北白川祥子さん逝去

北白川祥子さん逝去

2015.2.1 06:00
北白川祥子(きたしらかわ・さちこ)さん
(31日、東京都品川区の桐ケ谷斎場) 香淳皇后支えて女官長32年 
昭和44年から32年にわたり、昭和天皇の皇后、香淳皇后の側近中の側近である女官長を務め抜いた。
「香淳皇后さまが何もおっしゃらずとも、言わんとされることが全て分かるほどだった」。
元部下の男性(67)は語る。
北白川宮家に嫁いだ元皇族で、「祥君(さちぎみ)さま」と呼ばれることも。
常陸宮妃華子さまの叔母でもある。「鶴のようなすらりとした気品のある方」と、
天皇陛下の元侍従長の渡辺允(まこと)氏(78)。知人男性の姉として存在を知った三島由紀夫が、
その気高さに心奪われて小説「春の雪」の伯爵令嬢のモデルにしたといわれる。
高齢となっていく香淳皇后の威厳を支える重責を担えたのは、そうした気品以上に
「明晰(めいせき)な頭脳」や「細やかな心配り」があったからだと、元部下らは語る。
宮中のしきたりには職員の誰よりも通じ、秋篠宮妃紀子さまへの「お妃教育」で
宮中の儀式や作法などの講義を担当したほどだ。
若いころの苦労も。明治天皇の孫で夫の永久(ながひさ)王は、結婚5年後の15年に死去。
戦後の22年には皇籍離脱を余儀なくされる激動の中、一人で子を育てた。
大正天皇の皇后、貞明皇后がその身を気遣って皇居に招いたといわれ、
「貞明皇后のお姿からも皇室のあるべき姿を学んだのでは」とかつての同僚は話す。
80歳を過ぎても平日はフルタイムで皇居に。香淳皇后崩御とその後の事務処理まで見届けた。
退いた後も豊富な知識で宮内庁関係者を助け、定年退職した部下を自宅に招いて慰労。
「滅私奉公」の半生を、思い出として懐かしんだという。
神式での葬儀には、天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻のお使いがそれぞれ訪れ、
秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまをはじめ皇族方自らも多数参列された。
1月21日、急性肺炎のため死去、享年98。(今村義丈)
http:// www.sankei.com/life/news/150201/lif1502010015-n1.html


北白川宮永久王と妃の祥子さんのご長男道久氏

元皇族の北白川道久氏死去

元皇族の北白川道久氏死去
北白川 道久氏(きたしらかわ・みちひさ=元皇族、元神宮大宮司)20日午後4時、急性肺炎のため死去、81歳。
葬儀は28日正午から東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所で。喪主は妻慶子(けいこ)さん。
1937年5月、北白川宮永久王の長男として生まれ、47年10月に他の10宮家とともに皇籍離脱。
2001年4月から07年7月まで神宮大宮司、11年6月から今年5月まで神社本庁統理を務めた。
07年5月以降は一般社団法人霞会館の理事長も務めた。(2018/10/22-16:51)
https:// www.jiji.com/jc/article?k=2018102200757&g=soc

  • 最終更新:2018-10-22 17:25:28

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