「雅子妃」銀婚式に“人格否定”の残響

「雅子妃」銀婚式に“人格否定”の残響 孤立を深めた皇太子の「美智子皇后」批判
週刊新潮2018年6月21日号掲載
雅子妃」銀婚式に「人格否定」の残響(上)
来年の御代替わりまで、残すところ10カ月余り。先ごろ両陛下は「最後」の被災地ご訪問を果たされた。
一方でさる9日には、皇太子ご夫妻がご成婚から25年となる「銀婚式」を迎えられたのだが、
そこには今なお、14年前の“衝撃発言”が、厳然と響き渡っているのだ。
9日から福島県を行幸啓された両陛下は、最終日の11日、相馬市にある東日本大震災の慰霊碑に向かわれた。
「今回の目的である植樹祭はもちろんのこと、事実上、ご在位中の被災地ご訪問もこれが最後となります」
とは、宮内庁担当記者。
「皇后さまはお疲れもあって体調を崩され、11日の早朝には38度を超す高熱があったのですが、
慰霊碑前には予定通りお見えになり、強い雨の中、陛下とともにしっかりしたお手つきで供花なさる姿が印象的でした」
こうした行幸啓は来年5月以降、皇太子ご夫妻へと引き継がれていくわけだが、
1993年のご成婚から四半世紀、辿ってこられた道のりは、まさしく山あり谷ありだったと言わざるを得ない。

9日に発表された文書で皇太子さまは、次のように述べられていた。
〈雅子は、この25年間、大変なこともある中で、色々な努力を続け、また、私と愛子をしっかりと支えてくれており、
ありがたく思うとともに、心から感謝しています。点数を付けるのは難しいですが、
今回は、結婚10年の折の「努力賞」と「感謝賞」のダブル受賞に加えて、銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います〉
そのお言葉を受けるようにして雅子妃も、
〈今回、殿下からは、身に余る賞や「銀メダル」までいただけると仰って下さり、
その寛大なお気持ちを大変ありがたく思いますとともに、金婚式に「金メダル」をいただけますかどうかは心許なく感じます……〉
と、さらに四半世紀先へと思いを馳せられながら、あわせてこう記されていた。
〈25年間を振り返りますと、様々な出来事が走馬灯のように頭の中を巡り、感慨深いものがございます〉
〈私が体調を崩しましてからも、皇太子殿下には、いつも優しく、細やかなお心遣いをいただきながら、お助けいただいてきている〉
文面の通り、過ぎ去りし25年は実に起伏に富んでいた。中でも特筆すべきは、やはり皇太子さまの「人格否定」発言であろう。

皇太子の「美智子皇后」批判
ことは14年前に遡る。2004年5月10日、欧州各国ご訪問を前に皇太子さまは、東宮御所で恒例の会見に臨まれていた。
ここで、予期せぬ事態が生じた。当時を知る全国紙デスクが振り返る。
「前年からご静養されていた雅子さまが同行されないことについて質問があり、皇太子さまは『心底残念に思っています』と、
お気持ちを代弁されながら『外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として、
大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました』と明かされた。
また、ご自身のお気持ちも『後ろ髪を引かれる思いです』と吐露なさったのです」
皇太子さまの口から衝撃的なフレーズが発せられたのは、その直後であった。
〈雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、
私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。
それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です〉
会見の場が静まり返ったのは言うまでもない。
「会見の最後には『どんなことを念頭に置かれたお話なのか』と、補足質問が飛びました。
皇太子さまは『細かいことは控えたい』とされながら『そのことで雅子も私も、とても悩んだ』と漏らされたのです」(同)
皇太子さまはその2日後に渡航され、5月24日に帰国。が、ご不在中に騒ぎが鎮まるはずもなかった。
「5月17日には、宮内庁の羽毛田(はけた)次長(当時)の会見で『社会的影響の大きい発言。
あらためて具体的内容が説明されなければ、国民が心配する』との陛下のお気持ちが示されました。
結果として皇太子さまは、ご帰国後の6月8日、長官の会見を通じて文書でご発言の真意を説明せざるを得なくなったのです」(同)
その文面には、こう綴られていた。
〈具体的内容について、対象を特定して公表することが有益とは思いません(略)
皆さんにお伝えしたかったのは、私たちがこれまで直面してきた状況と今後に向けた話です〉
名指しこそ避けられたものの、ご夫妻を取り巻く環境に苛(さいな)まれてこられた点を繰り返し強調されたのである。

東宮大夫の電話を叩き切った雅子さま
が、ここからさらなる混乱が引き起こされていく。
「皇太子さまの苛烈なお言葉は、一体どなたに向けられたものなのか、と様々な憶測が流れました。
一義的には、ご成婚当時から『外遊はともかくお世継ぎを』との空気が支配していた宮内庁、
中でも歴代の長官をはじめとする幹部らへ向けられたものでしたが、そうした雰囲気をおのずと醸成なさっているであろう両陛下、
とりわけ皇后さまにも切なるお声を届けたかったのではないか……。当時はそんな見方も、記者会では広まりました」(同)
この6月8日の「説明文」が出される少し前、皇太子さまのご真意を伺うべく電話をかけてきた当時の東宮大夫に対して雅子妃は、
〈そんなことをするのなら、私は皇太子妃を辞めます〉
そう言って一方的に電話を切り、傍らの皇太子さまに「はっきり申し上げましたよ」とご報告される一幕もあった。
さらには、「その年の11月、今度は秋篠宮さまがお誕生日会見でこの問題に触れ『記者会見という場所において発言する前に、
せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております。そのことは残念に思います』と、
異例の兄宮批判をなさったのです」(同)
庁内は言うに及ばず、宮中でも抜き差しならない状態が続いていた。それは、陛下が同年末のお誕生日に、
〈皇太子の発言の内容については(略)まだ私に十分に理解しきれぬところがあり……〉
そう言及なさったことからも明らかで、まさしく平成最大の危機が皇室を覆っていたのだった。
https:// www.dailyshincho.jp/article/2018/06230800/?all=1&page=1


「皇太子ご夫妻」ご成婚25年も… 次期皇后が未だ「会見NG」の非常事態
社会週刊新潮 2018年6月21日号掲載
「雅子妃」銀婚式に「人格否定」の残響(下)
さる6月9日に「銀婚式」を迎えられた皇太子ご夫妻。
皇太子さまが発表された文書では〈雅子は、この25年間、大変なこともある中で、色々な努力を続け…〉と述べられていた。
〈25年間〉を振り返るとき、中でも特筆すべきは2004年の皇太子さまの「人格否定」発言だろう。
〈雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です〉
というお言葉は、歴代の宮内庁幹部、あるいは美智子皇后に向けられたものか、との憶測を呼んだ。
秋篠宮殿下、そして陛下も疑問の声を投げかけられたこの発言により、皇太子さまは孤立を深めていった。

そんな異常事態を招くに至った経緯を、あらためて振り返っておく。
銀婚式にあたり雅子妃は、
〈皇室に入りましてから間もない頃、殿下からご助言をいただきながら、初めての公務の一つ一つに臨んでおりました頃のことも懐かしく思い出します〉
そう回想しておられるのだが、当時はご公務以上に重要な使命を帯びていた。
「言うまでもなく、男子のご出産です。秋篠宮家では91年に眞子さまがお生まれになっていましたが、
皇位継承に連なる男子は皇室には一人もいらっしゃらなかった。その後、94年暮れには佳子さまが誕生なさるものの、
状況は依然、変わらないままでした」(全国紙デスク)
いや増すばかりの重圧に、雅子妃はこんなお振舞いを見せたこともあった。当時を知る宮内庁関係者が言う。
「95年のことです。ご懐妊の兆しが見えない雅子妃を陛下が慮(おもんぱか)って
『国民はみな、あなたたちの子を期待していますよ』というお言葉を掛けられたことがあった。
それに対して妃殿下は『私の周りには、そんなことを言う人は一人もおりません』と、毅然と言い放ったのです。
陛下は驚き、呆気にとられたご様子でした」

居場所を失いつつあった妃殿下
その後、99年末の流産を経て01年には愛子さまをご出産。当時、子を授かった喜びを雅子妃は「生まれて来てくれてありがとう」とのお言葉で表したのだが、
周囲との“温度差”は際立っていったという。
「庁内はもっぱら『事態は何一つ進んでいない』という雰囲気で、つまりはおつとめを果たせていないということ。
にもかかわらず、ご出産から1年で外遊に復帰なさったのですから、風当たりは一層強まってしまいました」(同)
02年12月、ご夫妻はニュージーランドと豪州をご訪問。その直前、会見で雅子妃は、きわめて率直なお気持ちを口にされていた。
〈私にとりまして、結婚以前の生活では(略)外国に参りますことが、頻繁にございまして、
そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから(略)外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、
正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要った〉
が、これが物議を醸した。
「メディアでは『そんなに海外に行きたいのか』といった論調が目立ち始めた。加えて、数少ない理解者であり、
妃殿下が大きな信頼を寄せられていた高円宮殿下の薨去(こうきょ)(02年11月)も、時期が重なってしまった。
妃殿下は徐々に、居場所を失いつつあったのです」(同)
高円宮さまは86年10月、東宮御所で催されたスペイン王女の歓迎レセプションの場に当時学生だった雅子妃を招き、
皇太子さまとの出会いに繋げられた。いわばご夫妻のキューピッドであり、雅子妃のお気持ちの沈みようは計り知れなかったであろう。
そして、「03年の暮れには帯状疱疹を発症し、軽井沢で転地療養をなさいます。そうした中で04年、殿下の“人格否定”発言が飛び出したわけです。
その翌月には適応障害と診断され、本格的な長期療養生活に入られたのでした」(同)
以来14年。06年夏には、皇太子さまや愛子さまとご一緒に、オランダで2週間のご静養という異例の措置までとられたのだが、
「翌年5月、訪欧前の会見で、陛下が『私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません』と発言された。
これがもっぱらご一家への“苦言”だと見なされてしまったのです」(同)

16年間肉声なし
現在まで療養を余儀なくされながらも、「銀婚式の文書からは、雅子妃殿下の変化が窺えます」
とは、皇室ジャーナリストの山下晋司氏である。
「5年前のご成婚20年の際には、いわば一方的な両殿下のご感想が宮内庁から出されましたが、
今回は記者会の質問に対して両殿下が別々に回答されています。その点を以てしても、妃殿下の体調は良くなっているのではないでしょうか」
とはいえ、なおも大きな“懸念”が横たわったままだと指摘するのは、宮内庁担当記者である。
「02年末以降、雅子さまは16年間にわたって記者会見をされていません。
我々は今回、ご夫妻揃っての会見を3カ月前から宮内庁に申し入れていたのですが、受け入れて貰えませんでした」
雅子妃がメディアをことのほか遠ざけられているご様子は、療養生活において度々窺えた。
「外国ご訪問の前には、慣例で会見が開かれます。ですが、このままでは新皇后となられて以降もなさらないお考えでしょう。
深刻な事態に違いなく、それで果たして、国民に声が届くのか。皇后さまから御養蚕や赤十字の名誉総裁職を引き継がれても、
やはり最後には、公の場でご自分の言葉でお話しになるという“高い壁”が、立ちはだかっているのです」(同)
きたる9月には、友好160周年を記念した皇太子さまの渡仏に同行なさる見通しだ。が、ここでも肉声は拝聴できそうにない。
https:// www.dailyshincho.jp/article/2018/06240801/?all=1

  • 最終更新:2018-06-24 09:30:03

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