川嶋家の方々のニュース等

川嶋舟さん
(2006年4月)
紀子さま弟結婚
相馬三妙見社の一つとして知られる相馬市の相馬中村神社で29日、
秋篠宮妃紀子さまの弟で東京農大講師、獣医師の川嶋舟(しゅう)さん(32)と、
同神社宮司田代誠信さんの長女で同神社禰宜(ねぎ)の麻紗美さん(26)の結婚報告祭が執り行われた。
好天に恵まれた報告祭には川嶋家から舟さんの両親の辰彦・和代さん夫妻をはじめ、
相馬家第三十三代当主・和胤さんの長男行胤(みちたね)さんや立谷秀清市長ら約70人が出席し、
二人の門出を祝った。関係者によると、2人は3年前、麻紗美さんが相馬野馬追のため、
いわき市の牧場に馬を借りにいったのが縁で舟さんと知り合い、交際をスタート。
舟さんは昨年、一昨年と馬の世話役として、相馬野馬追に参加している。
(※2012年11月 調停離婚)

杉本栄子さん
(2010年)
紀子さまの祖母死去 30日間喪に服される
2010.4.26 16:15
秋篠宮妃紀子さまの祖母、杉本栄子(さかえこ)さんが25日未明、腎不全のため死去した。
94歳。親族で密葬を行う。杉本さんは紀子さまの母、川嶋和代さんの母。
宮内庁によると、紀子さまは30日間、喪に服される。
ブルガリア大使夫妻のご引見など、今週予定していた公務5件をすべて取りやめられる。
http:// sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100426/imp1004261616003-n1.htm


川嶋辰彦さん
(2009年)
タイ山村に簡易水道・トイレ、今年も学習院大ボランティア
2月25日10時19分配信 読売新聞
学習院大学の学生とOBらのグループが、タイ北部の山村で、上下水道整備などの国際ボランティアを毎年行っている。
すでに、八つの村に簡易水道やトイレを設置し、村民の生活支援につなげた。
13年目となる今年は、3月1日に13人が現地に向けて出発する。
この活動は1997年、同大経済学部の川嶋辰彦教授(68)が、国際協力の現場を体験してほしいと、タイ山岳地域に学生を引率したのが始まり。
これまで日本側から延べ196人が参加。
数キロ離れた川まで飲料水をくみに行かなければならなかった村人たちのため、
川から村まで水を運ぶパイプラインを作ったり、岩のように硬い土地を約2メートル掘ってトイレを作ったりしてきた。
現金収入のために養蜂の導入やマンゴーなどの植林も進めている。
今回は、2006年から活動拠点にしている白カレン族の村に8日間滞在し、村に水を通すパイプの修理、
綿の木の植林、焼き畑農業用の防火帯づくりに取り組む。
川嶋教授は「若者らは、教室では教えられない人と人との交流の温かさを実感し、ボランティア活動で大きく成長する」と話している。
最終更新:2月25日10時19分


川嶋舟さん
紀子さまの実弟・川嶋氏が被災地支援陣頭指揮
スポーツ報知 3月21日(月)8時1分配信
秋篠宮妃紀子さま(44)の実弟で、東農大講師の川嶋舟(しゅう)さん(37)が、
震災で被災した妻の地元・福島県相馬市へ支援活動を行っていることが20日、分かった。
川嶋さんは帰省途中に被害に遭ったものの無事で、
救援物資が被災地に十分に届いていない現状を「報道以上に現地は混乱」などと、
ソーシャル・ネットワーキング・サービス「フェイスブック」で報告。
トラックで自ら東京入りして物資を調達、配送する作業の陣頭指揮を執っている。
紀子さまの実弟で、震災で深刻な被害を受けた福島県相馬市に妻子を残している獣医師の川嶋さんが、被災地の支援活動に奔走している。
川嶋さんはマグニチュード9・0の大地震、津波の被害状況をフェイスブックで
「報道以上に現場は混乱」「相馬市には、人口4万人弱のところに原発関連の避難も含め1万以上もの人を受け入れているようです」などと報告した。
東京に住む学習院高等科時代からの親友で、4月の豊島区議選にみんなの党から出馬予定の関谷二葉氏(37)も全面支援。
ブログで「相馬市、南相馬市だけでなく北隣新地町も津波に遭いました」、
必要な物資についても「水 炊き出しのいらないおにぎり 塩 簡易の医薬品…」と、川嶋さんの声を代弁した。
ブログなどによると、川嶋さんは支援物資が相馬市に十分届いてない現状に「届かないから、取りに行く!市長と相談した」と決意。
キャンピングカーと2トントラックを調達し、13日に東京へ。15日に一度、物資を相馬市に持ち帰り、18日に再び東京に向かったという。
20日夕刻には、紙おむつや下着、毛布などを積んだ第3便のトラックが相馬市に到着。
届いた物資を仕分けて市役所の救援物資担当者に預け、市内約10か所の避難所などに
分配されている。相馬市に住む妻・麻紗美さんの父・田代誠信さん(58)によると、
川嶋さんは11日、単身赴任先の東京から麻紗美さんと長女が住む同市に帰省中、被災。
仙台駅から常磐線で相馬駅へ向かう途中、1駅手前の駒ケ嶺駅付近で被害に遭ったが
無事で、誠信さんが宮司を務める「相馬中村神社」へ徒歩で約2時間かけてたどり着いた。
同神社は震災で鳥居などが損傷したが、海岸から約5キロ離れているため、
津波による大きな被害は免れた。川嶋さんは学習院高等科を卒業後、
麻布大―東大大学院で獣医学を専攻。2006年に結婚した。
現在は東農大農学部バイオセラピー学科で講師を務め、獣医師としても活動している。
誠信さんによると、川嶋さんは震災後、紀子さまと連絡を取ることができ、自身と家族の無事を伝えたという。
http:// headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110321-00000001-sph-soci


東日本大震災:「心のケアが大事」 被災地で緊急医療、日田の岩里医師戻る /大分
東日本大震災の被災地の福島県相馬市で緊急医療活動に携わった
日田市の岩里正生医師(54)=医療法人聖陵岩里病院理事長=が戻り、
28日、「心のケアを含め、本当に必要な医療はこれから」と語った。
理学療法士の桑野早苗さん(31)とともに22~26日、避難所を駆け回った。
秋篠宮妃紀子さまの実弟で東京農大講師の川嶋舟(しゅう)獣医師(37)の「医療SOS」に応えた。
岩里医師は紀子さまの父の川嶋辰彦学習院大教授とはカンボジアやタイでの
「海外協力研修プログラム」(GONGOVA)仲間で、舟さんとも十数年来の付き合い。
舟さんは妻の実家の相馬市を訪問中に大震災に遭い、そのまま救援物資活動などを続けている。
医薬品や漢方薬などを持参した岩里医師らは、現地の開業医8人が4人1組で回る避難所10カ所に同行。
「家族を亡くしたショックや避難生活ストレスのため、高血圧患者が多い。放射能を恐れて窓を閉め切り、
暖房で空気が乾燥して脱水症状の患者も目立った」。
特に、桑野さんのマッサージやラジオ体操が大人気だったという。
最後に「避難生活の長期化で、将来の不安に対処するカウンセリングが最も大事」と語った。【楢原義則】
毎日新聞 2011年3月29日 地方版
http:// mainichi.jp/area/oita/news/20110329ddlk44040676000c.html


医療奉仕:日田の医師・岩里さんら、タイで 川嶋名誉教授を支援 /大分
毎日新聞 2月24日(日)15時28分配信
日田市銭渕町の聖陵岩里病院理事長で医師の岩里正生さん(66)と看護師の田坂恭子さん(33)が27日から3月6日まで、タイ北西部で医療奉仕する。
秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大名誉教授の海外協力研修プログラム(GONGOVA)に取り組む学生隊員や村人の健康を支える。
2人が向かうのは古都チェンライ市から車で2時間半の山岳地帯にある白カレン族の居住地、ホエヒンラートナイ村(人口約100人)。
訪問は2年ぶりで「皮膚病や眼疾、マラリアなどが多い。
今回は特に、衛生思想を普及させたい」と話す。
岩里さんはカンボジアの小児病院建設に尽力し、タイやカメルーンでも医療奉仕した。川嶋さんとは古い仲間。
東日本大震災では福島県相馬市に赴いた。相棒の田坂さんは英語が得意で
「村にどんな疾患があり、どういう処置が必要かを見極め、自分の力を試したい」と語る。
川嶋さんは96~10年の間に計42回、タイを訪問。延べ滞在日数は810日を超える。
麻薬栽培が根強く残る「黄金の三角地帯」周辺の少数民族を対象に、換金できる果物や作物の栽培指導、
井戸掘削、簡易トイレ建設、道路整備などを続けている。【楢原義則】
http:// headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130224-00000211-mailo-l44



女性セブン2006年5月?日号
紀子様の弟、舟さんの結婚に当たり、皇后様から大きなバスケットに入ったお花が届けられた。
神社関係者は一同恐縮、感無量。
紀子様も感涙。
その紀子様から麻紗美さんには、手袋、扇子などのセットが贈られた。
結婚の報告に皇居に参内される際に、とのお心配り。
紀子さまの舟さんの結婚式でのご様子、とてもうれしそうで、
妊娠七ヶ月のお体にもかかわらず出席者一人ひとりに頭を下げてお礼を言われた。
当初は美智子さまも出席される予定だったが、警備が物々しくなることを考え、
また紀子さまが気兼ねなくご実家の方に会えるようにと、考えて欠席された。
神田氏
「親族の慶事に皇后の出席が検討されること自体異例」
「美智子さまは、日ごろから皇族としての務めを
立派に果たされる紀子さまに格別の思いを寄せている」。
「欠席なさった美智子さまの思いを紀子さまは汲み取り、さらに嫁姑の絆が深くなった」
舟さん夫妻は披露宴に先立って御所を訪れ、
天皇皇后両陛下にあわれ、両陛下はこころからお祝いの言葉をかけられた。


週刊新潮2011年3月31日号
「大震災」復興の群像
被災した「紀子さま」実弟の「2トントラック」奮戦記
・川嶋さんはその日、妻子の待つ福島県相馬市に帰省途中だった。
目的地の相馬駅まであと2駅の新地駅付近で大震災に見舞われた。
4両編成の車両は津波にのみ込まれ、バラバラに横転。
だが間一髪、乗客8名と乗務員は避難することが出来た。
命拾いした川嶋さんはそれから約2時間歩き続け、妻の実家である相馬中村神社に辿り着いたという。
「安否確認のメールをしたら、震災翌日に無事を伝える返信があり、ホッとしました。
その後、彼がフェイスブックに“現場は報道以上に混乱しており、
支援を取り付けるために動き出した”と投稿しているのを読みました。
すると、彼から電話があり、“2トントラックが手配できた。
東京に向かうので、救援物資を調達しておいてくれないか”と頼んできたんですよ」
(学習院高等科時代の同級生)
「学習院の同級生を中心に声をかけ、お米、粉ミルク、紙おむつなどを大量に集めました。
彼は、他の救援スタッフと一緒に13日の夕方には2トントラックとキャンピングカー2台で
相馬を出発していました。都内の数カ所で救援物資を調達していたようで、
私たちの所に到着したときは15日の昼過ぎになっていた。
運転を交代しながら、東北自動車道を5、6時間かけて走ってきたそうです。
ガソリン不足は深刻だと言っていました。荷物を詰めるとすぐに相馬に引き返していきましたね」
(前出・学習院高等科時代の同級生)
川嶋さんが集めた救援物資は、相馬市の担当者に引き継がれ、市内11カ所の避難所に
身を寄せている被災者のもとに届けられたという。
「やはり、紀子さまの弟ですし、仮に将来、悠仁さまが天皇になられると、
その叔父にあたるわけですから、あまり目立ちたくないようです。
ただ、本人としては相馬のためにできることを純粋な気持ちでやっているだけだと話していました。
すでに紀子さまには家族全員の無事を伝えることが出来たみたいですよ」(別の友人)
救援物資調達が一段落すると、川嶋さんは被災者の身の回りの世話をするボランティアとして活動しているそうだ。


女性セブン2011年4月21日号
「こんなにも大変な時期で多くの人が苦しんでおられるのだから少しでも役立つことをしたい、と」
そう話すのは紀子様の弟、川嶋舟さんの妻麻紗美さん。
舟さんは東京農業大学の講師を務めているため単身赴任。3月11日は電車内で被災。
相馬の惨状に被災者支援を思う。3月13日支援物資調達のため相馬を出発翌朝東京着。
「川嶋君の顔は疲労困憊で、生きててよかったと思わず涙が出るほど。顔色は悪かったが一切無駄口も叩かず、
黙々と救援物資を積み、そのままとんぼ返りで相馬へ。(学習院時代からの友人・関谷ふたば氏)
途中2カ所で物資を受け取り翌朝、相馬市役所の担当者へ届ける。
その後も何度も相馬と東京を行き来して支援活動を続け、Facebookで報告している。
舟くんは救援物資の調達だけではなく長期的な視野に立った支援もしてくれている。
そのひとつが"子ども文庫"。東京から持ってきた子供用の本を相馬中村神社内に設置。
また被災者のために動物介在療法を提案。その必要性に仮設住宅ではペットを飼うことを許可。
(かねてより親交のある立谷英清・相馬市長)
紀子様は舟さんと数日連絡が取れず、また被災地の状況に心を痛められた。(川嶋家知人)


「村人から学ぶ」タイで支援18年 紀子さま父・川嶋さん発案、養蜂復活
2015年3月5日16時30分
タイ北部の山岳少数民族の村に20年近く通って、
土木作業や養蜂技術の指導に汗を流すボランティアグループがある。
率いるのは秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大名誉教授(74)。今年も先月、現地入りした。
「与えるのではなく、村人から学ぶ」姿勢に徹した支援は、互いの言語を学び合う活動へと広がっている。
NPO法人「草の根国際協力研修プログラム」の頭文字から「GONGOVA」(ゴンゴバ)と呼ぶ活動。
1997年に学習院大の課外活動プログラムとして川嶋さんが始めた。
当初は研究室の学生や卒業生が中心だったが、2011年の退任後は、参加者は全国へ広がり、
今回は東京、大阪、埼玉、山口、沖縄などから15人が参加。2月20日に日本を発って、現地に入った。
活動先は数十人から100人前後が自給自足で暮らすカレン族の村落。
川嶋さんがトレッキングでタイを訪れた際、ガイドから水くみが大変だという話を聞いたのがきっかけだった。
村の技術を使い、村人とともに、村に水洗トイレを整備し、共同の給水施設を造る。
校舎の建設や太陽光パネルの設置もする。
地元で途絶えていた養蜂も東洋ミツバチの導入と技術指導で復活させ、主要産業の一つに育てた。
資金は日本での募金で集め、資材は主にタイで調達して村人に工賃や食費を払う形で、
18年間に10村以上で活動してきた。
活動拠点の一つホエヒンラートナイ村に滞在して5年になる川嶋研究室出身の富田育磨さん(42)は
「村の生活と村人の意欲を徹底して尊重して、村の技術を使って村人と一緒に進める。
だから喜ばれ、継続するのでは」と話す。
この1、2年は村人の間で日本語学習熱が高まり、富田さんが夜、村の長老の家などで
村人に漢字や仮名を教えるようになった。今では会話ができる人も数人いるという。
参加する日本の学生にも現地語である白カレン語の習得を目指す人が増え、互いに学び合っている。
「言葉を学ぶということは、相手をより深く知りたいという思いの発露。
活動が受け入れられてきた成果でしょう」と富田さん。
昨年参加して白カレン語を学び、今回も参加している東京女子大2年の塩原佑実さん(19)は
「現地の言葉で話すことで村人がより身近になる。
ゴンゴバに参加して、どこに住んでいても人は皆同じなんだと実感しました」という。
下準備や引率で毎年数回現地入りし「タツ」の愛称で村人や学生に親しまれている川嶋さんは
「ともに喜び合うボランティア。ぼくらが学ぶチャンスを村にいただいています」と話す。(斎藤智子)
■「大学発」の先駆け
<放送大学の「国際ボランティアの世紀」という講座でゴンゴバの活動も紹介している山田恒夫・同大教授の話> 
約10年前から現地での活動を数回視察してきたが、衛生状態の改善から始まって生活環境の整備、
産業の育成、さらに語学や文化交流まで、村のニーズの変化をよく把握し20年近く続けている点で
特筆すべき活動だ。日本語熱の高まりは、支援が村人にとてもよく受け入れられてきた証しで、
国際ボランティア団体としては未踏の領域に入っている。
「大学発」の国際ボランティアの先駆けであり、経験は非常に貴重だ。
http:/ /www.asahi.com/articles/DA3S11634981.html


「稲作と米食が日本文化の源」歯止めかからぬ「和食」離れ 運動体旗揚げ続々
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて12月4日で3年目に入った。
しかし、日本人の食生活は一向に「和」に回帰せず、西洋化まっしぐら。
そんな状況を憂い、打開するため、今年に入って相次いで2つの運動組織が立ち上がった。
新嘗祭の翌日、11月24日が「和食の日」と認定されて2年目となったこともあり、
ようやく全国的な運動へと盛り上がりを見せ始めている。
東京・渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで10日、
一般社団法人日本食文化会議(事務局・東京)が設立総会を開いた。出席者約250人。
秋篠宮妃紀子さまの弟で東京農業大学准教授の川嶋舟(しゅう)氏、
作家・憲法学者の竹田恒泰(つねやす)氏、冷泉家25代当主婦人の冷泉貴実子(きみこ)氏、
料理評論家の服部幸應(ゆきお)氏ら多数の著名人が訪れ、旗揚げにエールを送った。
(略)
2015.12.11 18:28 産経新聞
http:// www.sankei.com/west/news/151211/wst1512110072-n1.html


  • 最終更新:2017-02-18 19:23:57

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