光格天皇の「あるべき天皇像」を模索した姿は天皇陛下に通じる

2017.1.10 05:00
光格天皇の「あるべき天皇像」を模索した姿は天皇陛下に通じる 
東大名誉教授・藤田覚

江戸時代末期に在位した光格天皇(第119代 1771~1840年)は、幕府との対立を辞さず、
天皇と朝廷の権威復活を図り、現皇室の礎を築いたことで知られる。
光格天皇をはじめとした近世皇室史を研究し、『幕末の天皇』(講談社学術文庫)などを著した東大名誉教授の藤田覚氏(70)は、
譲位を希望される天皇陛下と光格天皇の共通点を指摘した。

光格天皇と現在の天皇陛下には似通った部分があるように思います。それは「あるべき天皇像」を自らの手で描かざるをえなかったという特別な境遇です。
天皇陛下の直系のご先祖である光格天皇は、傍系の閑院宮家から即位しました。
天皇に即位する皇族は普通、幼少時代から「天皇になるための教育」を受けます。
周囲からさまざまな教えを受ける中で「天皇かくあるべし」ということが自然と身につく。
しかし、光格天皇はそうした経験が全くなかった。
「天皇はどうあるべきか」「どうあるべきでないか」を試行錯誤を繰り返しながら、模索せざるをえなかったわけです。
光格天皇は、江戸幕府と激しく対立しながら、簡素化されていた新嘗祭を古来の形式に戻すなど、
朝廷の儀式や儀礼を再興させ、天皇の権威の強化を図りました。
天皇の政治的発言はあってはならないとされた江戸時代にあって、飢饉に苦しむ民への米の放出を幕府に申し入れ、実現させたこともあります。
この強靱な意志は「あるべき天皇像」を強烈に意識せざるをえなかった境遇と無縁ではないはずです。
「象徴天皇」として即位した初めての天皇である天皇陛下も、同様の模索を重ねられてきたのではないでしょうか。
光格天皇がそうであったように、「あるべき象徴天皇像」を手探りで作り上げてこられたのだと思います。

東日本大震災直後の避難所への慰問で、天皇陛下が膝をつき、住民と同じ目線で声をかけられる場面がありました。
それまでの天皇像からすれば考えられないことでしょうか。
国民が苦難に直面しているときは、なるべく近くで寄り添い、苦しみをやわらげる-。
これが新しい天皇像であるというのが天皇陛下のお考えなのだと思います。

天皇陛下は、昨年8月に表明した「お気持ち」の中で
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合」の社会の停滞や国民生活への影響に懸念を示されました。
これも、ご自身で作り上げられた「あるべき天皇像」にそぐわないというお気持ちの表れなのだと理解しています。
昭和天皇の崩御の前には、幼稚園の運動会まで延期や中止になるような「自粛ムード」が日本列島を覆いました。
国民に寄り添う象徴天皇として、こうした状況を再び招いてはならないとお考えなのではないでしょうか。
天皇陛下が譲位の制度化をお望みなのであれば、そのご意向に沿うほかないと思います。
象徴天皇という新しい天皇像をお一人で作り上げられた陛下がおっしゃっているわけですから。
幕末に光格天皇が主導した神事や儀礼の復古は、天皇の政治的・思想的な権威強化につながり、明治以降の近代天皇制へと引き継がれていきました。
天皇陛下の「お気持ち」表明も、将来は歴史上のエポックメーキングな出来事として振り返られるはずです。
(松本学、広池慶一)


■光格天皇(1771~1840年) 第119代天皇。現在の天皇家の祖にあたる。
後桃園天皇の崩御に伴い、9歳で傍系の閑院宮家から即位。
幕府と衝突しながら中世以来絶えていた神事の再興や朝権の回復に努め、「天皇」の称号を約900年ぶりに復活させた。
1779年から1817年まで約39年天皇に在位し、仁孝天皇(第120代)に譲位後は上皇として23年君臨した。

http:// www.sankei.com/life/news/170110/lif1701100002-n1.html





  • 最終更新:2017-05-13 14:37:52

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