会見終了後戻ってきて付け加えた皇太子さま

皇太子殿下お誕生日に際し(平成21年)


関連質問
問3 妃殿下のことに関してですね,頑張り過ぎる傾向にあって,逆行することないように慎重を期す,
というようなお話がございましたですが,ご病気がご病気であるために,我々としては,なかなか
どういう状況なのかというのが,よく分からないのですが,頑張り過ぎるというような傾向があるというのは,
差し支えのない範囲でですね,どういった,例えばこういうとき,こんなふうになって,ちょっとまた悪くなった,
とかいうようなことがですね,ご説明いただくと非常に分かるのではないかなと思いますので,
その辺差し支えのない範囲で結構ですから。

皇太子殿下
雅子にとって,一つの公務をする場合には周囲の期待もありますので,それに全力を傾けることになります。
お医者様からはほかの活動もいろいろとしたらよいと言われていますが,その場合には,それらの活動を,
言ってみれば,犠牲にすることにもなります。また,日数をかけて準備をすることになります。
公務の後で疲れが残ることにもなります。したがって,新しく一つの公務ができたからということで,
またすぐに次の公務を期待するというのは,本人を精神的に追い詰めることにもなるので避けてほしいと
お医者様から伺っております。やはり,その時々の体調を勘案し,お医者様に相談しながら,
これまでどおり個別に検討していくことになると思います。
先ほどの質問については,皇統の問題が重要な問題であるということ,これは私は非常によく認識しております。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊朝日2009年03月13日号
皇太子さま会見 空白の20分
記者会見は皇室の素顔を垣間見る貴重な機会だ。天皇、皇后両陛下は、言葉に重みがあり名言が多い。
皇太子さまの「人格否定発言」も記憶に残る。そして2月20日。
皇太子さま49歳の誕生日会見は、終了20分後に再開する異例の展開となった。
空白の時間に何があったのか。そこには、皇太子さまのある決意があった──。

皇太子さまに“異変”が見られたのは2月20日、49歳の誕生日に先立ち行われた記者会見が終了したあとだった。
記者たちは会見後に行われる懇談を待っていた。懇談とは、報道しないことを前提に行われる皇太子さまと記者たちのやりとりで、
会見よりもリラックスした雰囲気で進む。20分もたったころだろうか。
皇太子さまが突然、戻ってきて、「ひと言、申し上げたい」と何かを決意したような表情で話すと、会見の続きを始めた。
会見の再開は極めて異例のことである。
皇太子さまが口にしたのは、「雅子さまの病状について具体的に説明を」という会見の最後の質問に対する答えの続きであった。
雅子さまが一つの公務を行う場合には、全力を傾けることになる。そう話したあとにこう語った。
「一つの公務をするということは、その他の活動を言ってみれば犠牲にすることにもなりまして、
一方でお医者様からも、他の活動も復帰したらいいというお勧めもありますが一つの公務をする場合に、それだけ多くの日数をとって準備をする。
疲れも残ることもありますので、次から次へと新しい公務をすることはまだ難しい。そういうことをちょっと一言申し上げたかったわけです」
この発言、懇談ならオフレコになる。しかし会見なら公開される。
そこに、雅子さまの状況を国民に詳しく知ってほしいという皇太子さまの「思い」がにじむ。
今回の会見ではまた、雅子さまの病状について、繰り返し使ってきた「長い目で見守っていただきたく」というフレーズが消えたことも目を引いた。
会見の場にいた宮内庁職員がこう解説する。
「一つの公務を行うと、その他の活動を犠牲にする──など、感情的な表現を使われていると感じました。
20分と決められた会見時間を30分程度に延長したうえ、さらに補足なさっている。
『いつになったら説明責任を果たすのか』という不満が国民の間に渦巻く空気を、殿下も感じ取られたのではないでしょうか」
ほかにも、例年と比べて、全体に丁寧な言葉遣いが散見された。たとえば記者の質問に対して、「ご質問で触れていただいたように」と謙譲語を使い、
秋篠宮家の話題が出ると、「眞子内親王さまや佳子内親王さまに声をかけていただいて」と姪を「さま」付けで呼んだ。
男性皇族のこういう言い方は珍しい。実際、07年の会見では、「昨年9月の悠仁親王の誕生を」と「さま」抜きで表現している。

それにしても、なぜ皇太子さまはわざわざ会見を再開したのか。
その伏線は、皇太子さまのベトナム訪問を控えた2月5日の会見にあった。
この日、質問が体調を崩した天皇陛下と雅子さまや公務の関係に及んだ際、「予定の20分を過ぎた」として東宮侍従が会見を打ち切った。
内容が内容だっただけに、宮内庁の記者会が「国民の知る権利を尊重していない」と抗議文書を出し、
野村一成・東宮大夫が謝罪する騒動に発展している。とはいえ、前回の会見の“反省”だけではないだろう。
空白の20分に何があったのか。
ある東宮関係者は、「妃殿下の病状を記者たちにどう説明するのか。
ここ1カ月ほど雅子さまの主治医である大野裕医師が東宮仮御所で目撃されています。
この時も、皇太子さまと大野医師らで相談したのではないでしょうか」と推測する。
また先の宮内庁職員はこう話す。
「『妃殿下のことを説明するにあたって、どこまで話していいのかをご本人に相談したのではないか』という話も、半ば冗談でささやかれています」
こうした推測が飛び交うこと自体が、皇太子ご夫妻の追いつめられた状況を浮き彫りにしている。
この会見の3日後。皇太子さまが49歳の誕生日を迎えた23日午後3時から、皇太子さまにお仕えしたかつての職員や恩師などを招いた祝宴があった。
した関係者によれば、「(皇太子さま、雅子さま、愛子さまの)三殿下がいらっしゃると知らされていたのですが、
その場に見えたのは皇太子殿下おひとり。途中、侍従が殿下の耳元に何かささやくと『わかった』というようにうなずかれていた。
『妃殿下はいらっしゃらない』というお知らせだったのかもしれません。努めて明るく振る舞っていらっしゃったが、どこかお元気がなさそうでした」

そんな中で、皇太子ご夫妻は新たな“危機”に直面している。
ご一家のお世話をする東宮職のナンバー2である末綱隆・東宮侍従長の「辞職」がささやかれているのである。
末綱氏は05年9月、警察官僚として初めて、オクといわれる侍従職のトップに就いた。
もともと82年から東宮時代の天皇ご一家の護衛を担当し、皇太子さまが83年から英国の
オックスフォード大学に留学した際は、外務省に出向し在英国大使館1等書記官として同行したほど。
皇太子さまをはじめ、両陛下の信頼が厚いと言われた人物だ。異例の侍従長就任は、皇太子ご夫妻と、東宮職員の橋渡しを期待されてのものだった。
しかし、現実には、雅子さまの意向を把握することができず、人づてに様子をうかがう状況だったようだ。
「末綱さんは『難しい』と漏らす場面が多かった。侍従長の職を退くことについては、本人は否定も肯定もしていませんが、
身を引いたほうがいいのでは、と悩んだようです」(東宮関係者)
後任と見られているのが、加地正人・皇宮警察本部長だ。末綱氏よりも早い97年から3年間、東宮侍従を務め、皇太子さまと雅子さまの側に仕えた。
当時の鎌倉節・宮内庁長官が加地さんを引き抜いたのですが、長官などのオモテの役職ではなく、
側に仕えるオクの侍従職に警察官僚が入り込むことを快く思わない雰囲気がありました。ところが、非常に温厚な人柄で、事務的な采配もうまかった。
お元気な時期でしたが、雅子さまが公務に臨まれる場面で、侍従だった加地さんに確認するように目線を送った場面を記憶しています」(東宮関係者)
とはいえ、加地氏就任が吉と出るかどうかはわからない。
雅子さまは、1月7日、約5年ぶりに宮中祭祀に皇后さまの名代として出席したものの、その後は祭祀の出席や外出を伴う公務は実現していない。
今年は4月10日に両陛下のご成婚50年、11月に天皇陛下の即位20年を迎える。
それに伴う行事や祝宴では、采配をふるうなど皇太子妃の役割も期待される。
皇太子ご夫妻にとっても、勝負の年になるだろう。


テーミス2009年4月号
▼皇室の新たな危機1
「20分後に戻られた皇太子さま」
ベトナム訪問前の記者会見の打ち切りについて、皇太子さまは心を痛めていた(宮内庁担当記者)
雅子妃の病状についてはもっときちんと説明したいのに内心では腹をたてられているのではないか、
その後、異例のオフレコ破りをされたことは皇太子さまの並々ならぬ覚悟が感じられた。
誕生日に先立つ2月20日の会見の異例事態。会見は約30分間、いったん終了した。
ところが約20分後、皇太子さまは再び会見場に戻られ、異例中の異例ともいうべき追加会見を行ったのである。
会見場には代表撮影のカメラマンたちだけが残っていて、機材の撤収作業をしていた。
彼らがあわてて我々記者団を呼び寄せて、皇太子さまの会見が再開された。
その内容は雅子妃の病状について、具体的に説明したいというものだった。
皇太子さまは何か意を決したかのように発言された。
「雅子は周囲の期待もありひとつの公務に全力を傾けます(略)」
皇太子さまは犠牲と言う強いトーンの言葉を使って、雅子妃の病状について具体的に説明されたのだ。
この会見のあとには記者たちとの懇談会(オフレコ)が控えており、まさにその合間を縫ったオフレコ破りだった。
皇太子さまは何かをふっきれたのか、懇談会では中川昭一氏の「モウロウ会見」に触れたり、
テレビドラマにちなんだ冗談を言ったり、「ハイ状態」だった。
追加会見は、東宮職にも詳細は知らせずに、皇太子さまが独自に考えられたこと(皇室関係者)
皇太子さまは本当にまじめな方です。皇太子さまの周りには相談できる世話役がいない。
現在は大野医師の判断によるところが大きいのでしょう。
また皇太子のライフワーク「水」は今後の皇室のあり方を根底からゆるがす事態にもなりかねないとの指摘もある。
世界的に砂漠化が進み、水問題が今世紀最大の懸案事項になるといわれる。
ニュービジネスを誘発するともいわれる環境問題がこれに絡んでくる。
日本の外務省もODAに代わる技術として、日本の水をアピールしていくことを積極的に考えている。
皇太子さまが当事者として水問題に関わる背景には、外務省の思惑が感じられ、
当然、行きつく先は雅子さまの父、小和田恒氏が重要ポストを務める国連。
雅子さまは2月27日、1年3か月ぶりに「ライフワーク的な分野を見出す一環」(野村東宮大夫)で
国連大学を訪れアフリカに関するシンポジウムに参加された。
今後も国連に関する勉強を続けられ、公務に生かされるおつもりらしい。
▼皇室の新たな危機2
「千代田VS赤坂の戦争とも」
末綱氏が辞任に追い込まれる事態を迎え、東宮職が「迷える現実」を露呈している。末綱氏の辞任を惜しむ声が強い。
「野村氏と末綱氏が路線の違いでモメテいたことは間違いがない。
末綱氏は、皇太子さまが留学時代に家族ぐるみの付き合いもしていたほど。
東宮職内では、オモテの野村、オクの末綱のバトルだったとの声がもっぱらだ」(皇室ジャーナリスト)
新侍従長の下、東宮職は本当に機能するのか。終戦当時の宮内省は6000人余りの大組織だった。
「いざとなったら天皇陛下のために命を投げ出す」覚悟を持っていた。
だがGHQによってバラバラに解体されてしまった。
つぎはぎ、腰掛官庁の悲劇
宮内庁の運営を複雑にしてるのがオモテとオクの存在だ。
現在雅子妃の身の回りの世話をする東宮女官は、女官長を含めて5人。
しかし、小和田家の家族が東宮御所に出入りするケースも多く、礼子さんも実質上の女官長のようなもの
元宮内庁職員の山下晋司氏は語る。
「宮内庁は他の省庁のように許認可を持っておらず省益がない。直接の天下り先もないに等しい。
ただ、組織の権限や役割にあいまいなところがあり、皇室が難問を多く抱えるこれからは限界がある」
旧皇族の竹田氏「今の宮内庁は決して皇室のための機関ではない。幕末の京都所司代のような
江戸幕府の機関、多くの人たちは宮内庁が皇室を守る組織だと考えていると思いますが、
もはや完全に政府の出先機関にすぎません。羽毛田長官の一連の発言に見られるようにわざわざ問題を大きくしているとしか思えないものも多い。
もちろん、お守りしたいと思う方もいますが、宮内庁という組織となると政府の利害と
皇室の利害が対立したときに、常に政府の立場に立ってしまうのです」
竹田氏は昨年、皇太子のご参内が少ないことはさしたる問題はないと皇太子さまを擁護する論陣を張った。
ところが宮内庁は猛烈な抗議をしてきたという。
宮内庁はメディアの間違いを指摘するHPのコーナーを持っているが、
そこに「天皇皇后両陛下は、皇太子時代、週一回はご参内だった」というピントはずれの趣旨の反論を掲載。
これに対し、竹田氏が宮内庁総務課長に説明を求めたところ、「事実誤認」を繰り返すばかりで、
挙句の果てに「事前に書いたものを宮内庁に提出して頂ければ、こんなことにはならなかった」と言い放ったというのだ。
こんなおかしな体質を宮内庁が引きずっている限り、やがて皇室は崩壊してしまうだろう。
皇太子ご成婚当日、雅子妃の親友として、土川さんがTVに出ていたが実はあまり親しくなかった。
親しかったのは父親同士。土川さんのお父さんが東大で小和田父と昵懇だった。
小和田家サイドのシナリオに沿った証言をしてもらうために、
小和田恒氏が田園双葉に頼んで土川さんに親友代表として出演してもらった(同級生)
最近小和田氏は学習院の「常盤会」に手を突っ込もうとしている。
常盤会は女官を多く輩出してきた。
紀子様は常盤会の皇族会員、悠仁親王殿下は皇位継承第3位、
小和田氏が雅子妃の将来を考えると、女官はもっとも大事な問題となってくる。


週刊新潮2009年3月5日号
宮内庁記者が驚いた皇太子殿下「49歳会見」
今回の会見は再説明があるなどとにかく異例中の異例の内容で驚いた(皇室記者)
陛下の公務削減について皇太子の考えを聞ける絶好の機会だったが答えは通り一遍で肩すかしを食った印象
羽毛田長官の「新しい公務についての考えを4年待っている」について
皇太子は名誉総裁を務め(世界の貧困などを解消していく)ていることが新しい公務であると答えた形。
皇太子は雅子さまに国内公務のほか海外公務へ出て行ってもらうことを期待している


週刊ポスト2009年3月13日号
「雅子妃の犠牲」を語った皇太子発言から宮内庁が削除した「お言葉」
宮内庁が「削除」した言葉は、再度登場して説明した
「次から次へと新しい公務をするということはまだ難しい」云々の部分。
一度終了したのに再度登場したことも宮内庁HPではわからないような書き方になっている。


女性自身2009年3月?日号
公務や宮中祭祀への出席は「ご体調とのギリギリの闘いのなかで行われているということを、
皇太子さまは何としてでも理解してもらいたかったのでしょう。」(松崎氏)
2月20日夕方に皇太子の誕生日会見が行われたが、
2週間前の「会見打ち切り事件」の余韻が残っていて始まる前からピリピリ・ムード。
お祝いの雰囲気は皆無だった。陛下や秋篠宮さまの会見と全然違う。
皇太子さまが雅子さまのことをがんばりすぎと表現したことについて、もう少し詳しくと手を上げて質問を重ねる記者もいた。
若干不明瞭な話し方になった皇太子さまがそれを最後に会見場を退場。
予定の20分を越え約30分に渡る会見だった。
会見終了後20分ほどたってカメラマンが機材撤収中に、皇太子さまがひょっこりと再登場。これは異例中の異例の出来事。
一言申し添えしたいとして、 
「雅子は一つの公務をする場合にはそれに全力を傾けることがある。一つの公務をするということは、他の活動を犠牲にすることにもなる。
一つの公務をする場合に、それだけ多くの日数をとって準備もする。
結果として疲れも残ることもある。だから次から次へと新しい公務をすることは難しい。」


週刊文春2009年3月12日号
皇太子がオフ懇で「これにて一件落着」雅子さまはWBCへ
皇太子誕生日会見後オフレコ懇談会は大盛り上がり
ベトナム訪問時にバレンタインチョコを差し上げた女性記者に皇太子さまが「その節はありがとうございました」とお礼
「雅子さまと愛子さまから皇太子さまにチョコレートが贈られた。
それだけでなく、東宮職男性職員にもチョコレートが配られた」(東宮職関係者)
酩酊した中川会見の話から
皇太子さま「お酒はまあのみますが甘いものはあまり好きではありません、両刀遣いではないんですよ」
きわどい話題に記者は驚いた。
さらに皇太子さまはお開き時に「『これにて一件落着』と遠山の金さん(杉良太郎)のモノマネ」


週刊現代2009年3月14日号
皇太子「お祝いの儀」雅子さま欠席は「理由」なし-愛子さまとともに突然
ご進講の学者や関係者を集めた茶会。
事前の案内では三殿下がお見えになるということだったが、結局雅子妃と愛子さまはお見えにならなかった。
そのことについて皇太子や職員から理由の説明はなかった。
これまでは雅子妃、愛子さまが同席するのが通例だったが、今年は何の「理由説明」もなくキャンセル。
これには出席者の一部から驚きの声もあがった。
雅子妃は気分の良いときには大声で笑いながら仮御所内を走りまわるようなこともある。
記者会見の原稿は皇太子ご自身で書いた。しかし周囲のアドバイスを受け赤ペンでかなり削除。
雅子妃に関する部分だけでも数十行削除。

  • 最終更新:2017-03-16 22:02:24

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