宮内庁は敵!

女性自身2013年3月19日号
雅子さま「宮内庁は私の敵!」不満<爆発>長官と「面会拒否3カ月」
昨年12月そして今年2月と、雅子さまは宮内庁長官からのお祝いを受けられなかった。
職員たちも憂慮する関係にいたるまでには、積み重なる不信があった―

皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは言う。
「発端は3カ月前。昨年12月9日の雅子さま49歳のお誕生日にさかのぼります。
この日、雅子さまは愛子さまとご一緒に御所へ参内されて、天皇皇后両陛下に誕生日の挨拶をされました。
ブルーのドレスをお召しになった雅子さまは、愛子さまとご一緒に、沿道の人々へ、にこやかに手を振られていました。
さらに夜は、東宮御所に両陛下や秋篠宮ご夫妻をお招きにして夕食会を開催されたのです。しかし…」
お誕生日当日には、宮内庁長官や次長ら宮内庁幹部たちからのお祝いの言葉を受ける恒例行事「祝賀」も行われる。
「長官が代表して、『お誕生日おめでとうございます』よいったお祝いの挨拶を述べ、
『祝ってくれてどうもありがとう』とご返答する形式で、長くても数分といったものです」(宮内庁関係者)
祝賀の席には例年のように皇太子さまとお二人で臨まれる予定だったが、
お誕生日を迎えられた雅子さまご本人はいらっしゃらず、皇太子さまがお一人で対応されたのだという。
雅子さまが宮内庁長官らのお祝いの言葉を受けられなかったことは“異例のこと”と報じられた。
数日後の定例記者会見では、当事者である風岡典之宮内庁長官が、雅子さまのご欠席の理由について、
「(妃殿下の)お体の具合とか、時間のセットの関係などもあるので、そういう取扱いになることもやむをえないかと思います…」
と語ったが、口調は歯切れが悪かったという。
さらに2ヶ月半後の2月23日、皇太子さまが53歳の誕生日を迎えられ、祝賀のために、宮内庁長官らが東宮御所に参内した。
「しかし、この日も雅子さまはお出ましになられなかったのです。
ご体調不良との理由でした。雅子さまは数日前に“お風邪気味”と発表されていました。
宮内庁長官たちは、2回連続で雅子さまから“面会拒否”されたのです。
こうした前代未聞の事態に「そこまで妃殿下の(長官らに対する)ご不信は強いのか…」と、語る職員もいました」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまがわずか数分間で終わる祝賀の席に臨まれなかったのは、
宮内庁内でも“宮内庁長官たちのお顔を見たくなかったから”と、認識されているという。

■ご心痛だった校外学習への批判
なぜ雅子さまは、長官らにそれほどまでに強いご不信を抱かれているのか。
雅子さまの古くからの知人は次のように明かす。
「もともと雅子さまは、身の回りのお世話をする東宮職員をはじめ、周囲の人々にとてもこまやかに気配りをされていました。
民間からお輿入れされ、宮中の慣習にもなじもうと努力されていましたから、必要以上に気遣いされることもあったのでしょう。
あるとき、『私の周囲では、たくさんの人たちが働いてくれている。それだけに、
いろいろ気を使うことも多くて大変に思うこともあるのです…』と、疲れたようにおっしゃったことがあり、そのお言葉が非常に印象的でした」
そんな雅子さまのご心境に大きな変化を起こす事件があった。‘99年12月の稽留流産である。
前出の知人は続ける。
「手術の20日前には朝日新聞が、ご懐妊の兆候があることを報じていました。
宮内庁内でもごく限られた人間しか知りえない情報が“流出”していたのです。
もちろんご流産そのものもショックでいらっしゃいましたが、雅子さまは、ご懐妊情報の流出にも打ちのめされたのです」
当時、宮内庁内でも流出元が取り沙汰されたが、宮内庁の最高幹部の一人だという噂もあった。
「雅子さまはふさぎこまれ、それまで親しくお話しされていた職員ですら遠ざけるようになりました…。
『たとえ側近でも信用することはできない」、そう思いこまれるようになられたのです」
さらに、その後も雅子さはのご不信を募らせる事態は続いた。
松崎敏弥さんは言う。
「天皇陛下が愛子さまとお会いになる回数が少ないことを明かされたことがありました。
その後、羽毛田信吾前長官が「愛子さまのご参内の回数は増えていない。(皇太子殿下は)
発言されたからには実行を伴っていただきたい」と、記者会見の場で苦言を呈したのです。
ご家族の問題を会見で公にしたわけで、私も“羽毛田長官は皇太子ご一家に対して厳しい”という印象を受けました。
また皇太子さまや雅子さまの健康診断がきちんと実施されていないことを指摘し、
皇太子ご夫妻の健康問題のために『両陛下に心配をおかけしてしまった」と発言したこともあります。
前長官の発言は天皇皇后両陛下と皇太子ご夫妻のご関係にまで深く踏み込んだものも多かったのです。
雅子さまからすれば、『皇族を守るための組織である宮内庁のトップが、なぜ私たちを批判するのか』
と思われることもあったのでしょう」
極め付きは‘11年9月の愛子さまの山中湖校外学習に関する発言だった。
雅子さまが現地のお付き添いしたことに関して、羽毛田前長官は、
「通常の校外学習でない姿になっていることは心配」、また小町恭士東宮大夫も「正常な状態とは思っていない」と語ったのだ。
前出の雅子さまの知人は言う。
「雅子さまは、3カ月後のお誕生日に発表されたご感想でも、この山中湖の校外学習についてふれていらっしゃいます。
その文面からは“長官も東宮大夫も、愛子を守ろうとしている私の気持ちを理解していない”という思いがにじみ出ています。
3カ月たっても忘れることができないほど、雅子さまにとっては傷心な出来事だったのです。
この事件を境に「宮内庁は敵…」と、考えるようになられたようです」
宮内庁長官との連続“面会拒否”は不信が“爆発”したものだという。

■期待のオランダご訪問も…
小町東宮大夫は、皇太子ご一家のご公務と生活を支える東宮職のトップであり、いわば
“側近ナンバーワン”という立場。だが雅子さまとは、まったくお話ができない異常状態が続いているという。
東宮大夫本人は否定しているが、最近も「もう東宮大夫を辞めたい」と知人に辞意をもらしたとの週刊誌報道もあった。
「羽毛田さんは昨年6月に退任しましたが、後任の風岡長官は羽毛田さんの下で宮内庁次長として
7年間働いていました。雅子さまからすれば風岡長も“前長官同様、私たち家族に批判的な人物”ということなのでしょう」(前出の宮内庁関係者)
雅子さまと宮内庁幹部たちとの冷戦状態について、立教大学教授で精神科医の香山リカさんは語る。
「私は、適応障害やうつ病の方には、“職場や家庭であなたの味方になってくれる人を増やしましょう”
と勧めています。治療のためには、家族や職場の人々が病気のことを理解し、
チームになって支えていくことが必要ですが、雅子さまの場合は、それが皇太子さま、
愛子さま、主治医、実家のご家族と、とても限定されている印象です。
ご病気の性質上、“自分の個人的な情報をもらしているのではないか”など、疑心暗鬼に
とらわれがちになることもあると思います。残念ながらこのような周囲との関係が冷えている状況は、
雅子さまのご治療にとっても妨げになるばかりです」
現在、雅子さまのご公務復帰へのきっかけになるのでは、と期待されているのが4月末のオランダご訪問だ。
ベアトリクス女王の退位にともなう新国王が即位する式典には、皇太子さまが招待される可能性が高いという。
オランダは7年前に皇太子ご一家が静養された地であり、雅子さまの父・小和田恒さん、
母・優美子さんも滞在している。また小町東宮大夫も駐オランダ大使を務めていた。
そうしたさまざまな条件から“雅子さまの海外ご公務復帰の地としてふさわしい”と報じられてきた。
しかし、ある外務省職員によれば、
「2月下旬に外務省欧州局の担当者が宮内庁職員に『雅子さまはオランダを訪問されるのか?外務省としても、
もろもろ準備も必要なので教えてほしい』と内々に依頼したのです。
しかしその返答は『皇太子殿下は訪問されるが、妃殿下は訪問されないので、
妃殿下のご準備は必要ない』といったものだったそうです」
松崎敏弥さんは嘆息する。
「宮内庁としては、“妃殿下が現地でお倒れにでもなったら”という懸念もあるでしょうし、
雅子さまが“病気療養中のプリンセス”として欧州のメディアから注目されることも心配しているようです。
雅子さまも、宮内庁が海外ご公務復帰に消極的なことを感じられて、『オランダへは行きません』と、おっしゃっているのでしょうか…」
雅子さまと宮内庁長官たちとの“冷戦”に、春の訪れはまだまだ遠そうだ。

  • 最終更新:2017-04-09 11:36:05

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