寛仁親王家廃止

ご逝去から100日…寛仁親王家に前代未聞の”跡目争い”
女性自身 9月21日(金)8時17分配信
“ヒゲの殿下”の愛称で親しまれた三笠宮の寛仁さまが逝去されてから100日目となる9月13日、
東京都文京区の豊島岡墓地で『墓所百日祭の儀』が行われた。
参列された方々は、それぞれ思い思いに故人を偲ばれた。
だが、寛仁親王妃である信子さまは今回も欠席された。
信子さまは、これまで寛仁さまの葬儀関連行事にはいっさい参加されていないという。
信子さまとご家族の断絶状態は、寛仁さまが逝去されたいまも続いていており、
それに加え、寛仁さまが当主だった寛仁親王家では、前代未聞のお家騒動も勃発しているというのだ。
「当主が薨去してから100日もたつのに、次期当主がいまだに決まらないのです。
10年前、寛仁さまの弟・憲仁さまが薨去しました。
憲仁さまは高円宮家の当主でしたが、薨去から約3週間後には妻の久子さまが一代限りの当主になられたのです」(宮内庁関係者)
当主のご逝去により、その妻が宮家を継がれるのは、故・秩父宮妃勢津子さま、
故・高松宮妃喜久子さまに続いて久子さまが3人目だった。
戦後は、宮家に跡継ぎとなる男子皇族がいない場合、慣例で妻が当主となってきた。
寛仁親王家の場合は信子さまがその立場にあたるが……。
「’04年以来8年間も信子さまは、ご体調不良を理由にいっさいのご公務や、皇室内の交際から離れられています。
そのため、寛仁さまの葬儀も長女・彬子さまが喪主を務められました。
宮内庁としては、信子さまのご療養が今後も続くようであれば、彬子さまに当主になっていただいても、というスタンスだったのです。
未婚の女性皇族が一代限りとはいえ、宮家の当主になるのは初めてのことですが、特例として認める方向でした」(前出・宮内庁関係者)
しかし、いまだに彬子さまの当主就任は報じられていない。三笠宮家に近い人物はこう話す。
「彬子さまはオックスフォード大学で博士号を取得した才媛でもありますし、
亡き寛仁さまも”彬子を跡継ぎに”とおっしゃっていたというのです。
彬子さまご本人にも妹の瑶子さまにも異存はないそうですが、
病気療養中の信子さまがたった一人で反対され続けているのです。
ご家族で話し合いの場ももたれたと伺いましたが、意見は平行線をたどるばかりだとか……」
“夫の死にも立ち会わせてもらえなかった”、その憤りが信子さまに、娘の当主就任をかたくなに拒ませていらっしゃるのだろうか。
恩讐を越えて、ご家族が和解する日はーー。
http:// zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120921-00000301-jisin-soci


週刊ポスト2012年12月14日号
「ヒゲの殿下」寛仁親王家で誰が当主になるか現在未定の事態
2012.12.03 07:00
「ヒゲの殿下」として親しまれてきた寬仁親王が6月6日に薨去されてから半年がたった。
この間、遺された寬仁親王家をめぐって、前代未聞の事態が続いている。
宮内庁が提出した来年度の歳出概算要求書。そこには今年度の皇室費の予算と来年度の予算要求額がまとめられている。
それによると、今年度の皇族費(*注)は2億9127万5000円だったのに対し、
来年度の要求額は2億6077万5000円。3050万円のマイナスになっている。 
元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司氏がいう。
「今年、寬仁親王殿下が薨去されたので、皇族費は減額されました。しかし本来なら減額分はその半分の1525万円だったはずなのです」
このことが、親王家が極めて異例の状態にあることを示しているのだが、
それを理解するうえでまず皇族費の説明をしておこう。
皇室の財政・財務について定める皇族経済法によれば、独立した生計を営む親王、
つまり宮家の当主などに対しては毎年、皇族費の定額相当額である3050万円が支払われる。
また、親王の妃にはその2分の1の1525万円、未成年の内親王には10分の1の305万円が支出されると定められている。
さらに同法には、次のような一文がある。
〈夫を失って独立の生計を営む親王妃に対しては、定額相当額の金額とする〉
つまり、親王が亡くなられた後も、引き続き侍女(お手伝いをする女性)を雇う必要があるなど、
一家の維持費はあまり減らないという事情を配慮して、妃の規定である年額1525万円を倍増させようという規定だ。
それらに従うと、寬仁親王家のケースは次のようになるはずだった。
まずは親王が亡くなられたので3050万円が減額される。一方、寬仁親王の妻である信子妃は
これまで1525万円だったのだが、3050万円に増額される。差し引き1525万円のマイナスだ。
これが、前出の山下氏が指摘した本来の数字というわけだ。
「にもかかわらず、3050万円減となっているのは、信子妃殿下に3050万円を支出する手続きが
取られていないことを意味します。つまり、誰が当主になるのか、まだ決まっていないということです」(同前)

【*注】皇族費/皇室経済法によって定められる。皇室費のなかでも、天皇及び内廷皇族以外の皇族
(宮家など)に対して支出される費用。
皇族としての品位保持の資に充てるための年額や、皇族が初めて独立の生計を営む際の一時金、
皇族が皇籍を離脱する際の一時金がある。
※週刊ポスト2012年12月14日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20121203_158115.html


寛仁さまご一家3人、三笠宮家に合流へ
寛仁さまご一家の信子さま、長女彬子さま(31)、次女瑶子さま(29)の3人が、
三笠宮家に合流される方向となった。
宮内庁が近く発表する。寛仁さまの逝去から1年たつが、ご一家の当主が決まらない状況だった。
寛仁さまは三笠宮を継承するため宮号を受けずに独立した生計を立ててきた。
通例であれば信子さまが当主となるが療養中で、寛仁さまの葬儀では彬子さまが喪主を務められていた。
宮内庁関係者によると、今後、寛仁さまご一家を独立した宮家とせず、三笠宮家としてお世話するという。
ただ、それぞれのお住まいや職員などは現状のままとする。
当主を巡っては、同庁の風岡典之長官が5月23日の記者会見で、
「皇族の身分に関することが長期にわたって曖昧な形なのは望ましくない」と述べていた。
(2013年6月6日08時48分 読売新聞)
http:// www.yomiuri.co.jp/national/news/20130605-OYT1T01582.htm

寛仁親王家廃止、5宮家に=ご一家、三笠宮家でお世話-宮内庁
三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが昨年亡くなられたことを受け、
宮内庁は10日、寛仁親王家を廃止とする方針を決めた。近く発表する。
同妃信子さま(58)、長女彬子(あきこ)さま(31)、次女瑶子さま(29)のご一家を
独立した宮家とはせずに、三笠宮さま(97)を当主とする三笠宮家の一員としてお世話をするという。
これにより、天皇、皇后両陛下、皇太子ご一家以外で、独立して一家をなす皇族家である宮家の数は、
秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、桂宮家、高円宮家の5宮家となる。
寛仁さまは三笠宮家の長男として、将来同家を継ぐ考えから、新たに宮号を受けず、
寛仁親王家として独立した生計を営んできた。寛仁さまが亡くなってから1年がたったが、
ご一家の間で当主が決まらない状態が続いていた。(2013/06/10-13:10)
http:// www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2013061000367

<寛仁親王邸>呼称「三笠宮東邸」に
毎日新聞 2013年07月31日 02時32分(最終更新 07月31日 10時30分)
宮内庁は、昨年6月に寛仁(ともひと)親王殿下が亡くなられて寛仁親王家が三笠宮家に合流したことに伴い、
「寛仁親王邸」としていた赤坂御用地(東京都港区)の宮邸の呼称を「三笠宮東邸」とすることを決めた。
寛仁さまの両親の三笠宮ご夫妻が住む「三笠宮邸」の東側に位置することから決めた。
当主が決まらない状態が続いていたが、今年6月、1年前にさかのぼって合流することが決まった。
寛仁親王妃信子さまは療養中で、長女彬子(あきこ)さまは研究活動のため京都で過ごすことが多く、
宮邸には次女瑶子さまが暮らす。ある宮内庁関係者は「やむを得ないことではあるが、
寛仁親王家の呼称が変わるのはやはり寂しい」と話した。【真鍋光之】
http:// mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20130731k0000m040120000c.html

寛仁親王家、三笠宮家入り 宮内庁発表 関係の皇族方が合意
2013.6.10 23:56 [皇室]
宮内庁は10日、昨年6月に薨去(こうきょ)した三笠宮家の長男、寛仁(ともひと)親王殿下が
当主を務められていた寛仁親王家を存続させないことが、関係する皇族方の合意で決まったと発表した。
寛仁親王家の寛仁親王妃信子さま、長女の彬子(あきこ)さま、次女の瑶子(ようこ)さまは
薨去時点にさかのぼって、三笠宮さまを当主とする三笠宮家に入られた。
戦後の宮家では妃殿下が当主を引き継いできたが、寛仁親王家では、信子さまがストレス性ぜんそくなどで
ご療養中で、当主不在の状態が続いていた。宮内庁の山本信一郎次長は「新しいご当主を立てて存続という
選択肢もあったが、妃殿下のご療養もあるので現実的ではないという判断」と説明した。
それぞれのお住まいや国から支出される生活経費「皇族費」の額に変更はないという。
これで天皇、皇后両陛下、皇太子ご夫妻以外で独立して生計を立てられているのは、
秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、桂宮家、高円宮家の5宮家となった。
寛仁親王殿下はご結婚で独立した生計を立てられていたが、将来、三笠宮家を継ぐために「宮号」はお受けになっていなかった。
http:// sankei.jp.msn.com/life/news/130610/imp13061023570005-n1.htm


  • 最終更新:2017-07-23 16:12:16

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