「平和」軽井沢で体現した陛下 悠仁さまが引き継ぐ思い

「平和」軽井沢で体現した陛下 悠仁さまが引き継ぐ思い
島康彦、多田晃子、中田絢子、緒方雄大
2017年12月22日18時19分

1枚の珍しい写真が残されている。民家のソファに腰掛けているのは、皇太子時代の天皇陛下だ。
かたわらには皇后さま、長女・紀宮さま(黒田清子さん)。
陛下はテーブルに並んだゼンマイやレタスなどに「おいしいですね」と舌鼓を打ち、近所の人も交えてだんらんした。

1988年8月、長野県軽井沢町の大日向地区にある井出久次さん(91)宅を訪れた時の一コマだ。
両陛下はその前から何度も、浩宮(皇太子)さまや礼宮(秋篠宮)さま、清子さんを大日向地区に連れ出し、
牛とたわむれさせたり、地元の子どもたちと交流させたりした。井出さん宅には計3度足を運んだという。
清子さんについては幼いころ地元の保育園にも通わせた。同園で給食を作っていた小須田愛子さん(88)は
「知らない子ばかりのなかでも泣いたり甘えたりすることなく、配膳や昼寝をするなど皆と同じように過ごしていた」と振り返る。
住民との交流には、一般社会の生活を学ばせるほかに、もうひとつ、大きな意味があった。
同町の大日向開拓地は戦後、旧満州から引き揚げた人たちが入植した場所だ。
宮内庁幹部は「貧しさの中、集落を作り上げた開拓地の歩みを伝えようというお気持ちだったのでは」と推し量る。

戦争を知る最後の天皇として、陛下は幼少時から、お子さま方が平和を考える機会を提供した。
大日向地区への訪問だけでなく、沖縄から本土を訪れた小中学生の「豆記者」を毎夏、軽井沢の静養先に招いて交流させた。
豆記者を引率した元教師の山本和昭さん(87)は、子どもたちと語らい、披露された琉球踊りに見入るお子さま方の様子が印象的だったという。

それからおよそ半世紀。山本さんにとって、当時のお子さま方の姿を思い出す出来事があった。
2014年8月、東京都内で、戦時中に約1500人が犠牲となった「対馬丸事件」の慰霊の集いが開かれた。
秋篠宮ご夫妻、長女眞子さま、次女佳子さまとともに、長男悠仁さまが出席した。
悠仁さまはスーツにネクタイの正装姿。出席者と黙禱(もくとう)を捧げ、生存者の話に耳を傾けた。
集いを主催した山本さんは「悠仁さまの表情は真剣で、幼い頃の秋篠宮さまに重なって見えた。
陛下の平和への思いが、時代を超えて秋篠宮さまから悠仁さまに継承されようとしていると感じた」。
両陛下が慰霊で94年に訪れた東京・小笠原諸島も、悠仁さまは今年7月、紀子さまと訪れた。
東京から南に約1千キロ。24時間の船旅で父島や母島をまわり、
山歩きの際には塹壕(ざんごう)や軍道、乗り捨てられた軍用トラックなどが点在する戦争の痕跡をめぐった。

皇太子家の長女愛子さまも平和への関心は強い。
今年春、学習院女子中等科の卒業記念文集に、核兵器のない世の中の実現を願う作文を寄せた。
修学旅行で広島市を訪れた経験をもとに「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、
自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要がある」とつづった。

所功・京都産業大名誉教授は「敗戦を原点に平和への思いを抱いてこられた陛下は、
平和を祈り願い続けることを自らの務めとして様々な場所に足を運ばれた。
それを子や孫に受け継ぐことで、皇族すべてが平和を大事にしている思いとなって体現されてきた。
それが結果的に、国内外の人々の平和を願う気持ちの醸成につながっている」と指摘している。
(島康彦、多田晃子、中田絢子、緒方雄大)
https:// www.asahi.com/articles/ASKDK000HKDJUTIL02Q.html

  • 最終更新:2017-12-22 20:47:25

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード