八幡和郎氏

2006.10.02
皇太子ご一家海外静養問題
週刊朝日に、雅子妃が再び海外へ静養に出かけたいとおっしゃっているという噂ありという記事があり、それについて私のコメントが載っていた。
私はオランダでのご静養も暴挙だったと思う。そもそも、皇室はあまり贅沢をしない方がよいと思うのだ。
海外の王室は封建領主であり、私有財産をたくさん持っている。だから、それを何に使おうが
ある意味で自由なのだ。だから、「王侯貴族の生活」というような贅沢三昧をしてきたし、
いまも、「自分の金だから何が悪い」という態度である。
だが、皇室は封建領主でなく、日本国そのものなのだ。である以上は、国民とともにあるという
姿勢が不可欠であることは、仁徳天皇の竈の煙以来の伝統である。だから、大富豪のような
生活は似つかわしくないのだ。というより、それは権威と尊敬を危うくするのだ。
ひるがえって、メンタルな病気のための治療として、転地療法はありうる。
だが、海外へ多人数を引き連れてというのは、やりすぎだ。できれば国内で、と言う気がするが、
海外でも、たとえば、小和田家がハワイかスイスあたりのリゾートで過ごされるところに合流されて、
ゆっくりされるというくらいでいいのではないか。
巨額の国費を使うことも、もし、オランダ王室に滞在されて日蘭友好になるならいいが、
「日本も気の毒に」とか「日本の皇室はひどいところだ」といった報道をされて国の評判を
落とすのだから、億単位の国民の税金の使い道として適切だろうか。
こういうことは、本来、小和田氏が、身を挺して遠慮し、阻止すべきことではないか。
だが、それを期待することは出来まい。なぜなら、雅子妃問題の根源は、外交官の論理と、
皇室の論理の齟齬にあるからだ。皇室の方々は、「好き嫌いは持ち込まず個人的な判断は
極力避け、贅沢はせず、謙虚で、公私混同は最も嫌われる」のだ。
ところが、外交官の論理は逆だ。
「少々独善的で好き嫌いに基づいても自分の判断で動き、王侯貴族のように贅沢な生活をし、
威張り、公私混同は当然」なのだ。というと一方的な外交官批判に聞こえるが、単純にそうではない。外交官にとっては、それなりの合理性があるのだ。
「昔は本国から離れ、公電といった細いパイプで繋がっていただけだから、
本国の指示を待たずに自分で動くことが必要だった。外交の世界は、ヨーロッパの上流社会の
延長であり続ける。だから、その流儀を身につけ、それに従って行動することは有益なこともある。
外国人相手には少々日本人の基準からは威張っていると見えるくらいでちょうどよい。
外交は家族ぐるみでするのであり親戚などの協力を求めなければならないことも多いので、
少々の公私混同は許される範囲だ。」
以上のような外交官の論理がいまでも通用するかどうかは人によって意見は違うだろうが、
まったく、荒唐無稽でけしからんとだけ片づけにくいところは皆無ではない。
だが、この論理を皇室に持ち込まれては困るのだ。それは、皇室が永くつづいてき国民から
崇敬されるために会得してきた知恵とまったく180度違うものだからなのだ。ところが、
小和田家も含めて外務省やそこからの出向者、OBなどは、そこが分かっていないのでないか。
だから、なんとも贅を尽くした桁外れの「療養」をしようという発想になるのだ。
ところで、雅子妃のお祖父様にあたる江頭豊氏が亡くなった。
江頭氏は1964年にチッソ社長に迎えられているので、水俣病の発生についての責任はおおむね回避されるとされるが、
1964年以降にされたチッソの対応も、誠意と迅速を著しく欠いたもので、厳しい非難の
対象になるべきものだと誰もが考えている。そのことは、雅子妃のお祖父様であるからといって
大目にみられるべきものでないことはいうまでもない。
オランダでは、皇太子妃の父親がアルゼンチン軍事政権の農業大臣だったことが結婚の障害になった。
技術者であって直接に虐殺などに関与したのでないにもかかわらず、閣僚としての責任を問われたのだ。
結局は、皇太子妃が父親と政治信条を同じにしないと声明し、結婚式にも出席させないことで妥協が図られた。
今回は、皇太子ご夫妻でにぎにぎしく行われた葬儀に出席されたのだが、私はこのHPでも
「オランダでのご静養で世界の王室事情を学ばれるところがあるとすれば、江頭氏の問題について、
いずれ雅子妃は語らねばならない日が来るだろうから皇太子妃の父親について、
オランダでとられた措置など勉強することは意味があるだろう」と書いたが、海外療養の成果にはならなかったらしい。
たとえば、少なくとも皇太子殿下は弔問に訪れるに留められるといった少し引き気味の対応であるべきだったのでないかと感じる。
弔事であるので、あまり厳しいことを書きたくないが、東宮の侍従たちの目配りが、やや偏っているのでないかと危惧するのである。

八幡和郎のニュース解説
http:// www.yawata48.com/jiji/



八幡和郎「時事解説」
第16回
「皇室典範に関する有識者会議」への疑問と社会的大混乱の予感
女帝容認については、保守派の論者からの反対論が上がっているほか、三笠宮寛仁殿下も反対論を内々ながら書かれるなど、混乱は広がっている。
このあまりもの拙速ぶりには、強い懸念を持っている。
「半世紀あとの皇位継承をいま決める必要はない」
愛子さまをいまの段階で皇位継承者として確定するのは、愚の骨頂である。
「正統性」を確保するためには最大限に工夫が要るし、本人の資質やその時の家庭状況なども考慮する必要がある。
未来の歴史家は霞ヶ関による皇位簒奪と断ずるだろう。さらに、今回、行われようとしている皇室典範改正のやり方は、
将来において、藤原氏、平清盛、徳川家などでもしなかったほど悪辣な皇位簒奪として語られる可能性が強いと覚悟するべきだ。
皇太子夫妻の出会いについては、なお、十分に明らかにされているとはいえないが、
外務省関係者が仕掛け、また、長い間の空白ののちにある外務省元幹部Y氏が 自宅にお二人をお呼びして再会させたとされている。
また、今回の有識者会議の座長は経済産業省傘下の独立行政法人の長であるが、実質的な検討の中心となっているのは、
元厚生事務次官、元内閣官房副長官のF氏である。F氏は妃殿下の父君とほぼ同じ時期に事務次官会議のメンバーであり、
妃殿下の母君と同じ佐賀県出身である。また、委員の一人である女性は外務省で妃殿下の父君のしばらくあとの事務次官の従姉妹であるなど、
利害関係者といってもよいような人たちである。
また、妃殿下の父君は、元国連大使であり安全保障理事会常任理事国入り工作を主導されてきた、生々しい人だ。
そういう危惧もあるというような意味で読んで欲しいのだが、今回のことを将来の歴史家はこんな風に語るかも知れないのだ。
「20世紀の後半、霞ヶ関という場所にあった省庁の高級官僚たちは、政治家をロボットとしてしか扱わず、もっぱら彼らが国を動かしていた。
彼らの野望はついに は、自分たちの仲間から天皇を出したいという計画に達した。
彼らは、そのうちの有力者の一人であるO氏の娘で自身も官僚の一人である女性を組織的に皇太子に引き合わせ、
彼をして結婚を熱望させることに成功した。Oは、国連大使となり皇太子の義父としての声望も背景に、
日本国内ですら慎重論も強かった国連安 全保障理事会常任理事国入りの工作を繰り広げ、さらには、国連事務総長の候補と語られたこともあった
だが、国連における試みは成功しなかったうえに、待望の親王誕生もなく、長い年月の後に内親王の誕生をみただけであった。
そこで、霞ヶ関の官僚たちは、なんとしても、この内親王に皇位を継がせるために、長い歴史を否定し、まったく新しい皇位継承のルールを創造しようとした。
その中心にあったのは、薩長土肥のひとつ肥前の出身であるFで、肥前人の血を受け継ぐ女帝の誕生を確実なものとするために、
各界に強い異論があるにもかかわらず、強引に皇室典範を改正してまで行おうとした。
しかも、皇族の一人が勇を鼓して反対論をとなえたが、それに対し、彼らは皇族が皇位継承ルールの変更について意見をいうことは憲法違反であると、
多くの法律家の意見でないにもかかわらず独自の怪しげな見解を持ち出し脅迫した。
日本の歴史に於いて、藤原氏、平清盛、徳川秀忠など、自分の血を引く天皇の誕生を望み工作した権力者はいたが、
皇位継承のルールまで変えてでもそれを実現しようとするほどの野心家はかつてなく、
霞ヶ関の高官たちの専横ぶりは平家にあらずんばといわれたかつての独裁者たちもはるかにしのぐものであった」

第19回
女帝問題について朝日新聞に掲載されたコメントの補足
有識者会議の議論のなかでは、「愛子様はじめにありき」ということだったことが、関係者からも明らかにされている。
大事な制度の変更が、ある個人に着目されて行われることは、非常に強く避けられるべきことであり、
そうしたことが行われた場合には、その人がある地位についても正統性をひどく傷つけるものなの だ。
そうした意味からも、愛子様はじめにありきの議論は絶対に避けるべきなのだ。
まして、第16回の時事解説でも書いた通り、今回の会議は、古川貞二郎氏や緒方貞子氏ら皇太子妃殿下の実家に近い立場の人が中心になっている。
そもそも、皇族の結婚については、政治家などの縁者は極力避けるべきだといわれてきた。
たしかに、妃殿下の父君である小和田恒・元国連大使は選挙に出られているという意味での政治家ではないが、
外務省の最高幹部として官界の実務の責任者であるとともに、日本外交の中心にあって強い影響力を国政にもってきた方であり、
政官界にも広く交友関係をもっておられる。
小和田氏は日本人離れした感覚の素晴らしい外交官であり、日欧協力の拡大とか、日韓関係の改善について素晴らしい行動を示してこられた。
だが、皇太子妃の父親という立場としては現実世界での活動やネットワークは「外戚」として批判を受けかねないという意味で憂慮のたねである。
皇后陛下の実家の正田氏は、ご成婚後、ともかく、目立たないように生きられた。
小和田氏の素晴らしい能力が十分に発揮できないのは日本外交にとっては損失であっただろうが、
それでも、皇室の権威を守るためには、正田家と同じ配慮が必要だったと思う。
まして、私は、小和田氏と直接にかかわりのある人々が継承問題の方向付けをすることは、好ましくないと思うし、
また、そういう人々の世代の内に、まず、愛子様ありきの結論を出すなど絶対に避けるべきであると考える。
「何が何でも愛子様派」の人の中には、「愛子様への国民の敬愛の情は深い」などという人もいるが、
やっと四歳になった幼い少女について何の材料もなくそんなことをいうのは、おかしい。
そういうのは、20歳も過ぎられ、ごく自然な公務などを通じて国民と接していかれるなかで評価されるべきなのだろう。
ともかく、贔屓の引き倒しは、結局のところ、皇室制度の危機に直結しかねないし、それは、日本の国を厳しい試練に立たせかねないのだ。


第27回
皇太子妃雅子さまにおける悲劇の本質と打開策
紀子さまご懐妊と皇位継承
うわさ話でなく、履歴だけでも分かること
秋篠宮妃殿下のご懐妊と関連して、また雅子妃殿下についてあれやこれや議論されている。
保守的な人々からの批判もあるが、妃殿下に近い人々あるいは擁護派からの積極的な発言や情報発信も盛んであり、
これが状況を混迷させている面もある。 いずれにしても皇太子妃殿下をめぐっては、いじめられて可哀想という同情論があり、
一方で無責任だという批判がある。
だが、これらの議論はいずれも雅子妃が類い希な優秀で能力の高い人物であるということが前提になっていることで共通している。
だが、このホームページでも書いたように「典型的な帰国子女が旧家に嫁入りしてうまくいくことははじめから難しかったのであって、
その後の展開についてはどちらが悪いともいえない」というのが正しいと思うし、この分析はそれなりに多くの方からもっともだと支持頂いている。
だが、ここではそれはともかくとして、霞ヶ関にいた人間としての眼でもう少し詳しく雅子妃論を書いておきたい。
といっても、生々しい具体的な証言や私自身が見聞きしたことを使って面白おかしく書くつもりはない。
それは少々失礼だとも思うし、うわさ話について細かく裏を取る自信もない。
むしろ、雅子妃の経歴や御家族の状況から客観的にみて論ずれば、それだけでも世の中で
流布している雅子妃像がいかにいい加減かわかるのだ。そもそも履歴書はたいへん雄弁なものである。
それなりの知識をもって読んでいけば、その人がどういう人かが、かなりくっきり明らかになる。
ヨーロッパなどには「フーズ・フー」のような詳細な経歴を書いた公刊物があるし、
就職するにも履歴書がたいへん重要な意味を持つのだが、日本人はこうしたものを分析するのがあまり得意でないようだ。

キャリアウーマンとしての虚像
雅子妃について多くの日本人が持っているイメージは、「東大という日本一難しい大学の試験を通って、さらにこれも最難関の外交官試験にも合格し、
キャリアウーマンとしてばりばり仕事をされていたスーパーウーマン」ということであろう。
だがこれは少々眉唾である。まず、雅子妃は東大に学士入学で編入されているのであって、
世間の人が思い浮かべる「東大入試」に合格されたのではない。
次に、外交官試験はほかの省庁の試験と違って外務省独自の試験であったから、客観性にいささか乏しい。
ほかの省庁の事務次官の子女の場合でも、事務次官ないしその候補者の子供が受験した場合に
それを落とす勇気のある人事担当者はほとんどないと思うが、少なくとも人事院が主催する
公務員試験を通らないと各省庁の試験を受けられない。だが、外交官の場合はそうでない。
もちろんそれなりに客観性はあるというだろうが、合格者に外交官の子供が異常に多いことは
よく知られている通りであり、事務次官一歩手前だった小和田恒氏の娘がこれに合格したのが実力だけによるものであったかは立証しようもない。
採用後については、皇太子妃候補だったという以上に、事務次官の娘として腫れ物にさわるような扱いをされていたという面もあり、
少なくとも「世間の荒波に揉まれながらばりばり仕事をこなして大活躍した」といったものではない。
また、英国留学とか国際機関二課、北米二課勤務というのは誰しもがうらやむ最大限に優遇された居心地のよい人事である。
社長の娘が一般職で採用されてぴかぴかに美味しいポストばかりで働いているのと同じで、いささか特殊な環境である。
雅子妃の田園調布雙葉とか、海外の学校での勉学は、外務省に限らず霞ヶ関のスノッブなエリート官僚の娘としてありふれたものである。
また、雅子妃の世代なら多くのエリート官僚の娘がキャリアウーマンとしてばりばり活躍しているのであって、これも珍しくない。

皇太子妃雅子さまにおける悲劇の本質と打開策
暖かい家族関係と公私混同の間にあるもの
特殊なのは、父親が現役幹部である職場に就職したことである。
外務省では雅子妃に先立って別の幹部の娘が就職しているから雅子妃は第二号のはずだが、
いずれにしても 雅子妃は父親が事務次官である役所で働く女性という霞ヶ関の歴史で初めての存在だったはずだ。
こうしたことを考えれば、小和田家は親子の関係が非常にウェットで、よくいえば 暖かいつながりがあるお家だと推測されるし、
逆に公私混同の疑いを持たれることに対してさほど神経質でないこと、雅子妃自身も独立心旺盛な人柄とはいえないことを伺わせる。
民間企業でも、サラリーマン社長が自分の子供を自社に就職させるのはあまり誉められないことが多い。
それ以上に社員の子弟の採用をしないところもある。なぜなら、公私混同につながりやすいからだ。
また、父親の会社に就職しようという女性も、自立心を持った強い性格でなく、利用できるものは利用しようといった、
ちゃっかりしたタイプか、それとも親に保護して欲しいというやや甘えた性格と見るのが普通だろう。
こうしたことを考えれば、小和田家は親子の関係が非常にウェットで、よくいえば暖かいつながりがあるお家だと推測されるし、
逆に公私混同の疑いを持たれることに対してさほど神経質でないこと、雅子妃自身も独立心旺盛な人柄とはいえないことを伺わせる。
全般的にいって、雅子妃はエリート官僚のごく普通の娘であり、特別に有能なわけでも強い性格でもなく、
経済的には超リッチでないが不自由のない暮らしをされ、父親が有力者であることに甘えることにさほど躊躇してこられなかったのである。
こうした客観事実から組み立てた分析は世間一般で持たれている新しい時代を象徴する自立した女性というイメージとはあまりにも違うものであろう。
そして、このギャップこそが雅子妃の悲劇の原因なのである。

皇室問題を論じるとき、妃殿下たちを何か特別の人柄なり育ち方をされた人たちだという前提の議論が多すぎる。
たしかに皇室に生まれたプリンセスたちは、特別の育てられ方をされたがゆえに独特で貴重なキャラクターが醸成されている。
だが嫁いで妃殿下になられた方々は、それぞれの年代のごく普通の女性たちである。
それを踏まえないで、過度に厳しい要求をしたり、反対になんでもないお仕事ぶりや家族との接触でしかないものをたねに、
特別に立派な人格者だと感心してみたり、トラブルがあれば周囲の人たちがきっと悪いのだ ろう、というのもまったく間違った議論なのである。
それでは、雅子さまはどうすればいいのか。あるいは国民としてどうしてあげればいいのだろうか。
このことについては、先週も少し書いたところだ。
また、「アエラ」のいま店頭に出ている号に私のコメントが載っているが、少し舌足らずでもあるので、補足しておく。
「アエラ」には、
1. 公務を軽く、あるいはお好みのもの中心にして差し上げる
2. 妃殿下を辞めて単なる皇太子夫人にする
3. 皇太子が皇位継承をしないことによって妃殿下の負担も軽くする
4. 離婚、といった「四つの選択肢」が論理的にある
と書いている。これは、あくまでも論理的にあるということであって、現実的に あるかどうかは別問題である。
私は、制度論としては「2」が好ましいと思う。
もはや、たまたま皇族と結婚したからと妃殿下に就職するというのはうまくいくはずがないからである。
そういうのは、皇族が妃殿下としてふさわしい女性を選んで、自分の好みと関係なく結婚するのでなくてはなりたちえない。
だが、この案を実現するには制度改正が必要である。
「3」と「4」は、そういう可能性も選択肢として存在すべきだし、道を閉ざすべきでないが最後の手段である。
となると、とりあえずは「1」しかないわけだが、これがすんなり受け入れらそうもないのは、
その周辺に「国民に申し訳ない」という姿勢がないからである。
ご本人の海外出張が少なすぎるという「不満」らしきご発言、殿下の「人格否定発言」、
医師団の「皇室という環境」診断書、ご実家の動きなど、およそ謙虚なものではない。
愛子さまの皇位継承を確実にしようという策謀も、誰が言い出したかはともかくいかにも間が悪い。
まずは、ご実家なども含めて公務を十分に果たせないことについて、申し訳ないという姿勢の明確化、
そして申し訳ないが治療上こうせざるを得ないのだ、という説明などがあればいま身勝手だといわれているようなことについての、
世間の受け取り方も変わるのではないか。
ともかく、これは重大な病気の治療の問題である。医学的観点からの最善を尽くすことが何より必要だ。
ただし、たとえば、海外への転地療法とか、皇居での乗馬とか、たいへんな警備を伴う形での
レジャーといったものが、たとえ病気の回復のために有効だといっても皇室のあり方として適切かは難しいところだろう。
それは、皇室がどの程度、税金でコストがかかる贅沢な生活をしてよいかの一般論からの議論としての問題である。
また、そうした治療をしてもなお、将来ともに公務が十分にできないということになれば、やはり制度的な問題も含めて議論が必要なのだろう。


弟47回
スキャンダルの総合商社・オランダ王室から学ぶものは?
皇太子ご夫妻がオランダ王室の招きに応じてバカンスに出かけられるという。妃殿下の病気の治療を兼ねてということらしいが、
それにしてもスキャンダルの総合商社のような世界最低の王室に御滞在とは、ユニークな選択の真意は何かと複雑な気持ちになる。
メンタルな病い、収賄、占い師、マフィア、浮気と庶子などなんでもありのオランダ王室から両殿下が学べるものは多そうだ。
妃殿下もお祖父様がチッソの社長だったことが一時問題になったが、いつかこの問題について語らなければならない日が来るだろうから、
そういう参考になるかも知れない。あるいは、これから皇族がとんでもない相手と結婚したいとおっしゃることだってあるかもしれないから、
良い参考になるのかもしれない。
だが、本当のところはそんなひどいところと知らずに決めたのでないか。
ハーグに住まわれている小和田家としばらく時間を過ごしたいというのが本音なら、
すなおに国民にそういう説明をし、公務かどうか不明瞭な形で莫大な公費を使う様なことをしない方がいいのでないか。
王室滞在という形を取ることによって、日本 の皇室のスキャンダルを世界に好きこのんでさらすこともないだろうにとも思う。
少なくとも気の毒なプリンセスのイメージなど振りまくことになれば、関係者 は厳しく責任を問われるべきだろう。
さらに、女王の国であるオランダのマスコミを使って、「女帝・女系反対はおかしい」というキャンペーンを煽ろうなどと言う意図などないと思うが、
そういう風に疑われないように、駐蘭大使館や小和田氏は細心の注意を払うべきだろう。

第56回
秋篠宮妃ご出産と皇室典範改正・雅子妃の今後など
秋篠宮妃が男子を出産された。この慶事をまずはお喜び申し上げたい。
皇室典範改正問題が議論される中で、このご誕生があったことは、「天命」のようなものを 感じさせるというのは悪のりかも知れないが、
なんとかしなければといういろんな方の思いの結果であるのは確かであろう。
少なくとも、この「運命の子」が誕生とともに持った正統にして正当な皇位継承権を誰かのために奪い取ろうという策謀が行われないことを望む。
また、そういう議論が起きないように関係者は積極的な発言をすべきだ。
とくに小和田恒氏にそれを強く望む。沈黙は騒乱へのゴーサインと揶揄されては不本意であろう。
ただし、お子様が男子であるか女子であるかは、皇室典範の改正にとって本質的な状況を変えるものではない。
このたった一人の幼児に皇室制度の興廃のすべてをかけるわけにもいかないのだ。
また、普通に考えれば現在の皇太子殿下からその次への継承が行われるのは半世紀ものちのことであり、
最終的な筋書きを急いで 決めねばならないものでもない。
いま必要なことは継承候補者がわずか数人しかいないといった状況を解消し、生物学的な運不運で皇統断絶などないようにすることだ。
不幸な事態をいろいろ想定することを不敬なように感じる人も多いが、「控え」が多くないとテロで皇室制度をゆるがすことが可能になり、
皇族のセキュリティ上も問題が多いのは当然だ。
皇位継承者の範囲を広げる方法はいろいろ変化球もあるが、基本的には旧宮家男子の復帰か、女帝・女系の容認しかない。
しかも、どちらについても反対する人はいるのだから、とりあえずはどちらの選択も可能なように条件整備をしたうえで、
最終的な結論は将来の世代に任すことが現実的だ。

雅子妃の御不調の原因はお世継ぎ問題ではない。このコラムでもたびたび書いているように、
「典型的な帰国子女が伝統的な行事や仕事上のお付き合いがいろいろある旧家などに嫁いだことによる無理」である。
皇室や宮内庁が意地悪なのでも、本人がわがままなのでない。そもそも難しい組み合わせだったのである。
家元、お寺、老舗、企業オーナーなどと結婚されても同じような困難に直面されたであろう。
しいていえば、未来の天皇の母としての重圧から解放されることになったわけだが、
皇太子妃としての、あるいは、未来の皇后としての圧迫がなくなるわけでない。
解決方法はいろいろあるが、私は妃殿下とか皇后陛下という制度にそもそも無理があると思っている。
首相夫人は公職でないので、ファーストレディーとしての仕事を無理のない範囲で、それぞれの能力と事情に応じてできる。
皇族夫人も、皇太子夫人とか天皇夫人でよいのであって、本人が公職である妃殿下などにならなくてよいのだ。
逆に、生まれながらのプリンセスには、御本人が承諾すれば結婚しても公務を続けて欲しい。
妃殿下制度というのは皇族が皇族とか五摂家の女性としか結婚しなかった時代の制度だ。

弟98回
現代にふさわしい皇室のあり方
日本の皇室は封建領主でない。私有財産もさほどあるわけでない。
また、伝統的にも、あまり贅沢な生活をすることは皇室にふさわしくないと考えられてきた。
その意味で、皇室の人々が東京の富裕層の取り巻きに囲まれて、贅沢な生活をするようなことはよろしくない。
ヨーロッパやアラブのプリンスたちやが、華やかな 社交界で、甘い生活をしている現状を見るにつけても、
それと同じようなことをすることが、開かれた皇室であるのなら賛成できるはずがない。
日本の皇族は、ヨーロッパに留学などしても、贅沢な暮らしができるようなお金もないだろうし、大使館などの監視もあるだろうから、
ヨーロッパの王室の若い人と遊びほうけるということはないと思うが、それでいいのだ。
あるいは、皇族が病気治療のためといえども、億単位の税金を使って海外へ行かれるといったことも、あまり日本の皇室にはふさわしくないと思うのだ。
かつて香淳皇后が宮内庁病院での治療にこだわって病気を悪化させたのではないか、という指摘がされたことがある。
たしかに、本当に専門的な治療を受けられているのはいいことだ。だが、治療のためにいいのなら何でも有りであって良いのではない。
一般的に医療といえども最善を尽くすためにコスト的にも、家族も含めた生活上の制約という点からも際限なくなんでもできるわけでない。
ものには、限度がある。また、皇室の方々がたとえ治療に役立つとしても、
世界有数の大富豪でも考えられないようなコストをかけた医療を受けられることは、皇室の伝統からは少しはずれることのように思う。
雅子妃のモンゴル訪問同行を実現すべきだったという人もいるが、海外を公式に訪問するのは体調が万全になってからであるべきだ。
いまどきのことだから、海外に転地療養をされることがいけないといっているのではない。
だが、それは、実家の人たちとひっそりと保養地で過ごされるとかいうことが限界であるべきだ。
莫大な費用と公務員たる相当の人数を引き連れ、外国政府にも多大な迷惑をかけての「治療」というのはモラル上も許されるべきであるまい。
日本の皇室が長く尊敬されてきたのは、自らの身を顧みず国民のためのみを念じて、頭の下がるようなモラルの高さをしめしてきたからにほかならない。
昨今、両陛下がご高齢でありご病気もお持ちであるにもかかわらず、海外訪問などでたいへんな日程をこなしておられることには頭の下がる思いがあるし、
こうした行動を通じて、昭和天皇という大きな存在を失った皇室が信頼を失うことなく
国民の尊敬を受けることに成功したのは奇跡的なことというべきなのかもしれないのだ。
そういう意味も含めて、日常生活におかれても、病気の治療などについても、皇室の良き伝統に沿ったモラルの高さと清廉さを維持して頂くことは、
皇室というものの永続を願うなら何より大事なことだと思うのだ。




妃殿下の研究 八幡和郎 幻冬舎 2012年9月

私は、雅子さまと同時期に霞ヶ関(通産省。いまの経済産業省)にいましたから、
生々しく具体的なおはなしをいろいろと聞いております。
ですが、そんな風説に頼らなくても、雅子さまの経歴やご家族の状況という公開情報を客観的に見ればそれだけで、
世の中で流布している雅子さま像は、現実とだいぶずれがあることがわかるのです。」

(有識者会議の)メンバーの選定もひどく疑問。
もっとも奇妙だったのは、いわば利害関係の当事者である小和田氏に近い人物が多かったことです。
実質的な中心人物・古川貞二郎氏は、小和田氏と事務次官会議のメンバーだった時期が重なり合っています。

しかし、これだけ多くの外務省関係者が、出会いからご婚約まで手取り足取りで関与していることから考えると
外務省関係者グループのお膳立てと協力な後押しで実現した結婚と見るのが普通でしょう。
また、小和田家がみずから売り込んだのではなくとも、婚約時に小和田恒氏は外務事務次官だったのですから、
組織をあげての売り込みが成功したという言い方をする人がいても見当はずれではありません。
雅子さまご自身も、最初の出会いのとき以降、お誘いをかなり積極的に受け入れられた稀有の存在だったということもあります。
(中略)
しかし、雅子さまサイドが皇太子殿下の熱心さに負けて不安を残しつつ
お話をお受けしたというような見方にはなにか意図的歪曲が感じられるのです。 
そして、現在の厳しい状況からすれば、外務省関係者が雅子さまを皇太子妃に最適だと思ったことは、やはりお眼鏡違いでした。
日本にとっても、皇室にとっても、雅子さまご自身にとっても不幸な選択だったと言わざるを得ません。

雅子さまが、東京ディズニーランドの一部を貸切状態にして池田礼子さん一家と遊んだこともあります。
ご自身だけでなく、結果的にせよ、実家の人間に、一般客の楽しみを制限してまで、
遊ぶ特権を受けさせるようなことは、正田家なら絶対にありえなかったことです。
そういうことを、雅子さまの病気治療のために好ましいということで、なんでもありにしてはいけないと思います。
                                   
幸い、悠仁さまは、置かれた立場にまことにふさわしい立ち居振る舞いができる少年として育っておられますが、
将来の天皇にふさわしい充実したバックアップ体制を用意してさし上げるべきでしょう。
雅子さまの「治療」という名目のセレブ生活や愛子さまの不登校問題に対処するために多くの公務員を動員したり
予算を使ったりするよりも、よほど大事なことだと思います。
東宮に人員が多く配置されているのは、公務が多忙なことを前提にしているはずですので、実情に合わなくなっているのです。




  • 最終更新:2018-06-25 17:19:53

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