平成30年天皇誕生日

天皇陛下お誕生日に際し(平成30年)
http:// www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/25

天皇としての旅、支えられ感謝 陛下85歳 最後の会見
2018.12.23 00:00
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、来年4月30日の譲位を前に
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と謝意を伝えられた。
また、象徴天皇として「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、
日々の務めを行っていきたい」と決意を示された。
今後、陛下が記者会見を行う予定はなく、今回が最後の機会となった。
陛下はこの中で、先の大戦以降の日本の復興の歩みをご回想。
苦難の道をたどった沖縄県の歴史を踏まえながら、今後も「耐え続けた犠牲に心を寄せていく」ことを誓われた。
陛下は即位した平成元年当時、国際社会が平和へ向かう希望を持っていたとしたが、
その後は「必ずしも望んだ方向には進みませんでした」との認識を示された。
こうした中、日本の平和と繁栄について「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、
心から安堵(あんど)しています」との心情を明かされた。
続いて平成の時代で「心に残る」こととして、阪神大震災や東日本大震災など
多くの犠牲者を出した自然災害を挙げ「言葉に尽くせぬ悲しみ」を覚えると述べられた。
また、普及に尽力してきた障害者スポーツの広がりを喜んだほか、
外国訪問で面会を重ねてきた日系人や、増加する訪日外国人を例に
「各国との親善友好関係が進むこと」を改めて願われた。
会見の最後では、家族への思いを吐露された。来年4月にご結婚から60年を迎える皇后さまに対しては、
公私にわたる献身的な働きに「心から労(ねぎら)いたく思います」と涙声で感謝を伝えられた。
来年5月に即位される皇太子さまと、皇嗣(こうし)となられる秋篠宮さまについては、
多くの経験を積み重ねてきているとし「皇室の伝統を引き継ぎながら、
日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と厚い信頼を寄せられた。
https:// www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230010-n1.html

天皇陛下「国民に感謝」85歳の誕生日で天皇として最後の会見
2018年12月23日 0時03分
天皇陛下は、23日、85歳の誕生日を迎えられました。
これを前に、天皇として最後となる記者会見に臨み「象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝したい」と述べられました。
天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。
来年4月の退位を前に、天皇として最後となる会見で、これまでの歩みを振り返りつつ今の心境を述べられました。
この中で天皇陛下は、象徴として歩んだ歳月や退位までの残された日々について
「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、
今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、
日々の務めを行っていきたいと思います」と述べられました。
続いて、戦後の日本を振り返る中で沖縄の戦争や苦難の歴史に触れ
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、
これからも変わることはありません」と話されました。
そして、時折声を震わせながら「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、
このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、
戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。
平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられました。
続いて、天皇陛下は、阪神・淡路大震災や東日本大震災など平成に起きた数多くの災害を挙げ
「多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。
ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、
防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます」と話されました。
会見の終盤、天皇陛下は、来年4月で結婚して60年になる皇后さまについて
「結婚以来、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、
私の立場と務めを支えてきてくれました」と思いを述べられました。
そして、ひときわ声を震わせながら「天皇としての旅を終えようとしている今、
私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、
自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、
皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」と述べられました。
天皇陛下は、最後に、来年の春、新しい時代が始まるとしたうえで
「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、
皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と話されました。
皇居では、23日、さまざまな祝賀行事とともに一般参賀が行われ、
天皇陛下は、皇族方とともに、午前中3回、宮殿のベランダに立ちお祝いを受けられます。

声を震わせ思いを語る
今回の記者会見は、天皇陛下の思いがこれまでにないほど強く表れたものとなりました。
天皇陛下は誕生日を前にした今月20日、皇居・宮殿の一室で会見に臨まれました。
記者の代表から退位を前にした心境や、国民に伝えたいことを尋ねられた天皇陛下。
象徴の務めとして大切にしてきた事柄を1つずつ取り上げ、
話題が沖縄の苦難の歴史や先の大戦による犠牲者に及ぶと、声を震わせながら思いを語られました。
天皇陛下は、戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民の努力によって築かれてきたことを
正しく伝えていくことが大切だとする部分では、「正しく」ということばを強く述べられました。
会見の終盤、国民への感謝や、ともに歩んできた皇后さまをねぎらう気持ちを語る時には、
込み上げる思いにひときわ声を震わせられました。
これについて、両陛下の側近の1人は「その時々のさまざまな出来事が脳裏に去来し、
感じ取られたものを踏まえて、心を込めてお気持ちを話されたのだと思う。
国民に伝えるべきことを余すことなく伝えられた会見だったと思う」と話しています。

天皇陛下の歩み
昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、
戦争が続く中で子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、
軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からお妃が選ばれたのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、
多くの国民から祝福を受けられました。皇后さまと国内外で公務に励むとともに、
3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法のもと、初めて「象徴天皇」として即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として
現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、皇后さまとともに一貫して戦争の歴史と向き合われてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、
そして沖縄を訪ねられました。先の大戦で激しい地上戦が行われ
20万人以上が犠牲になった沖縄への訪問は、合わせて11回に及びます。
戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
そして戦後70年には、悲願だったパラオのペリリュー島での慰霊も果たされました。
天皇陛下は毎年、8月15日の終戦の日に「全国戦没者追悼式」に臨み、
戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられてきました。
天皇陛下は、また、皇后さまとともに全国各地の福祉施設を訪れるなどして、
社会で弱い立場にある人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、
「全国身体障害者スポーツ大会」が開かれるきっかけを作るとともに、
平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次いだ平成の時代。両陛下は被災地に心を寄せ続けられました。
始まりは平成3年。雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、
体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。
その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、
被災した人たちを見舞われてきました。
東日本大震災では、天皇陛下が異例のビデオメッセージで国民に語りかけられるとともに、
7週連続で東北3県などを回り、その後も折に触れて被災地を訪ねられました。
国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願われてきた天皇陛下。
来年4月の退位が決まったあとも、「象徴」としての務めを果たし続けられています。

世界地図をご覧になる両陛下
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天皇陛下の誕生日に合わせて、天皇皇后両陛下がお住まいの御所で世界地図をご覧になる映像が公開されました。
この世界地図は、両陛下がこれまで訪れた場所にピンで目印をつけているもので、
皇太子夫妻として訪れた都市には青色のピンが、天皇皇后として訪問された都市には赤色のピンが、
天皇陛下が皇太子として1人で訪問された都市には緑色のピンが立てられています。
天皇陛下は、これまでに58か国を訪れて国際親善などに努められてきました。
https:// www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757511000.html

【主張】天皇誕生日 平成振り返り感謝したい
2018.12.23 05:00
天皇陛下は、85歳の誕生日を迎えられた。国民と苦楽をともにし、
歩まれてきた陛下に、心からお祝いと感謝を申し上げたい。
来春の譲位を控えて、平成最後の天皇誕生日である。
陛下は、これに先立つ記者会見で「象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と述べられた。常に国民を思うお気持ちが察せられる。
陛下は平成15年に前立腺がんの手術、24年には心臓のバイパス手術を受けるなど大きな病を経験された。
ご高齢にもかかわらず、長くお務めに精励されてきた。
そのお姿に、どれだけ国民が勇気づけられたことだろう。
7年の阪神大震災、23年の東日本大震災など、大災害があれば、皇后さまとともに現地に赴き、
避難所の床に膝をつき、被災者に声をかけ励まされた。
今年も災害の多い年で、西日本豪雨や北海道地震の被災地などを訪問されている。
先の大戦戦没者の「慰霊の旅」も続けられてきた。
戦後50年の節目に広島、長崎、沖縄などを訪問された。戦後60年にはサイパン島、
戦後70年にはパラオのペリリュー島など、遠い激戦の地にも足を運ばれた。
諸外国との親善交流などで果たされてきた役割は計り知れない。
陛下の歩みとともに、平成史を改めて振り返る機会としたい。
日々のご公務などは多く、激務である。目に見える以外にも、宮中祭祀(さいし)を通じ、
国民の安寧と豊穣(ほうじょう)を祈られている。
古来、国民は「大御宝(おおみたから)」といわれる。
天皇は国民のために祈り、国民は天皇に限りない敬意と感謝の念を抱いてきた。
それが日本の歴史と国柄である。「祈り」は天皇の本質的、伝統的役割であることを国民は知っておきたい。
陛下は皇室の伝統を守りつつ、時代を踏まえて行動され、国民の支持を集めてきた。
記者会見では、ともに歩まれてきた皇后さまへの感謝も明かされた。
来年、ご結婚から60年を迎える。皇位を継がれる皇太子さまの誕生日は2月23日である。
天皇は日本国と国民統合の象徴であり、皇位が安定して続いていくことは国民の願いである。
皇室に一層の理解を深め、弥栄(いやさか)を祈りたい。
https:// www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230012-n1.html

天皇陛下、85歳…戦争なく「心から安堵」
2018年12月23日
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立つ在位中最後の記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵あんどしている」と胸中を語り、
「天皇としての旅」を支えてくれた国民に対し「衷心より感謝」を伝えられた。
皇居・宮殿で20日、会見に臨んだ陛下は、即位以来、天皇の望ましいあり方を求めてきたといい、
退位の日まで務めを全うすると決意を述べられた。
戦後の平和と繁栄は、先の大戦の犠牲と国民の努力の上に築かれたことを
「戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切」と思われてきた。
沖縄の犠牲に今後も変わらず心を寄せられていくという。
東日本大震災や阪神大震災などの甚大な被害に「言葉に尽くせぬ悲しみ」を覚える中、
人々が助け合い、規律正しく対応する姿に心を打たれたと明かされた。
    ◇
陛下が学習院初等科時代に学んだ鈴木弘一教授(1989年死去)の記録に、
4~6年生の時に書かれた作文・詩の題名計44点を載せたリストが含まれていることがわかった。
1943~44年の4年生の作文・詩計20点を書き写した指導記録の詳細も判明した。
6年生のリストには、終戦翌月の45年9月に提出された「新日本の建設」の前に
「沖縄の友達へ」という文題があった。所功・京都産業大名誉教授は
「作文があれば、本土防衛の盾となった当時の沖縄を少年皇太子がどう見ていたのかわかるに違いない」とみている。
2018年12月23日
https:// www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181222-OYT1T50103.html

皇室の将来・平和…誕生日のおことば、直前まで熟考重ね
島康彦、緒方雄大 2018年12月23日07時01分
天皇陛下が23日、85歳の誕生日を迎えた。
在位中最後となる記者会見では、象徴として歩んだ平成時代を振り返った。
天皇陛下は即位後、誕生日を前にほぼ毎年、記者会見に応じてきた。
会見が開かれるのは、皇居・宮殿の「石橋(しゃっきょう)の間」。
獅子の能面を着けた演者が舞う、日本画家・前田青邨(せいそん)作「石橋」を背に、
天皇陛下が宮内記者会から事前に提出された質問にこたえる形式だ。
平成最初の誕生日前会見は、即位翌年の1990年だった。
宮内記者会の要望で、皇后さまと一緒に会見に臨んだ。
今後の皇室について「象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたい」と抱負を語った。
17問の質問にこたえた。
即位時から象徴とされた初の天皇だけに、その後も皇室のあり方への質問が続いた。
「国民の期待しているものを念頭に置きながら、常によりよいものを求めていく」(92年)、
「和の精神をもって、お互いに助け合い、国や国民のために尽くす皇室であって欲しい」(93年)。
自らの考えを率直に語ってきた。
戦争を経験した最後の天皇として平和への思いも折々に語った。
戦後50年の前年の94年は「とりわけ戦争の禍(わざわい)の激しかった土地に
思いを寄せていくつもりでいます」と言及。言葉通り、95年に長崎、広島などへの「慰霊の旅」を行った。
80歳を迎えた2013年は、これまで最も印象に残っていることに「先の戦争」を挙げ、
「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、
若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限り」と述べた。
宮内庁幹部によれば、陛下は毎年の会見を「思いや考えを直接国民に伝える場」として、大切にしてきた。
皇室行事が立て込む年末と重なり、「かなりのご負担だが、会見直前まで回答を熟考されていた」。
加齢に伴い、負担軽減のため質問数は徐々に減っていった。
14年には事前に用意した質問2問になり、記者が即興でたずねる関連質問はなくなった。
15年からは質問は1問に限られた。
そして今年、陛下は万感の思いを込め、最後の会見に臨んだ。(島康彦、緒方雄大)
https:// www.asahi.com/articles/ASLDB66XTLDBUTIL077.html

「明けてくる年が明るい良い年となるよう願っています」 誕生日一般参賀で陛下
天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われた。
陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さま、佳子さまとともに
宮殿・長和殿のベランダに並んで立ち、参賀者に笑顔で手を振って応えられた。
陛下は今年、発生した災害で被災した人々を案じた上で
「明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。
皆さんの健康と幸せを祈ります」とあいさつをされた。
来年4月30日に譲位する陛下のお誕生日の一般参賀は、今回が最後の機会となった。
今年は多くの人出が予想されており、宮内庁は午前9時30分の予定だった開門時間を10分早めて対応した。
また今回、初めて東庭に大型スクリーンを設置した。
この日は朝から宮殿や御所で祝賀行事が続き、午前は皇太子ご夫妻ら皇族方が
陛下と皇后さまにそれぞれお祝いを述べられる。午後は安倍晋三首相ら三権の長による祝賀、
皇族や首相、国会議員らが集う祝宴、各国駐日大使らを招いての茶会などが催される。
夕方には皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまと
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまもお祝いを伝えに御所を訪問される。
夜は皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、両陛下の長女、黒田清子さん夫妻が御所に集まり、夕食を共にされる。
https:// www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230025-n1.html

天皇陛下85歳、お言葉全文「今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています」
2018.12.23 11:01
天皇陛下が23日の誕生日の一般参賀で述べられたお言葉の全文は以下の通り。
  ◇
誕生日にあたり、大勢の皆さんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います。
今年も残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、
あるいは被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています。
冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。
明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります。
https:// www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230028-n1.html

天皇陛下の一般参賀に大勢の人 平成最後の誕生日
緒方雄大、多田晃子 2018年12月23日12時22分
天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居であった。
陛下は来年4月末に退位するため、誕生日の一般参賀は最後。
宮内庁によると、午前11時半時点で平成に入ってから最も多い約5万7千人が集まった。
午前10時20分ごろ、天皇陛下が皇后さま、皇太子ご夫妻、
秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さまとともに宮殿のベランダに立つと、歓声が上がった。
陛下は「大勢のみなさんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います」と述べた後、
今年各地で発生した災害で家族を亡くしたり、不自由な生活を送ったりしている人々について
「深く案じています」と語った。
今回は後方からでもよく見えるように、前方に大型スクリーンが2台設置された。
宮内庁によると、陛下は数日前からのどの痛みなどの風邪の症状があり、
皇后さまも日中に熱が上がるなどの症状があるという。(緒方雄大、多田晃子)
https:// www.asahi.com/articles/ASLDQ61W1LDQUTIL011.html

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一般参賀、平成最多に 悠仁さまもお忍びで
2018年12月23日 19時33分 日テレNEWS24
天皇陛下が85歳の誕生日を迎えられ、皇居で行われた最後の誕生日一般参賀には、平成で最も多くの人が訪れた。
天皇陛下「誕生日にあたり、大勢のみなさんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います。
今年も、残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、
あるいは、被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています。
冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。明けてくる年が皆さんにとり、
明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります」
皇居で行われた誕生日の一般参賀には、去年よりおよそ3万人多い8万2850人が皇居を訪れ、平成最多を更新した。
また、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまも一回目の一般参賀にお忍びで訪れたという。
神奈川県から来た参賀者「(子どもが)平成生まれなんですけど平成最後なので。
もしかしたら覚えてないかもしれないんですけど、この天皇陛下の時に生まれたんだよって見せてあげたかったので」
また、誕生日にあたって行われた記者会見で、陛下は、皇后さまと国民に対して声を震わせながら、感謝の気持ちを伝えられた。
天皇陛下「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、
私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います」
宮内庁によると、陛下は、これが最後の記者会見になるという思いで臨まれたという。
午後には、宮殿で天皇皇后両陛下が安倍首相らおよそ500人と昼食を共にする「宴会の儀」が行われたほか、
外国大使などを招いた「茶会の儀」が行われ、陛下や皇族方は外国大使らに囲まれ、親しく懇談されていた。
http:// www.news24.jp/articles/2018/12/23/07412573.html


天皇陛下の誕生日を祝う「茶会の儀」を終え、
退出される天皇、皇后両陛下=23日午後、皇居・宮殿「春秋の間」【時事通信社】
https:// www.jiji.com/jc/p?id=20181223181135-0029173656

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両陛下、皇太子殿下、秋篠宮両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下
寛仁親王妃信子様、三笠宮彬子様、三笠宮瑤子様、高円宮妃久子様、高円宮承子様

  • 最終更新:2019-01-30 11:37:32

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