天皇誕生日 平成29年

天皇陛下84歳「残された日々、務め果たす」
2017年12月23日
天皇陛下は23日、84歳の誕生日を迎えられた。
これに先立って皇居・宮殿で記者会見し、2019年4月30日に決まった退位を念頭に
「残された日々、象徴としての務めを果たしながら次の時代への継承に向けた準備を行っていきたい」
との考えを示された。
退位を実現する特例法の成立、退位日程の正式決定の後、陛下が公の場で発言されたのは初めて。
この1年を振り返る中で、「多くの人々が各々おのおのの立場で考え、
努力してきてくれたことを心から感謝しています」と述べられた。
陛下の初孫で、秋篠宮家の長女、眞子まこさま(26)と大学時代の同級生、小室圭さん(26)との婚約が内定し、
来年11月に結婚することについて、「大変喜ばしく、2人の幸せを願っています」と祝福された。
宮内庁は22日に閣議決定した来年度予算案で、代替わりに備える経費計35億6000万円を計上した。
新体制を支える人員として、新天皇となる皇太子さまのご一家を支える東宮職の侍従や女官らを計5人、
皇嗣こうしとなる秋篠宮さまのご一家を支える職員を計12人、それぞれ増やす。
来年度から経験を積ませて円滑な代替わりを目指す。
http:// www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20171222-OYT1T50114.html

2017.12.23 05:00
【天皇陛下84歳】「次の時代への継承に向け準備」 
天皇陛下は23日、84歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、
平成31年4月30日と決まった譲位までの間、「象徴としての務めを果たしながら、
次の時代への継承に向けた準備」を行うとの考えを示された。
皇室会議を経て、8日の閣議で譲位日を定めた政令が決定して以降、
陛下が自らの譲位について公に述べられたのは初めて。
陛下は宮内記者会が事前に提出した質問に対し、約12分間にわたり、用意した原稿を読み上げる形で臨まれた。
この中で陛下は「期日が決定した私の譲位について」と切り出し、
「これまで多くの人々が各々の立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています」と述べ、
昨年8月のビデオメッセージで譲位の意向を示した後、約1年4カ月でその道筋がついたことに謝意を示された。
譲位までの今後の過ごし方については「残された日々、象徴としての務めを果たしながら、
次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたい」とご言及。
宮内庁が陛下の体調に配慮し、譲位前から皇太子さまが代理を務められる形も模索する中、
陛下は譲位日まで公務を全うする意向を表明された。
新天皇となる皇太子さまへの公務の引き継ぎなど、スムーズな継承に努める考えも示された。
http:// www.sankei.com/life/news/171223/lif1712230007-n1.html


2017.12.23 05:00
【天皇陛下84歳】お言葉から振り返る象徴として歩まれた日々
天皇陛下は毎年12月23日の誕生日に合わせ、記者会見や文書を通じて、1年の所感を示されてきた。
即位や終戦から数えて節目の年には、象徴天皇の在り方や先の大戦への思いなども述べられている。
陛下のお言葉から、象徴として歩まれた日々を振り返る。

【象徴天皇】国と国民のために尽くす
日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。
この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、
国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています(平成10年、65歳の誕生日会見)
昭和64年1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、天皇陛下は即位された。
22年に現憲法が施行されるまで、明治憲法に定められた「神聖不可侵」な存在だった昭和天皇とは異なり、
陛下は即位時から「象徴天皇」としての歩みを始められた。
現憲法は天皇が行うべきことを「国事行為」として明文化している。
一方で陛下は、国事行為に含まれない戦没者慰霊や、先の大戦の犠牲者に祈りをささげる旅をはじめとする活動で、国民に心を寄せ続けてこられた。
「象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています」。
ご結婚50年の節目に行われた会見(平成21年)でも、象徴としてのあるべき姿を模索し続ける姿勢を示されている。

【慰霊】日本の将来に大切なこと
年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、
考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います(平成27年、82歳の誕生日会見)
昭和20年8月15日、学習院初等科に通っていた天皇陛下は疎開先の日光で終戦の日を迎えられた。
「戦後、日光の疎開先から焼野原の中にトタンの家の建つ東京に戻ってみた状況は、
現在の東京からは、とても考えられないものでした」。
平成5年、60歳の誕生日会見ではこのように当時を振り返り、25年の80歳の誕生日会見でも
「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と、戦争犠牲者への哀悼を示されている。
6年、東京都の小笠原諸島にある先の大戦の激戦地、硫黄島への訪問を皮切りに、天皇、皇后両陛下は慰霊の旅を始められた。
戦後50年の7年には広島、長崎の両被爆地と沖縄県へ。犠牲者への思いは国内にとどまらず、
17年のサイパン島、27年のパラオ、28年のフィリピンと、海外へも広がった。

【被災地】連帯感を持って助け合い
震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、
被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、
決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、
そのことを非常に心強く思いました(平成23年、78歳の誕生日に寄せたご感想)
23年3月11日に発生した東日本大震災。天皇陛下は皇后さまとともに、3月末から7週連続で東北などの被災地や避難所を見舞われた。
この年の誕生日に公表されたご感想では、被災者同士の助け合いや、ボランティアによる支援を「心強いこと」とご指摘。
「日本人全体がこの震災に向き合い、被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています」と国民間の連帯に希望を見いだされた。
平成は大きな自然災害が相次いだ時代だった。陛下は災害が起こればすぐに被害状況を確認し、
救助や復興を妨げないように配慮しながら、可能な限り早い時期にお見舞いに向かわれた。
避難所に赴くと床に膝をついて被災者を励まし、救助や復旧に当たる関係者にもねぎらいの声をかけてこられた。
こうした被災地へのご慰問は、平成の皇室を象徴するスタイルとして確立した。

【障害者】スポーツとして認知に感慨
脊髄損傷者の治療として英国で始められた身体障害者スポーツが、
今日ではすっかりスポーツとして認められるようになったことに感慨を覚えます(平成24年、79歳の誕生日会見)
この年の夏、英国ロンドンで開かれたパラリンピックでは日本選手が数多くのメダルを獲得した。
天皇、皇后両陛下は出場した選手らを宮殿に招いて茶会を催し、ねぎらわれた。
天皇陛下は誕生日会見でも言及し、選手らの活躍をたたえられた。
昭和39年、東京で開かれたパラリンピックでは、皇太子同妃だった両陛下が連日、試合を観戦された。
大会後、陛下は東宮御所に関係者を招き「国内でも毎年、続いて行えればいいですね」と述べられたという。
翌40年に始まった「全国身体障害者スポーツ大会」は、名称を変えて現在も毎年開催されている。
12月の障害者週間には、障害者の就労を支援する施設などに足を運ばれている両陛下。
今年も、障害のある社員が百貨店で贈答品に付けるリボンや包装用の袋を作製する様子を視察された。「共生社会」への思いを行動で示されている。

【国際親善】戴冠式での経験懐かしく
この行事には、各国の君主が招待されましたが、戴冠式とこの度の60周年のお祝いに重ねて出席できたのは
ベルギーの国王陛下と私の二人で、戴冠式の時は18歳と19歳でした。
若くして臨んだ戴冠式での様々な経験が懐かしく思い起こされます(平成24年、79歳の誕生日会見)
天皇、皇后両陛下はこの年の5月16~20日、エリザベス女王の在位60年を記念する行事に出席するため、英国を訪問された。
天皇陛下は2月の心臓手術後約3カ月での海外訪問となったが、ロンドン郊外のウィンザー城で開かれた女王主催の昼食会に元気なお姿で出席し、
各国の王族らと旧交を温められた。
エリザベス女王の戴冠式が行われた1953(昭和28)年6月、陛下は昭和天皇の名代として出席し、
その機会に欧米諸国を歴訪された。各国王族と交流を深め、国際親善の経験を積まれる原点となった。
即位後は、平成3年のタイ・マレーシア・インドネシアから始まり、4年には天皇として史上初めて中国をご訪問。
今年も2月末~3月初旬にベトナムを公式訪問された。両陛下が訪れた国は、皇太子同妃時代の訪問や立ち寄られたのみの訪問も含め、58カ国に上る。

【ご家族】安らぎ覚え役割果たそうと
天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています(平成25年、80歳の誕生日会見)
天皇、皇后両陛下は昭和34年4月10日に結婚された。32年夏、軽井沢での親善テニストーナメントが出会いのきっかけとなり、
皇后さまは、初の民間出身の皇太子妃として皇室に入られた。
ご結婚翌年の35年2月、皇太子さまがご誕生。40年11月には秋篠宮さまが、44年4月には黒田清子さんがお生まれになった。
両陛下はそれまでの皇室の慣例を改め、ご自身のそばでお子さま方を育てられた。背景には昭和天皇と香淳皇后の理解があったといわれている。
天皇陛下は平成11年の誕生日に寄せた文書で、「実際に家族と生活を共にすることによって、
幾らかでも人々やその家族に対する理解を深めることができたと思います」とも述べられている。
両陛下が築かれた新たな家族のあり方は、皇室と国民との距離を縮めることにもつながった。
http:// www.sankei.com/life/news/171223/lif1712230014-n1.html


2017.12.23 12:00
【天皇陛下84歳】「皆さんの祝意に深く感謝」 一般参賀、平成で最多
天皇陛下の84歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われた。陛下は午前10時20分ごろ、
皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さまとともに、宮殿・長和殿のベランダに並んで立ち、
参賀者に笑顔で手を振って応えられた。
陛下はマイクを通じ、「晴れ渡った空の下、誕生日に当たり、皆さんの祝意に深く感謝いたします」と
謝意を述べた上で、「この一年もさまざまな出来事がありました。寒さに向かう今日(こんにち)、
台風や豪雨により被害を受けた地域の人々、また、東日本大震災など過去の災害により、
いまだ不自由な生活を送っている人々のことを深く案じています。今年もあとわずかとなりました。
来(きた)る年が国民皆にとり、少しでも穏やかな年となるよう願っています」とあいさつをされた。
宮内庁によると、午前中の参賀者だけで4万5900人となり、平成に入り最多となった。
陛下が譲位の意向を示したビデオメッセージを公表された後の昨年の参賀者は、午後の記帳者を含め3万8588人だった。
この日は朝から宮殿や御所で祝賀行事が続き、夕方に孫の敬宮愛子さま、悠仁さまが御所を訪れ、
お祝いのごあいさつ。夜には皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻が御所に集まり、
天皇、皇后両陛下と夕食を囲まれる。
http:// www.sankei.com/life/news/171223/lif1712230035-n1.html

2017.12.23 14:07
【天皇陛下84歳】「平成が終わる前に」「穏やかな気持ちでお過ごしに」一般参賀に訪れた人々から感謝

天皇陛下の譲位日が決まってから初めての天皇誕生日となった23日、皇居での一般参賀に訪れた人たちからは、
この日も自然災害の被災地に思いを寄せられた陛下のお言葉に、感謝する声が目立った。
友人と2人で初めて訪れた東京都三鷹市の会社員、犬飼美智子さん(26)は
「自分たちが生まれた平成が終わる前に、一度見ておきたかった」。父親が皇后さまと同じ名前をつけたといい、
「皇室を特に意識してこなかったけど、実際にお姿を見たら、言葉にならなかった」と話した。
この日のお言葉でも、東日本大震災の被災者らの境遇を気遣われた陛下。
犬飼さんは「いつも国民の幸せを祈ってくれ、ありがたい。
譲位後は、皇后さまと仲良く、ゆっくり過ごしてもらいたい」と願った。
平成27年9月の東日本豪雨の被災地、茨城県常総市から夫と訪れた増田恵子さん(67)は、
同10月に両陛下が現地を見舞われたことへのお礼を込めて足を運んだ。
当時間近で見て「力をもらった」と振り返り、「私たちを気にかけてくれていることがうれしい」と笑顔を見せた。
宇都宮市の会社員、塩谷綱正さん(44)は、小学4年の瑛里さん(10)と4年連続で参賀に。
「これまでにない混雑だったけど、国民から陛下への敬意を示す本来の形になったのではないか」。
譲位後の陛下のご生活については「穏やかな気持ちで、無理をせずに過ごしてほしい」と望んでいた。
http:// www.sankei.com/life/news/171223/lif1712230043-n1.html

  • 最終更新:2018-08-06 15:46:39

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