両陛下の歩いた道のり


週刊朝日2015年1月2-9日号
渡辺允・前侍従長インタビュー
天皇陛下「平成流」を築いた道のり

12月23日、天皇陛下は81歳の誕生日を迎える。1989年1月7日、
55歳で即位した天皇陛下は、皇后美智子さまとともに、平成流皇室を築き上げてきた。
元朝日新聞編集委員の岩井克己氏が96年から10年半にわたり、
侍従長としておそばに仕えた渡辺允(まこと)氏(78)に、おふたりが歩いた道のりを聞いた。

岩井:陛下は言葉だけでなく行動される。東日本大震災直後に当時の石原慎太郎都知事が被災地には
若い皇族を派遣したらどうですかと言ったら、後で陛下が知事のところに歩み寄り、「やはり、私が行きます」とおっしゃった。
知事は記者たちにそのことを明かし、「男だねえ」と言ったとか。
避難所お見舞いでもできるだけ大げさにならないよう、ぶっつけ本番で話しかけられることも多いですね。
頭で情報をやりとりするような形でなく、何が起きるかわからないが、とにかく向き合って一期一会という。

渡辺:まったくそのとおりで、陛下と皇后さまも補い合っておられるところがあると思います。
多くの人との関係は、一瞬ですね。ひと言、ふた言ですね。
皇后さまは、そのひと言ふた言が、相手の胸に響くようなことを言われる。
陛下のほうはもう少し一般的。「どうですか?」と。天皇だなという感じ。

岩井:名も知らない庶民とぶっつけ本番でお会いになるのが、とても喜びでらっしゃるようにもみえます。

渡辺:皇后さまの傘寿の文書回答でこれまでの80年間を振り返る中で、
天皇陛下が手術から退院されて葉山の町を散歩していたら、通りかかった男性が車から降りてきて
「陛下よろしゅうございましたね」と言ってまた車に戻った。幸せな気持ちがしたと。そういうことを覚えておられる。
地方行幸啓などでは、車でホテルに到着されると目の前に大勢の歓迎の人たちがいる。
われわれの想定では、車を降りてその人たちに手を振られながらホテルに入られるはずなのに、
しばしばその人たちに近寄っていってしまわれる。
「どこから来られましたか」などの話になる。自然といえばそうかもしれない。
サイパンご訪問で、着いた日の夕方に日本から来た遺族や戦友会の方たちとお会いになる機会があった。
約40人が半円形に並んでいて、代表の人が挨拶をしてすぐに終えられる予定。
その後に食事会もあり、翌日には猛暑の中で慰霊に回られる厳しい日程が控えていたからです。
しかし、その部屋に入られたとたんに並んでいる人に端から順番に話しかけられた。
ずいぶんと時間が経ってしまった。
しなきゃいけないとか、したいからしているとかいうより、何というか自然なんです。

岩井:なさりようは海外での王室や国民との親善でも同じでしょうね。
晩餐会で正装でエスタブリッシュメントの方たちと接するときも、
想定外で地元の一般庶民の人たちとやり取りするときも、人間同士おんなじと。
象徴天皇の海外親善としては、その部分が非常に大事なのかもしれませんね。
渡辺さんは何度も外国訪問にお供されたわけですが、印象に残る場面は?

渡辺:オランダのライデン大学で、構内をゆっくり歩かれた。
たまたま留学生がいたり、学生寮から女学生らが身を乗り出していると、すっと近寄って話しかけられた。
アメリカ訪問では、シークレットサービスが両陛下が人々の中に入っていかれるのにはじめは反対だった。
アメリカ人は遠慮がないから、ひしめいてだれか転んだりすると危ないと。
しかし彼らはがっちりと腕を組んで退路を確保して十分に両陛下がなさりたいようにしてくれました。
他の外国要人だと、そういうことはしないのかもしれませんね。
皇太子時代の両陛下の親善訪問を担当したセルワ・ルーズベルトさんという米国の女性儀典長が回顧録で
「両殿下はレセプションなどで表面的な挨拶ではなく本物の会話をなさっていました」
「ワシントンのホスピスで、妃殿下が老人の一人ひとりに示された優しさに心を打たれました。
実は、在任中に、このときだけは、仕事中に涙が出て、止めるのに苦労しました」と書いたことがありましたね。
とても印象に残ったのだと思う。



岩井:天皇、皇后両陛下について言えることですが、相手との一期一会を大切にされる姿勢が際立っておられるように思います。
その結果、一人ひとりを背景を含めてよく記憶しておられる。
その人脈の幅広さと多彩さに驚くことが少なくありません。

渡辺:お会いになると相手に強い関心をもって集中されるから、結果として相手のことを覚えられる。
たんに一人ひとりが大切だと抽象論をおっしゃっているのではなく、実践を重ねておられるからでしょう。

岩井:昭和天皇の時代、側近らは「2万人いるうち直にお会いになれるのは200人だとすれば、残りの人たちに不公平になる。
特定の人と接点をもてば他の人とも機会を設けねばならなくなる」
「だから代表者と会うか、全員に対するお言葉を述べられる」という考え方でした。

渡辺:今上陛下のお考えは明らかに違う。どうやっても2万人全員とは会えないけれど、
そこで200人とお会いになったときに200人とできるだけ心が通じる努力をされている。
1億2千万人の国民すべてにお会いになることは一生かかってもできない。そこはある意味、仕方ないわけです。

岩井:たとえば昭和天皇は贔屓(ひいき)の力士の名前は言いませんでしたし、
何の番組を見ているかも「放送局も競争が激しいから」と明かさなかった。
それに比べて両陛下は具体的な名前を挙げられることも多い。
北島康介選手が金メダルをとったときに「なんもいえねー」と叫んだのを歌に詠まれ、
作家や音楽家の固有名詞をお出しになって悼むなどされる。

渡辺:誰の名前を出すかは、とても慎重に考えておられます。
間違っているかもしれませんが、個人の名前を出されるのは皇后陛下が多いのではないですか。
それは国民との関係のこまやかさの面を補っておられるところがある。
やはり両陛下お二方として国民というのは一人ひとりなんだという発想でおられるところから出発していると思う。

岩井:昭和天皇と現天皇陛下との違いはどう考えればいいのでしょうか。

渡辺:君主とは何かということだと思います。
日本で言えば明治憲法下の昭和天皇は、統治権の総攬(そうらん)者で神聖にして侵すべからず、の存在。
それはそういう時代でした。
ただ、いまは民主主義の下での君主であり、この地位は主権の存する国民の総意に基づく。
それだけ国民との距離が近くなるわけだし、国民の支持がなければ成り立たない。
陛下は「国民とともに」からさらに踏み込んで「国民に尽くす」とおっしゃっています。

  • 最終更新:2017-05-27 15:08:56

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