「靖国」のことを語ろう

「靖国」のことを語ろう (2010年7月 初版発行)
 (旧題「だから日本人よ、靖国へ行こう」2006年4月)
小野田寛郎・中條高德
WAC BUNCO

第一部
なぜ靖国神社を語り継がなければならないか

P36
ロシアからの靖国参拝申し出を断った外務省
―『国家の罠』(新潮社)という本を書いた佐藤優さんという外務省のロシア担当の情報分析官がいます。
平成の明石元二郎みたいな人ですけど、彼は著書の中で、「私はロシアとかイスラエルから友人が来ると、必ず、靖国神社、なかんずく遊就館に案内する。
そうするとみんな特攻機の前とか人間魚雷回天の前で、長いこと佇んで涙を流している」と書いています。
スターリングラード攻防戦とか、ホロコーストとかの思い出とシンクロするのでしょう。
2005年11月にロシアのプーチン大統領が来日しましたが、佐藤さんはこう言っている。「私だったら、プーチンを靖国に連れて行く」と。
「小泉首相はモスクワに行って戦勝記念碑に花を捧げた。あそこには日本人を殺した兵隊も祀られている。
だから、あなたも靖国神社に来てくれ」と言えばいいと言っている。
プーチンを靖国に連れていけば中国も韓国もぎゃふんと言う、文句が言えなくなるって訳ですよ。なぜそれをやらないんだと。
別のところから聞いたところによると、今度のプーチン訪問の前、ロシア側から靖国参拝はどうしましょうかと打診してきたそうです。
それを外務省が「いろいろ摩擦が起きるからけっこうです」と断ったというから、聞いてあきれます。

P42
ハバロフスク知事に「なぜ日本人の墓が草ぼうぼうなのか」

中條
…ハバロフスクを訪れたとき、イシャ―エフ知事にね、水師営の会見のことを知っているか、と聞いた。
47歳のイシャ―エフ知事は、日露戦争のことはもちろん知っている。日本が勝って、ロシアが負けたことも知っているが、水師営の会見のときに、
乃木将軍がステッセルに佩刀を許した、ということは知らなかった。
敗軍の将に佩刀を許すということは国際的に言ってもたいへんなことなんだよ、と教えてやった、
それに、日本はあなたの国の戦死者の墓を先に作ったんだよ、それなのに、ハバロフスクにある日本人の墓が草ぼうぼうってどういうことなの、と。
すぐ隣のロシア人の墓には雑草一本生えてないんですよ。
我々だって、あれがほしいこれがほしいと頼まれれば、ビール瓶でもソケットでも持っていくけれど、本質的に日本人って共産主義がキライだから、
その上に日本人のお墓を草ぼうぼうにされたら、あなたの国とは商売できませんよ、と言いました。
そうしたら、「今までのミッションはお土産の交換でしたけど、今回のミッションは厳しいご発言ですから、必ず実ると思う」と言われました。

中條
こういうコミュニケーションこそ、必ず将来実を結びます。そのおかげと言ったらちょっと言いすぎですが、その後ハバロフスク知事は日本を訪れ、
シベリアの六万の日本人犠牲者のために七千坪の土地を五十年にわたって供与すると言ってくれた。
そこに厚生省が慰霊碑をつくったんです。ハバロフスクにあります。
その時は全日空が往復便をだしてくれて、天皇皇后両陛下をはじめ、すべての宮家からもお花をくださった。それを全部飛行機に積んで行きました。

―これも先ほどの佐藤さんが書いているのですが、ロシア人は他国の愛国者を信用する、と言いますね。
自分の国を愛さない人をだれが信用するものか、と。
ロシア人はふにゃふにゃした日本人を信用しないよ、と。

P47
財界人よ、社益のために国を売るなかれ

―中條さんは財界におられる方だから言いにくいが、首相の靖国参拝に一番強く反対したのは、奥田硯元経団連会長をはじめとする財界です。
中国、韓国で商売をしている財界人が反対したんです。小泉さんと財界人の首脳が、ほとんど一時間どなり合いになったと聞いている。
「行くなら勝手に行けばいい」「ああ行くとも」みたいな話だったそうですよ。

P61
戦争回避のために誕生した東條内閣

中條
(略)
そして、十六年九月六日の御前会議で、「開戦やむなし」を天皇に報告したわけですよ。そうしたら昭和天皇は、お祖父様である明治天皇の御製の
「四方(よも)の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん」という歌を、二度お詠みになられた。
この天皇の意をくんで、なんとかもう少し戦争を回避する努力をしてみようという思いが、東條内閣の誕生につながったんです。
開戦を早めるために東條を選んだんじゃなくて、陸軍を抑えなければ天皇の御意志に添えないだろう、というので、東條が選ばれたのです。
その証拠に、来栖三郎特命全権大使と、野村吉三郎駐米大使の二頭立てで戦争回避の交渉を行っている。
表現を分かりやすくすれば、話し合いをして下さいと縋りつくような、わが国の外交努力の果てが、実質的最後通牒のハル・ノートだった。
ハル・ノートは、パール博士をして、「こんな内容のものをつきつけられたら、モナコ公国やルクセンブルグ大公国だって戦うたるに立ち上がる」
と言わしめたくらいの代物ですよ。さっきも申しあげましたけど、決して世に言う独裁者がいきなり戦争を始めたんじゃない。


P67
「慰安婦」はいても、「従軍慰安婦」なんていなかった

小野田
彼女たちも気の毒な人はいたが、稼いでいましたよ。

中條
一つだけ気をつけて欲しいのは、「従軍慰安婦」なんているはずがないということなんですよ。

小野田
もちろんです。そんなものはいませんよ。

中條
軍隊とともに死線にたつ看護婦を従軍看護婦という。一線に赴き報道に従事する人を従軍記者という。
日本語は言霊といって言葉の持つ意味が重いのです。
従軍慰安婦なんて存在するはずがない。朝日新聞も言葉で勝負しているのに、
ありもしない言葉を堂々と使って、存在しないものを存在したことにしているんだからぞんざいすぎる。
あの新聞は、愛国心ってものが、まったくないんじゃないか?そう言いたくなりますよ。

P68
戦意をさんざん煽った朝日新聞

―朝日新聞は、「国」と言うだけで反感を感じるんでしょうね。

小野田
朝日新聞がやたらに国を悪く言うのは、終戦前の国家総動員法で
国をあげて戦ったときのことを言っているみたいですね。そのときのことだけ取り上げて悪く言っている。
その何年か前、満州事変、支那事変と始まって、軍需景気で盛り上がったころの話は忘れている。

中條
昭和二十年八月十五日の朝日新聞の社説を読んでみるといいですよ。
縮刷版で読んでみると、勇ましいことを言っているんですよ。
「いくら力で屈服されたって、心は曲げることはできない!」と言っている。
―八月十五日に朝日がそんなことを(笑)。

中條
今、朝日がおかしくなったのは、勇ましいことを言い過ぎた反省なのかなあ。
―どこで変わったんですかね。

小野田
朝日は本当に見事に変わってくれましたね。昔を思うと読みたくない。

P72
中野学校が教えた「天皇観」とは

―中野学校というのは、天皇観について、非常にユニークな教え方をしたと聞いていますが、どんなものだったのですか。

小野田
天皇、国体と言いますけれど、国と天皇は分離できないものとして考えるんです。
自分の国土を守るのも天皇を守るのも、日本民族を守るのも、これはひとつのことだと考えるんですね。天皇だけをわけて考えることはないんです。
そして非常に柔軟でした。教官たちは社会主義が悪い、共産主義が悪い、などという言い方もしなかった。
現在の政策や社会の欠点を是正する手段のひとつとして、社会主義などの考え方があるのだ、と。
悪いところを直せるものならば、主義の名前にこだわらずに取り入れるべきだと言っててました。
中野学校は実に頭がやわらかかったと思いますね。
―我々一般人は「天皇は神様だ」と習ったわけですが、そうではなかった?

小野田
神様だなんて言いませんでした。だから、天皇機関説をとりあげても、教官たちは何もいいませんでしたね。自由に議論ができた。
国家というか、日本の国というものに少しでも不信感を持っていたら、命をかけて働けないんですね。
特に情報部員という仕事は特殊だから、上司の目の届かないところで活動することも多い。
また、非合法な場合もある。敵の中に入り込んで情報を取るわけですから、いつ消されるかもとれない。
だからよほどしっかりと、なぜ自分がそういう仕事をしなきゃいけないのか、
その目的はなんなのかということを、生徒が自覚してくれないと、任務に出せないんですね。
だから単に「天皇は神様だ」なんて言ってもダメなんです。
「天皇陛下だってちゃんと人間の形をしているだけじゃないか」ということになってくるから。
天皇だけがあっても、それだけでは国は成り立たなくて、長い歴史の中、自分たちの国をたてていくのに
一番都合のいい方法として、日本し天皇中心とした国をつくってきたわけです。
天皇観というより、やはり国体観なんですよね。つまり自分が何の報酬も見返りもなしに、
国のために死ねるかどうか、それを教えるために天皇の話もしている。
たがら天皇陛下万歳じゃないんですよ。いわゆる国全体、国体全体が万歳なんですよ。

P76
戦ったのは、「国」と「国民」と「天皇」のため

中條
日本は古来縦軸も横軸もしっかりした国民です。
日本の文化の基軸は、縦の系統の人にも横の系統の人たちにも、恥をかかないという「恥の文化」だったのです。
我々は「瑞穂の国」という美称があるように、稲刈りで生きてきた。
最近世界中で「自然との共生」の大切さが叫ばれているが、我々はまさに共生してきたと思いますよ。
狩猟民族は、共生というより「狩って」いる。
そして、田植えというものはみんなで群がってやるものでしょう。みんなで田植え歌を歌って、横の連帯ができるのが農耕民族である我々の社会です。
そこに、横軸として祖先を敬いなさい、墓参りをちゃんとしなさい、ということがきちんと伝えられていく。
結婚すれば子どもができる、孫が生まれる。
そうやって後に続く者たちに、そのまま続けてほしいと願うことを、祖先にしてあげるのです。
それが大事な縦軸で、その一番の本家に天皇が座っておられる、ということなんです。
自然との共生だから、嵐もくるし、地震もくる。そのとき先人たちは、「神の制裁だ」と自然をおそれた。
人間の力では如何ともしがたい神として自然を上(かみ)に見て自分を低く見たから、日本人というのは自然に謙虚さを持っていたんです。
豊年満作になったときには、少しは「オレが頑張ったからだぜ」と思っていても、「やっぱり神の恵みだ」と感謝していた。それがお祭りの始まりでしょう。
祭りをして神様に豊年満作を感謝するんです。
これだけ縦軸がしっかりしている民族というのは、他にないんじゃないでしょうか。
その中心に、正史だけで一千三百年も遡れる天皇がいるというのは、すごい。こんな王室は他にないですよ。
よその国の王族は、根っから征服者なんですよ。必ず前王を倒して自分が君臨するわけです。係累は墓まで暴いて、骨まで削るんです。

小野田
軍隊が「天皇陛下の御ために」と言ったのは、こういうことだと思う。
かつては各藩に大名がいて、その下の武士がそれぞれに忠誠を誓っていた。
でも町人や百姓にはあまり関係がなかったんですね。別に百姓がそんなに忠誠心を持っていなくても構わなかった。
そして、侍たちが忠誠を尽くすのは直接の自分たちの殿様で、
天皇というのは、そのまたはるかに上のほうの存在で、あんまり直接があるものではなかったわけでしょう。
ところが、国民皆兵でかつての町民も百姓も兵隊として入ってくる。こうなると、どうしても共通の殿様が必要になるんです。
「天皇陛下は汝ら軍人の大元帥であるぞ」ということが必要になった。
兵隊たちに、お前たちの一番の棟梁は天皇なんだよ、天皇に忠誠を尽くせ、と言うのが一番わかりやすかったということなんでしょう。
戦争するに当たって、かつて日本はどこの国ととういう経緯があって、今度の戦争の正義はこうで……なんて説明するのは難しすぎるんです。
一番分かりやすいのが、「天皇陛下がここまで国民に心を尽くしてくださるんだから、お前たちもやれよ」ということなんです。
だから「天皇陛下のために」というのは決して間違いじゃないんですけど、僕たちの考え方としては、「国」も「国民」も「天皇」もひとつ。
「天皇陛下の御ために」だけでは言いきれないものがある。

P79
終戦後、なぜ竹田宮様は満州に向かったか

中條
そのとおりですね。国も天皇もみんな一緒なんだよ。まったく同一。一番言いやすいから、「天皇のため」と言うけど、「お国のため」で、
「郷土のため」で、みんな一つなんだよ。
終戦で、整整と陣が引けたのも、天皇の存在があったからこそです。たしかに、あの御前会議のあと、宮城事件というのもありました。
終戦の詔勅の録音盤を奪おうとした陸軍省軍務課員らが、決起に反対した近衛師団長森赴中将を殺害したんです。
東部軍司令官の田中静壱大将は落ち着いた人だったから、自ら部隊を説得した。「皇居の前で自決すれば、罪一等を減じる」と。
そんな事件もあったけれども、あれほど全軍を粛々とおさえられたのは、やはり天皇の存在があったからです。
しかも天皇は、竹田宮、浅香宮、閑院宮の三方をすぐ召されて、「前線の兵たちはにわかに終戦を納得と難かろう。
朕の気持ちを前線の兵に伝えてほしい、と三宮様の前線派遣を命じられたのです。
たとえば竹田宮恒徳王(つねよしおう)(後関東軍作戦参謀)は満州行きを命ぜられた。
竹田宮様は関東軍に停戦の大命を伝え、武装解除の説得に行かれたんです。同時に満州国皇帝の溥儀の救出が命ぜられた。
連絡も取れたが、しかし単葉機だったため、ソ連軍の侵攻が早くて溥儀はソ連に捕えられてしまったんです。だけど行ったんですよ、宮様は。
「行くのなんか簡単だ」と言うかもしれないが、敵陣にせまっていくんですよ。
そこまでさせたのが天皇のお気持ちです。

P82
なぜ天皇は開戦を止められなかったか

中條
よく言われることだけど、それほどの求心力があったなら、なぜ天皇は開戦を止められなかったのだ、という質問がありますね。

小野田
ええ、よくあります。

中條
立憲君主制における天皇のありようというのは、内閣が決めたことを基本的にはすべて承認する、という形だった。
それまでも、反対したことなどなかった。
せめて明治天皇の御製を二度詠むのが、せいいっぱいの抵抗だったんです。
ところが、終戦のときには、内閣自体に当事者能力が欠けたんです。
鈴木貫太郎内閣で決戦派と終戦派が一日論じていても決まらない。
とうとうこれは陛下の決断を仰ぐほかなしということになった。結局あれがよかったんですよ。
それで八月九日の夜十時すぎに御前会議が開かれた。東郷外務大臣はポツダム宣言受諾を可とした。
阿南陸軍大臣らは主戦論を主張した。鈴木首相は席を立って、「陛下のご聖断をもってこの会議の結論にしたい」と言ったんです。
陛下は「尋ねられるならば東郷の意見に賛成だ」と言って終戦になった。
そのとき、誰かは分からないけれど、号泣し出したらしい。そうしたら、みな泣いてしまった。
陛下は白い手袋をはめていらっしゃった。その左の手で涙をぬぐっていらっしゃったそうです。
その時の会議のプロモーターであった迫水久常書記官長(現在の官房長官)は、退室される陛下のお背中を拝し、
「申し訳なさと切なさでたまらなかった」と、亡くなる半年ほど前に語ってくれました。
当事者能力を失った自分たち内閣の、力の不足を嘆いたそうです。
陛下は立憲君主制の天皇でありながら、尋ねられたから答えたんですよ。

小野田
内閣が決めたことを天皇が認めるのであって、天皇には「ノー」という拒否権はない、と言ってもわからない人が多いんですよ。
終戦のときに内閣がどうにもならなくなったから、天皇におそるおそる「どちらにしたらいいんでしょうか」と聞いた。
中條さんの言うように、内閣は自分たちで権力を放棄してしまったんです。けれども天皇は「こうしろ」とは言わなかった。
「自分はこれがいいと思う」と言ったんですよ。天皇が命じてやめたんじゃない。
「おれは東郷の案が正しいと思う」という意見を述べられたのですから。
だから、「なぜ陛下が『戦争をしてはいけない』と開戦を止めなかったのか」と言われても、やめるときだって命令じゃなかったということです。

中條
それにしても、立憲君主制における天皇制、というシステムはよく考えられたものだと思いますよ。

P90
女帝論はいったん元に戻って考えるべき

―最近の女帝論議についてはどう思われますか?さっき中條さんのおっしゃった縦軸の問題ですが。

中條
一千三百年の正史が続くものを、そんなにあわてて変えることはないのではないかと思います。
有識者会議とやらの論議は、あまりにも浅すぎると思うんですよ。まだ次の皇太子様がおられるときにね。
こうしたことは時間をかけてやらねばならない。
具体的に言えば、六十年前に負けたときに、敵は日本の縦軸を断ち切るためにさまざまなことをしたんです。
その最たるものが昭和二十二年の臣籍降下です。
占領軍によって十一皇族が民間に降下させられている。
なにも、すぐに全部皇族に戻せとは言わないけれども、旧皇族の皆さんに、乱暴な言い方だが質の高い女性と結婚してもらって、
時間をかけてメンテナンスした上で、十一皇族を元に戻してもいいのではないか。
これを国民の合意を得るように進めていくべきでないかと思う。そうしないと、理想論など目先のことだけで軽はずみに決めてしまったら、
この長い長い歴史のメンテナンスはできませんよ。
過去には八人、十一代の女性天皇がおられるが、ちょっと言葉が悪いですが、それは臨時になさっている。
女帝様が結婚なさって、その子どもが天皇になった、という実例は一つもないんです。女性天皇であっても男系が続いてきた。
必ずしもそれに100パーセントこだわるわけではありませんが、せっかく連綿と続いてきたものを、
国民のほとんどが女帝と女系の区別も分からないくらいのときに、むやみに変えることはないでしょう。
―女性天皇と女系天皇の違いをわかっていない人が八割いますよ。ただ「女性が天皇でもけっこうじゃないの」と言っている人が多いだけです。

中條
愛子様をイメージして「いいじゃないの、かわいいじゃない」ということだけなんですね。
―長子優先、女系天皇もOKと。この二つが有識者会議の答申なんですね。

中條
これだれの重要なことを、やたらビジネスライクに決めようとすること自体が軽はずみすぎると思うんです。

小野田
ぼくは自然児だから、とにかく原則論なんですが、宮家がみんな廃止されたのは、戦争に負けたからなんですね。
宮家が自分から皇籍離脱したわけじゃない。宮家を復帰させたらいいじゃないですか。
道を間違えたら元にもどって、そこから出発したほうがいい。元に戻せばいいんですよ。
そこからまた時間をかけてゆっくり、国民の総意を得るとか、専門家が入るとかをすればいいじゃないですか。
簡単に道が見つかるわけじゃないんですよね。困ってるなら、まずは元にもどせばいいんですよ。

P92
百合子妃殿下に「夫婦ゲンカはなさいますか」

中條
やっぱり、皇族の方っていうのは我々庶民とはまったく違うんです。
式典にでられたって微動だにしない。三笠宮ご夫妻とも、ときおり食事をさせてもらうんですが、以前、聞いてみたんです。
「私は長距離列車に乗るときは、どうしても行儀悪く、ずり落ちるみたいにリクライニングで座るようになるけれど、
そんな恰好をしたくなることはないんですか?」と。
そうしたに、「ならない」っておっしゃるんです。
もう子どものころからそうしているから平気なんですって。
「殿下」と呼ばれて育って、電車で口をあけて鼻ちょうちんなんか出せない。
百合子妃殿下に「あのお、恐れ入りますが夫婦ゲンカなんかはなさらないでしょうか」と聞いたら、「絶対にありません」と。

中條
(略)
日本を日本たらしめている皇統を維持するためには、皇室の藩屏たる皇族を復帰させることを急がねばなりません。
私の親友に久邇邦昭君がいます。香淳皇后の兄宮さまの長男ですが、終戦まで皇族としてすごされ、
占領軍に臣籍降下を命じられた方です。
臣籍に降下されても日常の挙措動作がどこか違うんです。
たとえば、ゴルフで十メートルぐらいのパターが入っても、われわれりようなガッツポーズなど
決しておとりにはならず、「あれ、入りましたネ」と感情をあらわにされない。
小野田
そういう訓練が身についているんですね。


P107
海洋国家・日本にとっての「島」と「半島」の重要性

中條
たとえ食べるものがあっても、辱めを受けるとか、国を侵されることがあり得る。
北朝鮮なんか人をさらっていくわけだし、中国もそうだが、共産主義国家というのは本質的に、主義主張を守るためだったら、国際条例もヘチマもない。
何をするか分からないと思っていたほうが安全ですね。
「二十世紀は戦争の時代」と言いますが、共産主義政権が「粛清」と称して、反対するものを消していった数は、
戦争の犠牲者の数倍を数えますよ。スターリン時代はすさまじかった。
ソ連が共産主義の実験を七十三年間やって、そのダメさかげんが分かって崩れたのに、皮肉にもわが国の周辺にだけ残ってますね。
これは、神様が日本に与えた試練なのかなあ。

小野田
戦前、中学校の先生で、よく勉強している人がいました。
その先生が言っていましたが、朝鮮民族というのはもともと山東半島にいた少数民族だと。
それが漢民族が膨張してきて、山東半島にいられなくなり、朝鮮半島に来た。
苛められて苛められて押しやられた人間だから、日本人とはまったく考え方が違うよ、と教えてくれました。

中條
まったく違いますね。ハルフォード・マッキンダーという人が言っているんだが、
世界は大陸と、海洋国家の対立です。だから、海洋国である日本が大陸国家に呑み込まれないためには、
島と半島をおさえておくことが必要だ、と。大陸のエネルギーは半島部に集約されることになる。
半島部のメンテナンスを怠ると、国は危うくなる。日清戦争だってことの起こりは朝鮮半島だったでしょう。
明治の人は、この半島にユーラシアからのエネルギーが迫っていることを、素朴な感触として気づいたんですね。
だから中国にくっついていないで、大韓帝国として独立しなさいよ、
朝貢しているようでは民族の幸せが来ないよと、朝鮮に言ったけです。
そして日清戦争に勝って、朝鮮は独立した。
しかし、日本の領土になった遼東半島にはまた、大陸のエネルギーが集中したんです。
ロシアは南下政策をとるためには、どうしても遼東半島を日本にとられたくない。
ドイツもフランスもアジアに利権を築きはじめている。
だから日本に遼東半島は返せと言ってきた。それが例の三国干渉です。
領有を阻止したばかりか、ロシアは清の李鴻章から権利をもらって、東清鉄道を敷いて、満州の支配を進めた。
日清・日露のころから問題はすべて朝鮮半島なんです。
今後も、朝鮮半島の存在は、日本という国家にとって常に緊張せざるを得ない課題であり続けると思う。
それは日本にとってだけでなく、韓国の人だって同じだと思います。
しかし見ていると、ずいぶん自立する気持ちが足りないように思う。危険ですよ。

――朝鮮にたいして「独立しろ」と初めて言ったのは伊藤博文です。
彼は、「日本は初めて朝鮮半島は独立すべきだと言った。個人として言ったのは自分が初めてだ」と言っています。
「あなたがたの高官は一度でも独立の意志を表示したことがあったか。一人もいないじゃないか」と。

中條
韓国人は、その伊藤博文を殺した犯人の安重根を英雄だと言うんですからね。

小野田
よかれと思ってやったことだったはずなのにね。

中條
それほど価値観が違うんですよ。安重根の問題に、同じような歴史観を持てって言っても、無理なんです。
日本人がマッカーサーを殺して、殺したヤツを英雄にするみたいなもんですよ。


P113
ハーグ条約を無視してまで、日本民族を警戒したアメリカ

中條
アメリカは、戦争には勝ったけれど日本人という民族を非常に警戒していた。
これは憲法の制定プロセスを見るとよく分かりますよ。
負けたときに勝ち組みが作った憲法であることは間違いないんですが、アメリカは陸戦法規まで無視して、日本の憲法を変えたんですよ。
ハーグ陸戦条約の四十三条に、こうあります。
「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者はね絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、
成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為、施し得べき一切の手段を尽くすべし」。
つまり、占領側はよほどの事情がない限り、その国の法律を変えてはならないということです。
これはもちろん今でも生きているし、アメリカはこの条項があることをもちろん知っていますよ。
しかし、このしたたかな日本民族を今後なんとかするためには、憲法にさえも手をだして本質的に手を打たなければならない、と思ったんです。
まず、近衛文麿に眼をつけた。こいつはなにやら怪しい力を持っていそうだと思ったんでしょう。
憲法作成を促された近衛は京大出身だから、京都帝大の憲法学者、佐々木惣一に草案作成を頼んだ。
これはあまり世間に知られていない。次に松本烝治博士を委員長とした「憲法問題調査委員会」を作らせたのです。
これには僕の恩師である宮沢俊義先生も入って「七人委員会」と言われていた。
彼らもまた大急ぎで草案を作り提出したが、すくキャンセルされた。
ろくに吟味もしなかったんじゃないかと思う。
そこでマッカーサーは、自分が最も信頼していた民政局長のホイットニーに草案作りを命ずる。
そうしたら、ケーディス大佐ら民政局員二十四人はたった六日で九十二条の草案を作っちゃったんですよ。
結局「日本人に作らせた」というプロセスだけが必要だったのではないでしょうか。
その「手続き」を踏んだ上で、マッカーサーは幣原喜重郎首相を呼んだ。
「お前たちが一番心配しているのは国体の護持だろう」というわけです。
「ニュージーランド、オーストラリアは天皇の戦争責任を追及すべきだという構えだが、
連合軍司令官としてこれを100パーセントおさえることはできない。
しかし、この憲法草案を第九十帝国議会に提出して可決するのであれば、
国体護持、天皇の地位保全については自分が保証しよう」と言ったわけです。さらに、占領期間も短くしようと。
そして、「もしそれをやらないのなら、俺たちが完全に自分たちで作ってしまうからな」と脅しをかけた。
そして、この憲法は可決されたんです。憲法の制定プロセスは、一切国民に伝わらないよう厳重な情報管制を敷いた。
普通に考えれば占領軍なんだから、誰もいまさら批判などしないし、批判したら追放でもなんでもできる。
しかし、この手続きの漏洩についてGHQは非常に神経を使っていた。
結局、国民はどう思ったかと言えば「これまで鬼畜米英と思っていたけれど、憲法も自分たちの国会で決めさせてくれた、
街ではニコッとすればチューインガムもくれた」となる。
進駐軍に対して、ついこの間まで鬼畜米英と言っていた敵としての概念と、
実際との乖離の大きさに、何ら疑うこともなく日本人の魂は抜かれていったんです。その点では、実に巧妙な占領政策なんですね。
(略)

中條
しかし、憲法の制定までにこれほどの手を打たなければならないほど、アメリカは日本という民族をおそれ、警戒していたということですよ。

第Ⅱ部
靖国にお祀りするのは戦友との約束だ

P148
小野田寛郎
支那に弱みを見せるとロクなことがない
そもそも、おかしくなったのは、昭和六十一年、中曽根首相の参拝取り止め以後です。小泉首相のやり方も拙劣でした。
八月十五日に参拝すると言っておきながら、十三日にしてしまった。
まあ、行かないよりはましではあるけれど、小泉首相は、やりかたがヘタすぎると思います。結局、腰がすわっていない。
小泉首相は在任中の最後である二〇〇六年八月十五日に参拝して、恰好をつけました。
支那に、弱みを見せるとロクなことはありません。支那人のやることは戦前から変わっていませんよ。
二〇〇五年に起きた「反日デモ」など、支那事変(日中戦争)前の、排日運動とまっちく同じです。
支那に対する甘い対応が、抗日運動、排日運動に火をつける結果となったのです。今とまったく同じではないですか。日本は、今も昔も交渉ごとがヘタすぎる。

「戦犯」で処刑された人は「受難者」だ
A級戦犯を分祀すればいいという話まであるが、そもそも「A級戦犯」なんて、戦勝国が勝手に決めただけでしょう。
東京裁判なんか、まともな法律から言ったら、茶番劇です。
「平和に対する罪」なんて戦前にはなかった。それなのに、占領中に一方的に裁かれて処刑されてしまった方々は、受難者ですよ
(処刑されたA級戦犯は七人、BC級戦犯では約一千人)
戦争をしたのは「犯罪」ではない。「戦犯」といわれるが、犯罪者ではないんです。A級もBC級も関係ありません。
百歩譲って、戦争指導者たちが「戦犯」であったとしても、刑期を終えればすでに「犯罪者」ではありません。
国のために死んだら靖国神社にお祀りするというのは、戦争で死んだ者たちとの「約束」です。
それを護持しない、別の施設を作る、などというのは、借金を返さないよりも、もっとたちが悪い。
支那人にはわからないかもしれないが、けっして死んだ人との約束を違えてはならない、
死者に鞭打つようなことはしてはいけない、というのは日本人の古来の感情ですよ。

戦友への礼が「軍国主義に荷担する行為」?
日本に帰還したときに、当時の田中内閣から百万円の「見舞金」をもらいました。
全国からたくさんの見舞金もいただいた。私はこれを、靖国神社に奉納しました。
国のために戦って死んだ戦友たちに、せめて礼を尽くそうと思ったからです。
しかし、このことは大きな批判を浴びました。記事にも書かれたし、投書も来た。
「軍国主義に荷担する行為」と言い、「戦死者を慰める一番いい方法は二度と戦争を起こさないことで、
寄付をするならそういうことのために使うべきだ」と言うんです。
また、「自分で稼いだ金を寄付しろ」「寄付者の厚意を無にする」「寄付など貴様の気休めだ」という意見もあった。
「気休め」の批判は甘んじて受けますが、これは個人の自由の問題でしょう。
気休めにしかならないと言われても、せめて靖国に眠る戦友たちに詫びなければ、これから先、生きていけないと思いました。

「心ならずも」で特攻機には乗れない
小泉総理が、若者たちが「心ならずも」戦争に行かされて、戦死したような言い方をしましたが、とんでもないことです。
既婚者は、家族を遺して死ぬことに心残りもあったかもしれないけれど、独身の若い者たちは、「自分が先頭に立って戦わねば」とみな思っていた。
年寄りを前に立たせたってしかたないのですから。これはどこの国だって同じでしょう。命がなくなることは覚悟していた。
漫然と「天皇陛下のために」だけでは死ねない。天皇のためにではなく、日本のために死ぬのだ、
ということを本当に理解するため、議論の中では天皇を批判することもありました。
私たちでけではない。みな、若い人は覚悟を決めていました。
「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?
独身者は、親兄弟が死んだら、もうお祀りしてくれる人はいません。でも靖国神社がある。
国のために戦死した人を国で祀ることは当たり前で、これは日本だけのことではない。
どこの国だって当たり前の感覚です。
日本人はそれさえ分からなくなってしまったのか、と思います。

「あやまちは繰り返しません」の文言に衝撃
「小野田は軍国主義の亡霊だ」「小野田は軍人精神の権化だ」
マスコミの論調はみなそれでした。しかし、誰もがそうであったように、私は軍人として当然のことをしただけで、ただ他人より長期だったに過ぎないのです。
祖国がますますイヤになっていきました。
広島の平和記念館に行ったときのことです。私は慰霊碑に書かれた言葉に驚きました。
「安らかに眠ってください。あやまちは再び繰り返しませぬから」とある。
これはいったい誰が作ったのか、私には分からなかった。
原爆を落としたのはアメリカでしょう。アメリカは原爆を落とし、無差別に大量の国民を殺した。
「あやまち」を犯したのはアメリカではないのですか。
「日本が負けたのがあやまちで、二度と負ける戦争はしない」という意味なのか、
本気で「あやまち」と書いたのなら、こんなもの爆破してしまうぞ、と案内した中野学校の仲間と笑いました。
「あやまちは繰り返しません」…これが、日本の「戦後」を表していますね。
日本は自らの歴史を歪曲してしまったのです。
子どもたちは、東郷元帥も、乃木大将も知らない。ヘタをすると、日本がアメリカと
戦争をしていたことさえ知らない子どもがいる。しかしこれは、子どもたちの罪ではない。
教えないのだから、知らないのが当たり前です。
「従軍慰安婦」の件もそうです。「従軍慰安婦」なんて言葉、私は聞いたことがありません。
十七歳のときに商社員として滞在した中国の漢口(現在の武漢)にも、二十歳で入隊して赴いた江西省南昌にも、「特殊慰安所」はありました。
内地人も、朝鮮人も、中国人もいました。たしかに、たちの悪い経営者に騙されて連れて来られた人も、
本人は知らないが実は親に売られてきた人もあったでしょう。
特に朝鮮半島には悪質な方法で、女性をかどかわす者がいたと聞いています。悲劇もあったと思います。
しかし、女性たちはみんな、お金稼ぎに熱心でした。当時、知事や少将の年俸が一万円と言われていましたが、
「それよりずっと儲けた」と言う者もいた。一日に三十何人相手にしたとか。
実際に悲劇もあったけれど、作り話を「ウリ」にする強者もいました。
今とは違って、娼妓がいた時代で、当時慰安婦のしたことは、ただの商売です。
それをなんで「軍が関与」と言って問題にしているのか。もちろん、軍が病気の検査や、丸腰で客になる兵隊を警備していた。それだけのことです。


勝者がつくり出した「A級戦犯」
中條高德
陸軍士官学校を出て、職業軍人だった私は、あと一歩で靖国神社におさまるところだった人間です。
靖国神社は、英霊になられた二百六十四万人にとって、また私のような人間にとって特別な場所なのです。
この神社の「代替施設を作ろう」などという構想は、言語道断というよりほかない。
二百六十四万人の英霊は、もはや声をあげて語ることはできないが、靖国に近い場所にいる私の立場は、
彼らと同じものです。私たちに言わせれば、こんなけしからん論理はありません。
今、「代替施設」を支持する人たちは、おおむね、近隣諸国から言われた文句をそのまま伝えているにすぎない。
日本人のはずなのに、日本人ではないような感覚で物を言っている。
私には許せない。すべての英霊が怒っていると思います。
彼らは、戦争を好んだわけではない。しかし、国家が侵される危機に臨んで、国を守る防人として、命をかけて戦った。
それは、恋しい女に、家族に、心を残しもしたでしょうが、「後に残る者のためにも」と戦ったのです。
それでも苦しかったであろう彼らの心のよりどころが、靖国神社だった。
「決して死にたいわけではないけれど、死んでしまっても、俺たちは靖国神社に入るのだ、ここでまた友と会えるのだ」と。
しかも、永遠の国家の繁栄と、後に遺った人々の幸せを祈りながら散っていったのです。
靖国神社は、「神社」ではなく「国家そのもの」です。
近隣諸国の抗議では、必ず「A級戦犯が祀ってあるからいけない」という。しかし、よくかんがえてみてほしい。
極東軍事裁判で「A級戦犯」とされた人が勝手に戦争を始めたわけではありません。
そもそも、軍人だった東條が首相になったのは、戦争をするためではない。
「暴れ陸軍」と言われた陸軍を抑えるには、近衛ではムリだ、と判断した木戸内府が強く推薦したのが、東條だったのです。
その東條がたまたま軍人であったということなのです。それを、あたかも、「陸軍の軍人が勝手に戦争を始めた」かのように言うのは事実無根も甚だしい。
国家が戦争をせざるを得ないと判断し、だから国民は命をかけて戦った。そして残念ながら負けたのです。
勝ち組は国際法に違反してまで軍事法廷を開き、まったく根拠のない「A級戦犯」を作り出したのです。
今、日本人は「人権の尊さ」「個の尊厳」の大切さを、さかんに言います。
しかし、「人権」や「個」の大切さとは、自分のことと同時に、他人のそれも認めることができる、という前提にたって初めて成り立つ価値観です。
「個」の尊厳は「公」とのバランスで教えられるべきなのです。
ヨーロッパの人たちは「ノブレス・オブリッジ」と称し、強き者は弱き者に、富める者は貧しき者に聖なる義務があるという概念が行き渡っています。
日本人が強く持っていた「公」のためにいささかも自分を顧みない部分を、占領軍は恐れた。
ここをうまく崩すためには、「個」の尊重を教え、人権の尊さを説き、少しずつ「公」の意識を消していこうとした。これは非常に巧妙な方法でした。
「代替施設」に執心する山崎拓、加藤紘一らをはじめ、与党となった民主党の大方の代議士たちは、学びの不足、と言うしかない。
きちんと本質的な事実を学び、歴史的資料を読みさえすれば、あんな馬鹿げたことを言い出すはずはない。
しかしながら、彼ら団塊の世代は総じてこのような病が重い、と言わざるを得ません。
彼らは、「代替施設は国民の声に答えるものだ」と口をそろえる。
しかし、世論調査など、誰が真剣に考えて答えるものか。
「金がかかるが、それで問題がいろいろ解決するならいいんじゃないの?」という程度のノンキなものが大部分でしょう。
その上占領軍が占領コストを下げるために、縷々用いる策が、“国民の層別離間策”である。
若い者たちに責任はない、大人たちの責任だ。とりわけ指導者たち軍人が悪かったと、軍人=悪の概念を構築するのです。
そのような概念で国家は絶対守れない。
もしテポドンの一発でも飛んで来ようものなら、こんな数字はすぐに逆転してしまう。
そのていどのものです。民主主義というのは多数決の原理で、「時の正義」を決める仕組みだけに、国益を担う政治家たちは冷静に歴史に学び、
いたずらに多数に迎合するのではなく、迷える「時の正義」さえ変える勇気と義務のあることを、片時も忘れてはならない。
民主主義国家における多数意見は尊重されなくてはならないが、ポピュリズムの危うさもまた知っておくべきだ。

馬鹿らしい「富田メモ」騒動、“偽情報”に惑わされるな
小野田寛郎
疑わしいと考える理由として、まず「白取」という字の間違いが指摘できます。
当時の感覚で言えば、三国同盟を結んだドイツ、イタリア大使の名前は小中学生でも知っていた。
新聞紙面にもよく出ていましたから。ましてや宮内庁長官ともあろう人物が、「白鳥」を「白取」と書き違えるなどということは、ちょっと考えづらい。
メモを書かれたご本人がすでに亡くなっているので、真相を聞くことはできません。
発言にもやはり外出着と普段着があって、メモは普段着ですし、メモをとる人の主観や言葉の選択もある。
陛下(昭和天皇)の発言を忠実に再現したとは限らないということも言えます。
次に、このメモはわざわざ手帳に貼り付けてある。これも不自然です。
科学的にメモのインクの年代や紙を調べるというところまで、徹底した検証が必要だったはずです。
富田さんは非常に几帳面な方だったそうですから、大体毎日同じ筆記具を使っていたでしょう。
他のページやメモしと比べてみれば分かることです。
私たちのように情報を専門に教育されてきたものに言わせると、こんなものは偽情報に決まっています。
相手の判断を誤らせるために、わざとこちらから機密情報を相手に盗まれたような形で渡すということさえあるのです。
そして、「富田メモ」でさらに腑に落ちないのは、タイミングがあまりに良すぎる点と情報の出どころです。
なぜ日本経済新聞が、このタイミングで発表したのか。朝日新聞ならばまだ分かるが、
日経新聞が皇室関係とたしかな人脈があるのかどうかは疑問です。
「日経は支那の人民日報とも親しいし、日本株式会社の広報誌だから、財界の意向を受けてやったんじゃないか」とさえ考えられる。
内容でも納得のいかない部分はあります。
陛下は戦争直後、「相手から見れば戦犯であっても、私にとっては忠臣だ」とおっしゃいました。
ところがこのメモの内容は陛下のご発言と矛盾しているのです。全責任は私にあるとおっしゃられた陛下が、なぜ前言を翻し、こんなことを言い出したのか。
さらに言えば、昭和天皇は七五年以来お参りをしていないとはいえ、毎年靖国神社に勅使を遣わせています。
これは天皇陛下のご意向です。本当に心からA級戦犯の合祀を不快に思っておられるのであれば、このようなこともしないのではないかと思うのです。
このメモが本当であれば、陛下のお言葉に矛盾が生じることになり、皇室の尊厳に関わります。
そのようなメモを、几帳面だったと言われる富田さんが粗忽にも残すようなことをするでしょうか。
また一連の報道では、「陛下の御心を尊重しろ」という声が多く聞かれました。
特に朝日新聞などは何度も社説でそう主張しています。しかし去年、女帝問題てせ寬仁親王殿下が発言されたとき、
朝日は「発言が政治的に利用される可能性がある」から「もう発言を控えては」と言っていました。「黙れ」と言ったんですね。
ところが今度は天皇の発言を受けて「天皇もこのようにおっしゃっているのだから靖国参拝をやめろ」「A級戦犯を分祀しろ」と言い出した。
これこそ政治利用の最もたるものです。
自分の都合のいいときは利用し、都合の悪いときは利用するなと言う。
普段は天皇をはじめとする皇族の方々に敬語を使わない連中が、ここぞとばかりに「陛下の御心に従うべし」というのは滑稽でなりません。
私は、死んだ人との約束は違えるな、死人にはムチを打つなと親から教えられました。
これは日本人の古来の考え方だと思うのです。日本人はそういう性質の人種です。
ですから、「靖国で会おう」と言って死んでいった人たちのために、靖国以外に慰霊施設を作ることはムダです。
またA級戦犯とされ、日本占領中に敵側に処刑されてしまっている人たちに対して、ムチを打つようなことは日本人の考え方とは相容れません。
しかも、日本の独立が認められた翌年からA級戦犯の免責運動が始まり、翌昭和二十八年には国会で「遺族援護法」の改正の決議が採択された。
遺族に対する援助も始まった。これをもって日本には法的にも戦犯はいなくなったのです。
戦争責任を語る上で「なぜ戦争になったか」「もっといい方法はなかったのか」と言いますが、
当時の日本人がみんなで知恵を絞った結果、そういう方法しか浮かばなかったんです。
天皇や戦犯だけの責任ではありません。
たしかに、戦争をした以上は勝たなければならなかったが、負けてしまった。誰が責任を取ればいいか、
といっても、突き詰めていけばそれは国民全体ということになります。
「赤紙一枚で戦地へ出された」と不満を言うけれど、そうした政府が悪かったのか、考える必要があります。
徴兵令は自分たちの祖父や親父が選んだ代議士が国会の議決を経て決めたことです。東條さんが独裁で決めたわけではありません。
そうなると一体誰が悪かったのかということになってしまう。
戦争で死なれた方は、兵士だろうが指導者だろうが、同じようにお祀りされています。
A級戦犯の中にも釈放された後、大臣になっている人もいるわけです。
絞首刑になった人だけがいまだに悪者、というのもおかしな話です。
とっくにけりがついているものを支那に乗っかって騒いでいるだけです。
靖国参拝にちいて、支那の言い分である「心情を害する」という表現ですが、
「そんなことを言われるとこちらこそ「心情を害する」となぜ日本は言えないのか。
先に口を閉ざすべきは支那であって、言われる筋合いはないのです。
そもそも神道に教義はありません。教祖もいない。宗教ではないのですから、
むしろ「宗教法人」と言っていることがおかしいのです。語弊がありますが「神社」という名の一つの団体に過ぎません。
だから来たくない人は来なくていい。「来い」と言えない代わりに、「行くな」とも言えないはずなんです。
靖国参拝するかどうかが、あたかも徳川時代にキリシタンが「踏み絵」をさせられたときのようになっている。
総裁選などはまさにそうです。靖国に参拝するかしないかが争点になってしまっている。
特に支那は「靖国参拝をするならば首脳会議はしない」などと言っている。
しかし本来はそういうものではありませんし、ましてや外国からとやかく言われることではないのです。
陸軍礼式令という規律書の一番おしまいに、「外国の習慣またゆるがせにすべからず」と書いてあります。
相手がどのような週刊を持っていようと、それに口出ししてはいけない。礼に反するのです。




あとがき
中條高德
戦争の勝敗は正義とは全く関係ない。単なる力の強弱の結果にすぎないという、
単純素朴だが、大事な論理を日本人の多くが理解していない。
日本がすべて正しかったと強弁するつもりは毫もないが、戦争の正邪国際法学者、心理学者、歴史学者などが
相寄り冷静に相諮って、数世紀ぐらいかけてはじめて分かるほど重いことなのに、
未だに全て日本が悪かったと思い込んでいる人が多い。したがって靖国神社は、
「悪い戦争に駆り立てられ無駄死にした人たち」を祀ってあるとさえ思っている人が少なくない。
それが謙虚とさえ考えているから始末が悪い。自国の歴史を正しく読めない心の貧しい、卑しい品性の人たちなのだ。
後藤田元官房長官や渡辺読売新聞会長らのように、軍隊時代の非合理な体験を
靖国とオーバーラップして考えている方々がいるが、その軍隊の内務班での行為に行きすぎはあったものの、
靖国の神々はそれを乗り越えて国に殉じたのだ。
その軍隊のみにくさは殉じた英霊の価値をいささかも害するものではない。
私情を交えて同列に論ずるなど、良識を任ずる者にあってはならないことである。
兵隊たちだけがこの国を守ったのではない。
終戦の年の八月、樺太・真岡の電話交換手たち九人の乙女は、市民にソ連軍侵入の急を告げる任務を命ぜられた。
窓外にソ連戦車を発見した彼女は、もはやこれまでと青酸カリをあおり自決した。
この九人も、沖縄から内地に学童疎開のため向かう途中、撃沈された「対馬丸」に乗っていた小学生たちも、
靖国に祀られている。
戦争は如何に残酷か、人類にとってあってはならないことを歴史の事実を以て示しているのだ。


  • 最終更新:2018-12-16 13:11:22

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