康上の理由で務めが果たせない」と辞職願いが出ていたとするが、
実際、「小山さんは昨年夏頃から半年近くずっと休んでいた」(宮内庁担当記者)
愛子さま不登校問題が公表されたのは昨年3月5日だが、
こういう時こそ「養育専任」である小山さんが力を発揮すべきだったはずなのだが、
そのわずか数ヶ月後に出仕が出来ない状態に。
「漏れ聞いたところでは、小山さんは不登校問題発生当時、
学習院幼稚園から進学した愛子さまの同級生の父母から初等科内の情報を取っていたのだが、
その内容が的確ではなく、東宮職から評価されなかったというのです」(前出・宮内庁担当記者)
もともとは、養育面で万全を期したいという皇太子夫妻の要請を受け、鳴り物入りで小山さんを迎え入れたという経緯があったのだが。
「就任当初から、小学校の児童の教育を元幼稚園長が担当するのはおかしいなどといった
危惧の声もあった一方、期待も高かったのも事実。でも結局“不登校”という事態に至り、
東宮職、皇太子夫妻の信任を失うことになった。これが心身に相当なダメージを与え、辞職せざるを得なくなったのだろう」(皇室ジャーナリスト)

週刊新潮2011年1月27日号
木幡さん、小山さんは、雅子さまに「愛子さまと少しずつお離れになってはいかがですか」と進言したという。
徐々に女官との間に距離が生じ、ついには自分の二人の妹や母親と“ホットライン”で相談をして
方針を決めるようになってしまったとも聞く。もはや雅子さまを支えていく組織そのものが崩壊の危機にある。(ベテラン皇室記者)

女性セブン2011年1月20・27日号
雅子さま「同伴登校」巡り愛子さま専任女官「お役目果たせない」退任
退任した小山女官は雅子さまのたっての希望で養育専任女官に。
学習院幼稚園長時代、制服ボタンの掛け違いを注意するばかりでなくその場で直させるなどとても厳しかったが、すべては子ども達を思えばこそ。
「臨月を迎えたある母親が、子どもの送迎を父親にしてもらったことがありました。
そうしたら、小山園長がそのお母さんを呼ばれて、“お子さんはね、お母さんに送ってもらえなくて
寂しい思いをしていますよ。いまが大事な時期ですから、なんとか頑張ってください”と言われたそうです。
普通に考えると、何と厳しいと思うかもしれませんが、常に子どものことを考えて、
母親はその役割を果たさなくては、というのが園長の一貫した姿勢でした」(学習院関係者)
女官に就任したものの、その厳しさ故にだんだん雅子さまとの距離ができた。
不登校会見後まもなく、小山さんは「一学期いっぱいで付き添いをやめてはいかがでしょうか」
しかし二学期も付き添いは続き「これではお役目が果たせない」と退任。
雅子さまは愛子さまを慰めようと腐心。
12月22日、終業式のあった日の夕方、東宮一家は東京・五反田にある「ゆうぽうとホール」で『くるみ割り人形』の舞台を鑑賞。
23~25の3日間、愛子さまのお友達を東宮御所へ招く。
「3日間も続けてお友達をお呼びになるのはとても珍しいこと。
とりわけ12月24日のクリスマスには、20名ほどのお友達が集まり、
クリスマスパーティーが開かれ、愛子さまは終始楽しげな様子だったといいます」(宮内庁関係者)
12月28日にはイルミネーション見学。「今年は車で表参道から丸の内と二カ所まわられたそうです」(前出・宮内庁関係者)

週刊文春2011年1月13日号 
雅子妃側近「愛子さま養育係」がまたひっそり退職
12月27日年内最後の東宮大夫会見の数時間後、1枚のペーパー。「小山女官退任」
小山氏の女官就任に「雅子さまが引き抜いたのでは」
「小山さん退任の理由は、『体調が悪いため』だと言われているが、
12月12日の皇太子殿下のお出ましで目撃されているので、本当の理由ははっきりしない。
基本的に異動は3月なので、会見で質問されたくない理由があったのではないかと言われている」(宮内庁担当記者)
小山さんの献身的な活躍は度々目撃されていた。
「初等科1年の父母会で雅子さまのお伴、秋の初等科祭では妹の池田礼子さんとその息子さんを案内していて、
お気に入りと言われていた。ところが、小2の父母総会以降は姿を見る機会は減っていました」(皇室担当記者)
ここ数年、皇太子、雅子妃側近の退職が続いている。小山さんの退職はこの4年で4人目だ。
小山氏は、「曲がったことは大嫌い。注意されると父兄が涙ぐむこともあったが、的を射ているので、父兄からの信頼も厚かった」(学習院関係者)
いじめ会見前後のころ厳しく電話を掛けてきたが間もなくこの問題に関わらなくなった。


  • 最終更新:2017-04-09 11:18:02

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