人格否定発言 雑誌記事等

岩井克己氏
ご成婚前後に長老皇族周辺からこんな言葉が流れてきたのを思い出します。
『妃殿下というのは、外交官である必要はないんだ。つまり、ご本人はある意味ではある種、超絶したもので動いてはいけない。
まあ、儀礼的な存在である。そういう中にさまざまなメッセージを込めることが、一つの皇族の在り方あって、外交や政治とは一線を画さなきゃならない。
憲法上の立場からも、その辺りを誤解してはならないのだと。本来の本分(果たすべき、尽くすべき義務。)は、ですね。
長い歴史や伝統を受継いで、そして国内の国民に目を向けてですね、その苦楽におもいを寄せると、
それがあってこその海外での国際親善のベースがいわば、そこにあるのだと云う。
考え方を示唆されたのではないかと、そこでですね、
ご本人の持ち味と皇太子妃としてのさまざまな制約がある中でそれを、どう発揮していいか分らない。
そういう長年の苦労の積み重さなりがあったのではないかと思います。』


皇太子は会見翌々日(5/12)出発
見送りには秋篠宮両殿下、紀宮様(現:黒田清子さん)ら皇族方6人、
そして小和田優美子さんの姿も。(TV朝日のニュース内で)
雅子妃と愛子様は私室でのお見送り。


記者から「コミュニケーション不足なのではないですか?」と質問された長官は、
「難しい問題ですね。それにはお互い風通しのいい関係が大切なのですが、それが難しいのです・・。」
「プライバシーの問題もあるし、ご夫妻の内面の問題はご夫妻が話し合っていかないと、
こちらはどこまで踏み込んでいいかわからない」


皇室記者
今回の発言原稿は雅子妃の手が入っている。
「後ろ髪ひかれる~」発言は相手国に失礼


皇室記者が語る、宮内庁内部の意見
お役に立てなくて申し訳ありませんというような内容のお言葉を、皇太子様は仰らなくてはいけない。東宮職・側近は力不足。
2002年の、雅子妃の「外国に行きたい」発言に波紋があった。
外国からの招待状を受け取った、外務省からの要請を宮内庁が受け取り、案件をあげ最終的には、天皇にも案件を上げる。
その後、政府が最終判断をする。宮内庁職員は、先に天皇の意向を優先させるので、皇太子夫妻と天皇の意向が違う場合もある。
具体的には、皇太子さま宛ての「招待状」を皇太子らに報告せずに、断ったケースがあった。
雅子妃の父は外交官のため父親経由で外交情報が、入ってくることも少なくない。
そこで雅子妃が、知らない間にいつのまにか断られていた外訪招待の存在を聞かされていたのではないだろうか。
宮内庁が外国訪問をさせない理由に子作りが疎かになるという考えがある。
今回の欧州訪問も、皇太子は二人で行くことを考え雅子妃も最後まで、一緒に行ければと口にされていた。
だが、宮内庁が雅子妃の心身不良を考え、断念させた。
別荘での長期静養は母親優美子さんの案。
雅子さまの家族は宮内庁と、何度も話し合い説得させた。
静養場所も御所だと母親が泊まりこめないため別荘になった。これも、小和田家側からの提案。
3人で、スイスに静養へ行くという話も存在していた。
宮内庁批判に、職員と長官らは腹をくくっている。
今年の3月に開催された内々の天の古希の祝いは前立腺ガンからの復帰祝いを兼ねて美智子皇后が主催。雅子妃以外の皇族はみな出席していた。
雅子さまは天皇皇后両陛下に新年の撮影会(昨年暮れ)以来一度も会わず挨拶もしてない。
新年の撮影会の後には食事会も予定されていたが愛子さまをつれてさっさと帰った。
平成11年に秋篠宮両殿下がドイツに公務に行ったのが面白くない。(2泊4日の強行スケジュールだったが)
今回の皇太子のヨーロッパ訪問の前に天皇皇后両陛下に挨拶と食事をしたが、当然の如く雅子さまは欠席。予定より1時間も早く皇太子は退席。
皇太子殿下会見は30分遅れでスタート。理由は皇太子殿下による回答原案の推敲が長引いたため。
宮内庁長官官房審議官等が事前に発言チェックするが、政治的発言、日本国憲法との整合性等形式的な部分で、感情の吐露といった箇所はノータッチ。
人格の否定とは、湯浅長官の「第三子発言」と推測。
公園デビューは警備・宮内庁反対でのとりやめについて、雅子妃は苦悩(子育ても制約されたと感じた)
皇太子夫妻が内々に相談できる人がおらず、不満や注文がすべて会見の場で行われる異常事態。
現在雅子妃は東宮御所内散策などして静養中。公務復帰の見通しは全く立っていない。


アエラ
両陛下の思いとして「周囲を傷つけるような言葉を言うべきではなかった。
自分で引き起こした混乱は自分で納めなさい」というのがあるだろう。
宮内庁が皇太子夫妻が愛子さまを公園に連れていくのを中止させたのは、両陛下の意向の延長との見方もある。

雅子妃は婦人科で細かい検査をしたが、無問題だった。
「両陛下に私は子供を産める身体であることを、両陛下にお知らせできてほっとした」と周りの人に言った。
小和田恒氏が香淳皇后危篤の際に、御所まで駆けつけたが恒氏は皇族ではない。
恒氏の外務官僚特有の傲慢さが染み付いた行為。宮内庁だけではなく皇族方も不快に感じられていた。
いつまでも官僚を辞めないのはいかがなものか。
雅子妃は朝起きるのが苦手で昼まで寝ている。皇太子は雅子妃が起きてくるのを待っている。
家族でのお食事会の時、紀宮様はみんなのお皿に食べ物を載せて渡したりするが、
雅子妃はぼ~っと眺めているだけで何もしない。
優美子さんは、皇后陛下よりも先に皇孫敬宮愛子を抱いた可能性が大きい。
皇族関係者から不敬極まり行為と批難の声。
宮内庁では小和田家に対する反感が強い。

文藝春秋 櫻井よしこ氏
「同時に雅子さまは皇室に入られたことの意味を本来もっと認識しなければならないのではないかとも考える。
皇室の存在意味は、この国の成り立ちを私たちに示してくれることだと、私は大雑把にとらえている。
神々が自然の中に宿っていると感じ(略)
この国の姿を慈しみ、そうした日本の国柄というべきものを国民に感じさせて下さることが皇室の役割だという気がする。
この国の起源としての文明の担い手としての役割がである。私は雅子さまの在り様に少々疑問を抱く。
雅子さまにそのような精神性を感ずることができないことに気付かせられる」


朝日新聞新書/岩井克己著/「天皇家の宿題」
人格否定発言後、陛下に促されて、皇太子が追加説明の文書について発表されるまで半月もかかったのは、
雅子さんが説明する必要はないとなかなか納得しなかったため。
雅子妃が側近に『説明文書を出すなら、皇太子妃をやめます』と激しい口調で言って、電話を切った。
その側近はこのため心労で体調も崩してしまったようだ。
下書きの段階で皇太子は紀宮さま(黒田清子さん)に相談。
両陛下にわびる趣旨が入っていたが、発表された文書では
「(両陛下に心配をかけてしまったことについて)心が痛みます」と変化。
紀宮さまもこれには驚かれた。
両陛下の周辺も「恵まれない人々に対する気持ちの表明みたいだ」と困惑した。


帝王に私心無し 文藝春秋七月号:小堀桂一郎(東大名誉教授)
皇室の第一の使命は 「祭祀の御厳修を通じての蒼生の統合である」
「元来皇室に外交面での何らかの国益上の貢献を求めるという事自体が我が国体にそぐわない事」
この考え(法律)を元に考えると、皇室の海外国家との自主的外交、交流はやってはいけない事、であり、
皇太子殿下と雅子さまが求める「外交」とは何ぞや、と言う事に繋がる。
そうでないとするならば、雅子さまの求める皇室外交とは単に海外旅行がしたい、
と言っているに過ぎないわけで国民の税を使っての観光&自己の満足にしか過ぎない。
これを訴えた皇太子殿下と雅子さまは私情をぶちまけて国民を混乱に貶めた事に他ならない。
この事は皇太子殿下と雅子さまは「皇族としての役割の理解が出来ていない事であり、非難されて当然。
又、皇室典範に戻れば皇孫を作る事が雅子さまが果たす最大の役割であり、
これが無くして、又はこれが叶わぬならば、その他の役割は些少であるのではないか。
皇室典範改正論議は皇太子発言とリンクさせるべきではない。


東奥日報 断面2004年(2004年6月8日付)
▽“素人集団”
ご夫妻が暮らすのは、皇居から西に約二キロ離れた東宮御所。
秘書役の「侍従」「女官」各四人のほか、直近の身の回りの世話は内舎人(うどねり)と言われる男性職員、
女嬬(にょじゅ)、雑仕(ざっし)と呼ばれる女性の衣服担当、清掃担当が各四人。調理や警備を含めると、
総勢約百人が二十四時間態勢で仕え、「独自の世界」を形成する。
しかし幹部や侍従、女官は最も勤務経験が長い人でも、ご夫妻の結婚時からだ。
「皇室のしきたり」を雅子さまに指南するような「古参」はおらず、出向の役人を中心とした“素人集団”だ。
そのせいか「皇居で行われる宮殿行事や神事、そのほかの場面でも妃殿下と女官が作法を知らず、
後で両陛下の側近が注意したことがよくあった」と関係者は言う。


小堀桂一郎<正論> 産経
今回の文書は訪欧前の曖昧な表現の真意を明確にするようなものではなかった。
殿下は公務について思い違いをなされているのではないか心配。
そもそも公務というのは、海外での外交を重視するか或いは古来よりの伝統行事や国賓を迎えるなどの
国内公務のどちらかに重点を置くなどと <選り好み>できるものではない。曰く「帝王に私無し」である。
ああいう高い地位にいる方ならば、世間に与える影響力を考えて
軽軽しく内情及び公務に対する不満などぶちまけるべきではない。


雅子妃に「海外禁足」を強いた人物
週刊女性2004年7月20日号
ご発言の波紋と秋篠宮家の困惑
当初、宮内庁は「欧州から帰国された殿下に長官が面会し、発言の真意について発表する」方針だった。
しかし、帰国された皇太子さまは、湯浅利夫長官の面会要請を事実上拒否。
記者会見という形ではないが、自らコメントを発表されることになった。
「宮内庁長官の面会要請に、殿下が応じられなかったというのは異例のことです。
一方、欧州から帰国後、すでに約半月がたちますが、発言の波紋について、殿下も慎重にお考えになったようです」と、ある東宮関係者は語っている。
(略)
あの皇太子発言が、皇室とその周辺に与えた衝撃は大変なものがあった。
それは親善外交など公務のあり方といった次元の問題にとどまらず、皇室の微妙な人間関係、
とりわけ美智子さまと雅子さまの嫁姑問題をも表面化させたからである。
「英国のタイムズ紙は、《雅子妃は天皇、皇后に敵意を抱いている》と過激な報道をしていますが、
天皇はともかく、皇后との意思疎通に問題があったのは事実。
皇后には心外なことかもしれませんが、うつ状態といわれる雅子妃にとって、
この問題が大きな一因になっていると指摘する声があるのも事実です」とある宮内庁記者はいう。
先月22日、欧州3か国訪問を終え、東宮御所に帰られた皇太子さまを出迎えたのは、秋篠宮夫妻と紀宮さま。そこに雅子さまと愛子さまの姿はなかった。
(略)
「数年前から、皇室やその周辺では“皇太子妃には、むしろ素直で控えめな紀子妃のような人がよかった”なんて囁かれていた。
そんなことも、雅子妃をうつ状態にした一因といえなくない。それだけに今回の騒動では、秋篠宮夫妻も微妙な立場におかれているんです」(旧宮家関係者)
実際、昨年12月11日の湯浅長官発言(「秋篠宮家に第三子を」)は、雅子さまの心を決定的に傷つけた要因だが、
それだけに名指しされた秋篠宮夫妻の困惑も大変なものだったという。
(略)
実際、愛子さま誕生後、なぜか美智子さまと雅子さまの交流は次第に少なくなっている。
一方、秋篠宮家との、交流は以前にもまして密なものになっていたのも事実。
雅子さまが軽井沢の実家別荘で静養中の4月中旬、両陛下は紀宮さまとともに、赤坂御用地に花見にお出かけになっている。
最初、東宮御所で皇太子さまから雅子さまの様子を聞かれたというが、その後は秋篠宮家を訪ね、一家と食事を一緒にされている。
「次男の嫁は何事にも素直、長男の嫁は自己主張が強く、なにかと難しい、となれば
次男の嫁に目が向くのは人情として当たり前でしょう」前出の旧宮家関係者はそう苦笑するが、
さらに「実は、'02年末の雅子妃の記者会見での発言が、今回の騒動の発端」と注目すべき指摘をする。
この記者会見で雅子さまは、「外国訪問が難しい状況に適応することに大きな努力がいった」と発言されている。
愛子さま誕生の翌年、3度目の外国公式訪問前のこと。
「皇太子妃が記者会見の場でああいう不満を口にされるのは異例のことです」と宮内庁記者はいうが、
この会見後、湯浅長官は皇居に両陛下を訪ねて懇談をしている。
そして数日後、この雅子さまの発言について、次のような感想を語った。
「あれほど海外にお出かけになりたかったのかと驚いている。
ただ、お世継ぎ誕生は大きな問題であることを、ご理解願いたい」
この湯浅長官発言は、雅子さまの不満、要望への「事実上の皇室の答えだった」と、旧宮家関係者は指摘する。
「あれでは、海外訪問は物見遊山といわんばかり。あの答えで、雅子妃の心は傷ついたのだと思いますね。
一方、皇室サイドでは、お世継ぎ(男子)誕生はまだなのに公の場で不平不満を口にするとは…
という気持ちもあったのだと思う。いずれにせよ、あのときから双方の意思疎通に齟齬が生じたんですよ」
実際、その後、雅子さまは心身の疲れから公務を休まれることが目立つようになった。
そんな雅子さまの心中について、小和田家に近い知人は、こう語っている。
「8年間、雅子さまは“お子さまさえ誕生すれば…”という皇室の約束を信じて耐えてこられた。
だから、愛子さま誕生後の記者会見で“生まれてきてくれてありがとう”という涙ながらの言葉が出たんです。
そんな雅子さまを思うと、あの対応は不誠実すぎます」
今回の騒動で明らかになったことのひとつは、皇太子妃選びにおいて、
皇室や宮内庁には“皇太子妃にキャリアはいらない”という考えが根強かったということだ。このため雅子さまを皇室に嫁がせるとき、
小和田家では“皇室の釈明”を求めたとも…。親心としては当然のことだろう。
ともあれ'02年末の雅子さまの記者会見では発言を機に表面化した皇室内の確執は、
翌年5月の“愛子さまの公園デビュー”で決定的なものになったといわれる。
「ご夫妻が愛子さまを近くの公園にお連れになった5月23日は、皇宮警察音楽隊創立記念行事の日。
これには例年、皇太子ご夫妻が出席されていた。その公務を休んでのことでしたから、皇后さまは大変お怒りだったそうです」(前出・元女官)
が、その後も、皇太子ご一家は3回、公園にお出かけに。
「これについても、相当に厳しいやりとりがあったという声も聞きます」(同前)
事の是非はともあれ、独立独歩の姿勢を強く打ち出され始めた皇太子ご一家。一方、そんな中、雅子さまの心身のお疲れが度合いを深めていったのも事実だ。
そして、帯状疱疹の治療から退院された3日後の昨年12月11日、雅子さまの心の傷を決定的にした湯浅長官の発言が飛び出す。
「「秋篠宮家に第三子(男子)を!という発言の前に、長官は“これは私の考えだが”と前置きしているけれども、
あんな重大なことを個人の考えでいえるわけがない。実際、数日前に、長官は皇居を訪ねて雅子妃の容体などについて協議している。
だから、あれは事実上“皇室の将来は秋篠宮家に期待する”という両陛下の意向を意味している。
少なくとも皇太子夫妻は、そう受けとられたのだと思う。それが今回の衝撃発言を生んだんですよ」(元・宮内庁関係者)
欧州訪問前の発言について、皇太子さまは“(湯浅)長官時代のことではない”と否定されたと伝えられるが、
そのことは逆に、愛子さま誕生後の長官発言に象徴される一連の動きを示しているというのが、今では皇室関係者の一致した見方である。
(略)


(女性セブン緊急増刊「雅子妃のお気持」2004年)
「人格、キャリア否定」問題の核心 森暢平
…こうした経緯を踏まえ、鎌倉氏は、「皇太子ご夫妻がなすべきことは、『お世継ぎ』づくり。
そのために中東訪問を区切りとして、政治問題に巻き込まれやすい外国訪問は当分、ご遠慮いただく」
…鎌倉氏が宮内庁を去るまで、皇太子夫妻の「公式」の外国訪問は途切れる。
'95年1月の中東訪問から、'02年12月の豪州・ニュージーランド訪問まで、いわゆる「空白の8年間」である。
そんな折、皇太子ご夫妻に外国訪問のチャンスが訪れた。先に「空白の8年間」と書いたが、
葬儀、結婚式出席という「非公式」な形での海外訪問は例外的に2回だけである。
'99年2月、フセイン・ヨルダン国王の葬儀と、同年12月のフィリップ・ベルギー皇太子の結婚式への出席だ。
ヨルダン国王が死亡したのは同年2月7日。(略)外務省は数日前の危篤状態のときから、
皇太子ご夫妻の葬儀出席を求めてきた。鎌倉長官は渋ったが折れたという。
…皇太子ご夫妻にとっては一筋の希望になっただろう。自信を取り戻したご夫妻は、次の機会をうかがっていた。
そして、好機はすぐに訪れる。この年12月4日、ベルギーのフィリップ皇太子の結婚式が行われることになったのだ。
宮内庁サイドと皇太子ご夫妻がどうやり取りしたのかまではわからないが
ご夫妻が鎌倉長官を必死に説得したのだろう。


日刊ゲンダイ【俵孝太郎の辻斬り説法】 
2004年12月3日 掲載  
重大な意味持つ秋篠宮の「皇太子発言」への苦言
秋篠宮の皇太子発言に対する苦言は、もっとも至極だ。
マスコミが大きく伝えたのは当然だが、報道ぶりは核心を外れたものが多かった。
その核心とは、この苦言は秋篠宮個人の見解ではなく天皇の意思の代弁だ、という点だ。
秋篠宮は、記者会見の場で話す以上、
「発言前に、せめて(天皇)陛下と内容について話をし、その上での発言であるべき」だったと、
皇太子妃のキャリアや人格を否定する動きがあったことは事実、という5月の皇太子発言を批判した。
同様に記者会見の場での発言なのだから、事前に天皇に内容について話し、了解を得ていたことは明らかだ。
皇太子妃の「生活に伴う様々な苦労」の中身が、「生活空間にいろいろな人がいて配慮しなければならなかった」とか
「容易に外出することが難しかった」とかという、皇族にとって当然のあり方に対する不平不満にすぎなかった点を、
皇太子から直接聞いた話として明らかにしたのも、
皇太子妃の元外務省職員というキャリアにふさわしい公務のあり方について考慮を求めた皇太子の姿勢に対し、
「私は自分のための公務は作らない。したいことは色々あるけれども、イコール公務かどうかは別」
(以上引用は30日付読売)と述べたのも、天皇の意思の反映だろう。
率直にいって、最近の皇太子と皇太子妃の言動には、首をかしげる面が多かった。
病気なら療養は当然だが、身内の不幸では外出できるが災害で被災した国民の見舞いにはいけない病状など、
私人ならいざしらず最高の公人にありうるだろうか。
余震の中、体育館の床に膝をついて被災した幼児をあやした天皇・皇后の姿とは、違いがありすぎる。
秋篠宮の発言は「陛下のご軫念(しんねん)」、天皇の憂慮の念の代弁として、まことに重い。【俵孝太郎】

朝日新聞コラム
「文化にはしきたりもあれば、手続きもある。皇太子ご夫妻はそれを伝承する規定課題をこなした上で、
自由課題にのびのびと挑戦してほしい」

文藝春秋9月特別号「皇室断絶の危機に」
対談記事:八木秀次氏
私が疑問に感じたのは、6/8に皇太子が文書で出したコメントです。
「伝統やしきたり、プレスへの対応等々、皇室の環境に適応してきた課程でも大変な努力が必要でした」
「雅子には、経歴を充分に生かし新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っています」とある。
つまり、伝統やしきたりよりも、新しい公務を重視したいというご趣旨のご発言なのです。
しかし、これでは本末転倒ではないでしょうか。皇室が何ゆえに存続してきたのかを考えると、
伝統やしきたりを軽視していただいては困る、と敢えて申し上げます。

小沢一郎
ともかく皇太子の人格否定発言は大間違い。
皇室の義務も責任も自覚していないと結論していた。
秋篠宮発言については、言っていることはまっとう。
支持する立場だが、皇室内で意見の別れるのを公にすることについては疑問。


WiLL創刊2号 皇統「百二十五代」が日本の誇り
上智大学名誉教授 渡辺昇一
今年五月の皇太子殿下のご発言にコメントすることは差控えたいと思っていましたが、
秋篠宮様のコメントもありましたので、敢えて一言申し上げることにします。
それ自体はまさにご自身から発されたもので、周囲の近しい人たち、
ましてや天皇陛下には何もご相談されなかったのでしょう。
率直に申し上げて、将来皇后になる御方の、ご結婚以前のキャリアを重んじたいという殿下のご発想はいけません。
外交官というのは、日本の国益のために外国と交渉する役目です。
いったんご結婚されれば皇室の一員であり、皇室は憲法が示すように日本全体の象徴という存在です。
そこに属する御方が、結婚以前のキャリアに言及されるのはいかがなものでしょうか。
雅子様が訴えられたことは、要するに「周囲に気を遣わなければならない」 「思うように外国に行けない」
といった意味合いでしょうが、少し古い時代の卑近な例で言えば、息子の嫁が、結婚したら
下男や女中や姑に気を遣って、気安く外出できないとこぼすようなものです。
そういう会話はご夫婦の間にあっても構いませんが、夫婦の話題を将来百二十六代の天皇になる御方として
ご発言されたことはやはり不適当だったのではないでしょうか。
また雅子様もお覚悟不足の感は否めず、やはり皇室に入られたら
「自分の公務は作らない。公務は受け身的なものではないか」と秋篠宮様が仰っている通りだと思います。


山岡コラム
件名:皇太子殿下のご発言を考える
http://
www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160617.htm
「人格否定」は内外に大きな戸惑い/大切な国民の皇室への崇敬の念
懸命に働いている宮内庁職員 皇太子の衝撃的な発言は内外に波紋を広げたが、率直且つ簡潔に言うが、
問題は女性外交官の職のために一度は固辞された雅子様に「皇室外交も同じではありませんか」―と
半ば強引に求婚された皇太子に今度の事件の遠因がある。
だから雅子様は宮中に「就職」されたと言われたのである。
そうではなく、外交官と皇太子妃とは違うことを雅子様に納得してもらうべきだったのである。
(自分の責任を無視して何でも他を責める時代風潮なので敢えて直言した)。
当然、現実との乖離に加え、「お世継ぎ問題」や、無責任なメディアの犯罪によるご流産、
そして皇后陛下の「いじめ」報道や論評などで(メディアは美智子皇后様をも失語症にした
前科を有している)精神的バランスを破壊されたのが雅子様現在の情緒不安定の原因なのである。
そして国民の多くは単純に宮内庁を批判し非難した。しかし、それは間違いだ。
元式部官(外務省出向)として筆者は断言するが、宮内庁官僚は上から下まで両陛下および
皇族のためにすべて良かれと願って誇りと使命感で懸命に働いている。
だから今度の皇太子発言で最も傷ついたのは彼らなのだ。しかも彼らには反論することは許されないのである。
皇太子は心ない言葉を公言したのである。そもそも外国訪問は大仕事なのだ。
お世継ぎのことを考え、ご体調のことも考えれば外国旅行ばかり重視出来ないのだ。
一方で厳しい国民生活を考えればむしろ国内で国民をお励ましになるお仕事の方が
より大事なのではないか?の声も上がっていた。それを「後ろ髪を引かれる思いで出発する」とは、
これまた問題発言である。皇太子は自らの言葉の重みをもっと知るべきである。
同じように「生涯雅子を守ります」は結構だが、それで宮内庁官僚たちを悪者視するのは
将来の天皇として如何なものであろうか?
皇太子は例えば西欧王族と比較して過剰警備を指摘されるが、しかし、天皇制廃絶を叫んで
皇居にロケット弾を打ち込む計画もあった日本と同一視すべきではない。国情が違うのである。
それで万一不祥事が起きたら責任はまたしても宮内官僚なのか?

両陛下にご相談なされるべき
それに「開かれた英国王室」の惨憺たる状況を見るがいい。先日、デンマークの知人から電話があって
フレデリック皇太子のご成婚で国中が祝祭の雰囲気だと言っていたが、
確かに北欧三国中でデンマーク王室が最も安定しているが、それはマルグレーテ女王の人気と
ヘンリク殿下(元フランス外交官)の控えめな夫君としてのあり方のためである。
対してノルウェー皇太子の子連れシングルマザーとのご結婚は(一般に珍しくもないのだが)
さすがに王家の人となると不快感を持つ人々も少なくないのである。
「開かれた王室」と言うが、バジョット(英国憲政論)も言うように、「華やかな馬車列の背後にあるもの」
との兼ね合いは極めて難しい政治問題を有しているのである。現在(宮内庁も含めて)女帝容認論が多数派だが、
しかし皇室典範の改正だけですまない問題もあるのだ。
一例が必ず起こる皇配殿下(ご夫君)の問題がある。仮に政治家や大企業の息子あるいは凡庸すぎる
平民とのご結婚を考えてみたらいい。最悪の場合には俗世間の力が宮中に入り
女帝退位の危険も現実化するかも知れない。
そこで結論に戻るが、皇太子はあのご発言の前に、両陛下及び宮内庁首脳たちと充分にご相談なされるべきだった。
そして皇太子ご夫妻は両陛下が日本国民から模範的なご夫妻として敬愛の念を集めておられることを考え、
仮にも両陛下を敬遠するようなことがあってはならない。
実母小和田優美子夫人に過剰依存し、他方で陛下の古希の祝宴には欠席するというのも非礼である。
雅子様と同じ民間ご出身の美智子皇后様がそれなりにご苦労をなされて、今は公式行事でも
疑問点を陛下とご一緒にご相談なされている例をご参考とすべきではないだろうか―?
筆者は国民のことしかご念頭になかった故昭和陛下と、おそばに控えるだけで優しい春風を
感ずるような皇后陛下(有名なエムプレススマイル)のお人柄に完全に魅了された者であるが
(その証言は無数である)、皇太子ご夫妻は現両陛下と故昭和両陛下のあり方を学ばれるべきである。
皇太子はメディアを通じて軽率に「人格否定」などといったご発言はなすべきではなかったのである。
それは内外に大きな誤解を与えたが、筆者自身もそれによって皇室への崇敬の念を傷つけられたのである。

皇室のよきアドヴァイザーを
しかしもともとご誠実で善意と知性に豊かなお二方故、雅子様はご静養の中で改めてご自分を考えられ、
皇太子は今少し理性的且つ多角的な視野をもたれて欲しいものである。
そして結論はかつての小泉信三博士のように広く深い学識と教養をもった皇室アドヴァイザーの
必要である。入江、徳川両氏のような人々を求めるのは困難な時代ではあるが、真剣に考えるべきであろう―。
北欧文化協会理事長 武田 龍夫 世界日報 


文藝春秋9月号
「平成皇室会議 皇統断絶の危機に」
「皇太子 『平成の人間宣言』」及び「美智子皇后と雅子妃の宿命」より
櫻井 
私はここまで言わねばならないほど追いつめられていたのか、お気の毒だなあ、という部分と、
でも発言されないほうが良かったのでは、という気持ちの2つに引き裂かれるような思いを持ちました。
よく東宮御所の周りを歩くことがあるのですが、住居としては広いかもしれないけれど、
生活を完結させる空間として考えると、とても狭い空間です。
殿下は非常に先細りのする思いで暮らされているのではないか。
しかし、皇太子という特別の地位には引き受けるべき責任と、
沈黙によって守られる威厳があるだろうとも思うのです。
そこをひとたび破ってしまうと、果てしなく破れていかざるを得ないと心配しています。

櫻井 
30代、40代の女性の間で、今回の皇太子さまの発言に対する支持率は非常に高いですね。
私の周りの女性に聞いても、あれほど妻を守ってくれる現代的な感覚は素晴らしい、と言います。

米原(万理)
その意味では、あの会見はプラスの面もあったと思います。
30代女性から新たに高い評価を得た、と。

櫻井 
とはいえ、皇室の役割、この国を象徴し、日本の歴史と文明を自分の身にあらわしながら存在していくべき
人々が皇室ではないかという問題になると、皇太子を支持する彼女たちもはたと迷うわけです。

八木 
もうひとつ、私が疑問に感じたのは、6月8日に皇太子殿下が文書で出されたコメントです。
伝統やしきたり、プレスへの対応等々、皇室の環境に適応しようとしてきた過程でも、
大変な努力が必要でした」と述べられたあと、
「雅子には、経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っています」とある。
つまり、伝統やしきたりよりも、新しい公務を実現したいという趣旨のご発言なのです。
しかし、これでは本末転倒ではないでしょうか。
皇室が何ゆえに存続してきたのかを考えると、伝統やしきたりを軽視していただいては困る、と申し上げたい。

櫻井 
いずれにしても、もし雅子さまが外務省にずっとお勤めになっていたら、
到達できたであろうキャリアがあったはずだ、という不満が、雅子さまにはある。
それが外遊を規制されることへのご不満としてあらわれているのでしょうが、
私は国民の側にも不満があると思っているんですね。
国民の側からすると、雅子さまに期待されていることはもっと大きくて、しかも難しいことかもしれません。
それは、私たち自身も非常に捉えがたい日本というものを体現する、というお仕事です。
そこのところを、雅子さまがどのくらい意識されておられるのか。
雅子さまはたぶん現代女性ですから、現代女性としての能力の開花や活躍を求めているのかもしれない。
それはそれですごく立派なことですが、皇室の一員となったからには、もっと別の役割があるのではないか。
もし自分が引き受けろ、といわれたら、しんどくてとても出来ないとは思いますけど。


週刊文春
「秋篠宮の発言内容は両陛下も承認済み」、
「秋篠宮夫妻のスケジュールは真っ黒。務めを果たしている自信からあの発言があったのでは」
「紀宮様の結婚をまとめた功績もある」
紀宮様の誕生日会見(公務は私事より先ずる~)を引用し、秋篠宮様を擁護。
「ご高齢で、なおかつご病気の天皇と皇后が、被災地を訪れ
被災者を激励していた、その日に御料牧場へ静養する皇太子一家の非常識。」
「雅子さまの行動に国民は不信感」
「雅子さまは、「皇室に入ってあげた」という意識がある。」
皇室関係者
皇后陛下に、皇太子一家のご静養の時期をずらすよう勧められては、と進言した方もいたそうですが、
四十四歳の皇太子にそんなことは言えないでしょう。だから秋篠宮発言にはご満足のご様子だった。

フライデー
人格否定発言の時にその犯人としてやり玉にあがったのが現湯浅宮内庁長官と前鎌倉長官。
特に鎌倉氏はお世継ぎ第一の立場で、海外公務に行けなかった時期にもあたるので
この人物が雅子妃の人格否定の動きの中心と言われた。
しかしフライデーが直撃した時も、「そのうち皇太子自身のお答えでわかるでしょう」と
余裕綽々の受け答えで悪びれる様子もなかった。
人格否定発言の直後、湯浅長官が「役所の立場で(皇太子ご夫妻の)内面、家庭のどこまで入れるか、
入るべきか、入らざるべきか、難しい問題で悩ましい」と、
問題の在処が夫妻のかなりプライベートな部分であることを示唆したにもかかわらず
そのことは不問にされて、マスコミによるステレオタイプな皇太子雅子妃擁護宮内庁叩きが行われただけだった。

週刊ポスト
天皇皇后両陛下も、皇太子も秋篠宮の会見を事前に知らされていた。

週刊新潮
秋篠宮さまの発言が皇族や宮内庁に支持されている。
「秋篠宮さま発言は皇太子発言だけを念頭に置いたものでなく、雅子さまが静養のために実家である
小和田家の別荘を使ったり、公然と皇室外交を主張して'私'を強調する姿勢に疑問を呈したものですよ。
皇室は天下万民のためにある、という伝統的な考え方であり、
皇太子ご夫妻の 考え方は非常に危険ではないか、という思いが、あの発言になったのだと思います。 」

平成皇室論 橋本明 朝日新聞出版2009年7月
「人格否定」の発言が出た後、改めて東宮ご成婚十年の東宮職人事を点検して、おや、と首をかしげた。
東宮大夫だけでも菅野弘夫、森幸男、古川清、林田英樹と四人を数え、東宮侍従長も平成十四(2002)年までに七人も代わっている。
宮内庁内部組織でもとかく独自世界を構築しがちな東宮職で首のすげ替えが頻繁に行われていた。
陛下が東宮殿下のころ、穂積重遠東宮大夫兼東宮侍従長-野村行一元学習院教授-鈴木菊男と東宮大夫は代わったが、
鈴木が在職二十年などいずれも長期奉職であり、ひとかどの人物像を結んでいた。
雅子妃入内以来東宮職の人事がひんぱんに行われた客観的事実は、何事か潜行する形で発生した異変を予知する動きではなかったろうか。

外交官の延長のように外国訪問を望む雅子妃に対しては、むしろ古巣の外務省関係者から疑問の声が上がっていた。
外交とは国益を守るために政治家や官僚が行う交渉ごとであり、生々しく政治的な色合いを帯びる。
皇族の国際親善とは次元が違うというのである。
殿下は雅子妃の「人格否定」を訴えた記者会見の中で「雅子のキャリア」という表現を使っている。
カタカナ語でキャリアとは、専門における長き道のりを表す。外務省に入省してほどない一外交官の卵に冠するには
「経歴」とされるべきであった。殿下には折角の道を手折って来てくれた、という思い入れが強すぎるのかもしれない。



週刊現代2004年12月18日号
秋篠宮「兄・皇太子への不満」
秋篠宮さまの誕生日を祝う夕食会は、紀宮さまと婚約者の黒田氏を祝福する話題で盛り上がり、
この日報道された、秋篠宮記者会見の話はほとんど出なかったという。
紀宮の婚約を祝う夕食会が予定されていたが、新潟県で起きた地震被災者を心から心配されている、天皇皇后両陛下の以降で延期されていた。
そのため、11/30の秋篠宮さま誕生日を祝う夕食会が、紀宮さま婚約が報道されて初めて天皇ご一家が、一堂に顔を合わす機会になったという。
しかし、その中に雅子妃の姿はなかった。祖母の服喪中のためというのが欠席理由だが…
「夜の外出時には、愛子さまの保育係を手配しなければなりません。
しかし、雅子さまは服喪される前の時点でも、保育係を手配された形跡がありません。」(宮内庁幹部)

五月に開かれた皇太子さま記者会見を振り返る。「皇族の記者会見は、数日前に事前収録しておく事が通例ですが、
出発直前まで雅子妃が同行するのか決まらなかったため、異例の当日収録当日報道となりました。」(宮内庁担当記者)
皇太子さまはこの記者会見を、天皇陛下に相談されることは無かった。
一方、今回の秋篠宮さまの会見は「秋篠宮殿下の会見の模様を収めたビデオを、その日の内に、侍従を介して天皇皇后両陛下に届けられています。
ビデオをご覧になって陛下は苦笑されていたそうです。」(宮内庁幹部)
宮内庁内部では、今回の秋篠宮さま発言をよくぞおっしゃってくれた!と評価する声が圧倒しています。
「五月の皇太子さま記者会見は、内容が宮内庁批判だったため、皇太子さまの側近でさえ支持するものが少なかったのです。
そのため、秋篠宮さまの発言は【自分たちの気持ちを代弁してくれた】という思いが、宮内庁職員の中にあるようです。」(宮内庁担当記者)
天皇陛下は記者会見文書を用意して、それをそらんじて話している。誤りがあってはいけないので、宮内庁が事前に確認しているという。
皇太子さまは、自分で文書を用意して、それを読み上げる場合が多い。
秋篠宮さまは、事前に話す概要を頭に入れておくだけで、文書を用意する事は殆どない。
「秋篠宮さまには兄と比較して待遇の不満があるとおもいます。例えば、警備上皇太子さまが一般道を移動する際は信号がすべて青になります。
立場上、同行する人数公務が多いための配慮です。一方、秋篠宮さまが移動する場合、一般車と同じように、赤信号なら止まらないといけません。
そのような待遇の違いが、不満の遠因になっている可能性がありますね。」(宮内庁関係者)
ちなみに、東宮家を支える東宮職員は約70人。秋篠宮家を支える宮内庁職員は、わずか6~7人ほど。
「紀子さまは、両陛下に対する気配りが、大変お上手です。
天皇陛下が皇太子であった時代から行なわれている東宮主催の『法曹テニス』と呼ばれるテニス大会があります。
この大会は、法曹関係者を招いて毎年行なわれています。皇太子さま・天皇陛下・秋篠宮さまも参加されます。
参加者の着替えは、東宮御所で行なわれるのが通例でしたが、今年は雅子さまがご病気のため両陛下のお気遣いで、秋篠宮邸で着替える事になったのです。
紀子さまは、両陛下がいらっしゃると言う事で、率先して準備しました。自ら草むしりをしてお迎えしたのです。
(草むしりは異常な炎天下のため、紀子さまは10分程度で終了させ後を他人に任せたという。)
このようなエピソードは、自然と両陛下のお耳に伝わるものでしょう。
一方、雅子さまはこういった、気遣いが非常に苦手な方なのです。」(宮内庁関係者)
秋篠宮さま会見では、秋篠宮さまに発言を促された紀子さまが発言せず、そっと秋篠さまに耳打ちするシーンが映ったが・・
「あの時、紀子さまは『これを言わないと』という雰囲気で、『規模が…』とおっしゃったようです。
それを聴いた秋篠宮さまが、これまで皇太子批判めいたことを言っていたが『東宮御所と、自分のところではまるで規模が違うし、
自分たちにはわからない苦労もあるのでしょう』と、発言して皇太子ご夫妻のフォローをしました。
紀子さまのナイスなフォローだと感心しました。」(宮内庁関係者)
一方の雅子さまは…
2002年の会見で「(6年間外国訪問が)なかった環境に適応することに、大きな努力がいりました。」と、唐突に海外訪問がない不満を口にされた。
これを新聞報道で知った天皇皇后陛下が大変驚いて、皇太子ご夫妻の心中を案じそして、そのような天皇の心中を案じる(天皇の)側近たちが、
大慌てで記者会見全文を取り寄せたといった、エピソードが漏れ伝わってきている。
皇太子は、皇室で「孤立」を深めているのではないか、という指摘もある。
天皇の学習院時代の「ご学友」で、元共同通信記者・橋本明氏はこう語る。
「皇太子殿下は過去10年間、天皇陛下との間が疎遠になってしまったのです」
それは、なぜか。
「皇太子さまは、天皇陛下から面会を打診されても、なかなか御所に会いに行かない。
愛子さまと天皇陛下があまり会っていないことは、以前から指摘されていることです。雅子さまも積極的に、交流を図ろうとしない様子。
一方、秋篠宮ご一家はことあるごとに、御所を訪れます。眞子さま佳子さまも紀宮さまととても親しい。
また、秋篠宮ご夫妻は、皇后陛下の養蚕用の桑を取りに行くなどの世話をしている。天皇お田植えの稲などの収穫も手伝いに行く。
皇太子一家はそういうことに積極的ではないようです」(全国紙宮内庁担当記者)
海外公務が無い批判が出ているがそもそも皇太子夫妻は国内公務も他の皇族と比べると少ない。
前立腺がん手術の時、天皇陛下は「まだ死ねない」と言った。やはり日嗣が居ないことが気がかりになっているようだ。
雅子さんの流産のリーク元は医療関係者と宮内庁(東宮)、外務省説が有力。
「ご懐妊の兆候で、ベルギー訪問は微妙な時期。東宮職で反対する者もいた。だから、朝日新聞にリークした者が出た」
妊娠をマスコミにリークされた、雅子さんにとってショックだった。
でも国の一大慶事。皇太子妃なのだから。
それを過剰にショック受けて、それからは誰かと話すときは女官がいないか確かめにドアを開けて確かめるところまでエスカレートするようになった。
実際、体調 不良を理由に公務を休まれることも多く、特に平成12年夏、皇太后の本葬にあたる
『れん葬の儀』を欠席されたときには強い批判の声も聞かされました」(宮内庁担当記者)


【皇太子ご夫妻ご成婚20年記念特集】
(1)「人格否定発言」の真意
2013.6.8 12:00
「実はあの発言の少し前、皇太子さまからご相談を受けました。私が『思ったことを会見でおっしゃってもいいのでは』と申し上げたところ、
『本当に言ってもいいのでしょうか』と述べられていました」
皇太子さまと親交の深いある人物は、こう打ち明ける。
あの発言とは、平成16年5月10日、皇太子さまが訪欧前の記者会見で述べられた、「人格否定発言」である。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
当時、皇太子さまは44歳、皇太子妃雅子さまは40歳。雅子さまのキャリアや人格を否定する動きとは、何だったのか。
“お世継ぎ”を求めるプレッシャーや、外国訪問をなかなかさせない宮内庁への批判だと受け取られたが、皇太子さまが具体的に説明されることはなかった。
「私たちには、いまもよく分からない」宮内庁幹部はこう語る。発言の真意は、宮内庁に十分伝わったとはいえない。
「『2人で海外公務をできないことが残念だ』と皇太子さまが述べられても、『2人で海外に遊びに行きたいのか』と宮内庁側には受け止められたようです。
『2人でないとできない海外公務があることを、宮内庁は理解できていない』と悩まれていたんです」

「ある人物」は、発言で皇太子さまが伝えられたかった思いを、こう明かす。
「発言前、『プロ野球の監督が選手に直接、良い悪いを言わずに、マスコミを通じて選手に伝えることがあります。
皇太子さまも、マスコミを通じて、思いを伝えられたらいかがですか』と申し上げました」
発言は、こうした助言を後押しに、宮内庁側に対して行われたものだった。
5年6月9日に皇太子ご夫妻が結婚されてから、雅子さまは皇族として次々と国際舞台に立たれた。
翌7月の東京サミットに伴う宮中晩餐(ばんさん)会では、各国首脳夫妻と歓談し、翌年には中東4カ国をご夫妻で初めて訪問された。
その一方で、“お世継ぎ”のプレッシャーも確実にあった。ある元宮内庁幹部は語る。
「『外交官だったといっても、海外赴任経験のない卵。外国で何ができるか、海の物とも山の物とも分からないのだから、
まず“お世継ぎ”に専念されるべきだ』との空気が、庁内にあったのは事実です」
 
「外国育ちの雅子さまは皇室入りする際、ご両親の助言で日本の伝統を改めて学んだりしていたが、そのまじめ過ぎるご性格から、
皇室になじまれるのには時間がかかったのでしょう」
ハーバード大学の客員教授時代から、留学中の皇太子妃雅子さまと交流してきた書家の小川東洲(とうしゅう)氏(85)は、こう振り返る。

流産を乗り越えて、平成13年12月に長女の敬宮(としのみや)愛子さまが誕生されても、“お世継ぎ”のプレッシャーは続き、
長男ご出産を優先させるため外国でのご公務がなかなか認められないという現実は変わらなかった。
「6年の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして、私自身その状況に適応することに、なかなか大きな努力が要った」
雅子さまは14年12月、ニュージーランドとオーストラリアにご夫妻で訪問される前の記者会見で、こう心情を明らかにしている。

翌15年12月4日、雅子さまは帯状疱疹(ほうしん)のためご入院。その後、宮内庁は雅子さまの長期のご休養を発表した。
当初は翌春ごろまでとされたが、ご療養期間は既に9年半に及ぶ。人格否定発言は、ご休養入りから約5カ月後のことだった。
「皇太子さまは、安易に人を批判される方ではない。よほどのお考えがあってのことだろうと思った」
宮内庁東宮職の元職員は、こう話す。発言は、天皇陛下や皇族方にも大きな波紋を広げた。
秋篠宮さまは16年11月の誕生日会見で「記者会見で発言する前に、陛下とその内容について話をして、
その上での話であるべきではなかったか。残念に思います」との趣旨の発言をされている。
天皇陛下も翌12月、誕生日に伴って発表した文書で「何回か皇太子からも話を聞いたのですが、まだ私に十分に理解しきれぬところがあり…」と述べられている。
それでも、発言の真意について口をつぐまれた皇太子さまの意思がかわることはなかった。
宮内庁は同年6月、雅子さまの治療のために専門医をつけ、7月には病名も適応障害と公表。ご闘病生活は一進一退を続けている。
このため、次第にご夫妻に対する風当たりが強くなっているという事実もある。
「治療が長引いているのに、なぜ(主治医以外の医師に意見を聞く)セカンドオピニオンをお求めにならないのか」
「将来、皇后になられてからも、公務に出られないのでは困る」…。
ご成婚から20年のうち、ほぼ半分を占めるご療養期間の間、皇太子さまはご自身の誕生日会見に毎年1人で臨んでいるが、
何度となく雅子さまの病気への理解を訴えられてきた。批判めいた発言は封印し、治療を見守る姿勢を貫かれている。
だが、周囲が見守るだけで状況が改善されるのか、答えは見えない。
「本格ご復帰のために、何をしてさしあげればいいのか、分からないのが正直なところだ」。宮内庁幹部は、こう明かした。
http://
sankei.jp.msn.com/life/news/130608/imp13060812000003-n1.htm

  • 最終更新:2018-10-28 16:37:46

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