彬子さまが葬儀の秘話を語る

<寛仁親王殿下逝去90日>彬子さまが葬儀の秘話を語る
毎日新聞 9月5日(水)2時32分配信

「ヒゲの殿下」として親しまれた寛仁(ともひと)親王殿下が6月6日に66歳で亡くなってから90日となり、
長女彬子(あきこ)さま(30)らの喪が4日明けた。新たに宮家の「顔」になって活動を再開する彬子さまは、
毎日新聞の取材に、葬儀の秘話や今後の活動などについて語った。
寛仁さまの容体が急変した時、彬子さまは学会のシンポジウムに出席するためにポーランドにいた。
「すぐに帰国したい」と思ったが、「学会発表もせずに帰国すると、父に怒られるような気がする」と、
シンポ初日の発表を済ませ、6月6日に帰国し、病室に駆けつけた。寛仁さまは、その日、彬子さまや
次女瑶子(ようこ)さま(28)らにみとられて静かに息を引き取った。
彬子さまが喪主として通夜や葬儀に追われていたある日、遺品を整理していると、
寛仁さまが愛用していた革の財布の中にピンク色の折り紙で作られた小さな紙片があるのを見つけた。
表面には「おとうまのおさいふ」と幼少時代の自分が書いた字があった。寛仁親王家では、
父は「おとうま」、母は「おかあま」と呼んでおり、彬子さまが幼稚園の頃に父にプレゼントしたものだった。
「25年以上持ってくださっていた。私も覚えていなかったのにと思うと、涙が止まらなかった」。
写真を撮った後、「おさいふ」は副葬品に入れた。90日間の服喪中も宮家の決めごとに関し、
多くの相談が彬子さまに持ち掛けられ、「父だったらどうするだろう」と考え込んだ。
「私が決めるしかない。責任感が全く違います」と話す。
宮家としての活動再開に際して心にあるのは「国民の中に自ら入り、国民が求めることをするのが
皇族の役割」と話していた父の考えだという。寛仁さまがライフワークとして続けた「社会福祉活動」に当たるのが、
彬子さまにとっては「子どもたちに日本文化を伝える試み」だ。自らが発起人となって4月に設立した
「心游舎(しんゆうしゃ)」を通じて、次の世代を担う子どもたちに本物の伝統文化に触れる機会を設けたいという。

◇父の活動引き継ぐ
皇室が続けてきた活動の意義を実感することも増えた。
「父の活動をしっかり引き継いでいきたいという思いが強くなり、結婚への思いは少し薄れました」と笑う。
彬子さまは、女性皇族として初めて博士号を取った研究者でもある。現在は美術研究員として籍を置
く銀閣寺がある京都と東京の往復生活を続け、「研究に割ける時間がなくなり、葛藤もあるが、
好きなことをやることは大切だと思う」と話す。
「彬子女王」の署名で論文執筆も続けてきた。政府が検討を続ける女性宮家問題では、女性皇族のうち
結婚後も皇籍に残る対象者をどう定めるかも焦点の一つとなっている。皇籍を離れると「女王」ではなくなる。
彬子さまはこの問題については、「通常女性研究者は結婚しても旧姓で論文を発表します。
一研究者としては論文発表などに際しては称号をペンネームのように使うことが理想ですが、
こちらからは何とも言えないですね」と言葉を選んだ。【長谷川豊】
http:// headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120905-00000011-mai-soci

  • 最終更新:2017-07-29 16:58:56

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