平成皇室二十年の光と影2


諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影
われらの天皇家、かくあれかし(一部抜粋)

■薄氷を踏むような二千年 竹田恒泰 (旧皇族・慶應義塾大学講師)
わが国は現存する国家のなかで世界最古の歴史を持つ。日本建国よりも前に存在した国はすべて滅び、いまはない。
天皇の歴史は日本の歴史であり、今年は建国から2668年にあたる。その数字には諸説異論もあろうが、
約1800年前の三世紀初頭、奈良県の三輪山周辺に前方後円墳が誕生したときまでには大和王権が
成立していたことは考古学的事実から明白である。そして、その後現在に至るまで、王朝が交代したことを示す
証拠はない。また、王権が成立した途端に巨大な古墳を造営する国力を有したとは到底考えられないので、
一地方政権として成立した時期は、さらに時代を遡ることになる。
やはり天皇の歴史は約二千年、もしくはそれ以上と考えるのが妥当だろう。
しかし、その後の天皇家の歴史は決して順風満帆なものではなかった。
時代ごとに様々な困難と出遭い、皇統は幾度も危機に瀕したが、天皇はその度に底力を発揮し、数々の困難を力強く乗り越えてきた。
…悠久の歴史のなか、天皇のあり方は時代ごとに変化してきたが、「祈る存在」という部分は決して変わることはなかった。
平成の皇室も、その本質は「祈る存在」に違いはない。皇室が長年続いてきたのは、「祈る存在」であり続けたからではなかろうか
。毎日国民ひとりひとりの幸せを祈っていらっしゃる天皇を、軍事的や政治的な力で消し去ることに、正義感を見出せるはずはない。
そのような尊い皇室を、日本人の先祖たちはいつの時代も大切に守り続けたのである。
故高松宮殿下のお言葉を拝借すれば、「皇室は国民によって守られてきた」ということになろう。 …

■日系人の心の支えとして 塚田千裕 (海外日系人協会理事長)
十年以上前のこと、ブラジルに勤務していた時、日本の経済界の首脳陣と時のカルドーゾ大統領との懇談の機会に私も同席していた。
話題が日本の政治に及んで日本側が「どうも日本は総理がしばしば代わって対外的にも具合が悪い」と半ば釈明口調になったところ、
カルドーゾ大統領曰く、「日本には天皇陛下がおられるじゃないですか!」
これは大統領が日本の事情や憲法に通じている、いないというようなことではない。
大統領はその前年に日本を国賓として訪問し、何もかも承知の上での発言である。
若き日に左翼経済学者として鳴らし伯軍政時代には一時チリ等に亡命生活を余儀なくされた経歴の持ち主だけに、一層含蓄に富む発言であった。
私は四十年以上になる外交官生活の中でブラジルには合計して三回、延べ十年勤務した。
今年は日本の対伯移住百年の年(日伯交流年)であるが三回の勤務中には偶然にも「移住七十周年」「八十周年」「九十周年」に廻り合わせた。
「移住何周年」という行事は、戦後の1958年に「五十周年」を現地に日系人が祝い、このために三笠宮殿下が訪伯なされたのが嚆矢である。
以後、節目の十年毎の祝いに皇室よりお出ましを願うのが現地移住者、日系人のまたとない喜びの慣例となった。
…一方、この五十年の間に各地の日系人を取り巻く環境も変わり、代替わりも進み、よもやと思われた日系人の逆流現象迄も生じたが、
年一回の日系人大会は概ね十五から二十ヵ国、二百人程の参加者を得て盛会を維持している。
その最大の理由は私の見るところ皇室の御臨席である。父祖の地日本は常に変容を遂げて止まない。
その時、自らのアイデンティティを求める日系人の心の底にある変わらぬ日本、根元的日本を最もよく体現しておられるのが皇室である。
皇室の存在、力の大きさは内なる日本人が想像する以上に外の人達も案外良く分かっている。 …

■春先の温かい小雨のように 徳岡孝夫 (ジャーナリスト)
…「普天の下、率土の浜、一人として君恩に浴せざるはなし」
私たちの世代には、これが平成の今日でも、すんなりと理解できる。
国のあまねきところ、いかなる辺土にいようとも、天子さまの御恩は雨あられと降り注ぐ。まあ、そういう意味である。
これを言い換えれば御稜威(みいつ)である。国語辞典には「神、天皇などの威光、威徳」とある。
それは、どしゃ降りに降るわけではない。春先の温かい小雨のように音もなく降るから、民は気付かぬうちに、
しっぽりと濡れている。逃げようがない。また天長節の歌に「光遍(あまね)き君が代を」という通り、天から
やんわり射してくる光に似ていて、それは卒業式に国歌を歌わず国旗にも頑として着席したままの教師の頭上にも射す。それが御稜威。
…天皇は国家鎮護と国民の安寧を祈願して、東大寺の大造営工事を行った。
天皇は日本の祭司として、神道だけでなく仏教においても、昔からそういう役割を果たしてきた。
民は千三百年の後も、遺徳を偲び過去帳を読み上げている。
奈良の東大寺で読むのなら、皇室の菩提寺である京都・東山の泉涌寺(せんにゅうじ)でも、
当然ながら歴代天皇の御名前か戒名を読み上げているはずである。
天皇家は日本の民が営んできた各自の家の筆頭の家として、一般の家と同じように葬祭を行ってきた。千三百年の昔、すでにそうだった。
…天皇・皇后をはじめ国民が貴賤を問わず一堂に会し、古代いらいの詩形で詠まれた詩の朗唱を聞く。
広い世界に、これほど「開かれた」形で伝統文化を守っている国が、他にあるだろうか。
皇太子妃・雅子さんは、今年も歌会始を欠席された。
私は残念に思うが、さりとてジャーナリズムの報じる彼女の一挙手一等足を、いちいち咎める気にもなれない。
皇室の伝統は、その一員の行動によって乱されるほど短くも浅くもない。
多くの日本人は皇室を仰いで、そこに日本がずっと昔から続いてきたこと、この先もずっと続くであろうことを感じて、自信を持つ。

■定例御参内にお供して 中島宝城 (歌人)
…昭和55年4月29日、天皇陛下(昭和天皇)の御誕生日のお題は「木蓮」であった。
 木蓮の直(なほ)きつぼみを温めて この春の日も風は過ぎゆく
天皇陛下の御人柄が心にあって、自然に出て来た歌であった。
それから程なく、東宮御一家が吹上の御所に参内され、
両陛下と御夕食を共にされる「定例の御参内」(当時は、毎週一回行われていた)にお供した時のこと、
そのお帰りの車中、皇太子殿下が後の御席から、「今日は、とても嬉しいことがありました。お上(天皇陛下)が、
『今度、東宮さん(皇太子殿下)の侍従がこんな歌を詠進してくれた』とおっしゃって、
中島さん(今も、天皇陛下は、職員の名前を「さん」付けでお呼びになっている)の
歌の短冊を御部屋からお持ちになって、嬉しそうにお見せになった」と、おっしゃったのである。私は感激した。
天皇陛下が私の歌をしっかりと受け留めて下さった。それを皇太子殿下がこんなに喜んで下さっている。
そして、皇太子妃殿下もご一緒に喜んで下さっている。
…宮中の祭祀は、日本国憲法の政教分離の規定により、天皇の私的な行為として解釈運用されている。
しかし、宮中の祭祀は日本創世の神々と御先祖に畏敬と感謝の念を捧げ、国の平安と国民の幸せをお祈りになる祭事(まつりごと)である。
決して、私の事ではない、公の事である。そして、また、天皇がその祈りの心をもって歌(御製)をお詠みになることも。
この祈りと歌こそが、天皇の山谷なすいろいろの御務めの根本にあるものである、と私は思うのである。
…天皇の祈り、そして歌は、人類普遍の原理を謳う憲法や宗教や道徳とは異る、何か大きなもの、
日本の文化(日本人の生き方、その感性、美学)の根底に在るものではないのか。
これを外した「有識者」の皇室論や「数字」の世論には、不毛を感じるのである。

■あえて臣下の分を越えて 中西輝政 (京都大学教授)
…中でも、この二十年を通じて国民の眼に最も深く印象づけられてきたことは、
天皇・皇后両陛下が皇室の伝統を守り国家・国民の安寧をひたすら願い、日々のお務めを果たしてこられた、まことに真摯な御姿ではないだろうか。
その、両陛下のひたむきな姿勢に感動を覚えない日本国民は、今や一人としていないだろう。
またそこには、わが国における天皇の伝統的な精神像が見事に体現されており、
「ああ、これこそ日本の天皇の本来の御姿だったんだ」と、戦後生まれの私の世代の多くの日本人にも、
理屈ではない素直な感動を呼び起こしてくださっている。
…ただ、近年、この慈しみ豊かな我々の天皇像のどこかに「憂い」を含んだ陛下の御表情を重ね合わせ感じ取ることが多くなったのは私だけではあるまい。
そこには、やはり皇位継承の問題が横たわっているのでは、と拝察する。
たしかに一昨年、秋篠宮家に悠仁親王の御生誕を見たことによって、ギリギリのところで「女系天皇」という、
わが皇室始まって以来の危機状況は一旦は回避された。
しかしこの問題は、戦後の占領期に外国勢力によって皇位継承と皇族制度が強権的に改変させられたことに源を発していると言わざるを得ず、
その基本的な解決にはやはり何らかの形で旧宮家の御復帰を願うしかない。こ
の点では、大局的に見て、解決の方向は今や明らかになりつつあると言ってよいのではないか。
勿論、この問題も最終的には天皇陛下と皇族の方々の御意思によって決せられるべきことであるが、
そのためのきっかけを提供するのは、現在の制度の下では政府と国民の責任にかかっている。
従って問題は我々の見識と自覚が問われていると言うべきであろう。
ただもう一つ、ここであえて臣下としての慎みを超えて直言申し上げたいことがある。それは言わずと知れた「皇太子妃問題」である。
周知の通り現在、同妃の公務復帰について様々な問題が未解決のまま国民の不安と懸念の的となっている。
その原因と解決法については様々な議論があり、それはそれで、それぞれに考えがあってよい。
ただ一点、揺るがせにできない重大問題は、同妃が宮中祭祀のお務めに全く耐え得ない事情があるかに伝えられることである。
もし万々一、このことが事実であるなら、ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき問題であると言わざるを得ない。
…すでに巷間の一部には、「これを機会に宮中祭祀を廃止したらどうか」という声すら挙っている。
勿論、それは皇室の伝統と将来を真摯に考えようとしない全くの暴論である。
しかし万一、事態がこのまま推移するなら、事は更に重大な局面に至る憂いなしとしない。
皇太子妃におかせられては、このことを是非深く御自覚頂き、特段の御決意をなされるようお願い申し上げたい。
もはや、平成の皇室の課題は、一に懸ってこの点にあると言っても過言ではない。
もし万一、皇太子妃をめぐる右のごとき問題が今後も永続的に続くのであれば、
今上陛下の御高齢を慮り皇室の永続を願う立場から敢えて臣下の分を超えて申し上げたい。
同妃の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ、と。
最後にもう一度、敢えてこのようなことを申し上げ、宸襟(おおみこころ)を悩まし奉ることになれば真に
恐懼(きょうく)の至りなのであるが、皇室の永続を願う一臣下として東宮家に是非共、諫言申し上げる次第なのである。

■福田内閣総理大臣閣下へ 西尾幹二 (評論家)
…皇太子妃殿下のご病気とそれに伴う平成15年9月からの宮中祭祀のご欠席、他の皇族方がご出席になる一般のご公務の頻繁なるご欠席
――国民の間にも種々取り沙汰されているこの事実は、すでに妃殿下一個人の問題ではなく、
国家の問題、国家的レベルで解決されるべき政治問題であると考えられるが、閣下はそのような認識をお持ちであろうか。
…妃殿下のご病状については平成16年7月に「適応障害」との発表があったが、今もなお病名は同一のままであるのか。
「適応障害」の診断がついた場合、一般的には外出さえ億劫な体調になると聞く。
事実、妃殿下も当初はそのようであったが、現在の妃殿下の「私的外出」が他の皇族がたよりも群を抜いて多いのはどうしてなのだろうか。
…また、医師の説明によると、「適応障害」を治すには患者の置かれている環境の解消がなによりも必要であるとされる。
とすれば、皇室に身を置くこと自体が病気の要因となっている。病気の治療を優先させるなら、
患者のご身分に並々ならぬ重大な変更を余儀なくされる場合も可能性の一つとして想定せざるを得ない。総理大臣閣下が
一個人の治療の問題としてこれを考え、国家の問題として考えないとしても、
必然的に皇室会議の招集を求めざるを得ない国家レベルの課題に直面するより他に解決の道はないのである。
…雅子妃殿下の主治医大野氏は、妃殿下の妹夫婦の知り合いで、妙なことに同氏に対し報酬が支払われていないとも聞く。
妃殿下の母親と妹夫婦の一家と大野氏は、皇太子一家のスキーなどの行楽に同行し、
病気治療の名において、皇族と一般人との垣根を取り払った遠慮のない交際が国民の目にさらされている。
若き日の今上陛下と美智子皇后のご一家が、皇后のご実家の方々との交際に厳しい節度と垣根の枠をはめていたのと著しい相違をなしている。
そこで閣下にあらためてうかがうが、妃殿下のご病気は国家の問題であるのに、
まるで民間人のように、知り合いの主治医がすべてを私的に扱い、好き勝手な判断をしてすませていることに、
宮内庁長官も東宮大夫も責任を感じていない。これをどうお考えになるか。
彼らは全員がこぞって天皇制度という公的なものを傷つけているのである。
というのは、一人の主治医が情報を独占して他に秘しているのは、
何か伏せられた別のご病気があるせいで、宮内庁も東宮御所も承知で匿(かく)している共犯者ではないか、という噂はすでに千里を走り、
ご病名までまことしやかに語られているが、こういうことは皇室を傷つける動きではないのか。総理大臣のご処置をお願いする。 …

■武道館を覆った国民の熱 平沼赳夫 (衆議院議員)
小泉内閣の時、皇室典範に関する有識者会議が、首相の私的諮問機関として、官邸に設けられた。
私は新聞でその人事を見て吃驚(びっくり)した。十名からなるメンバーは、それぞれ立派な人々に違いないが、
長い伝統と文化と歴史の皇室を論ずるにはどうも相応しくないと感じたからである。
…有識者会議では議論が開始され、その結論が出た。それは女帝のみならず女系も認め、皇室の養子も認めるという驚天動地のものであった。
われわれ保守の者達は大変な危機感を持ち、先ず憲政記念館で一昨年の一月、国民集会を開催し、
角界各層から断固伝統を守るべきだとの意見をいただいた。
有識者会議の結論に関し、小泉首相は「良い答申をいただいた。来(きた)るべき通常国会で閣法で議決をしたい」と述べ、
記者からの質問に、「当然、郵政民営化法案と同じように党議拘束をかける」と言い切った。
われわれの心配はつのり、その年の三月に日本武道館で大国民集会を開き、世論に訴えることになった。
日本のご皇室はまか不思議なご存在で、二月には秋篠宮紀子妃殿下、ご懐妊の報道が流れた。
これは本当に大きな出来事であった。われわれの大国民集会に関し、
マスコミは武道館の四分の一位の四千人も集まれば上出来だろうと、大層ひややかであった。
だが当日、私は日本武道館の壇上に立って、身体中がうちふるえるのを覚えた。
一階のアリーナ席、二階、三階、すべて超満員で、その総数、一万三百人であった。
私は日本人は有難く、全く凄いと感嘆した。ことご皇室のこととなると全国からこれだけの人が集って下さる。
素晴らしいことだと思ったのである。
この大国民集会でも様々な意見の発表があったが、私はイスラエルのヘブライ大学教授のベン・アミン・シロニ―氏のメッセージが最高だと思った。
確かに現代は男女同権が当り前で、女帝の議論もここから出て来ているに違いない。
シロニ―教授は先ず、全世界に十億を超えるカトリック信徒が存在するが、ローマ法王が男子に限られることに誰も異を唱えない。
自分はイスラエル人でユダヤ教の信者であるが、ユダヤ教のラビは男から男に伝えられ、これにもユダヤ教の信者は全員納得している。
男女同権は守るべきものだが、その存在が伝統であり、歴史であり、文化であれば、当然、守るべきものは守るべきだ。
日本の皇室は、全世界、唯一、百二十五代続いているお家柄でないか、この歴史、文化、伝統こそ日本人は守るべきだと力強いメッセージだった。
現在、改革をするのが政治家のごとくいわれており、改革すべきものは大胆にやるべきと思うが、
保守政治家ならば、守るべきものはしっかりと守っていくべきと私は思っている。
其後ご承知の通り、紀子妃殿下は無事、悠仁親王殿下をご出産、まことにお芽出度い限りである。
…戦後マッカーサー元帥によって十一の宮家が廃絶された。この元宮家には男系の血を引く元皇族の方々がいらっしゃる。
私はわが国の伝統、文化、歴史をしっかりと守っていくうえに、男系の方々の養子を皇室典範上、お認めしても良いのではないかと考えている。
日本のあるべき姿をしっかりとお守りすることが、本当に大切なことと私は信じている。

■平成皇室は世界の最先端 広岡祐児 (ジャーナリスト)
…つまり、いまや西洋の国王は急速に国と国民統合の象徴の方向に進んでいるのだ。
その点で、軍事や政治を超越し、しかも巨万の富を持たず謙虚で、
国民とともに歩む平成皇室は、現代の世界の王室の最先端にあるといっても過言ではない。
もっともこれも故なきことではない。すでに千四、五百年前には「大王」から「天皇」にかわり、
律令制度で現代ヨーロッパの立憲君主制の国王に匹敵する存在になっていたのだ。
それを一気に「大王」の時代に戻したのが明治の日本だった。そうなると当時の西洋の国王のあり方と同じだから、
近代化もスムーズにいった。しかし、代償は大きかった。つい忘れがちだが、天皇と皇室制度は明治時代に大きく変質したのだ。
この特殊な時代に終止符を打ったのは、ほかでもない、昭和天皇ご自身であった。
昭和21年の年頭詔書は、昭和天皇が人間になったのではなく、大日本帝国皇帝が天皇に戻った宣言である。
そして、五箇条の御誓文に立ち返って日本の皇室の伝統と近代化の融和をやり直す作業は皇太子(今上天皇)に託された。
今上陛下は、典型的な戦後のモダン青年で、英国型の帝王学で訓育されたが、けっして外国かぶれにならず、
打算のない対等の友人関係の中で長所のみをとりいれ、見事にそれを成し遂げられた。
しかも平和と民主主義と経済繁栄という日本が経験したことのない時代に。
一方、かつては昭和天皇や戦後の日本が範とした英国王室だが、伝統と近代化の融和という流れの中で、
無残な現状を呈している。翻って日本の平成皇室の功績は明らかである。
まさに世界に比類のない国の品格と国民統合の象徴であると言えるのではないか。

■サブカル化する平成皇室 森暢平 (成城大学准教授)
雅子妃の療養以後、皇室は大きく変質してしまった。
いや、もっと前に変わっていたのだが、それがだれの目にも明らかになった、と言い換えてもいい。
…こうした時代の皇室は、国民の規範であることが難しくなっている。「私たち」のあるべき姿を皇室が象徴しなくなってしまったためだ。
天皇が何かを象徴した時代の終わりを、私は、あえて「象徴天皇制の終焉」と名づけた。
冒頭で、皇室の変質と言ったが、正確を期せば、皇室を受容する「私たち」の側の変質である。
両陛下と東宮夫妻をめぐる「確執」報道をみても、皇室の変質は実感できる。外交の仕事や個人の暮らしを大事にしたい
東宮夫妻と、それに苦言を呈する両陛下の“対立”の構図。それが、公式な記者会見において、公に露呈してしまう事態は、これまでならあり得ない。
むろん、世代の違いによる意見の相違はいつの時代にも、どこの家庭にもある。
現に、昭和天皇夫妻と、貞明皇后は、考え方の違いから、うまくコミュニケーションがとれなかった時もある。
嫁入り直後の美智子妃にも、嫁姑の確執はあり、それは、さまざまな経路で語られた。
だが、公式な情報伝達チャンネルを通じて伝わることはなかったのである。
これはメディア環境の変化という要因もある。少し前までは、地方への行幸啓を、日の丸をもって大歓迎する地元道府県民の姿は、
新聞、テレビを通じて増幅された。歓迎しない人がいたとしても、それはメインストリームメディアからは黙殺された。
「ないこと」か、あったとしてもごく一部の人たちの行動と受け止めることができたのである。
ところが、現在、ネット上では皇室をめぐりさまざまな言説が繰り広げられている。
地方訪問は「交通渋滞になるだけ」「過剰警備は税金の無駄」という批判から、「諸君!」読者にはとてもお伝えできない「不敬」な語りまで…。
「それはけしからん」という立場もあろう。だが、そうした状況はすでに蔓延しており、いかんともしがたいところまで来てしまっている。
こうした時代に皇室がどう対応するのかは、難しい課題である。現在の在り方を根本的に考えなおさないと、
ある時、一気に瓦解する可能性さえ秘めている。だが、肝心な宮内庁はじめ政府が何も考えていないのが、非常に気にかかる。

■先帝ご不例の夜の慄き 谷部金次郎 (元宮内庁大膳課)
…闘病の最中、ご気分の宜しい時もおありになり、ある日、葛湯をご所望になりました。
その時も私が当番に当たっておりまして、吹上御所へ伺い、お作り致しました。
…その後、お見舞いに訪れた五女の島津貴子さんに
「おいしかった。葛湯の時間は何時だ」と尋ねられたというエピソードが報じられたことを思いだします。
私のような平社員では、なかなか陛下にお目にかかる機会はありませんが、御用邸ではその機会も少しだけあります。
御用邸でご静養されている時は、昭和天皇がとてもリラックスしておられる感じがしました。
つかの間の休息を御用邸で過ごされるのがお楽しみだったようです。
お食事の折、隣の部屋で控えておりますと両陛下の会話が聞こえてまいります。
その日散策なさった時の出来事や、お孫様のお話などお声も弾んでいたのを思い出します。
特に記憶力が優れている陛下は、「去年はまだ花は咲いてなかったのに、今年は咲いているね、少し早いね」
「あそこの木が枯れてしまったね。どうしたのだろう」などと、次から次へと思い出しながら会話をされておられました。
時にはその日にお出しした料理のことなども話題にされ、「これはこんな風にした方が美味しいね」などと仰り
、脇で伺っていて、おおいに参考にさせて頂いたものです。
普段、お好みの味などはお口に出さない方なのでお好みの味を摑むまでは大変でした。
それでも、「今日のはおいしいね」というお言葉を伺うと、小さくガッツポーズしたことを思いだします。
今上陛下が皇太子時代に、御一家お揃いで毎週金曜日の夜、吹上御所へ御参内されるのも、昭和天皇は大変楽しみになさっていました。
浩宮様、礼宮様、紀宮様たちもまだ小さかったので、とてもにぎやかにお食事を楽しまれておられました。
普段のお食事はどちらかというと、とても質素だったと思いますが、お子様もお見えになることから、
もう一品、お子様の好まれるような物を必ずお付けしておりました。
お子様方が小さなお土産などを持参されると、昭和天皇がことのほかお喜びのご様子であることが、もれ聞こえるご家族の会話から想像出来ました。
たまにある食材の献上品などは数回に分けてお使いし、何回もお楽しみ頂けるように工夫をしておりました。
そんな時は、「まだあったの」と、大変お喜びになられました。これも献上された方への心遣いかなと、勉強させられました。
陛下の御前で天ぷらを揚げるということも、しばしばありましたが、体が固まってしまい、上手く揚げることが
できなかったことや、ご飯の釜のスイッチを入れ忘れお待ち頂いたことなども懐かしく思い出されます。 …

■傷ついた心を癒す祈りの力 山内昌之 (東京大学教授)
いまの天皇と皇后は、皇室とは「祈り」であると考えておられるようだ。これは、宮中祭祀が祈りに通じるといった一般的な問題からではない。
悲惨な戦争体験と犠牲者への痛みをもちながら、
現在社会において恵まれない立場に追いやられがちな障害者や孤独な老人など弱者への自然な共感が、
平和への願いをこめた「祈り」という言葉で表されるのだろう。
お二方の特質でいちばん目立つのは、おそらく公私の区別という意識がほとんどないことだろう。
公私がないとは、象徴天皇が法の矩(のり)を越えて政治行為に関わるというレベルの事柄を指すのではない。
公の義務を私の願望よりも自然に優先させる作法が身についておられるということなのだ。
いや、そもそも私の御関心を優先させるという発想そのものがないのであろう。
こうした感性の基礎にあるのは、深い良識と教養の広がりにほかならない。
…天皇と皇后のお二方における私という意識の希薄さは、善き日本人として際立った特質にほかならない。
憲法に定められた象徴天皇としての義務感、長年にわたる祭祀と伝統行事で培われた国民への責任感、
生得の御人格と日常の自覚的な御努力などが渾然一体となって、独特な存在感と挙措がつくられたのであろう。
…多くの人びとがもつお二方に対する敬愛の念は、
自分たち市民には欠けがちな無私を貫くお二方の姿勢に国民として誇りと尊敬心をもっているから自然に湧き起こるのだ。
未来の天皇と皇后になる皇太子ご夫妻にいちばん継承して欲しいのは、この「祈り」の意味と無私の価値なのである。

■「おしまい」派、敗れたり 山下晋司 (元宮内庁報道係・「皇室手帖」編集長)
…宮内庁は「お気持ち」という言葉をよく使うが、「お気持ち」は個人の感情であり、「私」に通ずる。だが、
陛下の「お気持ち」は本当の意味での「私」ではなく、天皇としての「公」から発せられていることは、
今や国民側は重々承知している。宮内庁もその「お気持ち」に頼っている面が多々ある。
しかし、天皇が常にそうだとは限らない。「私」を大きく感じさせたり、信頼できない天皇の場合、国民はそれをどう受け止めるのだろうか。
皇室典範改正論議の際、女性天皇=敬宮殿下、のような目先の話になることを考えれば、
天皇として好ましくないという考えが天皇そのものが不要といった議論になりかねない。
「天皇」を陛下の人格に頼れば頼るほど、天皇制は皇位継承の問題だけでなく、存在自体が困難になると思えてならない。
陛下は三歳でご両親から離されてお育ちになった。その後、ご結婚されてお子さま方と一緒に過ごす「家族」を持ち、
それを大切にされた。昭和時代はまさしくその種の報道が多かった。
しかし、陛下は皇太子時代も、天皇となっても、「公」を重んじ、庶民レベルの「私」はなかったといってもいい。
平成16年5月に皇太子殿下のいわゆる人格否定発言があった。
その年の12月のお誕生日会見で陛下は殿下から発言内容について何回か話を聞いたが、理解しきれないところがあるとおっしゃり、
殿下のいう新しい公務についても無責任でない形で行わなければならないとおっしゃった。
また、「時代に即した公務」が具体的にどのようなものを指すかを示し、
少なくともその方向性を指示して、周囲の協力を得ていくことが大切だとおっしゃった。
公の場でのご発言なので、お話し振りは柔らかく、殿下への気遣いも感じられるが、内容自体は厳しいものである。
こういったご発言が陛下の「公」を重んじる姿勢を皮肉にも証明したのではないだろうか。 …

■絶妙のバランス感覚 八幡和郎 (評論家・徳島文理大学教授)
…こどもたちの歴史教科書でも「邪馬台国」とか「卑弥呼」などが国の始まりのように書いているが、
「日本国家」はそんなものの存在を記憶さえしなかった。
邪馬台国は日本民族がつくり、日本列島のどこかにあったクニかもしれないが、日本国家はその外交も内政も継承していないのだ。
日本国家は、のちに神武天皇と呼ばれる人物が九州からやってきて大和の地に建てた小さなクニが成長してやがて統一国家に発展したのであり、
外交世界への初登場はやはり後世の人が神功皇太后と呼ぶ女性に導かれた朝鮮遠征であって、
それ以降の外交についてのみ、現在の日本国が権利も責任も継承しているのである。
「万世一系」などというと時代錯誤に思う人もいるが、日本国家の歴史が皇室の歴史とイコールだという強固な
正統性に裏付けられた高い安定性を日本国家が持つことは軽いものではないし、歴代天皇は必死の思いでこの正統性を護ってこられたのである。
…今上天皇は即位に際して「日本国憲法の規定に則り」という言葉を使われた。
FIFA日韓ワールドカップに当たっては、桓武天皇の母である高野新笠を通じて百済王室の血を受けているという
「ゆかり発言」が韓国で好感を持って受け取られた。
あるいは沖縄について「島津の血」を引く者として内心忸怩たる思いがあることを語られた。
「君が代」斉唱を強制することへの疑問を投げかけた発言も話題を呼んだ。
こうした一連の姿勢に、違和感を感じる人もいるかも知れないが、
アジア諸国民などの間に存在する皇室に対する反感を和らげるものとして大きな意味を持った。
だが一方で、今上陛下が「祈り」を重視され、伝統的儀式に熱心に取り組まれているのも周知の事実である。
あまり知られていないが、歴代天皇の御位牌がある泉涌寺に代表される皇室との関わりの深い寺院を訪問される
ことも多い。また、被災地への訪問なども好感を持って迎えられているし、公務についてのストイックな姿勢は一貫したものである。
おそらく、陛下ご自身、皇太子としての長い準備期間のなかで、いかなる天皇であるべきか熟慮を重ねられたうえでの、
まさに満を持しての即位であったことにふさわしい立派なお振る舞いというべきであろう。
だが、こうした陛下自身の個人的資質に寄りかかった皇室制度には不安がある。皇位継承問題にしても、
もっと早くからあらゆる状況を想定しての検討と準備をすべきなのに、いきなり具体的な議論に入ったために混迷してしまった。 …

■問題は「象徴性」の欠如 ケネス・ルオフ (ポートランド州立大学助教授)
…皇位は、男子によってのみ継がれる。法の上ではそうだが、現代の皇室には、その制度の維持を可能ならしめる仕掛けが存在しない。
男の嗣子を何人も用意しておくための王子グループが少ない。さらに男子誕生を補佐するための側室、または豊かに枝分かれした皇族がない。
…日本の皇室は、維新いらい一貫して、傷病者を救う慈善事業を支援してきた。だが、その支援は、取り残された
人々を収容する施設を建てるなど、結果的には社会の主流から隔離する方向に向かうものが多かった。
天皇・皇后はそういう人々を、なるべく主流の中へ取り込み、包み込む努力をしたのである。
天皇と皇后は、公務を通じて、何本もの象徴的な糸で国民と結ばれてきた。
ところが皇太子と皇太子妃は、男子皇統を得ないトラウマを抱きつつ、座したまま中年になった。
敢えて皇太子徳仁の「独創性」を探せば、それは史上初だが今日の世間一般の風潮とピタリと一致する行為
――つまり愛子さまを育てる仕事に没頭する父親像を生きたことだろう。
気の毒なことに彼の生活は「男の子が生まれない」という最大問題によって、完全に包摂されてしまったのだろう。
皇太子妃雅子は、宮内庁にいじめられる可哀相な被害者、公務より私生活を優先するエゴイストと、二通りの見方をされてる。
いずれにせよ彼女の象徴性は、天皇家が信念を持って果たしてきた明確な社会的役割とは、似ても似つかぬものである。
皇太子夫妻は、皇族の歴史に自らの存在証明を刻むまでに、あと四十年から五十年かかるだろう。いずれにせよ
彼らが次の天皇・皇后であることは間違いない。
お二人は思い切って、社会的に有意義な仕事に皇太子・皇太子妃としての努力を注ぐ道を決心なさるべきだろう。 …

  • 最終更新:2017-08-05 21:52:38

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