お見舞い騒動関連記事

週刊文春2012年3月29日号
16日の定例会見でわざわざ「体調の波」に小町が触れたのは 
雅子妃の天皇陛下の退院見舞いが未だ実現しないのと関係があるのではないか(宮内庁担当記者)
「昨年の陛下のご入院の時のように雅子妃のご体調で突然キャンセルということがあってはならないと
両殿下があらかじめご不調を公表したということかもしれない」(宮内庁担当記者)

テーミス2012年4月号
天皇陛下は3月11日、東京・千代田区の国立劇場で行われた「東日本大震災一周年追悼式」に出席されたが、
「心臓のバイパス手術から約3週間後のご公務はかなり無理があった」(宮内庁関係者)との声が強い。
ご体調が万全でない中での陛下のご出席について、皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はいう。
「両陛下にとって国民の悲しみはご自分の悲しみです。陛下は国民と皇室は一体だから
何としても出席しなければならないと、執念ともいえる思いをお持ちだったのだと思います」
(略)
皇太子殿下はフランス訪問が予定されていたが、東宮職から正式に取りやめが発表されたのは3月5日のことだった。
水問題は殿下にとって唯一のライフワークだったこともあり、
現地では基調講演も予定されていた。陛下の手術はあらかじめわかっていたのに、取りやめの決定は遅すぎた。
雅子妃も3月9日に予定されていた学習院初等科4年南組のママたちとのお食事会を「陛下のご体調により」欠席された。
だが、これを巡ってもさまざまな波紋が広がった。
ランチ会の会場は東京・紀尾井町にちる有名料亭。雅子妃は以前から「今年もお食事会をしたいわね」と、
積極的にご希望を伝えられていたという。
(略)
「お食事会のお知らせが配布されたのは、皇太子ご夫妻がお揃いで参加された2月3日の授業参観日だった。
申し込みの締め切りは17日。雅子さまは直前に公務を欠席することはあっても、私的な外出は治療の位置付けもあり、
取りやめられることは滅多にない。今回のドタキャンは珍しいですね」(学習院関係者)
(略)
「週刊誌の報道などで、皇太子ご一家の“孤立”は国民の目にも明らかになってしまった。
東宮職は遅まきながら、そのイメージを払拭しようと動き始めた。
退院直前(3月1日)、皇太子殿下と秋篠宮殿下が揃ってお見舞いに行かれたのは、
両陛下側から『二人でいらっしゃい』とお召しがあっから。
紀子妃も早くからお見舞いを望まれていたが、雅子妃が行かない以上、ご自分が行くことはできなかった。
雅子妃がやっと行かれたので、
紀子妃は退院当日、秋篠宮殿下、悠仁さまとご一緒に御所で殿下を迎えられた」(宮内庁関係者)
このとき、黒田清子さんご夫妻も揃って迎えたが、皇太子ご夫妻は参内されなかったことも、
さまざまな波紋が広がっている。一方で秋篠宮殿下はご自分のことをいうのに、
「皇太子と私」とはいわず、「自分と皇太子」という表現もされている。これに違和感を持つ皇室関係者もいるが、
背後に皇太子殿下と秋篠宮殿下の間にコミュニケーション不足があると指摘する声も高まっている。
さらに心配なのは雅子妃が陛下をお見舞いされて以来、「雅子さまの体調も悪化している」(東宮関係者)ことだ。
昨年11月、陛下が約3週間、東大病院に入院されていた時、陛下のお見舞いに行かなかった雅子妃は
愛子さまの通学に付き添う一方、ブータン国王夫妻の宮中晩餐会を欠席された。
このときも国民から大きな疑問が沸き上がり、「離婚されてはどうか」という声が上がったが、決して収まったわけではない。
(略)

週刊文春2012年4月5日号
雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤
そんな中、雅子さまの天皇お見舞いがようやく実現した。天皇のご退院から約二十日後の三月二十六日のことだ。
天皇が退院された当日、秋篠宮ご夫妻は皇居・御所でお迎えし、翌日にもお見舞いをされた。
だが、一方の皇太子ご夫妻の、退院後のお見舞いはなかなか叶わなかった。
宮内庁担当記者が話す。
「今回も当日まで、参内されるかどうかは微妙でした。ふだんは雅子さまのご体調について、
ほとんど公表しない東宮大夫が、この二週の定例会見では『ご体調の波がおあり』とか、
『かなりすぐれない時がある』と述べていた。これは明らかに予防線。
万が一お見舞いに行くことが出来なくても『ご体調が悪いせいですよ』という言い訳が立つように、事前にわざわざ公表したのでしょう」
東宮職関係者が話す。
「妃殿下の“昼夜逆転”の生活は相変わらずです。深夜まで起きていらっしゃるからか、朝食を召し上がらない日もある。
ただ、それでもお見舞いの直前には少しよくなられたようです。
妃殿下は心理的なプレッシャーからか、予定を決めるとその日、その時間が近づくにつれ、ご体調を崩されるという傾向がおありです。
それでも今回お見舞いにいらっしゃることが出来たのは、妃殿下が慎重に体調管理に務められたからでしょう。直前のご予定も取り止められましたし」
お見舞いの二日前には、眞子さまの「成年のお祝」の行事が赤坂御用地の東邸で行われたが、雅子様は欠席されている。
眞子さまは昨年十月に二十歳になられたが、東日本大震災への配慮もあり、この内宴は延期されていたという。
「当初は雅子さまも出席される方向で検討されていました。手術後の天皇陛下、皇后陛下に加え、
翌日にはトンガを訪問されるお忙しい常陸宮ご夫妻も出席されるということでしたから、
できるだけ行きたいとお考えになられていたはずです。
しかし、もし出られたらお疲れが溜まり、お見舞いにはいらっしゃれないということも起こりうる。“万全”を期すために欠席されたのです」(同前)
当日、半蔵門を通られた際の雅子さまは、朗らかな笑顔を見せられていた。
車の窓を開け、少し強張った表情ではあるものの、沿道の国民に対し、にこやかにお手を振り続けられた。
その日、皇太子ご夫妻は天皇皇后と昼餐をご一緒された後、皇居内にある三の丸尚蔵館を訪れられ、
「皇后陛下喜寿記念特別展 紅葉山後養蚕所と正倉院裂復元のその後」をご覧になった。
皇后の御養蚕に関する展覧会だ。前出・宮内庁担当記者が話す。
「おそらく両陛下とのご昼餐のなかで、見に行かれることになったのでしょう。ただ、この日はもともと、
秋篠宮ご一家がこの展覧会にいらっしゃる予定だったので、一時は両家が合流されるのではないかとも思われました。
ですが、結局、秋篠宮ご一家がいらっしゃる二十分前に皇太子ご夫妻は帰られました」
皇室における御養蚕の歴史は古い。一度途絶えていたものを明治になって昭憲皇太后が復活させて以来、歴代の皇后に継承されている。
千代田関係者が話す。
「皇后さまは、御養蚕にそれは熱心に取り組んでおられます。毎年の御養蚕は、皇后さまが養蚕の神に拝礼される
『御養蚕の儀』という儀式に始まって、お忙しいご公務の合間に、皇后さまは何度も御養蚕所に足を運ばれ、
作務衣姿で作業をなさっています。そして、とれた絹糸と真綿を神様にお供えし、『御養蚕納の儀』を執り行われ、その年の御養蚕が終わるのです」
御養蚕は皇后がなさる重要な行事のひとつなのだ。
「この伝統を、もちろん雅子さまにも受け継いでいってもらいたい、というお気持ちは強いでしょう。
しかし、実際に御養蚕の伝統をより熱心に学ばれているのは、将来皇后になられる雅子さまではなく、
紀子さまとお子様たちです。給桑などの作業を手伝われたりもされています。
今回の展覧会でも、紀子さまはそのお取組みを眞子さまや佳子さまにも積極的に学ばせていました。
去年も、皇后さまからいただいた『ヤママユ』という種の蚕を、虫の好きな悠仁さまがマテバシイという木の葉を与えて育てられたそうです」(同前)
この展覧会の図録には、皇后が初等科三年生だった眞子さまに宛てられた、御養蚕について綴られたこんな手紙が掲載されている。
<おととし眞子ちゃんはこのまゆかきの仕事をずいぶん長い時間手伝って下さり、ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました>
千代田関係者が続ける。
「その図録を、紀子さまは悠仁さまに見せながらご説明されていました。悠仁さまは様々な種類の繭を見て
『これは何て名前なの?』とか、皇后さまが作られた絹糸で復元された正倉院の“地獄絵”を見て、
『なんで火をつけてるの?』と可愛らしい質問をされていました。
御養蚕の素晴らしさをお子様たちが知ることを、皇后さまも喜ばれているに違いありません。
紀子さまは皇后さまのなさりようを本当によく学ばれています」
三月九日、皇后は板橋区立美術館で開催された「安野光雅の絵本展」を観覧されたが、じつは紀子さまもその六日後に“非公式”においでになっている。
板橋区立美術館長の安村敏信氏が語る。
「皇后さまのご著書『橋をかける』『バーゼルより』などの装画として描かれた原画三点などが展示されました。
皇后さまにとって、思い出深い画ばかりですから、行きつ戻りつしながら、数十分かけてご覧になっていました」
後日いらした紀子さまも一つひとつを見入るようにご覧になったという。
だが、別の千代田関係者は、“非公式”というところに秋篠宮ご夫妻の「葛藤」を感じ、心配する。
「秋篠宮ご夫妻は、両陛下を陰で支えようとされている。さまざまな問題を抱える皇太子ご一家に比して、
秋篠宮ご一家の存在感は、特に被災者のお見舞いをされた昨春ごろから増すばかりです。
しかし、やはり弟宮は兄である皇太子を立てなければならない。一宮家の立場で突出したことをしてはいけない、
というお考えは、秋篠宮ご夫妻も強くお持ちなのです。ただ、術後のリハビリに熱心に取り組む父を、
今こそ支えなければいけない。その気持ちも非常にお強い。雅子さまのこともあり、お見舞いのタイミングなど、紀子さまも葛藤されたことと思います」

女性自身2012年4月10日号
雅子さま、3.26「陛下お見舞い」決意までの暗闇の苦悶24日間!
…皇太子ご一家が天皇陛下のお見舞いを希望されていることが明らかにされたのは、
3月9日の東宮大夫の会見だった。それから日程が発表されるまで2週間かかったことになる。
「お見舞いの日程がなかなか決まらなかったのは、雅子さまのご体調の問題があったからのようです」(宮内庁担当記者)
もともとは愛子さまも一緒にお伺いする計画だった。しかし愛子さまは17日に高熱を出され、
インフルエンザの疑いも強く、ご夫妻だけでもご訪問に決まったという。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんが語る。
「雅子さまは、例年3月ごろは比較的ご体調がよろしいのですが…。
昨年は東日本大震災が発生したため中止しましたが、皇太子ご一家はここ5年ほど、
長野県の奥志賀にスキーい行かれるのも恒例になっていました。3月に雅子さまの体調が
ここまでダウンしているのは、8年ぶりのことだと思います。
雅子さまの長期ご静養が発表されたのが‘03年12月でした。‘04年初頭もベッドから起きあがることもままならず、
‘04年3月下旬からは、長野県軽井沢町にあるご実家の別荘に約1ヵ月籠られました。
まさに皇太子ご一家にとっ“悪夢の時間”だったのです」
ご病状が底の時期の雅子さまは、暗い部屋の中で、お一人でずっとうずくまり、
壁にじっと頭をつけたまま、苦悶の表情を浮かべていらっしゃることもあるという―。
(中略)
さらに、天皇陛下ご入院中には、“いつお見舞いに行かれるのか”が注目された。
雅子さまにとっては、このことも大きな重圧だったようだ。
3月1日、東大病院から帰られる際には、隠れるように車窓をカーテンで閉ざされてしまったのだ―。

  • 最終更新:2017-08-06 16:52:37

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード